長編
空を飛びたい。殆どの人がそう思うことがあるかもしれない。沙姫も、その一人だった。だが、今はそうは思わない。何故ならそれはウルフによって叶えられているから。そして―――高い高い空から、今、落ちているから。
「大丈夫か、沙姫!」
「いたた…あの鳥、狡賢いよ!」
ウルフは、沙姫を上手いこと背中で受け止めた。沙姫の無事を確認した後、ギロリと雌のロークアーシャを見る。巨大カラスは、遙か空の彼方に飛び去っていた。もう、小さな影しか見えない。ウルフは怒りを募らせ、毛を逆立てる。
「くそ…まさか、背中の沙姫を払い落とすとはな…奴もなかなかやる。だが、奴等の羽の性質上、切り傷はないはずだが…念のため聞く。怪我はあるか?」
「あるよ。」
「何ィ!?奴等の羽でどうやって体が傷つくのだ!」
「体?違うね…傷ついたのは私の心!」
「振り落とされたいか?」
「ごめんなさい許して。」
冗談を言ってふざけてみたが、大きな尻尾で払い落とされそうだったので、沙姫は謝る。もう、巨大カラスは見えない。ウルフは落胆して、耳を垂らした。
「逃がしたか…さあ、どうする。」
「どうするって…まずは駆空を止めようよ。空だから狙われやすいよ。」
「…それもそうだな。」
沙姫がしがみついたのを確認して、ウルフは下へ下へと駆け下りる。地に足をつけると、沙姫はウルフから降りた。そして、背中を反らして伸びをする。
「あーっ!払い落とされた時は死ぬかと思ったー!」
「俺達魔物の世界はいつも命がかかっている。ちょっとした油断で死ぬこともあるから、気をつけろ。」
対してウルフはその場に座り、身繕いをしている。降りた所はさっきの森の中。あまり知らない場所に降りるより安全だと沙姫が言ったからだ。周りには無害の植物ばかり。これらなら沙姫が触っても問題ない。ウルフがそう言おうとした時、沙姫が振り返って笑いかけた。
「ウルフ、助けてくれてありがとう。」
「………………。」
ウルフは耳をピクピクさせて、前足の上に顎を乗っけた。沙姫からそう言われるのが、何故か照れくさい。いや、沙姫だけでなく、ありがとうという言葉自体が照れくさいのだ。ふと考えてみると、仲間内ではあまり貸し借りを作らないが、沙姫はいつもウルフが助けて、世話して世話されているのだ。沙姫にとっては、何気ないものだったかもしれないが、ウルフにとってはその言葉が大きくて、むず痒くて。
「…ふん。」
ろくな返事も返さず、目を瞑って思わず狸寝入りしてしまった。すると沙姫はウルフを背もたれにして地べたに座る。
「分かってるよ。照れくさいんだよね。」
「………。」
どうしても沙姫には分かってしまうようで、ウルフは尻尾を不満げに振った。すると、沙姫は続けて言う。
「ウルフはわかりやすいからね。何も言わなくても仕草で分かる。」
「………。」
ウルフは、黙って起きあがり、沙姫の頬を舐めた。沙姫も、黙って舐められていた。言葉にできないから、態度で表すのだ。沙姫は目を瞑り、ウルフの体毛の流れに沿って軽く腹を撫でる。ウルフは、腹を見せてくれた。それを見て、くすっと笑う沙姫。
「私の事、信用してる?」
「………喰われたいか。」
「はいはい、ごめんね。」
「…沙姫、最近変だぞ。どうしたんだ?」
「気のせいだよ。」
ウルフに身を預け、沙姫はそのままうとうとと眠りそうになる。すると、ウルフが鼻でつんつんと沙姫をつっつくのだ。沙姫が眠そうに目を擦りながらウルフを見る。するとウルフはニヤニヤしながら言い放った。
「魔物の側で眠るなど…すぐに喰われるぞ?」
「…あぁ…。」
そんなこと、と沙姫は言った。さらに、人間の側よりウルフといた方が安心するとも言った。
「変だよね。人間と魔物は相容れない仲であるはずなのに。」
「…………。」
それは自分も同じだった。どうも最近、沙姫が側にいないと安心しない。この間だってそうだ。背中が寂しかった。それに、もう沙姫を喰おうなどということは思わない。その代わり、沙姫を守りたいとさえ思う。払い落とされた時だって、全身から冷や汗が出た。一体自分に何が起きたのだろう?そう考えている内に、沙姫が寝てしまった。ウルフは、自分より小さな、自分の好みの味である少女を見つめて、頬を舐めた。少しでも扱いを間違えると、傷ついてしまう脆弱な体。それに反して、捕食者に接してくるずうずうしいあの態度。だが、そんな沙姫だからこそ、側に置いておきたいと思うのかもしれない。
