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きまぐれと愛嬌

なんとか荷物を持ち帰ると、無人のリビングにテレビがぽつりと明かりを灯していた。



「母さん?」



返事はなく、机の上の置き手紙に気付いたのは少し後だった。買い物に出かけてくると、やけに達筆に書かれている。

仕方なくテレビを消そうとリモコンを向けた俺の目に、キャッチーな音楽とともに飛び込んできたのは数人の若い青年だった。


煌びやかな衣装を着て、ステージで黄色い歓声とぎらぎら喧しいスポットライトを浴びて舞い踊る姿は、全身で光を放っているみたいだった。


それからの俺はがむしゃらだった。ただああなりたいと、もう名前も覚えていない青年たちを脳裏に浮かべては狭い練習室でもがいた。


いつ日の目を見るか分からない地下室は息苦しくもあり、同時に支えでもあった。ここにさえいれば、いつかあの青年のようになれる。そう信じて過ごした数年間は、無駄じゃなかったと、こうして舞台で待っている人たちのためにマイクを握る俺が証明している。俺は花屋ではなく、アイドルになった。




「ウォヌ?どこか痛い?」



ふと我に返ると、長いこと考え事をしていたらしい。怪訝そうにそう問われ、慌てて弁明した。




「ごめん、考え事してた」

「ふふ、なにか思い出した?」

「いや…あぁ、まあ色々」



ここは人通りのない道だった。考え事をして立ち止まろうが、道端に咲く花を眺めてぼうっとしていようが誰も咎めない。
たとえ俺たちがここで口付けを交わしたとしても、誰も。




「綺麗だね」




ジュンはそう言うと、ブロック塀から花を遠ざけるように撫でた。



「誰も見てないのに、がんばって咲いてる」



愛おしむように、慈しむように指を滑らせる。




「俺は」




分かってる。こんなのただのジュンの気まぐれに過ぎないことを。いつもの思いつきの発言に過ぎないことを。けど、俺は。




「俺は、花壇に咲いてる花より、こっちの方が綺麗だと思う」




暑い、暑い夏の日だった。ぼたりと落ちた雫は恐らく塩辛いだろう。しゃがみ込んでいる俺は、太陽にとっていい晒し者だ。




「帰ろうか」




手を引くと、汗ひとつ零さない頭が大きく頷いた。



道端の花は一人で生きる。一人で咲き、一人で育ち、一人で枯れる。一人という言い方も妙だが、生きているのならそれは人間と何ら変わりないのではないか。

俺たちが育てなくとも、手をかけなくとも、花は咲く。あの日俺に花屋という職を提案した彼女は、今何をしているのだろう。俺のことなどさっぱり忘れ、あの頃と同様に誰かに笑顔を振りまいているのだろうか。
俺のことをテレビか何かで目にし、他より立派に咲いた朝顔を思い出してはくれただろうか。



ジュンもいつか俺のことを忘れてしまうだろう。それは、嫌だ。咄嗟に願う。この二つの手に込められた意味が無くなってしまわないように。お得意の気まぐれで、奴がするっと離れてしまわないように。


繋いだ手をうっとりと見つめるジュンの手を、そう祈るように握り直した。蒸し暑く、けれど確かに、俺たちがそこにいた夏だった。
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