第六話
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◆
ヘイハチは言った。執着女の件は根本的に解決していない。
第二、第三の被害者が出る可能性がおおいにあると。
確かにその通りになった。
執着女に狙われることになったのは、まさかの人物だった。
俺がそれを知ったのはヘイハチの件を聞いてから七日と経った日だった。その日、俺は日雇いの仕事(上層にあるアキンドの店の警備。前にやった店とは別のところ)をしていた。今回は万引き犯がいたとか、押し込みがあったとか、何の事件もなく無事に仕事は終了。斬り合いがないし、突っ立ったままだから退屈極まりなかったが、金はもらえた。
まあまあの金額だった。新しい櫛代二五〇〇〇を手に入れるにはまだまだ遠い道のりだが、少しずつでも一歩前進できるのなら。
マスターからは買い物など頼まれていないので、寄り道せずに帰路を歩く。その途中で。
「…………」
つけられている気配を察知した。最近、誰かに後をつけられる回数が多い気がしてうんざりする。
俺が一体、何をしたというのか。適当に撒いてもよかったが、人を勝手につけてくる者のために急いでしまい、疲れるのは腹が立った。
だから。
逆に俺が迫っていって、追い詰めてやろうか、と思った。
通行人が多いとやりづらいので、大通りから別の道へと移動する。道行く人は多くいるが、大通り程、混雑はしていない。
追いかけるには十分。つけている数は一人。
よし、ここでいいか。
俺は露店の商品を眺めるふりをして、探してみた。人の後を尾行する者達、その正体はかむろ衆だった。虹雅渓を治めるアキンド、アヤマロが作った私兵団。前に虹雅渓で起きた辻斬り事件の時に俺を犯人だとして追いかけてきたことがあったが。
何故だ。
今回は俺も俺の知り合いも出たり、関わったりしていないし、何も起こしていないのに。
「…………」
まあ、考えても答えなんて出るはずがない。直接本人に聞く方が早いか。通行人を隠れ蓑にまだ気づかれていないと思っているかむろ衆に「おい、そこのお前」と指を差した。
「何か用か」
「……!」
ハッとしたかむろ衆。ばれたから急いで逃走を図るのかと思いきや、逆にこっちへ向かって走ってきた。そして俺の前にやってくるとすぐに懐から取り出した封筒を押し付けてきた。
「道端に捨てることは許さぬ。今日中に絶対に読め」
「何故だ」
「理由は聞くな。これは命令だ。逆らえば貴様の命はないと思え」
鬼気迫る顔で念を押して足早に去っていった。
「…………」
渡されたそれは何の変哲もない、普通の封筒だった。表面には「鋼音シキ宛」と筆文字で書かれているが、裏に差出人は書かれていなかった。これを渡すだけならわざわざ人の後を付け回さなくてもよかったのでは、と思いつつ、帰路への移動を再開した。
第六階層のオンボロ宿に到着。
部屋に入ると、猫が布団を占拠していた。戸を開けた記憶はない。恐らくマスターが開けて中に入れたのだ。戸も半開きになっていたから間違いない。まったく。
「邪魔だ」
「みゃあ」
別にいいだろう、という顔をされた。ちょっとした腹いせに猫の頭と腹を撫でてから、備え付けの卓上に置いてある小さい木箱へ日雇いで受け取った金を入れ、ふたをする。手にとって軽く振ってみれば音が以前より大きくなった。だいぶ溜まったかな、と思いつつ、ごろごろと転がる猫を踏まないように気を付けながら、布団に仰向けになる。
「…………」
このまま眠ろうかな、と目を閉じようとしたが、止めた。かむろ衆から渡されたアレを読もうか。読まなければ命はないとか大袈裟なことも言っていたが何だろう。
ポケットから例の封筒を取り出し、両手に持つ。
封を切って中を確認。紙が二枚入っている。一枚目は文で、二枚目は地図だった。一枚目の文には『明日、××(時としては夜)、××屋の前に来られたし』と書かれていた。
二枚目の地図を見る。図は正確に分かりやすく描かれている。マスターの描いたミミズが這ったような下手な地図とは段違いだ。
この手紙の差出人は誰だろうか。かむろ衆が渡してきたということはアヤマロ御殿にいる誰かの可能性が高い。
キュウゾウは……ないか。
アイツが俺に手紙をやるとは思えない。手紙の差出人が誰かなんて考えても答えは出ない。明日会ってみればわかることだ。
翌日。
日課の早朝鍛錬。マスターの遣い。日雇いの仕事。それらをこなしていき、気が付けばあっという間に夜になっていた。マスターに時間を聞いたら、そろそろ出ていかなければ指定された時に間に合わなくなりそうなので、猫にだけ「いってくる」と声をかけて、宿を後にした。マスターからは「どこへ行く」と聞かれなかったが問題ない。
どうせ俺の中に内蔵された発信機で行った場所を把握するだろう。あんなに散々破壊してやったのに奥の部屋の機械装置の大半はもう直っていたから。
◆◆
マスターの遣い以来、訪れることのなかった癒しの里。酒を嗜む習慣も趣味もない俺には全く縁のない場所。そして今の俺は、前と違ってもう人の食べ物をとる必要がなくなったので、なおさら来る理由がない。
