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禍患の葦

こたえ、なんてカッコをつけてみたがここにまとめるのはただの与太話だ。どこぞのロマンチストに当てられた黒歴史なので読んだ後は燃やして欲しい。

ネクロマンシー技術は神の存在の反証たりえるか、という話について、俺はNOだと思う。
まず神が存在しないことを証明すること、は非常に困難だ。全ての事象を調べて、そこに神の手によるものが存在しないことを確認する必要がある。神の存在確認にこの名前を使うのは不遜だとは思うが、いわゆる悪魔の証明だ。自我、というものは脳味噌が自我次元領域に接続された結果おこる現象に過ぎないという自我次元領域の存在は、生死の問題について、ほとんど全ての事象についてオカルト、ひいては神の存在を否定するものであろうが、完全な全てではない。重力がリンゴを落とすとして、神が腹を空かせた人間を哀れんで落としたリンゴが存在しないとは限らないだろう。
もちろんこれは詭弁だ。お前の納得する答えには程遠いだろう。だからせめて魂、というものについて俺なりの詭弁を一つつけておこう。
オカルトについて調べてみたが、大昔に幽霊というオカルト存在は磁場に過去の人間が焼き付いたものだという説があった。その説自体の真偽は知らないが、俺は自我次元領域も同様に魂というものが焼き付いた(記録された)領域であると考える。
自我次元領域は自我が連続した状態で広がっている。お前も知っていることだろうが、綿密な調整なくしてはアンデッドは生者のような高度な自我を持つことはない。何故か?座標が違えど自我次元領域
への接続はできているのに。
俺はこれを人間の自我が先にあってそこから自我次元領域ができたからじゃないかと思う。気取った表現をするなら、魂の輝きを記録する場所、それが自我次元領域の正体だと。
自我が弱い座標は魂の輝きの余波の部分なんだと思う。思う、何てロジカルじゃないな。
繰り返すがこれは詭弁だ。科学者には許せないレベルだろう。だが、ネクロマンシーの父よ、お前はもう死んだんだ。何者でもない。だから思考を続ける必要もないんだ。卵が先か鶏が先かなんてぐらいのこと、信じたい方を信じればいい。誰も望まないなら神秘は秘されたままでいいんだ。
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