(まるで、人間でいう〝友達〟ができたみたいだな。)
友達。それは何かと以前沙姫に聞いたことがあった。すると沙姫はしばし考え込んでから、難しいなと答えてきた。
「簡単に言うと、ウルフとプロースみたいなものだよ。きっと、ね。」
「………。」
ウルフは、空を見た。桃色が一つもない緑色の中に、一つ、金色に輝く巨大鳥が悠々と空を飛んでいる。ウルフの耳が立って、体が思わず動く。沙姫はその動作で目を覚まし、寝ぼけなまこで空を見上げた。どうやらグラントフェザーを狩ろうとしているらしい。沙姫は、伸びをして、ある提案をした。
「普通にやっても捕まらないからさ。作戦立てようよ。」
「作戦だと?」
「うん。まず、ウルフの使える技を教えて。そこから考えなきゃ。」
主に沙姫が考え、ウルフがその手助けをするという形で作戦が練られた。グラントフェザーを逃がしては話にならないので、手短に済ます。やがて沙姫がウルフに跨って、合図を出した。
「いいよ。」
「よし、行くぞ…!」
地を蹴り、グラントフェザーの真下まで一気に駆け迫る。森に生い茂った木が、ウルフの巨体を上手く隠していた。僅かな音も立てぬように動くのは難しかったが、ウルフは沙姫の作戦に従う。駆けながら、気を溜める。沙姫が言った。
「真下まで行ってから出すのは遅いから、何とかグラントフェザーを抜いてから技を出して!」
「…分かった。」
心静かに落ち着け、気を溜めながら、狩りの本能を奮い立たせて興奮する。考えてみれば、ウルフはかなり難しいことをしているなと沙姫は改めて感心した。だが、感心したのも束の間。
「うぉっ!?」
「え…!?」
いつの間にか木はなくなり、自分達がいるのは崖を越えた空中。上を見続けていたせいで、森の終わりに気づかなかったのだ。ウルフはなんとか脚をばたつかせ、そのまま駆空の体勢になった。沙姫は、ロウルサーブの能力に感謝した。安堵の息をついて、なるべく平静を装って話す。
「落ちるかと思った。」
「お、落ちるはずがないだろうがっ!?」
「声、上擦ってるよ。」
ちらっと尻尾を見ると、やはりというか、尻の下に入っている。ウルフも焦ったのだ。空を見ると、グラントフェザーがこちらに気づいたらしく、羽ばたいて加速して逃げていく。ウルフは素早く対応した。
「空・迅速駆空!」
これまで溜めていた気を使い駆けるスピードをあげたウルフは、金色の鳥を追う。そこで、ふと疑問が浮かび、沙姫はウルフに尋ねた。
「ねえ、その状態でもう一回同じのをやったら、もっと速くなるかな?」
「はあ?いきなり何を。」
だが、追うのに必死なウルフには今は考えられないようで、沙姫は言い直した。
「空・迅速駆空をして、その上で空・迅速駆空をしたら、今より速くなるんじゃないかなって…。」
暫く黙って、ウルフは突然怒鳴った。
「……そんなことなら先に言え!分からないが、実践あるのみだ!しっかり掴まっていろ、沙姫。」
「う、うん。」
沙姫は、ウルフにこれでもかとしがみついた。ウルフは目標を見据えたまま、短く気を溜める。
「空・迅速駆空!」
すると、少しだけ速くなった気がした。しかし、確証が得られないので、今度は長く溜めてみる。巨大鳥は何かを悟り、さらに加速した。逃がすまいと思い、ウルフは溜めた気を放った。
「空・迅速駆空!」
「うわぁっ!」
すると、ぐんと加速して、グラントフェザーのすぐ近くまでにこれたのだ。沙姫は読みが当たり、余裕はないが叫び喜ぶ。
「ビンゴ!ウルフ、羽を噛み千切っちゃえ!」
「言われなくとも!」
尻尾がプロペラの如く回っている。沙姫と、気持ちは同じなのだろう。それでもグラントフェザーは、どうにか生き抜こうと急に旋回して、背後に回る。やがてその嘴は、また沙姫を狙った。
「…二度はさせん!!」
