第六話
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◆
昨日得た日雇いの仕事(アキンドの店の警備)のために虹雅渓の第二階層へと行った。宿から出る前にマスターから「ウキョウに会ったら気をつけるヨロシ」と珍しく真剣な声音と真顔で言われたことを思い出す。
虹雅渓を治めている差配アキンドのドラ息子。街に住んでいる人間からの評価はよくない。奴は普段から第二階層にある浮舟艇という場所でハーレム(若い美女を侍らせて遊ぶこと。酒池肉林)を楽しんでいるから滅多に外に出ないとは思うが……とマスターは苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をする。
「本当に嫌いなんだな」
そう返すとマスターは「当然ダロ」と鼻を鳴らした。
「あんな奴、好きになる方が頭おかしいアル」
好きといってくる者がいるとすれば、ソイツは己の利益になるからといった理由で近くにいようとする馬鹿アルヨ、と語尾を繋いだ。万が一、ウキョウに会うことがあれば自分の見た目は人だが中身は完全なる機械体だと告げてやれと言われた。どうやらウキョウは機械のサムライをすごく嫌っているらしいとか。
俺は機械人間であっても、サムライじゃないんだが。
とにかくウキョウには気をつけろ、とこれでもかといってくるので、わかった、と頷く。実際に会ったことはないが、話を聞く限りじゃロクな奴じゃないことは確かだ。
「みゃあ」
俺とマスターの間に名無しの猫が歩いてやってくる。俺の目の前で立ち止まると顔を上げて、もう一度「みゃあ」と鳴いた。どこへ行くのか、と聞いているのかもしれない。俺は屈んで、猫の頭から背中を優しく撫でる。
「仕事へ行ってくる」
「みゃあ」
「大人しくお留守番していろよ」
「みゃあ」
撫でる手に体を擦り付けてきた。
あたたかい。思わず、ふっ、と口角が緩んだ。
「行ってくる」
「みゃあ」
「まあ、精々がんばれアル」
手を軽く振っていたマスターが「猫ちゃんもやるヨロシ」と名無し猫を抱き上げようとしたが身を翻されて、爪で引っ掻かれていた。悲鳴を背中で聞きながら俺は宿を後にした。
◆◆
俺を雇ってくれた第二階層の店に到着して、さっそく店主と対面。夕刻の営業時間終了まで店の外を見張るように指示される。警備の定位置に着く。店は大通りに面しているから目の前をひっきりなしに数え切れないくらいの人々が次々と通り過ぎていく。流れていく中にサムライの姿はあんまりいない。まあ、当然といえば当然かもしれない。ここは第二階層。金持ちが多い階層。下層みたいに体を機械化してくれる改造屋はない。武具を取り扱っている鍛冶屋もない。ここの階層にやってくるのは金に飽かせる程度に金銭的余裕がある奴らが多いだろうから。
向かい側の三つ行った先には櫛を買いに来た俺を金がないからと追い返した店があった。今日も繁盛しているらしい。高級そうな着物をきた女達が店に入っていくのが見える。あそこで買うとなれば必要な櫛を買うための金額「二五〇〇〇」よりも数倍もかかってしまう。
そう思うと情けは人の為ならず。あの時、婆さんを助けて本当によかった。あれがなかったら俺は金のためにどのくらいの(やりたくもない)労働をしなければいけなかったのかと思うとぞっとする。俺を一日雇ってくれた店は健康食品とやらを扱っていた。中に入る客、出てくる客を一通り見ていく。それを繰り返してしばらく。昼飯時になった。休憩していいですよ、と店員に声をかけられたが、断った。たいして疲れてもいないからいい、と首を振った。
しかし、
「駄目です」
と注意された。きちんと休んでいただかないといざというときに動けなければ困ります、と休憩所へ行くように促された。そうしないと自分が店主に怒られるから面倒をかけないでくれ、と顔にわかりやすく書いてあった。正直に言えば、警備中に事件らしい事件もなくて、ただ突っ立っているだけだったので暇で、暇で仕方なかった。休んでいいというなら休ませてもらうとしよう。俺は店員の指示に従って、見張りの定位置を後にして休憩所へ向かった。
半刻の休憩(腕と首を回したり、床に座って瞑想したり)の後、休憩所から出た。見張りの定位置に着き、昼飯時前と同様、店を出たり入ったりする客を確認したり、大通りを見たりして、不審な人物がいないか見張る。
それから時が経って、夕暮れになった。店内の客も少なくなっていく。特に何事もなく終わりそうである。店側にしてみれば平和でいいんだろうが、俺としては退屈で仕方なかった。次にやる仕事は警備以外にしようかと決めた。そろそろ店じまいか。最後と思われる客達が出ていく。また来てくださいと店員に見送られていく者達の中に一人、怪しい人物(やたらと大事そうに手提げ鞄を抱いている男)を見つけたので、咄嗟にソイツの腕を掴んだ。
「待て」
「な、何でしょうか?」
「とぼけるな」
鞄の中に店の商品を隠しているだろ、と俺は低い声で告げた。店員が驚きの声を上げると同時にソイツは舌打ち、振り向き様に掴まれていない方の手の中に仕込んでいた武器をもって返り討ちをしようとしたみたいだが、読めていたので問題なかった。掴んでいた腕を思いっきりひねってやる。
「イデデデデ!」
やめてくれ、と痛がり、逃れようとして前かがみになったところに肘鉄を食らわせ、相手の頭を両手で押さえて、顔面に膝蹴りを思いっきり打ち込んだ。地面へ横倒しになったところを起き上がらないように片足で押さえておく。近くで見ていた店員は事態に呆然としていた。