まあ、それはどうでもいいとして。
癒しの里は虹雅渓と違って、アキンドの支配が及ぶ場所じゃないので、戦闘さえ起こさなければ、出歩いても問題ないはずだ。地図を片手に××屋を目指して歩く。酔っ払いや意味の分からないことを叫んでいる奴らを横目に進んでいき、辿り着いた先に、俺を呼び出した人物がいた。
かむろ衆を届け役として利用したのだからある程度、差出人となる候補は絞れたので、ソイツを見てもたいして驚きはしなかった。むしろどんな厄介事に巻き込もうとするつもりなのかと警戒した。
呼び出したソイツ――虹雅渓差配アヤマロの用心棒の一人であるヒョーゴは××屋の前にいた俺に気づいたようで、手を上げて、こっちへ来るように手招きした。俺は渋々といった体で歩み寄っていった。
「久しぶりだな」
「何の用だ」
とっとと要件を聞き出そうとしたら「おい」と睨まれたので、別にいいだろ、と返す。
挨拶を交わす程に親しい間柄ではないのだから。待ち合わせ場所は料亭の前を指定していたが、中に入るわけでもなく。
ついてこいというので、後をついて歩く。××屋から歩いて行った先の路地に入る。
「ここでいいだろう」
ヒョーゴはそういって、壁に寄りかかると腕を組んだ。俺は向かい側の位置に移動して背中から壁に寄りかかる。
「それで要件は何だ」
「お前に頼みたいことがある」
「キュウゾウの嫁になってくれないか」
「……はい?」
最初、何を言われているのか、わからなかった。
嫁になってくれって、何だ。お前ふざけているのか。冗談か。
遠まわしな表現をやめてはっきりと言え、と伝える。
すると、ヒョーゴはこう言った。
「奴が変な女に付け回されている。追い払うために協力してくれ」
「断る」
「ああ?」
「自分でなんとかしろと伝えておけ。俺は帰る」
ちゃきっ。
路地から出ようとしたら、後頭部に切っ先を突き付けられた。おいおい、癒しの里では帯刀は許されても抜刀は許されていないぞ。ここへアヤマロの付き添いか何かで何度か来ているだろうに。決まり事を知らないのか。
「本気でいっているのか」
「人の話を最後まで聞け」
俺は振り返ると、突き付けられた刀を指さしながら奴を見据えた。
「話を聞いてもらいたいならそれなりの態度をした方がいいと思うぞ」
「馬鹿の癖に俺に説教するな」
「…………」
むかつく。腹が立つ。何だ、この生意気メガネは。
争い事はやめよう、刀を抜いてはならない、なんていう癒しの里の決まり事なんて知るか。ここは斬り合いで決着をつけようか……なんてことはせず、互いに殺気のこもった目で睨み合うだけに留めた。
しばらく経って、
「……悪かったな」
先に折れたのはヒョーゴだった。肩を竦めて、深い溜息を吐いて、納刀する。普段の奴をよく知っているわけじゃないが、えらく気が立っていると思い、さっきの発言(キュウゾウの嫁になってくれないか)と関係があるのか、と聞いたら「そうだ」と頷かれた。
部下のかむろ衆とキュウゾウがこの場にいないのは、絶対に(特にキュウゾウには)聞かれたくないからであり、わざわざ虹雅渓の最下層を降りた先にある癒しの里を呼び出す場所にしたのは内容があまりにひどくて、下らなくて、他人には知られたくないからだと言われた。
とりあえず話を最後まで聞いてくれ、というので、黙って頷いた。
ヒョーゴは一つ咳払いしてから話し始めた。
「始まりはキュウゾウが差配の命令により討伐に行ったときだ」
虹雅渓のある階層にアキンドばかり狙って襲撃する賊の集団がいるという組主の報告があった。
いずれはアヤマロの命を狙う危険性があるかもしれない。芽が出る前に不安の種は潰しておこうということで用心棒の一人、キュウゾウを賊の殲滅に向かわせた。
戦後になって刀を抜いて戦う機会が少なくなってきた故に戦闘に行ける奴が羨ましいとヒョーゴは思ったが、あんな事態になるのであれば、行かなくてよかったと思ったという。もしかしたら自分もそうなっていたかもしれないのだから。
あんな事態、それは。
「賊に捕まっていた女をその気はなかったが偶然にも助けたのだ」
それから女につきまとわれるようになったのだ、とヒョーゴは言った。キュウゾウは討伐の際に何があったのか、一言も話さなかった。だから詳しい内容は女の口から聞かされた。
キュウゾウが賊の集団を殲滅した翌日、正午過ぎ。
ヒョーゴが部屋で一人休憩していると、扉を叩いて「失礼します」と部下のかむろ衆が入ってきた。ソイツらはその日、御殿の大門前で見張り役を務めていた。相談があります、とかむろ衆は頭を下げた。
御殿に至る橋のたもとに怪しい女がきており、キュウゾウ様に会わせてほしいと言っている。どうすればよいか、と。それを聞いて、ヒョーゴは「俺に言うまでもないだろ」とかむろ衆を睨みつけた。
「追い払え」
虹雅渓を治めるアキンド故に、時には強引なやり方で商売もする故に、アヤマロの命を狙う者は少なくない。アヤマロを亡き者にするためには障害となる用心棒を消す必要があるとして、キュウゾウやヒョーゴを狙ってくる時もあった。そのキュウゾウに会いたいという怪しい女ももしかすれば、金で雇われた刺客だという可能性がおおいにある。