「ギィッ!」
だが、ウルフの太い尻尾で目を叩かれ、よろける。はっと前を見ると、鋭い牙と喉が、目の前にあった。
「大丈夫か、沙姫!」
「いたた…あの鳥、狡賢いよ!」
ウルフは、沙姫を上手いこと背中で受け止めた。沙姫の無事を確認した後、ギロリと雌のロークアーシャを見る。巨大カラスは、遙か空の彼方に飛び去っていた。もう、小さな影しか見えない。ウルフは怒りを募らせ、毛を逆立てる。
「くそ…まさか、背中の沙姫を払い落とすとはな…奴もなかなかやる。だが、奴等の羽の性質上、切り傷はないはずだが…念のため聞く。怪我はあるか?」
「あるよ。」
「何ィ!?奴等の羽でどうやって体が傷つくのだ!」
「体?違うね…傷ついたのは私の心!」
「振り落とされたいか?」
「ごめんなさい許して。」
冗談を言ってふざけてみたが、大きな尻尾で払い落とされそうだったので、沙姫は謝る。もう、巨大カラスは見えない。ウルフは落胆して、耳を垂らした。
「逃がしたか…さあ、どうする。」
「どうするって…まずは駆空を止めようよ。空だから狙われやすいよ。」
「…それもそうだな。」
沙姫がしがみついたのを確認して、ウルフは下へ下へと駆け下りる。地に足をつけると、沙姫はウルフから降りた。そして、背中を反らして伸びをする。
「あーっ!払い落とされた時は死ぬかと思ったー!」
「俺達魔物の世界はいつも命がかかっている。ちょっとした油断で死ぬこともあるから、気をつけろ。」
対してウルフはその場に座り、身繕いをしている。降りた所はさっきの森の中。あまり知らない場所に降りるより安全だと沙姫が言ったからだ。周りには無害の植物ばかり。これらなら沙姫が触っても問題ない。ウルフがそう言おうとした時、沙姫が振り返って笑いかけた。
「ウルフ、助けてくれてありがとう。」
「………………。」
ウルフは耳をピクピクさせて、前足の上に顎を乗っけた。沙姫からそう言われるのが、何故か照れくさい。いや、沙姫だけでなく、ありがとうという言葉自体が照れくさいのだ。ふと考えてみると、仲間内ではあまり貸し借りを作らないが、沙姫はいつもウルフが助けて、世話して世話されているのだ。沙姫にとっては、何気ないものだったかもしれないが、ウルフにとってはその言葉が大きくて、むず痒くて。
「…ふん。」
ろくな返事も返さず、目を瞑って思わず狸寝入りしてしまった。すると沙姫はウルフを背もたれにして地べたに座る。
「分かってるよ。照れくさいんだよね。」
「………。」
どうしても沙姫には分かってしまうようで、ウルフは尻尾を不満げに振った。すると、沙姫は続けて言う。
「ウルフはわかりやすいからね。何も言わなくても仕草で分かる。」
「………。」
ウルフは、黙って起きあがり、沙姫の頬を舐めた。沙姫も、黙って舐められていた。言葉にできないから、態度で表すのだ。沙姫は目を瞑り、ウルフの体毛の流れに沿って軽く腹を撫でる。ウルフは、腹を見せてくれた。それを見て、くすっと笑う沙姫。
「私の事、信用してる?」
「………喰われたいか。」
「はいはい、ごめんね。」
「…沙姫、最近変だぞ。どうしたんだ?」
「気のせいだよ。」
ウルフに身を預け、沙姫はそのままうとうとと眠りそうになる。すると、ウルフが鼻でつんつんと沙姫をつっつくのだ。沙姫が眠そうに目を擦りながらウルフを見る。するとウルフはニヤニヤしながら言い放った。
「魔物の側で眠るなど…すぐに喰われるぞ?」
「…あぁ…。」
そんなこと、と沙姫は言った。さらに、人間の側よりウルフといた方が安心するとも言った。
「変だよね。人間と魔物は相容れない仲であるはずなのに。」
「…………。」
それは自分も同じだった。どうも最近、沙姫が側にいないと安心しない。この間だってそうだ。背中が寂しかった。それに、もう沙姫を喰おうなどということは思わない。その代わり、沙姫を守りたいとさえ思う。払い落とされた時だって、全身から冷や汗が出た。一体自分に何が起きたのだろう?そう考えている内に、沙姫が寝てしまった。ウルフは、自分より小さな、自分の好みの味である少女を見つめて、頬を舐めた。少しでも扱いを間違えると、傷ついてしまう脆弱な体。それに反して、捕食者に接してくるずうずうしいあの態度。だが、そんな沙姫だからこそ、側に置いておきたいと思うのかもしれない。