「うわあ、容赦ないなあ……」
「大丈夫、これ? 死んでいない?」
体を震わせて不安がる店員二人に向かって「問題ない」と男を指し示す。踏まれながらもぴくぴくと動いているし。死なない程度に手加減もしておいたから。万引き犯を捕らえたと店主へ報告。大層、喜ばれた。
どうやら捕まえた男は万引きの常習犯だったらしく、手口はわかっていても捕まえられずに困っていたらしい。今回はおさえられて本当によかったよ、と笑っていた。ぜひともまたうちの警備をしてくれ、と日雇いの報酬(と合わせて盗人を捕らえた功績分をくれた)を手渡されたが、考えておく、と伝えて、店を後にした。これで一歩くらいはあの気に入った櫛を買える金額に近づいた。うん、よかった、よかった。
◆◆
今日は日雇いの仕事は休み。日課の鍛錬を終えて、宿へ戻るや否やマスターの買い物に(荷物持ちとして)付き合わされた。第二階層で名無し猫の高級餌を買い、第三階層へ移動。そこで煙管の葉っぱとマスターの食料と怪しい本(胸元が露出している変な服をきた女が表紙)を買っていた。
「お、やったアルヨ」
「どうした」
「特典でくじ引きができるアル」
店でたくさん金を使った者だけに与えられるものらしい。くじが引ける場所に到着。まあまあの人数の者達が並んでいる。何が当たるのか、立て看板を確認。
一等、癒しの里での二泊三日お泊り券。
二等、米俵一俵。
三等、金一封。
四等、手拭い。
「どうする?」
「何か微妙アルナ」
マスターがせっかく貰ったくじ引き券を破り捨てようとしたので、待て、とその手を掴んで制する。
「それ、俺にくれないか」
「どうしたアルカ」
どうした、こうしたじゃない。三等の金一封って、金のことだろう。
これはまさに櫛代の「二五〇〇〇」が一気に手に入る好機じゃないか。
「これに賭ける!」
俺が何をやろうとしてきるのか、察したマスターは「ああ、なるほど……」と呆れ顔になりつつも、くじを譲ってくれたので、当ててやるぞ、とくじ引きの行列に並んだ。
前の奴らはくじ引きをしていくが「三等、金一封」を受け取ったものはいない。皆、四等の手拭いばかりだった。
そしてついに俺の番が来た。
「この抽選機を回してください」
と、アキンドが丸くて赤いモノを指したので、取っ手を掴んで、「三等出ろ、三等出ろ」と内心で祈りながら回した。結果は。
「よかったアルナ。これでしばらく持つアルヨ」
「……はあ」
くじ引きは当たったには当たった。だが、本命の「三等、金一封」じゃなくて、「二等、米俵一俵」だった。マスターの買ったものを両手に下げて、背中に米俵を背負っている。別にたいして重くもないが、せめて、自分で買った荷物ぐらい持ってくれてもいいと思うのだが。そう言ったら、「別にいいじゃないアルカ」と無駄に優雅に煙管を吸って、美味そうに吐いていた。
「ほら、あともう少しで宿に到着アルヨ」
ああ、身軽っていいアル〜、と歌いながら軽々とした足取りで進んでいくマスターの背中を睨みつけつつ、歩を進めた。
櫛を買えるだけの金が一気に手に入ると思ったんだが……やっぱりそう簡単に楽できないか。
◆◆
せっかく、くじ引きで米俵一俵を当てた、ということで翌日。
マスターが米を炊いてくれて、おにぎりを沢山、握ってくれた。
「ヘイハチ様のところへ持っていたらどうアルカ」
「そうだな」
名無しの猫は米を食べることはできても多くは食えない。米より専用の餌か魚を食べさせた方がいいみたいだ。そして俺は人の食べ物を摂取する必要がなくなったので、米を主に食べるのはマスターのみ。故に、一人じゃ食い切れないからと知り合いに分けることに。
ということで。
「やる」
「い、いいんですか!? ありがとうございます!」
土木作業の仕事をしているヘイハチを第三階層で発見。丁度、昼休憩の時間だというので、休憩場へ共に移動し、持ってきた風呂敷包みを渡す。中を開けば出てくるのは三角のおにぎりが三つ。海苔付けはなし。味付けは塩のみ。
飽きないか、と言ったら「まさか」とヘイハチは首を振る。
「そんなことはありえません」
いつもの笑顔が消えて、真顔で言ったかと思えば、ニコリとまた笑顔に戻った。
「十二分に満足です。感謝します、シキ殿!」
「そうか」
隣でおにぎりを頬張るヘイハチ。もぐもぐ、と本当に美味しそうに食べている。これ以上の幸せがあるのかといわんばかりの恍惚そうな表情だ。
虹雅渓では食い物が溢れているというのに、米は珍しい食べ物にあたるらしく、周りの作業員からは羨望の眼差しを向ける者もいた。
不思議なこともあるものだな、と周りを見回していると、一人、変わった者を見つけた。ソイツは着物姿の女だった。土木作業の場には基本的に男しかいないので、女がいることは珍しかった。柱の陰から誰かを一心に見つめている。その視線の先に誰がいるのか、となぞってみれば、そこにいるのはヘイハチで、おにぎり三つ目に突入していた。
「なあ、ヘイハチ」
「何でしょう」
「あの女に見覚えあるか?」
鉄柱の陰に身を潜めている女を手の平で指し示すと、おにぎりの最後の一口をゆっくりと味わい、飲み込んでから見た。そして、眉をひそめた。
「ああ、またですか」
明らかに嫌悪感を含んだ声だった。
「シキ殿」
「どうした」
「あの人は気にしなくていいです。放っておきましょう」
「いいのか」
「はい」
意味深に頷いている。当人がそうしろというなら、そうせざるを得ないか。そろそろ休憩時間が終わるということで、ヘイハチは「ごちそうさまでした」「この後の仕事もがんばれそうです」「本当にありがとうございました」と丁寧に頭を下げて、作業場へと戻っていった。俺は空になった風呂敷包みを持って、その場を後にした。