早くいけ、と手を振るうヒョーゴに「ですが」とかむろ衆は食い下がった。最初は追い出そうと、低い声で凄んでみせたり、携帯していたサスマタを向けたり、戦で使われていた鋼筒を脅したりしたが効果がなく。
キュウゾウ様に会わせてください、の一点張りで。ほとほと困り果てているのです、とかむろ衆は疲れ気味だった。使えない部下だなと内心罵りつつ、キュウゾウには言ったのか、と聞くと、ぶるぶると首を激しく振られた。
「言えるわけありません!」
だから貴方のところに相談に来たのだ、といわんばかりの勢いだった。普段から無表情で、必要なこと以外は口にしない無口な男故に「何を考えているのかわからない」と組主に恐れられているが、かむろ衆もだった。
貴重な休憩時間を邪魔されたことにイラつきはしたが、部下の面倒を見るのも立場ある者の仕事かと割り切って、ヒョーゴは、キュウゾウに会わせろとしつこく迫る女がいる橋へ向かった。
女は大層な美人だった。紫陽花で彩られた小袖の着物がよく似合っていた。ヒョーゴは簡単な自己紹介(アヤマロの用心棒。名前)を済ませると、キュウゾウに何の用だと聞いた。
女は胸の前で手を組んで、こう言った。
「私はキュウゾウ様に命を救われました。あの方に是が非でもお礼を申し上げたいのです」
女は語った。ある日、賊に捕まってしまい、拠点まで連れ去られ、拘束されてしまったこと。別の街にいる人身売買業者に高額で売り飛ばされそうになっていたところに突如として、キュウゾウが拠点に現れ、次々と賊を斬ったこと。最後は賊の大将との一騎打ちになり、女は盾として利用されたが、ものともせず、突き飛ばされた自分を躱して、すぐさま賊の大将を斬ったという。
「賊を斬っていく様がまるで舞のようでとっても美しくて強かったです……」
その時の光景を思い浮かべているのか、両頬に手を添えて、恍惚な笑みを浮かべていた。ヒョーゴは内心で「なんだ、コイツ」と若干引いていた。変わった奴だと見てくる視線を気にすることなく、女は「ということなので、キュウゾウ様に会わせてください」と言った。
賊から助けてもらった時、名前だけは聞かせてくれたが、それ以上のこと(お礼をしたいので住んでいる場所)を教えてくれなかったから、自分の力で調べてここまで来ました、という。するとここでヒョーゴの勘が働いた。この女は何か危険だ。キュウゾウに会わせるとよくないことが起こる、と。
そして、それはまさに的中した。
橋のたもとにやってきた当日は、キュウゾウにお礼をどうしてもいいたい、一目でもいいから会わせください、と何度もせがんでくる女をなんとか説き伏せ、やっとのことで帰ってもらったが、これで終わりではなかった。
ヒョーゴにとっては地獄の始まりに過ぎなかった。こと細かな詳細は省くが、簡単にいうと女がやってきたことは以下の通りだそうだ。
その一。
キュウゾウに宛てた恋文が毎日滞りなく送られてくること。賛美する言葉が紙面にびっしりと書き綴られており、手紙の最後には必ず、結婚を前提に交際してほしいとあった。キュウゾウは無視。処理しろと指示されたヒョーゴは最初の二、三通目までは読んだが、あまりの気味の悪さにそれ以降は読まずに捨てている。
その二。
文ほど頻度はないが、手作りらしき弁当がキュウゾウ宛に送られてくること。弁当は露店で売られているものよりも豪華で美味しそうな見た目だったが、中にはしびれ薬が入っていた。送られた当人は一度も手を付けなかったが、もったいないと食べた愚か者がいて、ソイツは三日間まともに動くことができなかった。
その三。
キュウゾウが出かける先には必ずといっていいほど、例の女が現れ、後ろからつかず離れずの距離でついてくること。飽きることを知らないのか、柱の陰からじっとキュウゾウのことを嬉しそうに見つめているらしい。ヒョーゴは、つけまわす現場を少なくとも五回は見た。キュウゾウに聞いたら「毎回いる」といつもの無表情で素っ気なく返事があった。
キュウゾウは女のことを存在しない者として、完全に無視を決め込んでいた。ヒョーゴもはじめはそれに倣って見かけても無視をしていた。しかし、とうとう事件が起こってしまった。
その四。
「御殿内に侵入された」
ある日、御殿内を警備していたかむろ衆が、キュウゾウの部屋はどこかと探し回っている女を偶然にも発見。いつの間に侵入したのかと大騒ぎになった。大門の見張り番(かむろ衆と鋼筒で構成された隊)は何をやっているのかと報告を受けたヒョーゴは呆れた。刃傷沙汰になりかけたが、女は逃げ足があまりに早く、気が付けば御殿内から姿を消していた。
今はアキンドが出世する時代。かつての栄華は跡形もほぼなく、時代の落伍者になってしまったサムライを好きになるなんて物好きもいいところ。あの女もいずれはキュウゾウに飽きていなくなるだろう、何もせずとも放置しておけば自然と解決するだろう、と思っていた。しかし、読みが甘かった。このままでは女に御殿にまた入り込まれ、好き勝手にされてしまう。