(まるで、人間でいう〝友達〟ができたみたいだな。)
友達。それは何かと以前沙姫に聞いたことがあった。すると沙姫はしばし考え込んでから、難しいなと答えてきた。
「簡単に言うと、ウルフとプロースみたいなものだよ。きっと、ね。」
「………。」
ウルフは、空を見た。桃色が一つもない緑色の中に、一つ、金色に輝く巨大鳥が悠々と空を飛んでいる。ウルフの耳が立って、体が思わず動く。沙姫はその動作で目を覚まし、寝ぼけなまこで空を見上げた。どうやらグラントフェザーを狩ろうとしているらしい。沙姫は、伸びをして、ある提案をした。
「普通にやっても捕まらないからさ。作戦立てようよ。」
「作戦だと?」
「うん。まず、ウルフの使える技を教えて。そこから考えなきゃ。」
主に沙姫が考え、ウルフがその手助けをするという形で作戦が練られた。グラントフェザーを逃がしては話にならないので、手短に済ます。やがて沙姫がウルフに跨って、合図を出した。
「いいよ。」
「よし、行くぞ…!」
地を蹴り、グラントフェザーの真下まで一気に駆け迫る。森に生い茂った木が、ウルフの巨体を上手く隠していた。僅かな音も立てぬように動くのは難しかったが、ウルフは沙姫の作戦に従う。駆けながら、気を溜める。沙姫が言った。
「真下まで行ってから出すのは遅いから、何とかグラントフェザーを抜いてから技を出して!」
「…分かった。」
心静かに落ち着け、気を溜めながら、狩りの本能を奮い立たせて興奮する。考えてみれば、ウルフはかなり難しいことをしているなと沙姫は改めて感心した。だが、感心したのも束の間。
「うぉっ!?」
「え…!?」
いつの間にか木はなくなり、自分達がいるのは崖を越えた空中。上を見続けていたせいで、森の終わりに気づかなかったのだ。ウルフはなんとか脚をばたつかせ、そのまま駆空の体勢になった。沙姫は、ロウルサーブの能力に感謝した。安堵の息をついて、なるべく平静を装って話す。
「落ちるかと思った。」
「お、落ちるはずがないだろうがっ!?」
「声、上擦ってるよ。」
ちらっと尻尾を見ると、やはりというか、尻の下に入っている。ウルフも焦ったのだ。空を見ると、グラントフェザーがこちらに気づいたらしく、羽ばたいて加速して逃げていく。ウルフは素早く対応した。
「空・迅速駆空!」
これまで溜めていた気を使い駆けるスピードをあげたウルフは、金色の鳥を追う。そこで、ふと疑問が浮かび、沙姫はウルフに尋ねた。
「ねえ、その状態でもう一回同じのをやったら、もっと速くなるかな?」
「はあ?いきなり何を。」
だが、追うのに必死なウルフには今は考えられないようで、沙姫は言い直した。
「空・迅速駆空をして、その上で空・迅速駆空をしたら、今より速くなるんじゃないかなって…。」
暫く黙って、ウルフは突然怒鳴った。
「……そんなことなら先に言え!分からないが、実践あるのみだ!しっかり掴まっていろ、沙姫。」
「う、うん。」
沙姫は、ウルフにこれでもかとしがみついた。ウルフは目標を見据えたまま、短く気を溜める。
「空・迅速駆空!」
すると、少しだけ速くなった気がした。しかし、確証が得られないので、今度は長く溜めてみる。巨大鳥は何かを悟り、さらに加速した。逃がすまいと思い、ウルフは溜めた気を放った。
「空・迅速駆空!」
「うわぁっ!」
すると、ぐんと加速して、グラントフェザーのすぐ近くまでにこれたのだ。沙姫は読みが当たり、余裕はないが叫び喜ぶ。
「ビンゴ!ウルフ、羽を噛み千切っちゃえ!」
「言われなくとも!」
尻尾がプロペラの如く回っている。沙姫と、気持ちは同じなのだろう。それでもグラントフェザーは、どうにか生き抜こうと急に旋回して、背後に回る。やがてその嘴は、また沙姫を狙った。
「…二度はさせん!!」
「ギィッ!」
だが、ウルフの太い尻尾で目を叩かれ、よろける。はっと前を見ると、鋭い牙と喉が、目の前にあった。