オンボロ宿への帰路の途中だった。
誰かに後をつけられている。通行人の足音を利用して消しているつもりかもしれないが、誤魔化されないぞ。俺が歩けば、ソイツは歩き、俺が止まれば、ソイツは止まった。こうなったら、とうとう路地に入る。
道幅が狭いので、高く跳ねて、両手足を伸ばし、壁に張り付いて待ち伏せる。すると「どこへ行ったのかしら?」ときょろきょろする者が一人、路地にやってきた。ソイツはさっき見たばかりの柱の陰からヘイハチを一心に見つめていた着物姿の女だった。女は壁に張り付いている俺には気づかず、真上以外の一通りを確認してから一つ舌打ちをして去っていった。その手には銀色に光るモノ、短刀が握られていた。
◆◆
「それはストーカーって奴かもしれないアルナ」
「何だ、それは」
宿に戻った俺は、ヘイハチへ無事に握り飯を渡せた報告も兼ねてマスターに起こったことを話した。柱に隠れてヘイハチを見つめている着物姿の女がいたこと。宿まで戻る際にその女に後をつけられたこと。ソイツの手には短刀があったこと。もしかしたら俺を刺そうと狙っていたのかもしれない、ということを伝えると返ってきた答えが「ストーカー」だった。
(やっている当人が気づいているか、どうかはさておき)相手が嫌がっているというのに、その人にしつこく付きまとったり、あとを追いかけたりする偏執狂的な人物。それがストーカー。
「きっと好きな人が知らない女つまりお前といたことが許せなくて、後をつけたアルナ」
「あの女はヘイハチのことが好きなのか?」
「恐らくネ。でも、ヘイハチ様は嫌がっている。そうダロ?」
俺は頷いた。表情も声も不快さを隠そうとしていなかった。ケチで意地悪なマスターを含め、誰に対しても腰を低くして丁寧に対応するヘイハチにしては珍しいと思った。
初めて見かけた身としてはしつこいかどうかは知らないが、「ああ、またですか」とヘイハチは言っていたし、俺がおにぎりを渡しに行ったときが初めてじゃないことだけはわかる。女が現れたのがあれで何回目なのかは知らないが。
「時機が悪かったアルナ」
と、マスターは俺を指さし、指先をくるくると回した。
「その女が好いた男つまり、ヘイハチ様の様子を見ようとして仕事場へやってきたが、愛しの彼の隣には見知らぬ女が座っており、いかにも愛妻風の握り飯を渡しているアル」
「いやいや」
愛妻風って、俺とヘイハチは夫婦じゃないから。
しかも飯を握ったのはマスターだし。
馬鹿なこと言うな、と睨みつけるが、無視してマスターは続ける。
「それをヘイハチ様は大層喜んで食べているものだから、恋敵の出現とでも思ったかもしれないアル」
「なんだそれ」
俺は別にやましい気持ちをもって、ヘイハチに握り飯を渡したわけじゃないんだが。愛しさ余って憎さ百倍。たとえ男女の関係になかったとしても、俺がヘイハチに近づくことで女は勘違いをする。憎らしいと。最悪の場合、ヘイハチに危害を加えようとして女が凶行に走るかもしれない、とマスターは口ひげを指先でいじる。くるくる。
「本当にお困りならば何とかしてやりたいアルナ」
「…………」
以前、マスターはとある事件によりヘイハチに命を助けられていた。それもあってか、ヘイハチのことはいたく気に入っているようだった。何か対策を考えるから、場合によってはお前にも協力してもらうぞ、というか協力しろ、というマスターに俺は頷いた。俺もヘイハチには飢えで行き倒れているところを助けてもらったし、以前のとある事件で迷惑もかけてしまったことがある。自分にできることでヘイハチの助けになるならば協力は惜しむつもりは全くなかった。どんとこい。
◆◆
身勝手な好意でヘイハチの後をしつこく付け回す執着女がいるかもしれない。実際にいるならばなんとかしたいと対策を考えようとしたマスターとそれに協力しようとした俺だが、杞憂に終わった。薪割を口実にしてヘイハチをオンボロ宿まで呼び出し、付け回し女について内容を詳しく聞いてみたら、
「ああ、あの人ですか。もう大丈夫になりました」
と朗らかな笑顔が返ってきた。
パカン。
薪割の小気味のいい音が響いた。
「ええええっ」
マスターは口をポカンと開けて驚いていた。
「もう大丈夫とはどういうことアルカ?」
「それがどうやらあの人、私にはもう興味を失ったみたいでして」
「そ、そうアルカ……」
「お二人に心配をかけたようで申し訳ありません」
ヘイハチは懇切丁寧に深々と頭を下げた。
「いやいや、ワタシ何もしていないアル。謝る必要はないアル」
マスターは慌てて手を振った。ケチで意地悪なくせにヘイハチに対しては本当に礼儀がいいよな、と思った。
嫌なことを思い出させてしまうからヘイハチには悪いと思ったが、マスターは何故か気になるようで、あの着物姿の執着女について、どうして付け回されることになったのかの経緯など、薪割の作業を終えてから話してもらうことになった。
オンボロ宿のカウンター席に俺とヘイハチは並んで座り、マスターは向かい側で(名無し猫がいないので)煙管を取り出して吸った。
出会うきっかけとなったのは、ある日ヘイハチが日雇いの仕事の帰り道の途中で例の女が悪漢に追われているところに出くわしたことだった。
助けてください、と女に乞われた。邪魔するな、と悪漢は拳を振りかざして、ヘイハチに殴り掛かってきた。女を背に、ヘイハチは盾代わりとなって、落ち着いてください、と攻撃を捌きながら呼び掛けたが、相手は聞く耳もたず。仕方ないのでヘイハチは峰打ちで男を倒した。