狙われているキュウゾウは無視するだけで何も動こうともしないので、相棒であるヒョーゴに御殿内に二度と足を踏み入れられないようにしろと命令(女の生死は不問)を下された。
なんとくだらない仕事かと思わなくもなかったが、これは主からの命令だから。ヒョーゴは女を追っ払ったり、斬ろうしたり、あらゆる手を尽くしたが、それはことごとく失敗した。
部下のかむろ衆を使ってサスマタで脅してもダメ。
自分が出張って抜刀し凄んでも動じなかった。
中身はどうあれ、美人には違いないので、女好きのウキョウにハーレムに加えてみてはと勧めてみたが、「頭のおかしい女は嫌だ」と断られた。
付け回し女を追い払うこと(あわよくば始末すること)は失敗続きで付け回し女に対する怒りと憎しみが日々募っていく。早くなんとかしなければ。ヒョーゴは最後の手段に出た。
それが。
「キュウゾウには許嫁がいる。だからお前と結婚を前提に交際をする気は一切ない、お前の入り込む余地ないと伝えたのだ」
「まさかそれで、俺に許嫁になれ、と」
「ああ」
ヒョーゴは頷いた。厳密にいえば、本当に奴の許嫁になる必要はない。奴の許嫁であるフリをしてほしいのだ、と言われた。本当に許嫁なんているのか、嘘じゃないかと女に疑われたので、論より証拠。実際に会わせてやると付け回し女と約束の日を設けて待ち合わせをすることにしたそうだ。その約束の日は翌日、未の刻。第二階層にある××屋という喫茶店である。そして、キュウゾウの許嫁のフリをするものとしてヒョーゴが勝手に選んだのが、俺であると。
何というか、まあ。人を厄介事に勝手に巻き込まないでほしいのだが。
「他に適当な女はいなかったのか」
そう聞いてみた。アヤマロの用心棒をやっているのだから金なんていくらでも出せるだろうし。金さえ積めば「やる!」と手を上げそうな女は街にいると思うのだが。
すると、ヒョーゴはメガネの奥から人を心底から馬鹿にしたような眼を向けてきた。実際に「馬鹿か、お前は」と口にも出していた。
「俺の話を真面目に聞いていたか?」
「聞いたぞ」
「だったら、分かるだろうが」
まったく……とヒョーゴは額に手を当て、息を吐いた。これだから出来損ないを相手にするのは疲れるといった感じだった。このメガネを張り倒したい、という気持ちをぐっとこらえつつ、教えてほしいと言ったら、「付け回し女が只者じゃないからだ」と答えが返ってきた。
「あの女は並大抵の女じゃ相手にならん」
いくら金を積んで雇ったところで返り討ちにされるのが関の山だ、とヒョーゴは言った。
「それに」
「それに?」
まだ何かあるのか、と首を傾げていると、ヒョーゴはメガネをクイと押し上げて、人差し指で俺を差した。
「お前は利用しても俺の心が痛まない」
「…………」
あまりの清々しく、潔いその宣言に怒る気力も失せた。断れば脅してでも受けさせようとする魂胆がヒョーゴの言動と態度からは丸見えだったが、俺はメガネからの依頼を受けることにした。成功の報酬で五〇〇〇〇の金をくれるというから承諾した。それさえあれば新しい櫛を買うことができるからだ。これ以上、櫛屋の爺さんと婆さんを待たせずに済むし。
依頼成功の条件は以下の通り。
その一、付け回し女に二度とキュウゾウの前に現れたり、御殿前に訪ねたりしないように説得すること。手段は不問。
その二、付け回し女を虹雅渓から追い出すこと。これができた場合は倍の報酬を払うと。
その三。
「最終手段だが……可能ならば女は斬り捨てても構わん」
場所を教えてくれれば死体の方はこっちが処理すると請け負ってくれた。
なんだか悪人になった気分だと思いつつ、まあいいか、と気を取り直す。女の命がどうなろうと俺の知ったことじゃない。それよりも新しい櫛を買う金を手に入れる方が先決だ。
付け回し女と会う約束は翌日のお昼過ぎ。未の刻。
場所は第二階層にある××屋という喫茶店だと地図をもらう。
約束の日、当日だけは女との話が終わったら、一旦、近くの店にいるヒョーゴへ状況報告すること。
「遅れるなよ」
「ああ」
「あと、あの女をなんとかするためにお前に依頼したこと、キュウゾウには絶対にいうな」
告げ口したら斬るからな、と凄まれた。俺に頼ることが奴に露見するのは己の自尊心が許さないらしい。実際に口には出さなかったが、顔がそう言っていたようにみえた。誰にも言わないから安心しろ、と伝え、ヒョーゴと別れてから癒しの里を後にした。
虹雅渓第六階層、オンボロ宿まで戻ると、宿内は真っ暗だった。夜目にはすぐ適応できるので問題ない。中を見回す。マスターは寝たのか、カウンターにはいなかった。自分の部屋に行くと、布団の上に猫がいた。ヒゲをピンと伸ばして俺の方を向く。
「みゃあ」
おかえり、といわれた気がした。近くに寄って屈み、頭を撫でる。
「俺はもう寝るから」
「みゃあ」
「邪魔するなよ」
そう言って、布団に仰向けになって目を閉じると、腹の上に重みを感じた。丁度いい寝床があると思って、猫が乗ってきたのだ。邪魔をするなと言った手前でこれか。まあいい。明日は依頼があることだから早く寝ることにしよう。おやすみ。
