第六話
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◆
キュウゾウと再会できたからといって特にこれといったことは起こらなかった……というより起こるかもしれない前に俺は逃げた。
大門から橋を渡ってきたキュウゾウは物珍しそうに俺の着物姿をじっと見つめていた。横一文字に結ばれていた口が何かを言おうとしてか、少し開いたがその前に「後は頼んだ」と背負っていたヒョーゴを押し付けて、最上層から第六階層まで駆けた。
マスターやヒョーゴには感想を言われても「そうか」としか言わなかったし、思わなかったくせに。別に褒められるために着たわけじゃなくて、許嫁のフリをするための恰好だから、誰にどんな風に言われても気にしないはずなのに。
自分が情けない。
俺はキュウゾウの感想を聞くのが怖くて、逃げてきてしまった。何故、怖いのだろう。虹雅渓に来たばかりで、キュウゾウとは初対面だった、以前の俺だったら奴からどう思われようと(無関心であろうと)一向に構わなかったのに。
最近の俺は調子がおかしい。
マスターの馴染みの医者に修理の相談した方がいいかもしれない。
キュウゾウの言葉を聞いてから戻ればよかった……。
こんな風に翌日の俺は後悔していた。必ずしも着物姿についての感想じゃなくて、ヒョーゴとどこにいたのか、という状況確認の言葉だったかもしれないのに。自分の自意識過剰がとても恥ずかしかった。
しかし、今は悶えている場合じゃない。ヒョーゴからの依頼を達成して、報酬を得て、それで新しい櫛を手に入れるために十五日後(今日だともう十四日後)の料理勝負に向けて勝つための対策を練らなくては。
「対策を練るも何も、お前の場合、猛特訓するしかないアル」
自分の実力わかっているのかと呆れ顔をされた。
これに関しては何も言い返せない。確かに俺の場合、料理を作る以前の問題。調理に使う道具を壊してしまうから。
「でも主題が愛妻弁当ならなんとかなるかもしれないアル」
「どういうことだ」
「型が決まってないからダヨ」
必ずこれをいれなきゃいけないとか、あれをしなきゃいけないとか厳密に縛られず自由に作れるからだという。
「一番いいのはキュウゾウ様の好きなものを詰め込めればいいアルが」
どうか、と目を向けられたが、俺は首を左右に振った。
アイツの好きな食べ物なんて一つも知らないから。今までのやりとりを思い出して抱く印象としては好き嫌いがなさそうに思える。というより、食べること自体にそこまでの関心を抱いていないと思う。
食うのは空腹を満たすための手段と考えているのでは。そういうと「ふむ」とマスターは顎に手を当てた。
「ならば中身については無難な方で行くアルカ」
まずは簡単な料理から練習しようということで材料を買いに下層で店を回った。費用は俺の貯めたお金から。せっかく貯めたのにと思わないでもないが、勝てば依頼達成。報酬五〇〇〇〇がもらえるのだし、教えてもらう身なので文句は言えなかった。
宿に戻る時と、早亀屋が来ていたみたいで「お前宛に文が届いている」とマスターから手渡された。差出人はヒョーゴだった。なぜ俺のいる宿がわかったのかと疑問に思ったが、すぐに解消した。
伯母上の起こした辻斬り事件でオンボロ宿に辻斬り犯がかくまわれていると疑われ、かむろ衆と鋼筒の集団に囲まれたことがあった。ソイツらの誰かがヒョーゴに場所を話したのだろう。
ヒョーゴからの文には……俺に何が何でも勝利してもらい、あの女(ザクロ)を虹雅渓から追い出すために賄賂を利用する。どこで料理の勝負をするのかは不明だが、虹雅渓でやるなら差配アヤマロの影響下にある。
点数制なら接戦を装って俺を勝たせるとあった。ただし、いくら賄賂を使うとはいえ、あまりにも下手すぎると勝ったときに不正があったとされ敗北してしまうので、まともに見られるくらいには練習をしておけと。
手紙の最後には憂さ晴らしに付き合ってくれたことと、酔い潰れた自分を御殿まで運んでくれたことへの感謝。依頼のことをキュウゾウに言わざるを得なくなったので話したと書いてあった。
そうかと俺は内心頷く。奴のことだから口にはしないだろうが、何をしているのか吐けという無言の圧力がすごかったのだろうな、と想像する。
読み終わった後で俺は少しだけ悲しくなった。サムライが刀ではなく、金を使って問題を解決しようとすることに。これもアキンドの時代の故にというものなのだろうか。
ヒョーゴとしてはザクロと正々堂々勝負する気がなく、早めに問題を解決したいようだったが……それは相手も同じ考えであったということに、後から俺は身をもって知ることになった。
◆◆
それが始まったのは、勝負まで後七日後という日だった。
自分以外にも味見役という名の毒見役が必要ということ(本当に失礼な奴だ)で、マスターは宿に診療所の医者を招いていた。医者はマスターと同じ刀鍛冶の一族の生き残り。故に鋼音家が機械人間だと知っている。
俺がとある事情で料理を作ることになったと聞くと「あの鋼音家に料理を作らせるとは……」と驚いていた医者だったが、面白そうだということで快く毒見役を引き受けてくれた。俺の作った料理を嫌そうに食べていた(そして不味いと文句を垂れてばかりの)マスターとは態度がえらく違う。今日はやる気が出てきた。
今度こそ美味いものを作って見返してやると意気込んで、まずは材料を手に入れようと下層へ買いに出向いた。露店のある通りを歩き、目当ての食材を手提げの籠に入れていく。
「卵、野菜、肉……」
必要なものは全部買えた。
後は戻って練習あるのみ、と帰路につく途中で。
「鋼音シキっていうのは、お前さんかい?」