暴漢を警邏に任せた後、まだ怖いですと縋り付いてくる女を安全な場所(女が虹雅渓滞在中に利用しているという宿)まで送り届けた。帰ろうとすると「待って」と袖を掴まれた。お礼がしたい、明日会えないかと言われる。
「お礼なんていりません。お気持ちだけで十分ですよ」
そう言って、頭を下げて、その場を去っていった。
これで女との関わりは終わりだと思っていた。
しかし。
「終わりじゃありませんでした」
むしろはじまりといってもいいかもしれません、とヘイハチは神妙な顔で言った。暴漢から女を助けた日から数日が経ったある日。いつものように日雇いの仕事から木賃宿へ帰ってきたヘイハチを出迎えたのは同じ部屋で過ごしている人足達のからかいの声だった。
彼ら曰く、ヘイハチに用があるという美人が木賃宿の主人に連れられて部屋を訪れた。当人はいなかったので、これを渡してください、と部屋に置いて、帰っていったという。それは花柄の風呂敷に包まれており、解いてみると、
「こ、これは……!」
ヘイハチはびっくり。中身はおにぎりだった。虹雅渓ではめったに食べられない握り飯があまりにも大量に入っていたことに、後方から覗き込んでいた男達も大層驚き、羨ましがった。
日雇いの仕事で疲れ、腹も減っていたので、せっかくだからと握り飯を同室の皆にも分けた。ヘイハチとしては一人でも食い切れる数ではあったが、男達からの嫉妬と羨望の眼差しもあったから。握り飯を分けるとさっそく男達はそれにかぶりついた。渡されたヘイハチより先に男達が食べたこと。これがヘイハチにとっては幸運となり、男達にとっては不運となった。
「握り飯に毒が入っていたのです」
「毒!?」
のけぞり驚くマスターにヘイハチは慌てて、すみません、と手を振る。
「毒、といっても死に至る程のものじゃありません。ですがあの時は本当に大変でした」
握り飯に入っていたのはしびれ薬だった。先に食べた男達が苦悶の声を上げて、次々と倒れていき、異変を感じた宿の店主や隣の部屋の客も見に来るなどして現場は騒然となった。幸い死には至らなかったが、男達は数日の間、まともに動くことができなかった。
事件があった日の翌日。ヘイハチの仕事場に例の女が現れた。昼休憩だったので、二人で話をしようと場所を移動した。あの握り飯は一体どういうつもりで届けにきたのですか、と憤り、詰め寄るヘイハチに対して、女は「食べなかったのですか」と意にも介さず、顔に手を添え、悲しげに答えた。
「貴方様を看病する機会を作れると思ったのに。とても残念です」
ヘイハチは呆気にとられた。まさかとは思うが、そんなことのために握り飯に薬を仕込んだとでもいうのか。
そう聞くと「ええ」とにっこりされ、顔を寄せてきた。
潤んだ瞳に上目遣い。確かに男達の言った通り、美人だとは思う。
だが。
「ヘイハチ様、好きです。私のものになってくださいませ」
その中身は最低最悪だった。
暴漢から助けてもらったことがきっかけで好きになった。
一目惚れです。私と交際してくださいと迫られたという。
「いうまでもなく断りました」
「……まあ、当然アルナ」
「そして、そこからが長かったのですが……」
女はヘイハチとの交際を諦めなかった。当人が嫌がっているのを理解しているのか、していないのか。はたまた理解していながらも迫っているのか。本人じゃないので詳細不明だが、握り飯を届けに来たことからもヘイハチの泊っている宿を知っているので、ほぼ毎日、そこに忍び込んだり、手作り弁当(しびれ薬もしくはねむり薬入り)を送り付けてきたり、日雇いの仕事場にやってきては柱の陰からヘイハチの様子を眺めたりするようになったらしい。
利用する宿を変えるなど対策を打ったが、どこから仕入れてきたのか、女は変えた宿の場所をすぐに把握してのけた。仕事場にやってきた執着女を相手にしたのは初めの三回だけであり、それ以降は無視をした。
同じ現場で働いていた男達からは何を恥ずかしがっているのか、と揶揄されたが、執着女の事情を知っている者からは哀れな目で見られた。身体的苦痛よりも精神的苦痛の方が勝った。
「そんな中です。シキ殿がきてくれて、握り飯をくれた時は泣きそうになりました……」
「そ、そうか……」
いや大袈裟だろう、とは突っ込めなかった。
しばらく会わない間にそんなことがあったとは。
それにしてもとんでもない女もいたものだ。だが、ヘイハチは「もう大丈夫になりました」といっていた。その女との間で何かしらの決着がついたということか。大丈夫とはどういうことかと聞けば、「えっと、ですね……」と後頭部を掻く。
「あの人はまた別の男性を好きになったみたいで。私にはもう興味がないようです」
だから、ぱったりと来なくなりました、とヘイハチは言った。ある日からいつもの如く来ていた女が宿に姿を現さなくなった。同室の客達も同様に不思議がった。まあでも、来ないなら来ないでいい。すっごくいい。ヘイハチは日雇いの仕事に出かけていった。仕事場にきて作業をしていても、昼休憩になっても女は姿を現さなかった。柱の陰からいつも覗いていたくせに。あんなに交際を迫ってきたくせに。一体どうしたのか。その答えは来なくなった日より数日が経ってから知ることができた。
「あの人、別の方の後を付け回していたんです」
付け回されていたのはサムライだった。女はヘイハチの近くまで寄ってきたのに、横を通り過ぎただけで何事もなかったという。自分の存在すら認知されていない感じだったと。よかったアルナ〜、とマスターが腕を組み、うんうんと頷くも、ヘイハチは首をひねった。