ヘイハチは言った。執着女の件は根本的に解決していない。
第二、第三の被害者が出る可能性がおおいにあると。
確かにその通りになった。
執着女に狙われることになったのは、まさかの人物だった。
俺がそれを知ったのはヘイハチの件を聞いてから七日と経った日だった。その日、俺は日雇いの仕事(上層にあるアキンドの店の警備。前にやった店とは別のところ)をしていた。今回は万引き犯がいたとか、押し込みがあったとか、何の事件もなく無事に仕事は終了。斬り合いがないし、突っ立ったままだから退屈極まりなかったが、金はもらえた。
まあまあの金額だった。新しい櫛代二五〇〇〇を手に入れるにはまだまだ遠い道のりだが、少しずつでも一歩前進できるのなら。
マスターからは買い物など頼まれていないので、寄り道せずに帰路を歩く。その途中で。
「…………」
つけられている気配を察知した。最近、誰かに後をつけられる回数が多い気がしてうんざりする。
俺が一体、何をしたというのか。適当に撒いてもよかったが、人を勝手につけてくる者のために急いでしまい、疲れるのは腹が立った。
だから。
逆に俺が迫っていって、追い詰めてやろうか、と思った。
通行人が多いとやりづらいので、大通りから別の道へと移動する。道行く人は多くいるが、大通り程、混雑はしていない。
追いかけるには十分。つけている数は一人。
よし、ここでいいか。
俺は露店の商品を眺めるふりをして、探してみた。人の後を尾行する者達、その正体はかむろ衆だった。虹雅渓を治めるアキンド、アヤマロが作った私兵団。前に虹雅渓で起きた辻斬り事件の時に俺を犯人だとして追いかけてきたことがあったが。
何故だ。
今回は俺も俺の知り合いも出たり、関わったりしていないし、何も起こしていないのに。
「…………」
まあ、考えても答えなんて出るはずがない。直接本人に聞く方が早いか。通行人を隠れ蓑にまだ気づかれていないと思っているかむろ衆に「おい、そこのお前」と指を差した。
「何か用か」
「……!」
ハッとしたかむろ衆。ばれたから急いで逃走を図るのかと思いきや、逆にこっちへ向かって走ってきた。そして俺の前にやってくるとすぐに懐から取り出した封筒を押し付けてきた。
「道端に捨てることは許さぬ。今日中に絶対に読め」
「何故だ」
「理由は聞くな。これは命令だ。逆らえば貴様の命はないと思え」
鬼気迫る顔で念を押して足早に去っていった。
「…………」
渡されたそれは何の変哲もない、普通の封筒だった。表面には「鋼音シキ宛」と筆文字で書かれているが、裏に差出人は書かれていなかった。これを渡すだけならわざわざ人の後を付け回さなくてもよかったのでは、と思いつつ、帰路への移動を再開した。
第六階層のオンボロ宿に到着。
部屋に入ると、猫が布団を占拠していた。戸を開けた記憶はない。恐らくマスターが開けて中に入れたのだ。戸も半開きになっていたから間違いない。まったく。
「邪魔だ」
「みゃあ」
別にいいだろう、という顔をされた。ちょっとした腹いせに猫の頭と腹を撫でてから、備え付けの卓上に置いてある小さい木箱へ日雇いで受け取った金を入れ、ふたをする。手にとって軽く振ってみれば音が以前より大きくなった。だいぶ溜まったかな、と思いつつ、ごろごろと転がる猫を踏まないように気を付けながら、布団に仰向けになる。
「…………」
このまま眠ろうかな、と目を閉じようとしたが、止めた。かむろ衆から渡されたアレを読もうか。読まなければ命はないとか大袈裟なことも言っていたが何だろう。
ポケットから例の封筒を取り出し、両手に持つ。
封を切って中を確認。紙が二枚入っている。一枚目は文で、二枚目は地図だった。一枚目の文には『明日、××(時としては夜)、××屋の前に来られたし』と書かれていた。
二枚目の地図を見る。図は正確に分かりやすく描かれている。マスターの描いたミミズが這ったような下手な地図とは段違いだ。
この手紙の差出人は誰だろうか。かむろ衆が渡してきたということはアヤマロ御殿にいる誰かの可能性が高い。
キュウゾウは……ないか。
アイツが俺に手紙をやるとは思えない。手紙の差出人が誰かなんて考えても答えは出ない。明日会ってみればわかることだ。
翌日。
日課の早朝鍛錬。マスターの遣い。日雇いの仕事。それらをこなしていき、気が付けばあっという間に夜になっていた。マスターに時間を聞いたら、そろそろ出ていかなければ指定された時に間に合わなくなりそうなので、猫にだけ「いってくる」と声をかけて、宿を後にした。マスターからは「どこへ行く」と聞かれなかったが問題ない。
どうせ俺の中に内蔵された発信機で行った場所を把握するだろう。あんなに散々破壊してやったのに奥の部屋の機械装置の大半はもう直っていたから。
◆◆
マスターの遣い以来、訪れることのなかった癒しの里。酒を嗜む習慣も趣味もない俺には全く縁のない場所。そして今の俺は、前と違ってもう人の食べ物をとる必要がなくなったので、なおさら来る理由がない。
