長編
朝になって沙姫が起きてみると、既に何匹かは起きていた。ウルフの姿は見あたらないが、その群の中で、名前を知っているズルバーがいた。
「あ、ズルバーだ。」
沙姫は個体を見分けるのに慣れてきていた。ウルフは言わずもがなだが、まだ知らない名前のロウルサーブもいる。そういうのは、見分ける以前の問題で、個体としては認識していない。しかし、それでも生まれたばかりで小さいフィンは、わかりやすかった。
「おはよ、フィン。」
「かぅ。」
尻尾を振って、犬のように沙姫にすり寄るフィン。沙姫はそんなフィンの頭を撫でてやる。フィンは嬉しそうにした。
「おいフィン、ダメだ。」
しかし、ズルバーがフィンの首根っこをくわえて沙姫から放す。何かいけないことをしたのかと思い、沙姫は尋ねた。
「何がダメだったのさ?」
「これからフェミリー狩りだ。気を緩める訳にはいかない。」
「フィンも連れてくの?」
「ああ。」
「えっ。」
突然のことだったが、早すぎると思った。フィンが産まれて数日。牙も発達していないはずだと思った。
「どうしてさ、まだ産まれたばっかりだよ?」
「狩りを見せる。」
「危ないよ。フェミリーは強そうだし、フィンはまだ弱いと思う。また別の…ほら、普通の狩りの時に、連れて行けば、さ?」
「……それもそうか。」
「かぅ。」
ズルバーは、フィンの首根っこをくわえてテントに連れて行った。くわえられる際、声を出すフィンが可愛い。ズルバーはフィンを侵入者から守るため、基地に残るだろう。フィンが産まれてから、ズルバーが離れたことはなかった。
「何だい小娘、アタイより早く起きるなんてなかなかやるじゃないか。」
「キイン。」
一族の長が起きてきた。しかし、ウルフもプロースもまだ見あたらない。
「ウルフは?プロースもいないよ。」
「ああ、あいつらならイリュと一緒にサテライズ狩りさ。これからフェミリーとの戦いだし、よく食べた方がいいだろう?」
「腹が減っては戦ができぬ、って言うんだっけね。」
「なんだいそれは?」
「気にしなくていいよ。」
キインと話して時間を潰していると、四匹が魚をくわえて戻ってきた。
(ウルフとプロースとイリュと……知らないロウルサーブ。)
「見ろ、こんなに穫れたぞ!」
イリュが嬉しそうにサテライズを足下に落とす。ウルフとプロースとロウルサーブも、サテライズを落とした。群れの数を超えている。
「わぁ、凄い。」
「じゃ、いただこうか?早いもん勝ちだよ!」
キインが我先にとサテライズにかぶりつく。他のロウルサーブも朝食を貪った。沙姫は生では食べる気がないので、他を考えた。
(私はどうしよう?ウルフから分けてもらおうかな?)
だが、ウルフもサテライズに夢中だ。取ろうとすると唸られる。
(…そういえば、フィンはどんなものを食べるのかな?)