いかにも人相の悪い無頼漢達が立ち塞がった。無視して通り過ぎようとしたら「おいおい」と回り込まれて、再び通せん坊。俺は内心うんざりしつつ「何だ」と聞いてやる。面倒そうな予感しかしなかった。
「確かに俺は鋼音シキだが。何の用だ」
「ちょっと来てもらおうか」
「断る」
これから料理の練習をしなくてはいけないのだから。今日こそは不味いと文句をいう馬鹿マスターを見返してやりたいし。お前達に付き合っている暇はない。通行人も煩わしそうに道の大部分をとっている俺達を避けて歩いていっていることだし。
「失せろ」
「そういうわけにはいかねえんだよ、姉さんよぉ」
「俺達にも事情ってものがあるからよぉ」
「…………」
よぉ、よぉ、うるさい。お前達の事情なんて至極どうでもいい。
「消えろ」
そう言ったら、無頼漢達の気が一斉に怒気の匂いへと変わった。
「こっちが下手に出ているからっていい気になりやがって」
「調子に乗るな!」
そう叫ぶなり、男達は襲い掛かってきた。俺は手提げ籠から卵を素早く取り出して、飛び掛かって来る奴らの顔面に次々とぶつけてやった。うろたえている隙に打撃技(掌底、膝蹴り、回し蹴りなど)を食らわせ、気絶させていく。買った卵の数が無頼漢達の数と丁度同じだったのは運命なのか、偶然なのか。
「一体、これは何事か!?」
遅れてやってきた警邏らしき男、物好きな通行人などが集まって現場が騒然、混乱してきたところに乗じて脱出する。その後は追われることなく、事なきを経てオンボロ宿へと戻った。
「……あれ?」
「どうした、マスター」
「お前、今日は卵料理も作るって、言ってなかったアルカ?」
「買い忘れた」
そういうと「このポンコツが」と後頭部を叩かれたので、思い切り足を踏んでやった。もちろん、かかとで。ぎゃああ、と悲痛に叫んで、床をのたうち回るマスターの様子を、名無し猫を抱いた医者が鬱陶しそうな顔で見ていた。猫は、マスターは嫌いだが、医者とは気が合ったらしい。遊んでもらえてよかった、と思う。
今日の料理は肉と野菜の炒め物。少し焦がしてしまったが、まあ食える程度には大丈夫と医者から評価を受けた。マスターからは「味が薄い」と文句を言われた。うるさいと思いつつもしっかり脳内に記録しておいた。次に同じ系統の料理を作る時は調味料を少し多めに入れること、と。
ザクロとの勝負まで後六日。
日課の鍛錬を終えて、料理の練習のための材料を買いに出かける。昨日と同様に、また「鋼音シキだな?」と帰り際に数人を引き連れた禿げ頭の男に声をかけられた。昨日返り討ちにしていた奴らとはまた違った無頼漢だった。今度こそ無視して通り過ぎようとしたら背後から乱暴に肩を掴まれたので「触るな」と振り払いざまに回し蹴りを食らわせた。
当然、戦闘が勃発。
今度は武器になりそうな食べ物は買っていなかったので、足場に転がっていた石やゴミを投げてぶつけたり、足払いをして倒れたところを踏みつけたりした。手刀や足刀による斬撃を封じていたから怪我人は出ても、死人は出なかった。
「く、くそが……」
最後に倒した男は手を伸ばしたが、震えるそれは俺に届くことなく「うっ……!」と呻き声を上げて気絶した。本当だったら斬りまくりたいのに。峰打ちにするだけありがたく思え。まったく。溜息を吐いていると「いやいや」と近くの露店のアキンドが首をと振っていた。
「溜息を吐きたいのはこっちの方だよ、アンタ」
「悪かった」
「そう思うんなら、別の場所でやってくれよ」
争ってもいいけど俺達を巻き込まないでくれよ、とアキンドはぼやいた。迷惑料とか弁償代は請求されなかったので助かった。だからといって、無頼漢達に請求するほど度胸はなかったみたいだが。
ザクロとの勝負が後五日。
この日も出先からオンボロ宿へ戻るところを無頼漢達に襲われた。前々回、前回、そして今回と三日も連続で襲撃されるとなると流石に俺でも気づく。だから聞いた。
「誰に命令された?」
ついてこいという無頼漢達の後に続いて辿り着いた人気のない場所で戦闘。一人を残して残りは気絶させておく。尋問のために残した男の身体に体重をかけて馬乗りする。
「誰がいうか」
ぺっ、と唾を吐きかけてきたので一発、二発と片頬を殴った。また吐かれたので、今度は強めに一発、二発と同じ頬を殴った。男は血反吐を吐くだけで聞きたい内容を吐きそうにない。こんな時に男の意地とやらを見せなくてもいいのだが。だったら。
「なあ」
「ああ?」
「どうして眼球が二つあるか、知っているか」
俺は顔を近づけて、そう問いかけた。
いきなり何だ、と戸惑う男を他所に続ける。
「それはな、片方が駄目になっても、もう片方でものが見えるようにするためだ」
本当は多分、いや絶対違う理由からだと思う。
だがそんなことはどうでもいい。
俺は右の人差し指で男の左目の周囲をゆっくりとなぞった。
「問題ないよな」
俺の言動。場の空気。
眼球の周りをなぞっていた人差し指に加わった指圧力。
それらが合わさったことでこれが冗談じゃなくて、本気なのだと悟ったのだろう。男は必死に「やめてくれ」と懇願した。
はじめからそうしていればここまで手間をかけなくて済んだし、そもそも襲うこと自体が間違っているのだが。
眼球潰しは勘弁してやった。我ながら焼きが回っている。しかし抵抗されると面倒だから馬乗りの状態はそのままにして尋問を始めた。男曰く、ならず者達の間で俺を倒した者(生死不問)には大金が出るという噂が出回っているという。
名前は鋼音シキ。
見た目は女であるが油断するなかれ。
奴は女の形をした人外なり。
「俺を倒したらどこの誰に報告へ行くつもりだったんだ?」
「知らねぇ」
自分は仲間の中でも下っ端だからたいして内容は聞かされていない。ただ真面目に働かずとも女を一人襲っただけで遊んで暮らせるぐらいの大金が手に入るならば、と喜んで動いたらしい。
「そうか」
