長編
「…追ってきているな。」
「本当?」
ウルフの言葉で、沙姫は下を見た。近くに緑色の海が見える。白い動くものも見えた。
「本当だ。」
「だろう?」
暫く空を駆けて、申し訳なさそうに耳を垂らすウルフ。ぽつりと呟いた。
「沙姫、あんなこと言って悪かった。」
「…や、私も鼻ビンタしてゴメンね。」
「あれは痛かったな。」
「よかった、痛かったんだね。」
「喰われたいか?」
「ごめんなさい。」
いつも通りのやりとりを口にして気が緩んだのか、二人は笑い合う。その下から、白いものが飛び出してきた。それは物凄い跳躍でウルフの足に噛みついた。ウルフは痛そうに短い悲鳴をあげる。
「ロウルサーブごときが俺達に勝てるとでも!?」
「くッ…!」
ウルフは振り払おうと、噛みつかれた足をブンブン激しく振る。沙姫が、助けようと背中を移動した。それに気づいてウルフは叫ぶ。
「構うな、沙姫!俺に任せておけッ!」
「で、でも…!」
沙姫が焦ってあたふたする。その時、強い光が中から沙姫を包んだ。ウルフもクオンも動きが止まる。石の匂いがして、ウルフは声を絞り出す。
「あ、アメトリン…?」
やがて光が消えると、沙姫はきょとんとしていた。二匹は目を丸くしているが、そっか、と沙姫が手を叩く。
「焦った時にも発動するんだ!ウルフ、やっぱり私も手伝うよ!」
「だから…。」
「ほら、こうやって。」
沙姫はお尻の方に移動すると、ウルフの尻尾を軽く持ってクオンの鼻をくすぐった。沙姫が何をしようとしているのかを理解し、ウルフは機会を窺う。
「ふぁ…ふぁ…っ!」
くしゃみが出そうになって口を開けた瞬間、ウルフの耳がくるりと回って尻尾で思い切り叩き落とす。
「ニギャッ!」
顔を叩かれて、クオンは森の中へと急速落下。木の幹が沢山折れる音がした。こっちへ向かってくる気配もなく、沙姫は安堵の息。ウルフは傷の状態を見て、いつもの噛み傷だと判断した。これくらいなら一日で治る。
(だが……。)
石をフェミリーに見せたのはマズかったかもしれない。咄嗟の機転で助かったものの、これではまた狙われてしまう。
(厄介だな。)
フェミリーは鼻がいい。また、沙姫の匂いを辿って追ってくるだろう。その前に。
「沙姫、暫く俺の中に入ってろ。」
「え?……うん。」
ウルフの中に入るのは久しぶりだ。こちらに来て以来だろうか?ウルフの頭に両手を当てて、そこに自分の頭をくっつける。そうすることで、次に瞼を開けると不思議な空間の中に漂っているのだ。
「…痛っ!」
ウルフの中に入ってまもなく、足に痛みを感じた。見てみると、左足から血が出ている。そういえば、ウルフは噛まれていた。ということは、痛みの感覚も共有するのか。
(…ウルフにとっては掠り傷なんだろうなぁ。)
そんなことを考えた。
「行くぞ、沙姫。」
「いいよ!」
普通に喋れる。電話みたいな感覚で、姿が見えないだけなのだ。ウルフは再び駆空で、フェミリーの住みかから急いで離れる。やがて、いつもフェミリーの狩り場である人里が見えた。あの村に降りようと思ったが、それではますます沙姫を危険に晒してしまう。フェミリーは女が好物だ。しかも特に人間を好む。人懐こい部分しか見せないため、人間はフェミリーを害ある魔物だと知らない。
(…だからと言って、どうこうするわけでもないが。)
別に、この人里がどうなろうと自分には関係ない。そう思って足を一歩出した時。
「ウルフ、寄って」
「なっ!」
中から沙姫の声が聞こえて、ウルフは足を止めた。心が聞こえていたのか。
「フェミリーが害ある魔物と知らないなら、教えてあげようよ。」
「…俺は反対だ。」
「分かってる。だけど私も人間なんだ。黙って死ぬのを見てられない。」
「………。」
ウルフは、黙って地上に降りた。人里から少し離れているところに沙姫を降ろし、そこに寝転がる。
「勝手にしろ。お前が人間だからと言っても、救う救わないは自由だ。俺は魔物だから、救わない。」
「…ありがとう!」
そう言って、沙姫は一瞬だけウルフの首に抱きつく。それから、人里へ向かった。振り向いてみると、疲れたように寝ていた。
(そっか。私とは違って戦った後も飛び続けてるんだっけ。)
沙姫は、ウルフにとってちょうどいい休息になると思った。
「それに、お風呂に入りたいし!」
最後のところを出てからもう十日くらいも経っている。沙姫は、普通の女の子の欲求を満たしたかった。
(いきなり入ってもアレだよね…。)
人里に入る前に、沙姫は様子を見た。人口は、フェミリーの狩り場だけあって少ない。ウルフの心の言葉から察するに、恐らくフェミリーの仕業ではなく、何か別のものになっているはず。幸い、布で体を覆う格好から見るに、宗教を重んじているように見えなくもない。沙姫は、最初を考えついた。
「………。」
それは、ただ黙って入ること。人に見つからないように、教会に向かう。途中、体を覆う布切れが干してあったので、沙姫はそれを手に取り体に身につけた。
(教会に行けば、何か分かるかも!)