フィンも食事の時間ではあるはずだ。好奇心から、沙姫はズルバーが入っていったテントに入る。
「ズルバー、フィン。」
「今度は何だ。」
入った瞬間ズルバーに唸られる。フィンは既に肉を食べていた。そこで沙姫は、あれ、と首を傾げる。
「もう牙があるの?」
「当たり前だ。」
「いつ生えたの?」
「今朝だ。」
「えっ?」
予想外の成長で、目が丸くなる。昨日までは牙はなかった。ということは、夜の内に生え揃ったということなのだろうか。フィンは時折沙姫を見ながら、肉を頬張った。牙はあるものの、噛み千切るのは難しいようで、爪を出して肉を押さえている。その様子が可愛かった。
(…考えてみれば、目も開いてたね。)
産まれたばかりだと言われたフィンを見た時、既に目は開いていた。魔物の成長は、動物や人間の成長よりも早いようだ。そこでお腹が鳴り、沙姫は空腹を思い出す。
「お腹空いてるんだ、何か分けてくれないかな?」
「昨日のロークアーシャの肉ならある。」
「…それでいいよ、ついでに、食べやすく焼いてくれるかな。」
「……わがままな奴だな。」
ズルバーはロークアーシャの肉をくわえて持ってきて、沙姫の目の前に置く。そして、気を溜めた。
「火・大炎小火。」
丁度いい火加減で焼いてくれる。沙姫は、自分が石の入れ物であることを利用して、上手く立ち回っていた。そしてズルバーは育成員。フィンのこともあり、少しなら世話を焼いてくれるだろうと計算しての言動でもあった。美味しそうに焼きあがった肉を、昨日食べたよりも早く食べる。自分でも野性的な食べ方だと思ったが、魔物の群れにいる以上は仕方ない。今日の昼がない場合もある。食べれる時は食べる。沙姫がしているのは、野生の動物の生き方だった。
「ありがとう、じゃあ。」
「待て、お前は基地に残るのだろう?」
「え、一緒に行くよ?」
「何故だ。」
「え…?」
ズルバーの問いかけが、沙姫には疑問だった。しかし、すぐに意味を理解して、沙姫は答える。
「フェミリーのところに行くのは、私が提案したんだ。私もフェミリーに用があるし、ついていくよ。」
「そうか……よく聞け小娘。」
ズルバーは低い体勢になり、唸りながら沙姫を睨みつける。
「お前は、一族の石を入れておくものだ。使い道がなくなったら喰う。」
「子育て中はどうしても気が立つよね。」
「……………。」
動物の母は子育て中、飼い主にも牙を剥くほどいつもより気が荒くなる。子供を守るためだ。ズルバーは自分が的外れな忠告をしたことに気づいて無言になり、毛繕いを始める。これ以上警戒させては可哀想なので、沙姫はテントから去ってやった。
「ウルフ、乗るよ。」
「ああ。」
伏せてくれたウルフに乗って、抱きつく。今日もふさふさだ。ウルフは立ち上がり、キインを見た。
「……あんたら、準備はいいかい!?」
キインが空に向かって雄叫びを上げる。耳をつんざく、魔物の声。他のロウルサーブも、雄叫びをあげた。耳をつんざく、魔物の群れの声。ここにいるのは、人を喰らう、殺される運命にある魔物だと、沙姫は改めて思った。
(怖くないのは、多分、私が喰われて死ぬことはないからだね。)
自分も、あのロークアーシャからもらったポーチの中を見て石を確認する。クリソプレーズは外、アメトリンは中、十時石は中、テクタイトは外。十時石は、魔物からの攻撃を防ぐようなので、ずっと自分の中に入れていたい。使い慣れていないし、まだどこまで動いてくれるかは分からない。だとしても、守れる攻撃は守って欲しかった。
(私が持っていても、意味がなさそうなのはテクタイトかな?)
テクタイトは、攻撃の力をあげる石だ。人間の自分が持っていてもあまり役には立たないだろうし、ウルフが持った時はその力のあまりに自分を認識できなくなっていた。
「うーん……。」
使いどころが難しい石だ。とりあえず、役には立たないだろうが自分の中に吸収しておく。その次の瞬間にはどこからか謎の力が漲ってきて、沙姫は思う。
(あ、結構強くなるんだね。)
今なら何でもできそうな気がした。人は皆、誰もがファンタジー世界に入ったら、など、ありもしないことを思うだろう。沙姫は、妙に鮮明で変な夢を見ている感覚を覚えながら、それらしく一差し指を前に突きだして真顔で叫んだ。
「ふぁいあー!!」
「…どうした、沙姫?」
「何でもないよ。本当に何でもないからね。」
何も起こらない。沙姫は自分の顔が熱くなるのを感じて手で顔を覆った。
(ここにいるのが何も分からない魔物だけでよかった、よかった…あああ、恥ずかしい。)
冷静に混乱するという状況がまさに合っているだろう。沙姫は、テクタイトのことを考えるだけに集中した。
(攻撃力があがる…と、ウルフは言ったけど、どういうのが攻撃力に当たるのか…だね。攻撃の意思があれば、多分その力があがっているのかな?)