コイツがいうところの上の連中を叩き起こして尋問すれば情報が得られるかもと移動して、揺すってみたが、起きる気配がなかった。こんな愚かの塊みたいな奴らとこれ以上話したくもないし、近くにいたくもない。起きている男は殴って気絶させてさっさと現場を立ち去ることにした。せっかく買った材料がぐちゃぐちゃになってしまったので買い直してから宿へ戻った。
「遅かったアルナ」
「悪い」
「え」
「何だよ」
マスターが体を引かせていた。
どうやら素直に謝った俺の態度が気味悪かったようで。
反対に名無しの猫は俺の方へ向かって歩いてくる。
「みゃあ」
俺の足元に寄ってきて一周したかと思うと頬ずりした。猫は俺のために行動したわけじゃない。猫自身がしたいと感じたからした。それだけの行動だと思う。なんでもないことだというのに、愚か者達の襲撃によりささくれ立った俺の気分は癒された。
「ありがとな」
「みゃあ」
屈んで猫の頭を撫でる。機械の手でも感じる熱。ぬくもり。
悪くないと思った。
男達に襲われたせいで食材がぐちゃぐちゃになったし。新たに買い直したが料理の練習に対するやる気を失せて……今日はやめにしておこうと思っていたが。
「お前のおかげでやる気が出てきた」
「みゃあ」
猫の名前は決まらなかった。だからか皆が皆好き勝手に呼んでいた。キクチヨは「キクノシン」、ヘイハチは「コメスケ」、マスターは「ミャアちゃん」。俺は特に名前もつけずに「猫」とか「おい」とか「お前」などで呼んでいた。
「それ名前じゃねえダロ」
マスターに突っ込まれたが、呼べば反応してくれるのだから問題ないと思う。
ザクロとの勝負まで後四日。
早朝の鍛錬から戻って、少し休憩。その後、料理の練習に使う食材を買いに出かける。今日は「鋼音シキか?」と声をかけてきて襲い掛かって来る男達は姿を現さなかった。代わりに。
「シキ、お前宛に手紙アル」
半端ない量だった。十通なんてもんじゃない。数えたら百通もあった。カウンター卓の範囲には収まりきらない量なので別の大きめの卓上に置かれていた。
「届けにきた早亀屋のお嬢ちゃんがびっくりしていたアルヨ。一人相手にこんなに届けたのは初めてです、って」
「そうか」
文でできた白い山から一つを手に取る。
鋼音シキ宛。差出人不明。その中身は。
「うわ……!」
俺の後ろから覗き込んだマスターが文を見て、悲鳴を上げた。無理もない。中に入っていた一枚の紙面にびっしりと。これでもかというくらいに。おどろおどろしく、血のような赤色の字で呪詛の言葉が書き連ねられ、埋め尽くされてあったのだから。
一応、他の中身も確認。二通目、三通目、四通目、五通目……二十通目まで開けた。全部が全部、同じで呪詛の込められた手紙だった。
「どうするアルカ、これ?」
薄気味悪そうに手紙をつまみ上げるマスター。
この大量の手紙をどうするかって、決まっているじゃないか。
「捨てる」
「まあ、そうするしかないヨナ」
「火起こしに丁度いいだろ」
試しに一枚、外で火をつけてみた。とても燃えやすかった。だがしかし、まだ残り九十九通も燃やさなくてはいけない。面倒だからといって、火起こしにどうだ、と知り合い達(キクチヨ、マサムネ、ヘイハチ、ゴロベエなど)に勧めるわけにはいかない。こんな呪詛の込められた手紙なんてもらっても(宛名は俺であるとはいえ)嬉しいわけがない。反対に呪いをもらい受けそうだと忌避されるだろう。
「依頼人のヒョーゴにでも渡してみるか」
半ば本気で考えたが、マスターに「やめとけアル」と制されたので、結局は第六階層にある廃棄場(俺が鍛錬で利用する場所の一つ)で九十九通、全部燃やした。煙がもくもくと空へ舞い上がっていく。地上では呪いの手紙なんてものを燃やしているのに、空はそんな馬鹿な状況とは裏腹にとても天気が良かった。
空。空といえば戦。戦といえばサムライ。サムライといえば。
俺の脳裏に金色と赤色が浮かぶ。
「キュウゾウ……」
アイツは今何をしているのだろうか。
用心棒としてアヤマロの側に付いているのか。
休憩しているのか。鍛錬とかしているのか。愛刀を研いでいるのか。
「…………」
それともこの青空を眺めているのだろうか。なんだろう。無性にアイツの顔が見たくなってきた。アイツに会いたくなってきた。
だが、会ってどうするというのか。アイツはとても無口だからきっとたいして会話はない。なくてもいい。俺は無刀だが剣士であり、アイツも剣士なのだから剣で語り合いたい。斬り合いをしたい。それが駄目なら近くにいるだけでもいい。俺は刀。ならばアイツの――。
めきょっ。
「…………!」
俺はハッとした。呪いの手紙が燃え尽きるまでの間、暇だからと廃棄場にあった鉄の棒をなんとなくいじっていたら、思わず曲げてしまっていた。あらぬ方向にグニャグニャになっている。
「……はあ」
キュウゾウに会いたいとか考えるなんて、本当、最近の俺はどうかしている。俺以外いないので誰かに当たる心配なし。折れ曲がった鉄の棒を向こうへ放り投げる。手紙が一つ残らず、燃えたことを最終確認してから廃棄場を後にする。
ザクロとの勝負まで後四日しかない。ヒョーゴの賄賂作戦があるとはいえ、当日までにまともな弁当を作れるようにしないと。急いで宿へ戻ると俺宛に荷物が届いていた。
「また差出人不明アルヨ」
「そうか」
差出人の検討はついている。
俺にこんなことをする奴は今の状況だとあの女しか考えられない。
今度は何かと卓上に置かれた荷物(大きめの箱)を開けると、またまたマスターが中身を見て「うぎゃあ!」と悲鳴を上げた。中には藁で作った人形が大量に詰め込まれていた。すべての人形の体には『鋼音シキ』と俺の名前が書かれた白い札が張られており、釘が打ち込まれている。
あの莫迦女、こんなもの用意する程に暇なのか?