「う〜ん。そうでしょうか」
「どうした?」
執着女の付きまとい行為からめでたく解放されたというのに。何故喜ばず、眉をひそめるのか。ヘイハチの様子に俺とマスターは顔を見合わせ、首を傾げていると、「いえ、その」とヘイハチは語尾を繋いだ。
「根本的な解決にはなっていないような気がしまして……」
確かに自分は難を逃れられることができたが、それは執着女の興味が他の男性に移っただけであり、結局はその人も被害に遭っている。このまま野放しにしておけば、第二、第三の被害者がでるのではないか、とヘイハチは考えているらしい。
「とはいっても解決策があるわけではないのが痛いところですが……」
すみません、と頭を下げるヘイハチに「いやいや」と俺は首を振った。
「別にお前が謝ることじゃないだろ」
明らかに悪いのはしつこく付きまとってくる女だ。それに執着女の標的になってしまった人物を心配する必要もない。狙われた奴らは奴らなりに対抗するだろうし、ヘイハチは執着女のことで十二分苦しんだのだからもうこれ以上精神的負担を背負うことはないと思う。
「ヘイハチは好きな米のことを考えればいい」
うんうんと頷いていると「ぷぷっ」とマスターが吹き出していた。
「下手くそアルナ~、それで励ましているつもりアルカ?」
「うるさい」
マスターを睨みつけていると、名を呼ばれたので馬鹿面からヘイハチの方へ顔を向ける。
「どうした」
「ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げられた。完全とはいかないまでも話を聞いてもらってすっきりとしました、と感謝されたが、筋違いだと伝える。早く忘れたい嫌な記憶だろうに、思いださせてしまったのだからむしろいうなら苦言だろうと。
「みゃあ」
とりあえずひと段落ついたかな、という時に名無し猫がカウンター席に戻ってきた。猫は初めて見るヘイハチに対してたいした警戒心を抱かず、ヘイハチの伸ばした右手の指先の匂いを嗅ぐと、軽々と跳ねて膝の上に乗った。おやおや、とヘイハチは猫の頭を撫でる。
「人懐っこい猫さんですね」
「みゃあ」
「お名前はなんというのですか」
「ない」
え、という顔をされた。
俺はもう一度ないと答えると続けて、「考えてくれないか」と言った。
「ここで暮らすと決めるまで色々あってな。まだ名がないんだ」
名無しの猫(白色と茶色と黒色の斑模様。三毛猫。オス)がここオンボロ宿で過ごすことになるまでの経緯を簡単に説明した。
そうでしたか、大変でしたね、とヘイハチは再び猫を撫でる。
「シキ殿に、マスターという優しい人達に拾われてよかったですね」
「みゃあ」
優しい手つきに、まあ悪くない、もっとやれ、とでもいうように猫は鳴く。ふと見やれば、マスターは複雑な顔で猫とヘイハチの戯れを見ていた。命の恩人であるヘイハチに評価されたのはいいものの、当の猫には懐いてもらえないので、少しだけ悲しいのだろう。まあ、それに関してはマスターの猫に対する接し方の問題なのでおいといて。
「コイツの名前はどんなものがいいと思う」
「そうですねえ……」
コメ。コメタロウ。コメスケ。ヒカリ。オサキ。オフク。オタマ。オミケ……などなど、愛してやまない米にちなんだ名前から、縁起のよさそうな名前までいくつか候補を挙げてもらった。マスターはそれらを紙面に書き留めると「シェイシェイ」とヘイハチに頭を下げる。
夕方になり、オンボロ宿から木賃宿までヘイハチを送った。最初は俺による送り届けを遠慮していたヘイハチだったが、せっかく無理を言って宿まで来てもらったのに危険に遭っては大変だとマスターに押し切られていた。
「シキはずっと暇だし、たとえ暴漢共に襲われても返り討ちにするから無問題アル」
「は、はあ……ですが、いいのですが? シキ殿」
俺は頷き、オンボロ宿の出入り口でマスターの頭を思いっきり引っ叩いてから出発した。余計なことは言わないまでも最初から送り届けるつもりだったし、問題なしだ。
階層を上がっては歩き、また階層を上がっては歩いてく。道中で問題は一つも起こらず、無事に木賃宿へと到着した。
「おお、アンタ、戻ってきたのか」
同室者らしき男がヘイハチを出迎えた。隣に立つ俺を見て、男はハッとすると、何故だがにやにやして「アンタも隅に置けないなあ」と言った。
「いくらおサムライ様といえでも結局は男だしなあ。やるときはやるんだね」
「いえ、違います」
誤解ですよ、と手振りするヘイハチ。隠すなって、と揶揄する口調の男。
二人の様子を眺めて、ああ、なるほど、と得心する。俺とヘイハチを男女の仲と勘違いしているのか。解いてやらねばなるまい、と口を開こうとしたところでヘイハチの手で塞がれ、頭を振られた。今の状況だとこの男に何をいっても通じはしまい、ということらしい。
「なあ、アンタ。おサムライ様とはどこまでいったんだ?」
話にならないと踏んだのか、男が俺へと矛先を変えてきた。これ以上ここに留まることはヘイハチの手間を増やすだけだろう。
なあなあ、と声をかけてくる男を抑えているヘイハチに向かって、俺は「じゃあな」と手を振って、足早に木賃宿を後にした。
昨日得た日雇いの仕事(アキンドの店の警備)のために虹雅渓の第二階層へと行った。宿から出る前にマスターから「ウキョウに会ったら気をつけるヨロシ」と珍しく真剣な声音と真顔で言われたことを思い出す。