皆、十字架を手にどこかへ向かっていた。だから教会もあるはず。そして教会に行けば、だいたいのことは分かるはず。人々に混じって、沙姫は人混みに身を任せた。ちらっと前を見ると、一人のおばあさんが皆に向かって立っている。皆が十字架に祈り始めたから、沙姫も真似をした。
「おお神よ!」
「おお神よ!」
おばあさんに続いて、民衆が祈る。沙姫は、小さいながらも声を出した。祈りの声は交互に続く。
「我が民を救い給へ!」
「我が民を救い給へ!」
「その白き毛皮で!」
「その白き毛皮で!」
「その翠玉の瞳で!」
「その翠玉の瞳で!」
(……白き魂?翠玉…エメラルド?まさか!)
嫌な予感がした。けれども、祈りの声は続く。
「我が愚民を視界に!」
「我が愚民を視界に!」
「その姿を現し給へ!」
「その姿を現し給へ!」
そのまま強く祈ると、布切れが光った。沙姫のも光って、戸惑う。住人は、そのままばたばたと倒れていく。何が起こったか分からず、おろおろと周囲を見渡した。近くの一人の様子を見る…目を瞑っていて、開ける気配はない。
「…皆どうしたんだろう…寝た…いや、気絶?」
「…あれ、何で君は倒れないんだい?」
背筋が凍った。ばっとおばあさんのいた所に振り向くと、いた。仲間を数匹連れて、白い毛皮の狼――クオンが。幸い匂いは届いていないのか、こちらに気づいていない。語りかけ方が違うから分かったのだ。
「おかしいな。君は魔力を持ってない…君は一体何者だい?」
「………。」
黙って後退りした。喋れば声で分かるだろう。匂いがバレてないのは不思議だが…それ以前に、色々と疑問が浮かぶ。
―どうして魔力がないと分かるのか―
―皆が倒れたのは?
―あの光は?
どうして……
〝最初から〟人間と話すつもりで語りかけるのか。
(ウルフは、普通、人間は魔物の言葉が分からないと言ってた。でも、ファラストは人間に化けて人間の言葉を話すことができる。そしたら…でも、待って?魔物は人間の言葉が分かるのかな…?)
他にも疑問が浮かんで、頭の中で衝突しあう。考えている内に、クオンが布切れをくわえておばあさんからはがした。そこで初めて、クオンは嫌な顔をした。だが、すぐにその顔色は消え、沙姫に向き直る。沙姫は、少しずつ少しずつ後退りしていたが、クオンが一吠えすると、群れが沙姫を囲んだ。クオンが話しながら沙姫に近づいてくる。
「倒れてくれないと俺達フェミリー神の加護が受けれな…うん?」
鼻をひくつかせて、さらに歩み寄る。直接肌に鼻をくっつけるので、布切れのフードを深く被って押さえた。怪訝そうにじっと見て、沙姫の周りをぐるっと一周。その後急に飛びついてきて、布切れをはがそうとする。必死に抵抗したが、やがて布が耐えきれなくなって破けてしまった。顔が、見えてしまった。
「あっ!」
「…やっぱりね。微かにあいつの匂いがしたからまさかと思ったが…皆、こいつは俺らの本性を知ってる。殺して喰うぞ!」
「きゃぁあーっ!」
飛びかかるフェミリー。沙姫がその場で叫びしゃがんだその時だった。
「グォォオオオッ!!」
大地をも揺らす咆哮が轟き、フェミリーや沙姫の動きが止まる。まもなく再び大地が揺れて、沙姫のいる地面だけが突然高く盛り上がった。
「これは…地・盛突上?」
下を見ると、フェミリー達がこちらを見ている。正面を見ると、見慣れた大きな魔物がこちらに向かってきていた。
「う……ウルフぅ!」
これまでの恐怖から解放された安心感で、涙が溢れる。
「グオオオォォッ!!」
「…ウルフ?」
だが少し、ウルフの様子がおかしかった。
「本当?」
ウルフの言葉で、沙姫は下を見た。近くに緑色の海が見える。白い動くものも見えた。
「本当だ。」
「だろう?」
暫く空を駆けて、申し訳なさそうに耳を垂らすウルフ。ぽつりと呟いた。
「沙姫、あんなこと言って悪かった。」
「…や、私も鼻ビンタしてゴメンね。」
「あれは痛かったな。」
「よかった、痛かったんだね。」
「喰われたいか?」
「ごめんなさい。」
いつも通りのやりとりを口にして気が緩んだのか、二人は笑い合う。その下から、白いものが飛び出してきた。それは物凄い跳躍でウルフの足に噛みついた。ウルフは痛そうに短い悲鳴をあげる。
「ロウルサーブごときが俺達に勝てるとでも!?」