まったく「暇」というのはロクなものじゃない。
暇があるから変なことを考えついたり、やってしまったり、するものなんだ。きっと。
「うええ……見るだけでも気持ち悪いアル。気味悪いアルゥ……」
呪いとやらにあてられたのか、マスターは真っ青な顔をして口元を両手で押さえていた。実際に嘔吐もしてしまった。送られた側には効果なかったが、変なところで信心深いマスターには効果絶大だったようで。
その日は急な体調不良に見舞われ、料理の練習は行われなかった。料理の練習の代わりにマスターの看病をする羽目になった。
勝負まであと三日という今日。
俺は、マスターと馴染みがある医者がいる診療所を訪れていた。マスターが朝から体調不良を訴えていたので、早朝の鍛錬を早めに切り上げて、医者のところへ連れていったのだ。簡易な寝床に寝かされているマスターの体を医者が調べている。その様子を俺は近くで見ていた。
「どうだ」
「一日安静にしていれば大丈夫ネ」
「そうか」
息を吐いていると「ところで」と医者が話しかけてきた。
「料理の練習の方は順調アルカ?」
「微妙だ」
人間みたいに食べることが不要になってしまった身としては味付けがうまく調整できない。今の今まで料理なんてしてきていないし、する必要もなかったし。
そもそも飢えを満たすためとか生きるための食事がアキンドの時代では「生きるために食べる」というより「食べるために食べる」という理解不能なものになっている。贅沢のために。美味しいものをさらに美味しく食べるために。料理をしているのだ。そんなことをして何の意味がある?
「まあ、お前はサムライを斬るために作られた存在だからナ……」
仕方がないと医者は椅子に座り、背をもたれさせて、腕を組んだ。
「一つ、お前に聞きたいんだが」
「何だ」
「そのザクロって女を斬れば済むとは思わなかったアルカ?」
「思った」
「じゃあ何故斬らなかったアルカ?」
女は斬れないのか。答えは否。必要あれば、刀の持ち主と認めた者の命令があれば、女だって幼子だって斬る。だが、そうしなかったのは。
「斬ることが最善の解決方法じゃない、と思ったんだ」
そう答えると医者は「そうか」と呟いて笑った。その笑い声と浮かんでいた笑みは人を嘲笑するものじゃなかった。むしろ。とても嬉しそうだった。どうしてそんなに嬉しそうなのか。不思議だったが、どうしても知りたいわけでもないので聞かないでおく。
マスターは一日安静にしなくてはいけない。様子見も含めて、診療所に入院するということだったから、今日だけあのオンボロ宿には俺と猫だけになる。
俺は帰路を急いだ。今、宿にいるのは三毛猫一匹だけだ。外へ出られないようにきっちり戸締りをして行ったから大丈夫だと思うが。万が一のこともある。人混みは避けて、屋根から屋根へ跳んで、壁を駆けて。オンボロ屋へ着いた。中に入って「おい」と呼んでみる。
「戻ったぞ、猫」
……返事がない。
おかしい。いつもなら「みゃあ」と鳴き声が返って来るはずなのに。寝ているのだろうか。そう思って、高級座布団が置いてある方を見る。いるなら丸まったり、座ったりしているがそんな姿はなかった。
「まさか」
嫌な予感がした。こんな時に第六感なんて働かなくてもいいだろうが。
嘘だ。そんなわけない。
ありえないとばかりにある部屋を除いて宿内をくまなく探した。
宿の出入り口付近。カウンター。厨房。倉庫。マスターの部屋。
奥にある機械の部屋。誰一人客が来ない空き部屋。
たくさん時間をかけて、どんなに細かく探しても猫はどこにもいなかった。ある部屋だけを……俺の部屋だけを除いて……。
「…………」
頼む。俺の杞憂であってくれ。
部屋の戸に手をかけて、勢いよく開けた。
「あっ……」
虚しくも、残酷に。俺の祈りは容赦なく砕かれた。
キュウゾウと再会できたからといって特にこれといったことは起こらなかった……というより起こるかもしれない前に俺は逃げた。
大門から橋を渡ってきたキュウゾウは物珍しそうに俺の着物姿をじっと見つめていた。横一文字に結ばれていた口が何かを言おうとしてか、少し開いたがその前に「後は頼んだ」と背負っていたヒョーゴを押し付けて、最上層から第六階層まで駆けた。
マスターやヒョーゴには感想を言われても「そうか」としか言わなかったし、思わなかったくせに。別に褒められるために着たわけじゃなくて、許嫁のフリをするための恰好だから、誰にどんな風に言われても気にしないはずなのに。
自分が情けない。
俺はキュウゾウの感想を聞くのが怖くて、逃げてきてしまった。何故、怖いのだろう。虹雅渓に来たばかりで、キュウゾウとは初対面だった、以前の俺だったら奴からどう思われようと(無関心であろうと)一向に構わなかったのに。
最近の俺は調子がおかしい。
マスターの馴染みの医者に修理の相談した方がいいかもしれない。
キュウゾウの言葉を聞いてから戻ればよかった……。
こんな風に翌日の俺は後悔していた。必ずしも着物姿についての感想じゃなくて、ヒョーゴとどこにいたのか、という状況確認の言葉だったかもしれないのに。自分の自意識過剰がとても恥ずかしかった。
しかし、今は悶えている場合じゃない。ヒョーゴからの依頼を達成して、報酬を得て、それで新しい櫛を手に入れるために十五日後(今日だともう十四日後)の料理勝負に向けて勝つための対策を練らなくては。