考えながら沙姫はウルフから降りる。そしてしゃがみ、砂に手の平を置いて押してみた。普通にふかっとするだけだった。
「…えい。」
次に、ぐっと力を入れて押してみた。変わらない。
「……えい!」
砂をビンタしてみた。砂が巻き上がる。それだけだった。手がちょっと痛い。
「………すぅ…はぁ。」
次に、深呼吸をした。拳を作り、思い切り砂に叩きつける。ちょっとそこがへこんで蟻地獄的なものができるだけだった。
(…あんまり変わらない?)
「沙姫、何をしている?行くぞ。」
「はーい。」
不思議に思いながら、沙姫はまたウルフに乗る。一同は既に歩き始めていた。フェミリーの住処は、ここから少し遠い。群れは歩いている。体力温存のためだろうか。
(…人と話すための言葉、魔物同士だけの言葉……日本語と英語みたいなものかな?)
ふと、沙姫の思考がフェミリーのことになる。テクタイトは、とりあえず保留だ。
(魔物と人間の言葉は違う。これは納得できる。でも、魔物は人間の言葉が理解できるのに、人間が魔物の言葉を理解できないのが分からない……まるで、動物?)
動物。その言葉が出てきたことで、沙姫はロウルサーブを見た。フィンがいるテントに振り返った。沙姫の中で、一つの答えが捻り出される。
(魔物は…動物の進化?)
人間は犬の言葉がわからないが、犬は人間の言葉をある程度聞き分けられるらしい。進化したことで、人間の言葉が分かるようになったのかもしれない。
「…狼。」
今まで見た魔物の形を、頭の中で思い浮かべる。
「鳥、烏、魚、熊、馬……あ、でも、そっか。」
そこで、植物にも魔物がいたことを思い出す。思考が詰まってしまい、沙姫は考えるのをやめた。すると、目の前にあの里が見える。レモンティー温泉の無人里。そこで、キインの足が止まり、体を伏せて耳を立てた。尻尾も後ろに向かって伸ばしている。何かがいた合図だ。群れは歩みを止め、キインと同じ体勢になる。沙姫はウルフの背中から、キインの見つめる先を見た。よく見るとそれは、武器を持った複数の人間だった。
(…戦闘…!?)
不意に、沙姫の頭に人間と魔物の流血が過ぎる。咄嗟に、小声でキインに話しかけた。
「キイン…!」
喋らず、尻尾で返事がくる。キインに従い、沙姫は黙って背中に伏せた。どうやら人間達は、里の様子を見ていたようで、数人の元へさらに人間が集まる。
「……小娘。」
「え…?」
不意にキインに呼ばれ、沙姫はウルフからそっと降りて低めの体勢で側に向かう。キインは、沙姫の耳元で囁いた。
「あんたなら分かるだろ、あいつら、何してるんだい?」
「…………………。」
沙姫は、人間達を見た。武器を持っているのはたったの二人で、後は白衣や眼鏡など、理系のような格好をしている。
「…この里について、何かの調査をしているみたいだね。」
「調査?」
「…この辺りに生き物はいるか嗅いで探る、みたいな感じかな。武器を持っているのは、多分、途中で魔物に襲われても大丈夫なように、用心棒だと思う。」
「ようじ…?」
「…フィンは弱いから、ズルバーが守るでしょ?あんな感じかな。」