虹雅渓を治めている差配アキンドのドラ息子。街に住んでいる人間からの評価はよくない。奴は普段から第二階層にある浮舟艇という場所でハーレム(若い美女を侍らせて遊ぶこと。酒池肉林)を楽しんでいるから滅多に外に出ないとは思うが……とマスターは苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をする。
「本当に嫌いなんだな」
そう返すとマスターは「当然ダロ」と鼻を鳴らした。
「あんな奴、好きになる方が頭おかしいアル」
好きといってくる者がいるとすれば、ソイツは己の利益になるからといった理由で近くにいようとする馬鹿アルヨ、と語尾を繋いだ。万が一、ウキョウに会うことがあれば自分の見た目は人だが中身は完全なる機械体だと告げてやれと言われた。どうやらウキョウは機械のサムライをすごく嫌っているらしいとか。
俺は機械人間であっても、サムライじゃないんだが。
とにかくウキョウには気をつけろ、とこれでもかといってくるので、わかった、と頷く。実際に会ったことはないが、話を聞く限りじゃロクな奴じゃないことは確かだ。
「みゃあ」
俺とマスターの間に名無しの猫が歩いてやってくる。俺の目の前で立ち止まると顔を上げて、もう一度「みゃあ」と鳴いた。どこへ行くのか、と聞いているのかもしれない。俺は屈んで、猫の頭から背中を優しく撫でる。
「仕事へ行ってくる」
「みゃあ」
「大人しくお留守番していろよ」
「みゃあ」
撫でる手に体を擦り付けてきた。
あたたかい。思わず、ふっ、と口角が緩んだ。
「行ってくる」
「みゃあ」
「まあ、精々がんばれアル」
手を軽く振っていたマスターが「猫ちゃんもやるヨロシ」と名無し猫を抱き上げようとしたが身を翻されて、爪で引っ掻かれていた。悲鳴を背中で聞きながら俺は宿を後にした。
◆◆
俺を雇ってくれた第二階層の店に到着して、さっそく店主と対面。夕刻の営業時間終了まで店の外を見張るように指示される。警備の定位置に着く。店は大通りに面しているから目の前をひっきりなしに数え切れないくらいの人々が次々と通り過ぎていく。流れていく中にサムライの姿はあんまりいない。まあ、当然といえば当然かもしれない。ここは第二階層。金持ちが多い階層。下層みたいに体を機械化してくれる改造屋はない。武具を取り扱っている鍛冶屋もない。ここの階層にやってくるのは金に飽かせる程度に金銭的余裕がある奴らが多いだろうから。
向かい側の三つ行った先には櫛を買いに来た俺を金がないからと追い返した店があった。今日も繁盛しているらしい。高級そうな着物をきた女達が店に入っていくのが見える。あそこで買うとなれば必要な櫛を買うための金額「二五〇〇〇」よりも数倍もかかってしまう。
そう思うと情けは人の為ならず。あの時、婆さんを助けて本当によかった。あれがなかったら俺は金のためにどのくらいの(やりたくもない)労働をしなければいけなかったのかと思うとぞっとする。俺を一日雇ってくれた店は健康食品とやらを扱っていた。中に入る客、出てくる客を一通り見ていく。それを繰り返してしばらく。昼飯時になった。休憩していいですよ、と店員に声をかけられたが、断った。たいして疲れてもいないからいい、と首を振った。
しかし、
「駄目です」
と注意された。きちんと休んでいただかないといざというときに動けなければ困ります、と休憩所へ行くように促された。そうしないと自分が店主に怒られるから面倒をかけないでくれ、と顔にわかりやすく書いてあった。正直に言えば、警備中に事件らしい事件もなくて、ただ突っ立っているだけだったので暇で、暇で仕方なかった。休んでいいというなら休ませてもらうとしよう。俺は店員の指示に従って、見張りの定位置を後にして休憩所へ向かった。
半刻の休憩(腕と首を回したり、床に座って瞑想したり)の後、休憩所から出た。見張りの定位置に着き、昼飯時前と同様、店を出たり入ったりする客を確認したり、大通りを見たりして、不審な人物がいないか見張る。
それから時が経って、夕暮れになった。店内の客も少なくなっていく。特に何事もなく終わりそうである。店側にしてみれば平和でいいんだろうが、俺としては退屈で仕方なかった。次にやる仕事は警備以外にしようかと決めた。そろそろ店じまいか。最後と思われる客達が出ていく。また来てくださいと店員に見送られていく者達の中に一人、怪しい人物(やたらと大事そうに手提げ鞄を抱いている男)を見つけたので、咄嗟にソイツの腕を掴んだ。
「待て」
「な、何でしょうか?」
「とぼけるな」
鞄の中に店の商品を隠しているだろ、と俺は低い声で告げた。店員が驚きの声を上げると同時にソイツは舌打ち、振り向き様に掴まれていない方の手の中に仕込んでいた武器をもって返り討ちをしようとしたみたいだが、読めていたので問題なかった。掴んでいた腕を思いっきりひねってやる。
「イデデデデ!」
やめてくれ、と痛がり、逃れようとして前かがみになったところに肘鉄を食らわせ、相手の頭を両手で押さえて、顔面に膝蹴りを思いっきり打ち込んだ。地面へ横倒しになったところを起き上がらないように片足で押さえておく。近くで見ていた店員は事態に呆然としていた。
「うわあ、容赦ないなあ……」
「大丈夫、これ? 死んでいない?」
体を震わせて不安がる店員二人に向かって「問題ない」と男を指し示す。踏まれながらもぴくぴくと動いているし。死なない程度に手加減もしておいたから。万引き犯を捕らえたと店主へ報告。大層、喜ばれた。
どうやら捕まえた男は万引きの常習犯だったらしく、手口はわかっていても捕まえられずに困っていたらしい。今回はおさえられて本当によかったよ、と笑っていた。ぜひともまたうちの警備をしてくれ、と日雇いの報酬(と合わせて盗人を捕らえた功績分をくれた)を手渡されたが、考えておく、と伝えて、店を後にした。これで一歩くらいはあの気に入った櫛を買える金額に近づいた。うん、よかった、よかった。