まあ、それはどうでもいいとして。
癒しの里は虹雅渓と違って、アキンドの支配が及ぶ場所じゃないので、戦闘さえ起こさなければ、出歩いても問題ないはずだ。地図を片手に××屋を目指して歩く。酔っ払いや意味の分からないことを叫んでいる奴らを横目に進んでいき、辿り着いた先に、俺を呼び出した人物がいた。
かむろ衆を届け役として利用したのだからある程度、差出人となる候補は絞れたので、ソイツを見てもたいして驚きはしなかった。むしろどんな厄介事に巻き込もうとするつもりなのかと警戒した。
呼び出したソイツ――虹雅渓差配アヤマロの用心棒の一人であるヒョーゴは××屋の前にいた俺に気づいたようで、手を上げて、こっちへ来るように手招きした。俺は渋々といった体で歩み寄っていった。
「久しぶりだな」
「何の用だ」
とっとと要件を聞き出そうとしたら「おい」と睨まれたので、別にいいだろ、と返す。
挨拶を交わす程に親しい間柄ではないのだから。待ち合わせ場所は料亭の前を指定していたが、中に入るわけでもなく。
ついてこいというので、後をついて歩く。××屋から歩いて行った先の路地に入る。
「ここでいいだろう」
ヒョーゴはそういって、壁に寄りかかると腕を組んだ。俺は向かい側の位置に移動して背中から壁に寄りかかる。
「それで要件は何だ」
「お前に頼みたいことがある」
「キュウゾウの嫁になってくれないか」
「……はい?」
最初、何を言われているのか、わからなかった。
嫁になってくれって、何だ。お前ふざけているのか。冗談か。
遠まわしな表現をやめてはっきりと言え、と伝える。
すると、ヒョーゴはこう言った。
「奴が変な女に付け回されている。追い払うために協力してくれ」
「断る」
「ああ?」
「自分でなんとかしろと伝えておけ。俺は帰る」
ちゃきっ。
路地から出ようとしたら、後頭部に切っ先を突き付けられた。おいおい、癒しの里では帯刀は許されても抜刀は許されていないぞ。ここへアヤマロの付き添いか何かで何度か来ているだろうに。決まり事を知らないのか。
「本気でいっているのか」
「人の話を最後まで聞け」
俺は振り返ると、突き付けられた刀を指さしながら奴を見据えた。
「話を聞いてもらいたいならそれなりの態度をした方がいいと思うぞ」
「馬鹿の癖に俺に説教するな」
「…………」
むかつく。腹が立つ。何だ、この生意気メガネは。
争い事はやめよう、刀を抜いてはならない、なんていう癒しの里の決まり事なんて知るか。ここは斬り合いで決着をつけようか……なんてことはせず、互いに殺気のこもった目で睨み合うだけに留めた。
しばらく経って、
「……悪かったな」
先に折れたのはヒョーゴだった。肩を竦めて、深い溜息を吐いて、納刀する。普段の奴をよく知っているわけじゃないが、えらく気が立っていると思い、さっきの発言(キュウゾウの嫁になってくれないか)と関係があるのか、と聞いたら「そうだ」と頷かれた。
部下のかむろ衆とキュウゾウがこの場にいないのは、絶対に(特にキュウゾウには)聞かれたくないからであり、わざわざ虹雅渓の最下層を降りた先にある癒しの里を呼び出す場所にしたのは内容があまりにひどくて、下らなくて、他人には知られたくないからだと言われた。
とりあえず話を最後まで聞いてくれ、というので、黙って頷いた。
ヒョーゴは一つ咳払いしてから話し始めた。
「始まりはキュウゾウが差配の命令により討伐に行ったときだ」
虹雅渓のある階層にアキンドばかり狙って襲撃する賊の集団がいるという組主の報告があった。
いずれはアヤマロの命を狙う危険性があるかもしれない。芽が出る前に不安の種は潰しておこうということで用心棒の一人、キュウゾウを賊の殲滅に向かわせた。
戦後になって刀を抜いて戦う機会が少なくなってきた故に戦闘に行ける奴が羨ましいとヒョーゴは思ったが、あんな事態になるのであれば、行かなくてよかったと思ったという。もしかしたら自分もそうなっていたかもしれないのだから。
あんな事態、それは。
「賊に捕まっていた女をその気はなかったが偶然にも助けたのだ」
それから女につきまとわれるようになったのだ、とヒョーゴは言った。キュウゾウは討伐の際に何があったのか、一言も話さなかった。だから詳しい内容は女の口から聞かされた。
キュウゾウが賊の集団を殲滅した翌日、正午過ぎ。
ヒョーゴが部屋で一人休憩していると、扉を叩いて「失礼します」と部下のかむろ衆が入ってきた。ソイツらはその日、御殿の大門前で見張り役を務めていた。相談があります、とかむろ衆は頭を下げた。
御殿に至る橋のたもとに怪しい女がきており、キュウゾウ様に会わせてほしいと言っている。どうすればよいか、と。それを聞いて、ヒョーゴは「俺に言うまでもないだろ」とかむろ衆を睨みつけた。
「追い払え」
虹雅渓を治めるアキンド故に、時には強引なやり方で商売もする故に、アヤマロの命を狙う者は少なくない。アヤマロを亡き者にするためには障害となる用心棒を消す必要があるとして、キュウゾウやヒョーゴを狙ってくる時もあった。そのキュウゾウに会いたいという怪しい女ももしかすれば、金で雇われた刺客だという可能性がおおいにある。