「へぇ……!」
それを聞いたキインが、舌なめずりする。沙姫の思考が追いつく間もなく、キインは駈けだした。
「行くよあんたら!戦前の腹ごしらえだ!」
「ウォオオオッ!」
「えっ!?」
キインの後に続いて、ロウルサーブの群れが駈けだしていく。それはウルフも例外でなく、飛び出していった。
「……え……。」
一人その場に取り残された沙姫は、ただ立ち尽くしていた。
「あ、ズルバーだ。」
沙姫は個体を見分けるのに慣れてきていた。ウルフは言わずもがなだが、まだ知らない名前のロウルサーブもいる。そういうのは、見分ける以前の問題で、個体としては認識していない。しかし、それでも生まれたばかりで小さいフィンは、わかりやすかった。
「おはよ、フィン。」
「かぅ。」
尻尾を振って、犬のように沙姫にすり寄るフィン。沙姫はそんなフィンの頭を撫でてやる。フィンは嬉しそうにした。
「おいフィン、ダメだ。」
しかし、ズルバーがフィンの首根っこをくわえて沙姫から放す。何かいけないことをしたのかと思い、沙姫は尋ねた。
「何がダメだったのさ?」
「これからフェミリー狩りだ。気を緩める訳にはいかない。」
「フィンも連れてくの?」
「ああ。」
「えっ。」
突然のことだったが、早すぎると思った。フィンが産まれて数日。牙も発達していないはずだと思った。
「どうしてさ、まだ産まれたばっかりだよ?」
「狩りを見せる。」
「危ないよ。フェミリーは強そうだし、フィンはまだ弱いと思う。また別の…ほら、普通の狩りの時に、連れて行けば、さ?」
「……それもそうか。」
「かぅ。」
ズルバーは、フィンの首根っこをくわえてテントに連れて行った。くわえられる際、声を出すフィンが可愛い。ズルバーはフィンを侵入者から守るため、基地に残るだろう。フィンが産まれてから、ズルバーが離れたことはなかった。
「何だい小娘、アタイより早く起きるなんてなかなかやるじゃないか。」
「キイン。」
一族の長が起きてきた。しかし、ウルフもプロースもまだ見あたらない。
「ウルフは?プロースもいないよ。」
「ああ、あいつらならイリュと一緒にサテライズ狩りさ。これからフェミリーとの戦いだし、よく食べた方がいいだろう?」
「腹が減っては戦ができぬ、って言うんだっけね。」
「なんだいそれは?」
「気にしなくていいよ。」
キインと話して時間を潰していると、四匹が魚をくわえて戻ってきた。
(ウルフとプロースとイリュと……知らないロウルサーブ。)
「見ろ、こんなに穫れたぞ!」
イリュが嬉しそうにサテライズを足下に落とす。ウルフとプロースとロウルサーブも、サテライズを落とした。群れの数を超えている。
「わぁ、凄い。」
「じゃ、いただこうか?早いもん勝ちだよ!」
キインが我先にとサテライズにかぶりつく。他のロウルサーブも朝食を貪った。沙姫は生では食べる気がないので、他を考えた。
(私はどうしよう?ウルフから分けてもらおうかな?)
だが、ウルフもサテライズに夢中だ。取ろうとすると唸られる。
(…そういえば、フィンはどんなものを食べるのかな?)