「対策を練るも何も、お前の場合、猛特訓するしかないアル」
自分の実力わかっているのかと呆れ顔をされた。
これに関しては何も言い返せない。確かに俺の場合、料理を作る以前の問題。調理に使う道具を壊してしまうから。
「でも主題が愛妻弁当ならなんとかなるかもしれないアル」
「どういうことだ」
「型が決まってないからダヨ」
必ずこれをいれなきゃいけないとか、あれをしなきゃいけないとか厳密に縛られず自由に作れるからだという。
「一番いいのはキュウゾウ様の好きなものを詰め込めればいいアルが」
どうか、と目を向けられたが、俺は首を左右に振った。
アイツの好きな食べ物なんて一つも知らないから。今までのやりとりを思い出して抱く印象としては好き嫌いがなさそうに思える。というより、食べること自体にそこまでの関心を抱いていないと思う。
食うのは空腹を満たすための手段と考えているのでは。そういうと「ふむ」とマスターは顎に手を当てた。
「ならば中身については無難な方で行くアルカ」
まずは簡単な料理から練習しようということで材料を買いに下層で店を回った。費用は俺の貯めたお金から。せっかく貯めたのにと思わないでもないが、勝てば依頼達成。報酬五〇〇〇〇がもらえるのだし、教えてもらう身なので文句は言えなかった。
宿に戻る時と、早亀屋が来ていたみたいで「お前宛に文が届いている」とマスターから手渡された。差出人はヒョーゴだった。なぜ俺のいる宿がわかったのかと疑問に思ったが、すぐに解消した。
伯母上の起こした辻斬り事件でオンボロ宿に辻斬り犯がかくまわれていると疑われ、かむろ衆と鋼筒の集団に囲まれたことがあった。ソイツらの誰かがヒョーゴに場所を話したのだろう。
ヒョーゴからの文には……俺に何が何でも勝利してもらい、あの女(ザクロ)を虹雅渓から追い出すために賄賂を利用する。どこで料理の勝負をするのかは不明だが、虹雅渓でやるなら差配アヤマロの影響下にある。
点数制なら接戦を装って俺を勝たせるとあった。ただし、いくら賄賂を使うとはいえ、あまりにも下手すぎると勝ったときに不正があったとされ敗北してしまうので、まともに見られるくらいには練習をしておけと。
手紙の最後には憂さ晴らしに付き合ってくれたことと、酔い潰れた自分を御殿まで運んでくれたことへの感謝。依頼のことをキュウゾウに言わざるを得なくなったので話したと書いてあった。
そうかと俺は内心頷く。奴のことだから口にはしないだろうが、何をしているのか吐けという無言の圧力がすごかったのだろうな、と想像する。
読み終わった後で俺は少しだけ悲しくなった。サムライが刀ではなく、金を使って問題を解決しようとすることに。これもアキンドの時代の故にというものなのだろうか。
ヒョーゴとしてはザクロと正々堂々勝負する気がなく、早めに問題を解決したいようだったが……それは相手も同じ考えであったということに、後から俺は身をもって知ることになった。
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それが始まったのは、勝負まで後七日後という日だった。
自分以外にも味見役という名の毒見役が必要ということ(本当に失礼な奴だ)で、マスターは宿に診療所の医者を招いていた。医者はマスターと同じ刀鍛冶の一族の生き残り。故に鋼音家が機械人間だと知っている。
俺がとある事情で料理を作ることになったと聞くと「あの鋼音家に料理を作らせるとは……」と驚いていた医者だったが、面白そうだということで快く毒見役を引き受けてくれた。俺の作った料理を嫌そうに食べていた(そして不味いと文句を垂れてばかりの)マスターとは態度がえらく違う。今日はやる気が出てきた。
今度こそ美味いものを作って見返してやると意気込んで、まずは材料を手に入れようと下層へ買いに出向いた。露店のある通りを歩き、目当ての食材を手提げの籠に入れていく。
「卵、野菜、肉……」
必要なものは全部買えた。
後は戻って練習あるのみ、と帰路につく途中で。
「鋼音シキっていうのは、お前さんかい?」
いかにも人相の悪い無頼漢達が立ち塞がった。無視して通り過ぎようとしたら「おいおい」と回り込まれて、再び通せん坊。俺は内心うんざりしつつ「何だ」と聞いてやる。面倒そうな予感しかしなかった。
「確かに俺は鋼音シキだが。何の用だ」
「ちょっと来てもらおうか」
「断る」
これから料理の練習をしなくてはいけないのだから。今日こそは不味いと文句をいう馬鹿マスターを見返してやりたいし。お前達に付き合っている暇はない。通行人も煩わしそうに道の大部分をとっている俺達を避けて歩いていっていることだし。
「失せろ」
「そういうわけにはいかねえんだよ、姉さんよぉ」
「俺達にも事情ってものがあるからよぉ」
「…………」
よぉ、よぉ、うるさい。お前達の事情なんて至極どうでもいい。
「消えろ」
そう言ったら、無頼漢達の気が一斉に怒気の匂いへと変わった。
「こっちが下手に出ているからっていい気になりやがって」
「調子に乗るな!」