「くッ…!」
ウルフは振り払おうと、噛みつかれた足をブンブン激しく振る。沙姫が、助けようと背中を移動した。それに気づいてウルフは叫ぶ。
「構うな、沙姫!俺に任せておけッ!」
「で、でも…!」
沙姫が焦ってあたふたする。その時、強い光が中から沙姫を包んだ。ウルフもクオンも動きが止まる。石の匂いがして、ウルフは声を絞り出す。
「あ、アメトリン…?」
やがて光が消えると、沙姫はきょとんとしていた。二匹は目を丸くしているが、そっか、と沙姫が手を叩く。
「焦った時にも発動するんだ!ウルフ、やっぱり私も手伝うよ!」
「だから…。」
「ほら、こうやって。」
沙姫はお尻の方に移動すると、ウルフの尻尾を軽く持ってクオンの鼻をくすぐった。沙姫が何をしようとしているのかを理解し、ウルフは機会を窺う。
「ふぁ…ふぁ…っ!」
くしゃみが出そうになって口を開けた瞬間、ウルフの耳がくるりと回って尻尾で思い切り叩き落とす。
「ニギャッ!」
顔を叩かれて、クオンは森の中へと急速落下。木の幹が沢山折れる音がした。こっちへ向かってくる気配もなく、沙姫は安堵の息。ウルフは傷の状態を見て、いつもの噛み傷だと判断した。これくらいなら一日で治る。
(だが……。)
石をフェミリーに見せたのはマズかったかもしれない。咄嗟の機転で助かったものの、これではまた狙われてしまう。
(厄介だな。)
フェミリーは鼻がいい。また、沙姫の匂いを辿って追ってくるだろう。その前に。
「沙姫、暫く俺の中に入ってろ。」
「え?……うん。」
ウルフの中に入るのは久しぶりだ。こちらに来て以来だろうか?ウルフの頭に両手を当てて、そこに自分の頭をくっつける。そうすることで、次に瞼を開けると不思議な空間の中に漂っているのだ。
「…痛っ!」
ウルフの中に入ってまもなく、足に痛みを感じた。見てみると、左足から血が出ている。そういえば、ウルフは噛まれていた。ということは、痛みの感覚も共有するのか。
(…ウルフにとっては掠り傷なんだろうなぁ。)
そんなことを考えた。
「行くぞ、沙姫。」
「いいよ!」
普通に喋れる。電話みたいな感覚で、姿が見えないだけなのだ。ウルフは再び駆空で、フェミリーの住みかから急いで離れる。やがて、いつもフェミリーの狩り場である人里が見えた。あの村に降りようと思ったが、それではますます沙姫を危険に晒してしまう。フェミリーは女が好物だ。しかも特に人間を好む。人懐こい部分しか見せないため、人間はフェミリーを害ある魔物だと知らない。
(…だからと言って、どうこうするわけでもないが。)
別に、この人里がどうなろうと自分には関係ない。そう思って足を一歩出した時。
「ウルフ、寄って」
「なっ!」
中から沙姫の声が聞こえて、ウルフは足を止めた。心が聞こえていたのか。
「フェミリーが害ある魔物と知らないなら、教えてあげようよ。」
「…俺は反対だ。」
「分かってる。だけど私も人間なんだ。黙って死ぬのを見てられない。」
「………。」
ウルフは、黙って地上に降りた。人里から少し離れているところに沙姫を降ろし、そこに寝転がる。
「勝手にしろ。お前が人間だからと言っても、救う救わないは自由だ。俺は魔物だから、救わない。」
「…ありがとう!」
そう言って、沙姫は一瞬だけウルフの首に抱きつく。それから、人里へ向かった。振り向いてみると、疲れたように寝ていた。
(そっか。私とは違って戦った後も飛び続けてるんだっけ。)
沙姫は、ウルフにとってちょうどいい休息になると思った。
「それに、お風呂に入りたいし!」
最後のところを出てからもう十日くらいも経っている。沙姫は、普通の女の子の欲求を満たしたかった。
(いきなり入ってもアレだよね…。)
人里に入る前に、沙姫は様子を見た。人口は、フェミリーの狩り場だけあって少ない。ウルフの心の言葉から察するに、恐らくフェミリーの仕業ではなく、何か別のものになっているはず。幸い、布で体を覆う格好から見るに、宗教を重んじているように見えなくもない。沙姫は、最初を考えついた。
「………。」
それは、ただ黙って入ること。人に見つからないように、教会に向かう。途中、体を覆う布切れが干してあったので、沙姫はそれを手に取り体に身につけた。
(教会に行けば、何か分かるかも!)
