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長編

「いきなり信じられない話、私は異世界の人間です。」

暖炉で火がパチパチ燃えているのを音楽代わりに、沙姫は語り出す。目の前のテーブルには紅茶。相手は緊張の面持ちだが、沙姫はソファーに座ってリラックスしている。自分でも、ファンタジーの世界っぽいなと思った。

(あ、ファンタジーか。)

すぐに思い返し、紅茶を少し飲んで喉を潤して長話に備える。暗黙の了解みたいに、二人も紅茶を飲んだ。沙姫は伸びをしてから、事の顛末を話し始める。

「元々あのウルフというロウルサーブが私の世界に来たのに始まり、色々あって…それで、一族の長だった長老に呼ばれてこの世界に来て…石を探してるんです。」

大体は話した。沙姫は緊張感をほぐすために一息つくと、残りの紅茶を一気飲みする。そしてソファーによりかかった後、バウンドでまた姿勢を正した。

「信じてもらえましたか?」

そう言ってから、自我を取り戻したかようにはっとなる師匠の男。弟子の方は、何が何だか分からずに混乱していた。

「…つまり、君はあのロウルサーブの餌ではない。そういうことだね?」

「はい。」

沈黙が辺りを包む。沙姫は、相手の目をじっと見た。

「…とりあえず今日はもう遅い。」

そう言われて沙姫は窓に目をやる。闇は依然として深い。町だから電灯があると思うのだが、沙姫が目をやった窓からは見えない。時計を見れば針は十を差している。沙姫はそれらを確認してから男に向き直った。

「ここの部屋を貸すから寝なさい。ただし、余計な動きをしたら許さない。」

「ひっ!」

弟子の突きつけた鋭い槍。どちらの目も、沙姫を完全には信用していなかった。沙姫は首元の槍を目線だけで見て唾を飲み込み、頷ける範囲で頷く。弟子はそっと槍を引っ込めた。肩の力を抜く沙姫。そのまま師弟は沙姫を睨んだまま上に上がっていった。

「布団とか貸してくれないんだ……。」

残念な気持ちで仕方なく暖炉近くのソファーに横たわる。ふかふかだが、ウルフの毛には劣った。ウルフの温もりを思い出し、沙姫は肩を震わす。

「ウルフぅ…。」

自分でも不思議なくらい、そこで初めて涙が出た。人の側にいるより、ウルフの側の方が安心する。そんな自分に複雑な思いを抱きながら、沙姫の意識は途絶えた。

「…そろそろか。」

早朝。鶏も鳴かぬ時間に丸まって寝ていたウルフが体を起こす。沙姫に眠る時間は与えた。ウルフは街の向こうに光る陽を眩しそうに目を細める。風上は街、僅かな希望を胸に鼻を動かす。沢山の人や、果実の匂い。煙突から立ち上る煙の匂い。火の匂い。街の向こうからは牧場もあるのか、干し草と獣の匂いもある。沢山の匂いの中、神経を集中させてみるが、沙姫らしい匂いは―――

「んっ!?」

気のせいだろうか。沙姫と似た匂いが一瞬鼻に入ってきた。ウルフは嬉しさに耳を動かす。沙姫に会いたい。だが、魔物である自分が街に入ったら間違いなく戦闘になる。

「どうしたものか…。」

そして匂いが鼻に入ったのは一瞬だけ。勘違いだったら余計な怪我を負うことになるばかりか、体も、精神も疲れ果ててしまう。話し合いなど到底無理。沙姫以外の人間は魔物の言葉が分からない。ウルフはその場を暫く右往左往して、街を見た。早朝から美味しそうな少女が紙袋を抱えて歩いている。その足下を犬が飛び回ってくっついていた。

「…これだ!」

耳を立て、尻尾を回してすっくと立ち上がったウルフ。自分でも天才だと思った。自信過剰かもしれないが――ウルフはあまりの嬉しさに前傾になって伸び、ありったけの力を込めて吠えた。

「ウォォ………ッン。」

だが、途中で飲み込んだ。吠えたいのは山々だが、吠えれば人間を起こしてしまう。なるべくなら人間はいない方がいい。用があるのは、獣だ。

「ロウルサーブの頭脳をナメるなよ、人間共。」

自信満々に舌なめずりをして、小さくウォンと鳴いてから、ウルフは高台から街へと駆け下りた。街に入ると足音をなるべく消して、少女の犬に這って近づく。だが、犬より自分の方が大きいから、犬はやがて自分に気付くだろう。息も殺す。

「ワンワン!」

「どうしたの?」

(…まずいっ!)