そう叫ぶなり、男達は襲い掛かってきた。俺は手提げ籠から卵を素早く取り出して、飛び掛かって来る奴らの顔面に次々とぶつけてやった。うろたえている隙に打撃技(掌底、膝蹴り、回し蹴りなど)を食らわせ、気絶させていく。買った卵の数が無頼漢達の数と丁度同じだったのは運命なのか、偶然なのか。
「一体、これは何事か!?」
遅れてやってきた警邏らしき男、物好きな通行人などが集まって現場が騒然、混乱してきたところに乗じて脱出する。その後は追われることなく、事なきを経てオンボロ宿へと戻った。
「……あれ?」
「どうした、マスター」
「お前、今日は卵料理も作るって、言ってなかったアルカ?」
「買い忘れた」
そういうと「このポンコツが」と後頭部を叩かれたので、思い切り足を踏んでやった。もちろん、かかとで。ぎゃああ、と悲痛に叫んで、床をのたうち回るマスターの様子を、名無し猫を抱いた医者が鬱陶しそうな顔で見ていた。猫は、マスターは嫌いだが、医者とは気が合ったらしい。遊んでもらえてよかった、と思う。
今日の料理は肉と野菜の炒め物。少し焦がしてしまったが、まあ食える程度には大丈夫と医者から評価を受けた。マスターからは「味が薄い」と文句を言われた。うるさいと思いつつもしっかり脳内に記録しておいた。次に同じ系統の料理を作る時は調味料を少し多めに入れること、と。
ザクロとの勝負まで後六日。
日課の鍛錬を終えて、料理の練習のための材料を買いに出かける。昨日と同様に、また「鋼音シキだな?」と帰り際に数人を引き連れた禿げ頭の男に声をかけられた。昨日返り討ちにしていた奴らとはまた違った無頼漢だった。今度こそ無視して通り過ぎようとしたら背後から乱暴に肩を掴まれたので「触るな」と振り払いざまに回し蹴りを食らわせた。
当然、戦闘が勃発。
今度は武器になりそうな食べ物は買っていなかったので、足場に転がっていた石やゴミを投げてぶつけたり、足払いをして倒れたところを踏みつけたりした。手刀や足刀による斬撃を封じていたから怪我人は出ても、死人は出なかった。
「く、くそが……」
最後に倒した男は手を伸ばしたが、震えるそれは俺に届くことなく「うっ……!」と呻き声を上げて気絶した。本当だったら斬りまくりたいのに。峰打ちにするだけありがたく思え。まったく。溜息を吐いていると「いやいや」と近くの露店のアキンドが首をと振っていた。
「溜息を吐きたいのはこっちの方だよ、アンタ」
「悪かった」
「そう思うんなら、別の場所でやってくれよ」
争ってもいいけど俺達を巻き込まないでくれよ、とアキンドはぼやいた。迷惑料とか弁償代は請求されなかったので助かった。だからといって、無頼漢達に請求するほど度胸はなかったみたいだが。
ザクロとの勝負が後五日。
この日も出先からオンボロ宿へ戻るところを無頼漢達に襲われた。前々回、前回、そして今回と三日も連続で襲撃されるとなると流石に俺でも気づく。だから聞いた。
「誰に命令された?」
ついてこいという無頼漢達の後に続いて辿り着いた人気のない場所で戦闘。一人を残して残りは気絶させておく。尋問のために残した男の身体に体重をかけて馬乗りする。
「誰がいうか」
ぺっ、と唾を吐きかけてきたので一発、二発と片頬を殴った。また吐かれたので、今度は強めに一発、二発と同じ頬を殴った。男は血反吐を吐くだけで聞きたい内容を吐きそうにない。こんな時に男の意地とやらを見せなくてもいいのだが。だったら。
「なあ」
「ああ?」
「どうして眼球が二つあるか、知っているか」
俺は顔を近づけて、そう問いかけた。
いきなり何だ、と戸惑う男を他所に続ける。
「それはな、片方が駄目になっても、もう片方でものが見えるようにするためだ」
本当は多分、いや絶対違う理由からだと思う。
だがそんなことはどうでもいい。
俺は右の人差し指で男の左目の周囲をゆっくりとなぞった。
「問題ないよな」
俺の言動。場の空気。
眼球の周りをなぞっていた人差し指に加わった指圧力。
それらが合わさったことでこれが冗談じゃなくて、本気なのだと悟ったのだろう。男は必死に「やめてくれ」と懇願した。
はじめからそうしていればここまで手間をかけなくて済んだし、そもそも襲うこと自体が間違っているのだが。
眼球潰しは勘弁してやった。我ながら焼きが回っている。しかし抵抗されると面倒だから馬乗りの状態はそのままにして尋問を始めた。男曰く、ならず者達の間で俺を倒した者(生死不問)には大金が出るという噂が出回っているという。
名前は鋼音シキ。
見た目は女であるが油断するなかれ。
奴は女の形をした人外なり。
「俺を倒したらどこの誰に報告へ行くつもりだったんだ?」
「知らねぇ」
自分は仲間の中でも下っ端だからたいして内容は聞かされていない。ただ真面目に働かずとも女を一人襲っただけで遊んで暮らせるぐらいの大金が手に入るならば、と喜んで動いたらしい。
「そうか」
コイツがいうところの上の連中を叩き起こして尋問すれば情報が得られるかもと移動して、揺すってみたが、起きる気配がなかった。こんな愚かの塊みたいな奴らとこれ以上話したくもないし、近くにいたくもない。起きている男は殴って気絶させてさっさと現場を立ち去ることにした。せっかく買った材料がぐちゃぐちゃになってしまったので買い直してから宿へ戻った。
「遅かったアルナ」
「悪い」
「え」
「何だよ」
マスターが体を引かせていた。