皆、十字架を手にどこかへ向かっていた。だから教会もあるはず。そして教会に行けば、だいたいのことは分かるはず。人々に混じって、沙姫は人混みに身を任せた。ちらっと前を見ると、一人のおばあさんが皆に向かって立っている。皆が十字架に祈り始めたから、沙姫も真似をした。
「おお神よ!」
「おお神よ!」
おばあさんに続いて、民衆が祈る。沙姫は、小さいながらも声を出した。祈りの声は交互に続く。
「我が民を救い給へ!」
「我が民を救い給へ!」
「その白き毛皮で!」
「その白き毛皮で!」
「その翠玉の瞳で!」
「その翠玉の瞳で!」
(……白き魂?翠玉…エメラルド?まさか!)
嫌な予感がした。けれども、祈りの声は続く。
「我が愚民を視界に!」
「我が愚民を視界に!」
「その姿を現し給へ!」
「その姿を現し給へ!」
そのまま強く祈ると、布切れが光った。沙姫のも光って、戸惑う。住人は、そのままばたばたと倒れていく。何が起こったか分からず、おろおろと周囲を見渡した。近くの一人の様子を見る…目を瞑っていて、開ける気配はない。
「…皆どうしたんだろう…寝た…いや、気絶?」
「…あれ、何で君は倒れないんだい?」
背筋が凍った。ばっとおばあさんのいた所に振り向くと、いた。仲間を数匹連れて、白い毛皮の狼――クオンが。幸い匂いは届いていないのか、こちらに気づいていない。語りかけ方が違うから分かったのだ。
「おかしいな。君は魔力を持ってない…君は一体何者だい?」
「………。」
黙って後退りした。喋れば声で分かるだろう。匂いがバレてないのは不思議だが…それ以前に、色々と疑問が浮かぶ。
―どうして魔力がないと分かるのか―
―皆が倒れたのは?
―あの光は?
どうして……
〝最初から〟人間と話すつもりで語りかけるのか。
(ウルフは、普通、人間は魔物の言葉が分からないと言ってた。でも、ファラストは人間に化けて人間の言葉を話すことができる。そしたら…でも、待って?魔物は人間の言葉が分かるのかな…?)
他にも疑問が浮かんで、頭の中で衝突しあう。考えている内に、クオンが布切れをくわえておばあさんからはがした。そこで初めて、クオンは嫌な顔をした。だが、すぐにその顔色は消え、沙姫に向き直る。沙姫は、少しずつ少しずつ後退りしていたが、クオンが一吠えすると、群れが沙姫を囲んだ。クオンが話しながら沙姫に近づいてくる。
「倒れてくれないと俺達フェミリー神の加護が受けれな…うん?」
鼻をひくつかせて、さらに歩み寄る。直接肌に鼻をくっつけるので、布切れのフードを深く被って押さえた。怪訝そうにじっと見て、沙姫の周りをぐるっと一周。その後急に飛びついてきて、布切れをはがそうとする。必死に抵抗したが、やがて布が耐えきれなくなって破けてしまった。顔が、見えてしまった。
「あっ!」
「…やっぱりね。微かにあいつの匂いがしたからまさかと思ったが…皆、こいつは俺らの本性を知ってる。殺して喰うぞ!」
「きゃぁあーっ!」
飛びかかるフェミリー。沙姫がその場で叫びしゃがんだその時だった。
「グォォオオオッ!!」
大地をも揺らす咆哮が轟き、フェミリーや沙姫の動きが止まる。まもなく再び大地が揺れて、沙姫のいる地面だけが突然高く盛り上がった。
「これは…地・盛突上?」
下を見ると、フェミリー達がこちらを見ている。正面を見ると、見慣れた大きな魔物がこちらに向かってきていた。
「う……ウルフぅ!」
これまでの恐怖から解放された安心感で、涙が溢れる。
「グオオオォォッ!!」
「…ウルフ?」
だが少し、ウルフの様子がおかしかった。