犬が吠えて、人間を振り向かせてしまった。当然、魔物を見た非戦闘員の人間は固まる。その固まった時間の内に、ウルフは咄嗟に腹を見せて転がってみた。犬がこうすると服従の証なんだと沙姫が言っていたからだ。だが少女の脳が魔物を認識すると、少女はウルフの意思とは裏腹に叫んだ。

「…ま、魔物ォーッ!」

少女の叫び声を聞いて、ウルフは無防備な体勢から飛び起きる。それより後に、武器を持った人間が集まってきた。仕方なしに、ウルフは犬の首根っこを優しく噛んで飛び退く。少女は当然パニックを起こした。

「きゃぁああ!イル!イルがっ!」

「落ち着いて!」

「用心しろ!皆離れて!」

銃を構えるのはたった二人。周りの人間は武器を持っていない。ウルフはくわえている犬を銃口に向けた。人間が銃を動かすとウルフは犬を動かす。二人別々に銃の標準を逸らそうものなら、ウルフは低く唸って犬へ牙を立てた。標準をずらさせないためだ。犬を人質にしておけば、銃で撃たれることはない。どうするかと人間が話し合いを始める。時間の流れが長く感じられて次第にウルフは焦り出した。

(何を呑気に寝ている?起きろ沙姫!そこにいるのだろう…!?)

「支援だ!通せ。」

また一人、人間が出てきた。その人間を見て、思わずウルフは毛を逆立て犬を放して唸る。沙姫を連れ去ったあの男だ。血が頭に上ってくる。犬は少女の元に戻り、二人が銃の引き金を引く。その人間もウルフを見た途端、目を丸くした。

「お前は…あの時の。」

「沙姫はどこだァーッ!」

「うぉッ!?」

男が出てきた途端、ウルフは飛びかかった。すかさず銃声が聞こえて、ウルフは大きな尻尾で弾を払う。男に覆い被さった瞬間、一つの声が響き渡った。

「ぜんた~い、止まれッ!!」

その声は鶴が鳴いたみたいに辺りを静かにした。聞き慣れた、真剣な時に限っての間抜けな声。ウルフが望んだ少女の声。言葉通りに、ウルフは止まった。ウルフだけではない。野次馬も、銃を構えた男も、この男も止まる。やがて群衆をかき分けて、沙姫が前に出てきた。

「ウルフ、私は無事だよ。その人から離れて。」

「…分かった。」

ウルフが男から離れると、人々は皆、驚きの表情を露わにした。魔物が人の指示に従った前例がなかったからだろう。沙姫がウルフに近づくと、当たり前のようにウルフは伏せた。その背中に沙姫は跨る。久々の温もりに、ウルフは目を細めて耳も尻尾も垂らして安心の仕草を見せた。沙姫もウルフに抱きついてその毛皮を撫でた。安心しているのがウルフに伝わる。ソファーより、こちらの方が居心地がいい。沙姫は起きあがって、偉そうに言ってみた。

「皆さん。私がいる限り、このロウルサーブが皆さんを襲うことはありません。」

「だが、沙姫以外は俺に触らせないぞ?」

「…だからと言って、触ることはできませんが。私を連れ去ってくれた人、お風呂と食事と紅茶、ありがとうございました。」

沙姫がそう言っても、男は固まったまま頷くだけ。皆が皆、沙姫を不思議そうに見ていた。そんな沙姫はウルフの言葉が他の人には分からないと知って、ウルフと話した。

「口が赤いけど、何食べたの?」

「…人間の男三人。まずかった。」

「え…。」

考えずに言ってから、しまったとウルフは息を呑んだ。尻尾も耳も、筋肉も固まって動きが止まったようだった。沙姫の瞳が動揺して揺れる。沙姫にとって今の話は、軽い世間話のようなものだったのだろう。沙姫はそのまま、小声で自分を納得させようとしていた。

「そ、そうだよね。魔物だもんね…ひ、人は…食べ物なんだよね。」

「…………。」

言い訳をする気はない。ウルフはあえて黙っていた。少しして、沙姫は人々に向かってはっきり言った。

「では、私達はこれで!ウルフ、行こう。」

「…ああ。」

沙姫の言葉を聞いて、人間達に挨拶はしないで立ち去るウルフ。とにかく、腹が空くような匂いからは離れたかった。

「ねえ、どう思う?」

「何が。」

「あの子よ。魔物を従えていたあの女の子。」

「あ~…。」

沙姫とウルフが行ってしまった後、街の人々はその話題で持ち切りになっていた。男が返答を考えていると、思わぬ方向から発言が飛んでくる。それは、さっきの犬連れの少女だった。

「私は、あの子も魔物だと思う!」

その発言で、皆が皆そちらを向いた。何せ、魔物の第一発見者なのだ。

「だって、魔物と話してたし、服装も変わってたもん!」

「確かに…そうね。」

「一理あるな。」

ざわざわとざわめきながら意見が纏まり出す街の人々。やがて、一つの意見に纏まった。

「また来るかもしれない。皆、警戒態勢を怠るな!」
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