どうやら素直に謝った俺の態度が気味悪かったようで。
反対に名無しの猫は俺の方へ向かって歩いてくる。
「みゃあ」
俺の足元に寄ってきて一周したかと思うと頬ずりした。猫は俺のために行動したわけじゃない。猫自身がしたいと感じたからした。それだけの行動だと思う。なんでもないことだというのに、愚か者達の襲撃によりささくれ立った俺の気分は癒された。
「ありがとな」
「みゃあ」
屈んで猫の頭を撫でる。機械の手でも感じる熱。ぬくもり。
悪くないと思った。
男達に襲われたせいで食材がぐちゃぐちゃになったし。新たに買い直したが料理の練習に対するやる気を失せて……今日はやめにしておこうと思っていたが。
「お前のおかげでやる気が出てきた」
「みゃあ」
猫の名前は決まらなかった。だからか皆が皆好き勝手に呼んでいた。キクチヨは「キクノシン」、ヘイハチは「コメスケ」、マスターは「ミャアちゃん」。俺は特に名前もつけずに「猫」とか「おい」とか「お前」などで呼んでいた。
「それ名前じゃねえダロ」
マスターに突っ込まれたが、呼べば反応してくれるのだから問題ないと思う。
ザクロとの勝負まで後四日。
早朝の鍛錬から戻って、少し休憩。その後、料理の練習に使う食材を買いに出かける。今日は「鋼音シキか?」と声をかけてきて襲い掛かって来る男達は姿を現さなかった。代わりに。
「シキ、お前宛に手紙アル」
半端ない量だった。十通なんてもんじゃない。数えたら百通もあった。カウンター卓の範囲には収まりきらない量なので別の大きめの卓上に置かれていた。
「届けにきた早亀屋のお嬢ちゃんがびっくりしていたアルヨ。一人相手にこんなに届けたのは初めてです、って」
「そうか」
文でできた白い山から一つを手に取る。
鋼音シキ宛。差出人不明。その中身は。
「うわ……!」
俺の後ろから覗き込んだマスターが文を見て、悲鳴を上げた。無理もない。中に入っていた一枚の紙面にびっしりと。これでもかというくらいに。おどろおどろしく、血のような赤色の字で呪詛の言葉が書き連ねられ、埋め尽くされてあったのだから。
一応、他の中身も確認。二通目、三通目、四通目、五通目……二十通目まで開けた。全部が全部、同じで呪詛の込められた手紙だった。
「どうするアルカ、これ?」
薄気味悪そうに手紙をつまみ上げるマスター。
この大量の手紙をどうするかって、決まっているじゃないか。
「捨てる」
「まあ、そうするしかないヨナ」
「火起こしに丁度いいだろ」
試しに一枚、外で火をつけてみた。とても燃えやすかった。だがしかし、まだ残り九十九通も燃やさなくてはいけない。面倒だからといって、火起こしにどうだ、と知り合い達(キクチヨ、マサムネ、ヘイハチ、ゴロベエなど)に勧めるわけにはいかない。こんな呪詛の込められた手紙なんてもらっても(宛名は俺であるとはいえ)嬉しいわけがない。反対に呪いをもらい受けそうだと忌避されるだろう。
「依頼人のヒョーゴにでも渡してみるか」
半ば本気で考えたが、マスターに「やめとけアル」と制されたので、結局は第六階層にある廃棄場(俺が鍛錬で利用する場所の一つ)で九十九通、全部燃やした。煙がもくもくと空へ舞い上がっていく。地上では呪いの手紙なんてものを燃やしているのに、空はそんな馬鹿な状況とは裏腹にとても天気が良かった。
空。空といえば戦。戦といえばサムライ。サムライといえば。
俺の脳裏に金色と赤色が浮かぶ。
「キュウゾウ……」
アイツは今何をしているのだろうか。
用心棒としてアヤマロの側に付いているのか。
休憩しているのか。鍛錬とかしているのか。愛刀を研いでいるのか。
「…………」
それともこの青空を眺めているのだろうか。なんだろう。無性にアイツの顔が見たくなってきた。アイツに会いたくなってきた。
だが、会ってどうするというのか。アイツはとても無口だからきっとたいして会話はない。なくてもいい。俺は無刀だが剣士であり、アイツも剣士なのだから剣で語り合いたい。斬り合いをしたい。それが駄目なら近くにいるだけでもいい。俺は刀。ならばアイツの――。
めきょっ。
「…………!」
俺はハッとした。呪いの手紙が燃え尽きるまでの間、暇だからと廃棄場にあった鉄の棒をなんとなくいじっていたら、思わず曲げてしまっていた。あらぬ方向にグニャグニャになっている。
「……はあ」
キュウゾウに会いたいとか考えるなんて、本当、最近の俺はどうかしている。俺以外いないので誰かに当たる心配なし。折れ曲がった鉄の棒を向こうへ放り投げる。手紙が一つ残らず、燃えたことを最終確認してから廃棄場を後にする。
ザクロとの勝負まで後四日しかない。ヒョーゴの賄賂作戦があるとはいえ、当日までにまともな弁当を作れるようにしないと。急いで宿へ戻ると俺宛に荷物が届いていた。
「また差出人不明アルヨ」
「そうか」
差出人の検討はついている。
俺にこんなことをする奴は今の状況だとあの女しか考えられない。
今度は何かと卓上に置かれた荷物(大きめの箱)を開けると、またまたマスターが中身を見て「うぎゃあ!」と悲鳴を上げた。中には藁で作った人形が大量に詰め込まれていた。すべての人形の体には『鋼音シキ』と俺の名前が書かれた白い札が張られており、釘が打ち込まれている。
あの莫迦女、こんなもの用意する程に暇なのか?