早くいけ、と手を振るうヒョーゴに「ですが」とかむろ衆は食い下がった。最初は追い出そうと、低い声で凄んでみせたり、携帯していたサスマタを向けたり、戦で使われていた鋼筒を脅したりしたが効果がなく。
キュウゾウ様に会わせてください、の一点張りで。ほとほと困り果てているのです、とかむろ衆は疲れ気味だった。使えない部下だなと内心罵りつつ、キュウゾウには言ったのか、と聞くと、ぶるぶると首を激しく振られた。
「言えるわけありません!」
だから貴方のところに相談に来たのだ、といわんばかりの勢いだった。普段から無表情で、必要なこと以外は口にしない無口な男故に「何を考えているのかわからない」と組主に恐れられているが、かむろ衆もだった。
貴重な休憩時間を邪魔されたことにイラつきはしたが、部下の面倒を見るのも立場ある者の仕事かと割り切って、ヒョーゴは、キュウゾウに会わせろとしつこく迫る女がいる橋へ向かった。
女は大層な美人だった。紫陽花で彩られた小袖の着物がよく似合っていた。ヒョーゴは簡単な自己紹介(アヤマロの用心棒。名前)を済ませると、キュウゾウに何の用だと聞いた。
女は胸の前で手を組んで、こう言った。
「私はキュウゾウ様に命を救われました。あの方に是が非でもお礼を申し上げたいのです」
女は語った。ある日、賊に捕まってしまい、拠点まで連れ去られ、拘束されてしまったこと。別の街にいる人身売買業者に高額で売り飛ばされそうになっていたところに突如として、キュウゾウが拠点に現れ、次々と賊を斬ったこと。最後は賊の大将との一騎打ちになり、女は盾として利用されたが、ものともせず、突き飛ばされた自分を躱して、すぐさま賊の大将を斬ったという。
「賊を斬っていく様がまるで舞のようでとっても美しくて強かったです……」
その時の光景を思い浮かべているのか、両頬に手を添えて、恍惚な笑みを浮かべていた。ヒョーゴは内心で「なんだ、コイツ」と若干引いていた。変わった奴だと見てくる視線を気にすることなく、女は「ということなので、キュウゾウ様に会わせてください」と言った。
賊から助けてもらった時、名前だけは聞かせてくれたが、それ以上のこと(お礼をしたいので住んでいる場所)を教えてくれなかったから、自分の力で調べてここまで来ました、という。するとここでヒョーゴの勘が働いた。この女は何か危険だ。キュウゾウに会わせるとよくないことが起こる、と。
そして、それはまさに的中した。
橋のたもとにやってきた当日は、キュウゾウにお礼をどうしてもいいたい、一目でもいいから会わせください、と何度もせがんでくる女をなんとか説き伏せ、やっとのことで帰ってもらったが、これで終わりではなかった。
ヒョーゴにとっては地獄の始まりに過ぎなかった。こと細かな詳細は省くが、簡単にいうと女がやってきたことは以下の通りだそうだ。
その一。
キュウゾウに宛てた恋文が毎日滞りなく送られてくること。賛美する言葉が紙面にびっしりと書き綴られており、手紙の最後には必ず、結婚を前提に交際してほしいとあった。キュウゾウは無視。処理しろと指示されたヒョーゴは最初の二、三通目までは読んだが、あまりの気味の悪さにそれ以降は読まずに捨てている。
その二。
文ほど頻度はないが、手作りらしき弁当がキュウゾウ宛に送られてくること。弁当は露店で売られているものよりも豪華で美味しそうな見た目だったが、中にはしびれ薬が入っていた。送られた当人は一度も手を付けなかったが、もったいないと食べた愚か者がいて、ソイツは三日間まともに動くことができなかった。
その三。
キュウゾウが出かける先には必ずといっていいほど、例の女が現れ、後ろからつかず離れずの距離でついてくること。飽きることを知らないのか、柱の陰からじっとキュウゾウのことを嬉しそうに見つめているらしい。ヒョーゴは、つけまわす現場を少なくとも五回は見た。キュウゾウに聞いたら「毎回いる」といつもの無表情で素っ気なく返事があった。
キュウゾウは女のことを存在しない者として、完全に無視を決め込んでいた。ヒョーゴもはじめはそれに倣って見かけても無視をしていた。しかし、とうとう事件が起こってしまった。
その四。
「御殿内に侵入された」
ある日、御殿内を警備していたかむろ衆が、キュウゾウの部屋はどこかと探し回っている女を偶然にも発見。いつの間に侵入したのかと大騒ぎになった。大門の見張り番(かむろ衆と鋼筒で構成された隊)は何をやっているのかと報告を受けたヒョーゴは呆れた。刃傷沙汰になりかけたが、女は逃げ足があまりに早く、気が付けば御殿内から姿を消していた。
今はアキンドが出世する時代。かつての栄華は跡形もほぼなく、時代の落伍者になってしまったサムライを好きになるなんて物好きもいいところ。あの女もいずれはキュウゾウに飽きていなくなるだろう、何もせずとも放置しておけば自然と解決するだろう、と思っていた。しかし、読みが甘かった。このままでは女に御殿にまた入り込まれ、好き勝手にされてしまう。