フィンも食事の時間ではあるはずだ。好奇心から、沙姫はズルバーが入っていったテントに入る。
「ズルバー、フィン。」
「今度は何だ。」
入った瞬間ズルバーに唸られる。フィンは既に肉を食べていた。そこで沙姫は、あれ、と首を傾げる。
「もう牙があるの?」
「当たり前だ。」
「いつ生えたの?」
「今朝だ。」
「えっ?」
予想外の成長で、目が丸くなる。昨日までは牙はなかった。ということは、夜の内に生え揃ったということなのだろうか。フィンは時折沙姫を見ながら、肉を頬張った。牙はあるものの、噛み千切るのは難しいようで、爪を出して肉を押さえている。その様子が可愛かった。
(…考えてみれば、目も開いてたね。)
産まれたばかりだと言われたフィンを見た時、既に目は開いていた。魔物の成長は、動物や人間の成長よりも早いようだ。そこでお腹が鳴り、沙姫は空腹を思い出す。
「お腹空いてるんだ、何か分けてくれないかな?」
「昨日のロークアーシャの肉ならある。」
「…それでいいよ、ついでに、食べやすく焼いてくれるかな。」
「……わがままな奴だな。」
ズルバーはロークアーシャの肉をくわえて持ってきて、沙姫の目の前に置く。そして、気を溜めた。
「火・大炎小火。」
丁度いい火加減で焼いてくれる。沙姫は、自分が石の入れ物であることを利用して、上手く立ち回っていた。そしてズルバーは育成員。フィンのこともあり、少しなら世話を焼いてくれるだろうと計算しての言動でもあった。美味しそうに焼きあがった肉を、昨日食べたよりも早く食べる。自分でも野性的な食べ方だと思ったが、魔物の群れにいる以上は仕方ない。今日の昼がない場合もある。食べれる時は食べる。沙姫がしているのは、野生の動物の生き方だった。
「ありがとう、じゃあ。」
「待て、お前は基地に残るのだろう?」
「え、一緒に行くよ?」
「何故だ。」
「え…?」
ズルバーの問いかけが、沙姫には疑問だった。しかし、すぐに意味を理解して、沙姫は答える。
「フェミリーのところに行くのは、私が提案したんだ。私もフェミリーに用があるし、ついていくよ。」
「そうか……よく聞け小娘。」
ズルバーは低い体勢になり、唸りながら沙姫を睨みつける。
「お前は、一族の石を入れておくものだ。使い道がなくなったら喰う。」
「子育て中はどうしても気が立つよね。」
「……………。」
動物の母は子育て中、飼い主にも牙を剥くほどいつもより気が荒くなる。子供を守るためだ。ズルバーは自分が的外れな忠告をしたことに気づいて無言になり、毛繕いを始める。これ以上警戒させては可哀想なので、沙姫はテントから去ってやった。
「ウルフ、乗るよ。」
「ああ。」
伏せてくれたウルフに乗って、抱きつく。今日もふさふさだ。ウルフは立ち上がり、キインを見た。
「……あんたら、準備はいいかい!?」
キインが空に向かって雄叫びを上げる。耳をつんざく、魔物の声。他のロウルサーブも、雄叫びをあげた。耳をつんざく、魔物の群れの声。ここにいるのは、人を喰らう、殺される運命にある魔物だと、沙姫は改めて思った。
(怖くないのは、多分、私が喰われて死ぬことはないからだね。)
自分も、あのロークアーシャからもらったポーチの中を見て石を確認する。クリソプレーズは外、アメトリンは中、十時石は中、テクタイトは外。十時石は、魔物からの攻撃を防ぐようなので、ずっと自分の中に入れていたい。使い慣れていないし、まだどこまで動いてくれるかは分からない。だとしても、守れる攻撃は守って欲しかった。
(私が持っていても、意味がなさそうなのはテクタイトかな?)
テクタイトは、攻撃の力をあげる石だ。人間の自分が持っていてもあまり役には立たないだろうし、ウルフが持った時はその力のあまりに自分を認識できなくなっていた。
「うーん……。」
使いどころが難しい石だ。とりあえず、役には立たないだろうが自分の中に吸収しておく。その次の瞬間にはどこからか謎の力が漲ってきて、沙姫は思う。
(あ、結構強くなるんだね。)
今なら何でもできそうな気がした。人は皆、誰もがファンタジー世界に入ったら、など、ありもしないことを思うだろう。沙姫は、妙に鮮明で変な夢を見ている感覚を覚えながら、それらしく一差し指を前に突きだして真顔で叫んだ。
「ふぁいあー!!」
「…どうした、沙姫?」
「何でもないよ。本当に何でもないからね。」
何も起こらない。沙姫は自分の顔が熱くなるのを感じて手で顔を覆った。
(ここにいるのが何も分からない魔物だけでよかった、よかった…あああ、恥ずかしい。)
冷静に混乱するという状況がまさに合っているだろう。沙姫は、テクタイトのことを考えるだけに集中した。
(攻撃力があがる…と、ウルフは言ったけど、どういうのが攻撃力に当たるのか…だね。攻撃の意思があれば、多分その力があがっているのかな?)