まったく「暇」というのはロクなものじゃない。
暇があるから変なことを考えついたり、やってしまったり、するものなんだ。きっと。
「うええ……見るだけでも気持ち悪いアル。気味悪いアルゥ……」
呪いとやらにあてられたのか、マスターは真っ青な顔をして口元を両手で押さえていた。実際に嘔吐もしてしまった。送られた側には効果なかったが、変なところで信心深いマスターには効果絶大だったようで。
その日は急な体調不良に見舞われ、料理の練習は行われなかった。料理の練習の代わりにマスターの看病をする羽目になった。
勝負まであと三日という今日。
俺は、マスターと馴染みがある医者がいる診療所を訪れていた。マスターが朝から体調不良を訴えていたので、早朝の鍛錬を早めに切り上げて、医者のところへ連れていったのだ。簡易な寝床に寝かされているマスターの体を医者が調べている。その様子を俺は近くで見ていた。
「どうだ」
「一日安静にしていれば大丈夫ネ」
「そうか」
息を吐いていると「ところで」と医者が話しかけてきた。
「料理の練習の方は順調アルカ?」
「微妙だ」
人間みたいに食べることが不要になってしまった身としては味付けがうまく調整できない。今の今まで料理なんてしてきていないし、する必要もなかったし。
そもそも飢えを満たすためとか生きるための食事がアキンドの時代では「生きるために食べる」というより「食べるために食べる」という理解不能なものになっている。贅沢のために。美味しいものをさらに美味しく食べるために。料理をしているのだ。そんなことをして何の意味がある?
「まあ、お前はサムライを斬るために作られた存在だからナ……」
仕方がないと医者は椅子に座り、背をもたれさせて、腕を組んだ。
「一つ、お前に聞きたいんだが」
「何だ」
「そのザクロって女を斬れば済むとは思わなかったアルカ?」
「思った」
「じゃあ何故斬らなかったアルカ?」
女は斬れないのか。答えは否。必要あれば、刀の持ち主と認めた者の命令があれば、女だって幼子だって斬る。だが、そうしなかったのは。
「斬ることが最善の解決方法じゃない、と思ったんだ」
そう答えると医者は「そうか」と呟いて笑った。その笑い声と浮かんでいた笑みは人を嘲笑するものじゃなかった。むしろ。とても嬉しそうだった。どうしてそんなに嬉しそうなのか。不思議だったが、どうしても知りたいわけでもないので聞かないでおく。
マスターは一日安静にしなくてはいけない。様子見も含めて、診療所に入院するということだったから、今日だけあのオンボロ宿には俺と猫だけになる。
俺は帰路を急いだ。今、宿にいるのは三毛猫一匹だけだ。外へ出られないようにきっちり戸締りをして行ったから大丈夫だと思うが。万が一のこともある。人混みは避けて、屋根から屋根へ跳んで、壁を駆けて。オンボロ屋へ着いた。中に入って「おい」と呼んでみる。
「戻ったぞ、猫」
……返事がない。
おかしい。いつもなら「みゃあ」と鳴き声が返って来るはずなのに。寝ているのだろうか。そう思って、高級座布団が置いてある方を見る。いるなら丸まったり、座ったりしているがそんな姿はなかった。
「まさか」
嫌な予感がした。こんな時に第六感なんて働かなくてもいいだろうが。
嘘だ。そんなわけない。
ありえないとばかりにある部屋を除いて宿内をくまなく探した。
宿の出入り口付近。カウンター。厨房。倉庫。マスターの部屋。
奥にある機械の部屋。誰一人客が来ない空き部屋。
たくさん時間をかけて、どんなに細かく探しても猫はどこにもいなかった。ある部屋だけを……俺の部屋だけを除いて……。
「…………」
頼む。俺の杞憂であってくれ。
部屋の戸に手をかけて、勢いよく開けた。
「あっ……」
虚しくも、残酷に。俺の祈りは容赦なく砕かれた。