◆◆
今日は日雇いの仕事は休み。日課の鍛錬を終えて、宿へ戻るや否やマスターの買い物に(荷物持ちとして)付き合わされた。第二階層で名無し猫の高級餌を買い、第三階層へ移動。そこで煙管の葉っぱとマスターの食料と怪しい本(胸元が露出している変な服をきた女が表紙)を買っていた。
「お、やったアルヨ」
「どうした」
「特典でくじ引きができるアル」
店でたくさん金を使った者だけに与えられるものらしい。くじが引ける場所に到着。まあまあの人数の者達が並んでいる。何が当たるのか、立て看板を確認。
一等、癒しの里での二泊三日お泊り券。
二等、米俵一俵。
三等、金一封。
四等、手拭い。
「どうする?」
「何か微妙アルナ」
マスターがせっかく貰ったくじ引き券を破り捨てようとしたので、待て、とその手を掴んで制する。
「それ、俺にくれないか」
「どうしたアルカ」
どうした、こうしたじゃない。三等の金一封って、金のことだろう。
これはまさに櫛代の「二五〇〇〇」が一気に手に入る好機じゃないか。
「これに賭ける!」
俺が何をやろうとしてきるのか、察したマスターは「ああ、なるほど……」と呆れ顔になりつつも、くじを譲ってくれたので、当ててやるぞ、とくじ引きの行列に並んだ。
前の奴らはくじ引きをしていくが「三等、金一封」を受け取ったものはいない。皆、四等の手拭いばかりだった。
そしてついに俺の番が来た。
「この抽選機を回してください」
と、アキンドが丸くて赤いモノを指したので、取っ手を掴んで、「三等出ろ、三等出ろ」と内心で祈りながら回した。結果は。
「よかったアルナ。これでしばらく持つアルヨ」
「……はあ」
くじ引きは当たったには当たった。だが、本命の「三等、金一封」じゃなくて、「二等、米俵一俵」だった。マスターの買ったものを両手に下げて、背中に米俵を背負っている。別にたいして重くもないが、せめて、自分で買った荷物ぐらい持ってくれてもいいと思うのだが。そう言ったら、「別にいいじゃないアルカ」と無駄に優雅に煙管を吸って、美味そうに吐いていた。
「ほら、あともう少しで宿に到着アルヨ」
ああ、身軽っていいアル〜、と歌いながら軽々とした足取りで進んでいくマスターの背中を睨みつけつつ、歩を進めた。
櫛を買えるだけの金が一気に手に入ると思ったんだが……やっぱりそう簡単に楽できないか。
◆◆
せっかく、くじ引きで米俵一俵を当てた、ということで翌日。
マスターが米を炊いてくれて、おにぎりを沢山、握ってくれた。
「ヘイハチ様のところへ持っていたらどうアルカ」
「そうだな」
名無しの猫は米を食べることはできても多くは食えない。米より専用の餌か魚を食べさせた方がいいみたいだ。そして俺は人の食べ物を摂取する必要がなくなったので、米を主に食べるのはマスターのみ。故に、一人じゃ食い切れないからと知り合いに分けることに。
ということで。
「やる」
「い、いいんですか!? ありがとうございます!」
土木作業の仕事をしているヘイハチを第三階層で発見。丁度、昼休憩の時間だというので、休憩場へ共に移動し、持ってきた風呂敷包みを渡す。中を開けば出てくるのは三角のおにぎりが三つ。海苔付けはなし。味付けは塩のみ。
飽きないか、と言ったら「まさか」とヘイハチは首を振る。
「そんなことはありえません」
いつもの笑顔が消えて、真顔で言ったかと思えば、ニコリとまた笑顔に戻った。
「十二分に満足です。感謝します、シキ殿!」
「そうか」
隣でおにぎりを頬張るヘイハチ。もぐもぐ、と本当に美味しそうに食べている。これ以上の幸せがあるのかといわんばかりの恍惚そうな表情だ。
虹雅渓では食い物が溢れているというのに、米は珍しい食べ物にあたるらしく、周りの作業員からは羨望の眼差しを向ける者もいた。
不思議なこともあるものだな、と周りを見回していると、一人、変わった者を見つけた。ソイツは着物姿の女だった。土木作業の場には基本的に男しかいないので、女がいることは珍しかった。柱の陰から誰かを一心に見つめている。その視線の先に誰がいるのか、となぞってみれば、そこにいるのはヘイハチで、おにぎり三つ目に突入していた。
「なあ、ヘイハチ」
「何でしょう」
「あの女に見覚えあるか?」
鉄柱の陰に身を潜めている女を手の平で指し示すと、おにぎりの最後の一口をゆっくりと味わい、飲み込んでから見た。そして、眉をひそめた。
「ああ、またですか」
明らかに嫌悪感を含んだ声だった。
「シキ殿」
「どうした」
「あの人は気にしなくていいです。放っておきましょう」
「いいのか」
「はい」
意味深に頷いている。当人がそうしろというなら、そうせざるを得ないか。そろそろ休憩時間が終わるということで、ヘイハチは「ごちそうさまでした」「この後の仕事もがんばれそうです」「本当にありがとうございました」と丁寧に頭を下げて、作業場へと戻っていった。俺は空になった風呂敷包みを持って、その場を後にした。
オンボロ宿への帰路の途中だった。
誰かに後をつけられている。通行人の足音を利用して消しているつもりかもしれないが、誤魔化されないぞ。俺が歩けば、ソイツは歩き、俺が止まれば、ソイツは止まった。こうなったら、とうとう路地に入る。