狙われているキュウゾウは無視するだけで何も動こうともしないので、相棒であるヒョーゴに御殿内に二度と足を踏み入れられないようにしろと命令(女の生死は不問)を下された。
なんとくだらない仕事かと思わなくもなかったが、これは主からの命令だから。ヒョーゴは女を追っ払ったり、斬ろうしたり、あらゆる手を尽くしたが、それはことごとく失敗した。
部下のかむろ衆を使ってサスマタで脅してもダメ。
自分が出張って抜刀し凄んでも動じなかった。
中身はどうあれ、美人には違いないので、女好きのウキョウにハーレムに加えてみてはと勧めてみたが、「頭のおかしい女は嫌だ」と断られた。
付け回し女を追い払うこと(あわよくば始末すること)は失敗続きで付け回し女に対する怒りと憎しみが日々募っていく。早くなんとかしなければ。ヒョーゴは最後の手段に出た。
それが。
「キュウゾウには許嫁がいる。だからお前と結婚を前提に交際をする気は一切ない、お前の入り込む余地ないと伝えたのだ」
「まさかそれで、俺に許嫁になれ、と」
「ああ」
ヒョーゴは頷いた。厳密にいえば、本当に奴の許嫁になる必要はない。奴の許嫁であるフリをしてほしいのだ、と言われた。本当に許嫁なんているのか、嘘じゃないかと女に疑われたので、論より証拠。実際に会わせてやると付け回し女と約束の日を設けて待ち合わせをすることにしたそうだ。その約束の日は翌日、未の刻。第二階層にある××屋という喫茶店である。そして、キュウゾウの許嫁のフリをするものとしてヒョーゴが勝手に選んだのが、俺であると。
何というか、まあ。人を厄介事に勝手に巻き込まないでほしいのだが。
「他に適当な女はいなかったのか」
そう聞いてみた。アヤマロの用心棒をやっているのだから金なんていくらでも出せるだろうし。金さえ積めば「やる!」と手を上げそうな女は街にいると思うのだが。
すると、ヒョーゴはメガネの奥から人を心底から馬鹿にしたような眼を向けてきた。実際に「馬鹿か、お前は」と口にも出していた。
「俺の話を真面目に聞いていたか?」
「聞いたぞ」
「だったら、分かるだろうが」
まったく……とヒョーゴは額に手を当て、息を吐いた。これだから出来損ないを相手にするのは疲れるといった感じだった。このメガネを張り倒したい、という気持ちをぐっとこらえつつ、教えてほしいと言ったら、「付け回し女が只者じゃないからだ」と答えが返ってきた。
「あの女は並大抵の女じゃ相手にならん」
いくら金を積んで雇ったところで返り討ちにされるのが関の山だ、とヒョーゴは言った。
「それに」
「それに?」
まだ何かあるのか、と首を傾げていると、ヒョーゴはメガネをクイと押し上げて、人差し指で俺を差した。
「お前は利用しても俺の心が痛まない」
「…………」
あまりの清々しく、潔いその宣言に怒る気力も失せた。断れば脅してでも受けさせようとする魂胆がヒョーゴの言動と態度からは丸見えだったが、俺はメガネからの依頼を受けることにした。成功の報酬で五〇〇〇〇の金をくれるというから承諾した。それさえあれば新しい櫛を買うことができるからだ。これ以上、櫛屋の爺さんと婆さんを待たせずに済むし。
依頼成功の条件は以下の通り。
その一、付け回し女に二度とキュウゾウの前に現れたり、御殿前に訪ねたりしないように説得すること。手段は不問。
その二、付け回し女を虹雅渓から追い出すこと。これができた場合は倍の報酬を払うと。
その三。
「最終手段だが……可能ならば女は斬り捨てても構わん」
場所を教えてくれれば死体の方はこっちが処理すると請け負ってくれた。
なんだか悪人になった気分だと思いつつ、まあいいか、と気を取り直す。女の命がどうなろうと俺の知ったことじゃない。それよりも新しい櫛を買う金を手に入れる方が先決だ。
付け回し女と会う約束は翌日のお昼過ぎ。未の刻。
場所は第二階層にある××屋という喫茶店だと地図をもらう。
約束の日、当日だけは女との話が終わったら、一旦、近くの店にいるヒョーゴへ状況報告すること。
「遅れるなよ」
「ああ」
「あと、あの女をなんとかするためにお前に依頼したこと、キュウゾウには絶対にいうな」
告げ口したら斬るからな、と凄まれた。俺に頼ることが奴に露見するのは己の自尊心が許さないらしい。実際に口には出さなかったが、顔がそう言っていたようにみえた。誰にも言わないから安心しろ、と伝え、ヒョーゴと別れてから癒しの里を後にした。
虹雅渓第六階層、オンボロ宿まで戻ると、宿内は真っ暗だった。夜目にはすぐ適応できるので問題ない。中を見回す。マスターは寝たのか、カウンターにはいなかった。自分の部屋に行くと、布団の上に猫がいた。ヒゲをピンと伸ばして俺の方を向く。
「みゃあ」
おかえり、といわれた気がした。近くに寄って屈み、頭を撫でる。
「俺はもう寝るから」
「みゃあ」
「邪魔するなよ」
そう言って、布団に仰向けになって目を閉じると、腹の上に重みを感じた。丁度いい寝床があると思って、猫が乗ってきたのだ。邪魔をするなと言った手前でこれか。まあいい。明日は依頼があることだから早く寝ることにしよう。おやすみ。