考えながら沙姫はウルフから降りる。そしてしゃがみ、砂に手の平を置いて押してみた。普通にふかっとするだけだった。
「…えい。」
次に、ぐっと力を入れて押してみた。変わらない。
「……えい!」
砂をビンタしてみた。砂が巻き上がる。それだけだった。手がちょっと痛い。
「………すぅ…はぁ。」
次に、深呼吸をした。拳を作り、思い切り砂に叩きつける。ちょっとそこがへこんで蟻地獄的なものができるだけだった。
(…あんまり変わらない?)
「沙姫、何をしている?行くぞ。」
「はーい。」
不思議に思いながら、沙姫はまたウルフに乗る。一同は既に歩き始めていた。フェミリーの住処は、ここから少し遠い。群れは歩いている。体力温存のためだろうか。
(…人と話すための言葉、魔物同士だけの言葉……日本語と英語みたいなものかな?)
ふと、沙姫の思考がフェミリーのことになる。テクタイトは、とりあえず保留だ。
(魔物と人間の言葉は違う。これは納得できる。でも、魔物は人間の言葉が理解できるのに、人間が魔物の言葉を理解できないのが分からない……まるで、動物?)
動物。その言葉が出てきたことで、沙姫はロウルサーブを見た。フィンがいるテントに振り返った。沙姫の中で、一つの答えが捻り出される。
(魔物は…動物の進化?)
人間は犬の言葉がわからないが、犬は人間の言葉をある程度聞き分けられるらしい。進化したことで、人間の言葉が分かるようになったのかもしれない。
「…狼。」
今まで見た魔物の形を、頭の中で思い浮かべる。
「鳥、烏、魚、熊、馬……あ、でも、そっか。」
そこで、植物にも魔物がいたことを思い出す。思考が詰まってしまい、沙姫は考えるのをやめた。すると、目の前にあの里が見える。レモンティー温泉の無人里。そこで、キインの足が止まり、体を伏せて耳を立てた。尻尾も後ろに向かって伸ばしている。何かがいた合図だ。群れは歩みを止め、キインと同じ体勢になる。沙姫はウルフの背中から、キインの見つめる先を見た。よく見るとそれは、武器を持った複数の人間だった。
(…戦闘…!?)
不意に、沙姫の頭に人間と魔物の流血が過ぎる。咄嗟に、小声でキインに話しかけた。
「キイン…!」
喋らず、尻尾で返事がくる。キインに従い、沙姫は黙って背中に伏せた。どうやら人間達は、里の様子を見ていたようで、数人の元へさらに人間が集まる。
「……小娘。」
「え…?」
不意にキインに呼ばれ、沙姫はウルフからそっと降りて低めの体勢で側に向かう。キインは、沙姫の耳元で囁いた。
「あんたなら分かるだろ、あいつら、何してるんだい?」
「…………………。」
沙姫は、人間達を見た。武器を持っているのはたったの二人で、後は白衣や眼鏡など、理系のような格好をしている。
「…この里について、何かの調査をしているみたいだね。」
「調査?」
「…この辺りに生き物はいるか嗅いで探る、みたいな感じかな。武器を持っているのは、多分、途中で魔物に襲われても大丈夫なように、用心棒だと思う。」
「ようじ…?」
「…フィンは弱いから、ズルバーが守るでしょ?あんな感じかな。」
「へぇ……!」
それを聞いたキインが、舌なめずりする。沙姫の思考が追いつく間もなく、キインは駈けだした。
「行くよあんたら!戦前の腹ごしらえだ!」
「ウォオオオッ!」
「えっ!?」
キインの後に続いて、ロウルサーブの群れが駈けだしていく。それはウルフも例外でなく、飛び出していった。
「……え……。」
一人その場に取り残された沙姫は、ただ立ち尽くしていた。