道幅が狭いので、高く跳ねて、両手足を伸ばし、壁に張り付いて待ち伏せる。すると「どこへ行ったのかしら?」ときょろきょろする者が一人、路地にやってきた。ソイツはさっき見たばかりの柱の陰からヘイハチを一心に見つめていた着物姿の女だった。女は壁に張り付いている俺には気づかず、真上以外の一通りを確認してから一つ舌打ちをして去っていった。その手には銀色に光るモノ、短刀が握られていた。
◆◆
「それはストーカーって奴かもしれないアルナ」
「何だ、それは」
宿に戻った俺は、ヘイハチへ無事に握り飯を渡せた報告も兼ねてマスターに起こったことを話した。柱に隠れてヘイハチを見つめている着物姿の女がいたこと。宿まで戻る際にその女に後をつけられたこと。ソイツの手には短刀があったこと。もしかしたら俺を刺そうと狙っていたのかもしれない、ということを伝えると返ってきた答えが「ストーカー」だった。
(やっている当人が気づいているか、どうかはさておき)相手が嫌がっているというのに、その人にしつこく付きまとったり、あとを追いかけたりする偏執狂的な人物。それがストーカー。
「きっと好きな人が知らない女つまりお前といたことが許せなくて、後をつけたアルナ」
「あの女はヘイハチのことが好きなのか?」
「恐らくネ。でも、ヘイハチ様は嫌がっている。そうダロ?」
俺は頷いた。表情も声も不快さを隠そうとしていなかった。ケチで意地悪なマスターを含め、誰に対しても腰を低くして丁寧に対応するヘイハチにしては珍しいと思った。
初めて見かけた身としてはしつこいかどうかは知らないが、「ああ、またですか」とヘイハチは言っていたし、俺がおにぎりを渡しに行ったときが初めてじゃないことだけはわかる。女が現れたのがあれで何回目なのかは知らないが。
「時機が悪かったアルナ」
と、マスターは俺を指さし、指先をくるくると回した。
「その女が好いた男つまり、ヘイハチ様の様子を見ようとして仕事場へやってきたが、愛しの彼の隣には見知らぬ女が座っており、いかにも愛妻風の握り飯を渡しているアル」
「いやいや」
愛妻風って、俺とヘイハチは夫婦じゃないから。
しかも飯を握ったのはマスターだし。
馬鹿なこと言うな、と睨みつけるが、無視してマスターは続ける。
「それをヘイハチ様は大層喜んで食べているものだから、恋敵の出現とでも思ったかもしれないアル」
「なんだそれ」
俺は別にやましい気持ちをもって、ヘイハチに握り飯を渡したわけじゃないんだが。愛しさ余って憎さ百倍。たとえ男女の関係になかったとしても、俺がヘイハチに近づくことで女は勘違いをする。憎らしいと。最悪の場合、ヘイハチに危害を加えようとして女が凶行に走るかもしれない、とマスターは口ひげを指先でいじる。くるくる。
「本当にお困りならば何とかしてやりたいアルナ」
「…………」
以前、マスターはとある事件によりヘイハチに命を助けられていた。それもあってか、ヘイハチのことはいたく気に入っているようだった。何か対策を考えるから、場合によってはお前にも協力してもらうぞ、というか協力しろ、というマスターに俺は頷いた。俺もヘイハチには飢えで行き倒れているところを助けてもらったし、以前のとある事件で迷惑もかけてしまったことがある。自分にできることでヘイハチの助けになるならば協力は惜しむつもりは全くなかった。どんとこい。
◆◆
身勝手な好意でヘイハチの後をしつこく付け回す執着女がいるかもしれない。実際にいるならばなんとかしたいと対策を考えようとしたマスターとそれに協力しようとした俺だが、杞憂に終わった。薪割を口実にしてヘイハチをオンボロ宿まで呼び出し、付け回し女について内容を詳しく聞いてみたら、
「ああ、あの人ですか。もう大丈夫になりました」
と朗らかな笑顔が返ってきた。
パカン。
薪割の小気味のいい音が響いた。
「ええええっ」
マスターは口をポカンと開けて驚いていた。
「もう大丈夫とはどういうことアルカ?」
「それがどうやらあの人、私にはもう興味を失ったみたいでして」
「そ、そうアルカ……」
「お二人に心配をかけたようで申し訳ありません」
ヘイハチは懇切丁寧に深々と頭を下げた。
「いやいや、ワタシ何もしていないアル。謝る必要はないアル」
マスターは慌てて手を振った。ケチで意地悪なくせにヘイハチに対しては本当に礼儀がいいよな、と思った。
嫌なことを思い出させてしまうからヘイハチには悪いと思ったが、マスターは何故か気になるようで、あの着物姿の執着女について、どうして付け回されることになったのかの経緯など、薪割の作業を終えてから話してもらうことになった。
オンボロ宿のカウンター席に俺とヘイハチは並んで座り、マスターは向かい側で(名無し猫がいないので)煙管を取り出して吸った。
出会うきっかけとなったのは、ある日ヘイハチが日雇いの仕事の帰り道の途中で例の女が悪漢に追われているところに出くわしたことだった。
助けてください、と女に乞われた。邪魔するな、と悪漢は拳を振りかざして、ヘイハチに殴り掛かってきた。女を背に、ヘイハチは盾代わりとなって、落ち着いてください、と攻撃を捌きながら呼び掛けたが、相手は聞く耳もたず。仕方ないのでヘイハチは峰打ちで男を倒した。
暴漢を警邏に任せた後、まだ怖いですと縋り付いてくる女を安全な場所(女が虹雅渓滞在中に利用しているという宿)まで送り届けた。帰ろうとすると「待って」と袖を掴まれた。お礼がしたい、明日会えないかと言われる。
「お礼なんていりません。お気持ちだけで十分ですよ」
そう言って、頭を下げて、その場を去っていった。
これで女との関わりは終わりだと思っていた。
しかし。
「終わりじゃありませんでした」
むしろはじまりといってもいいかもしれません、とヘイハチは神妙な顔で言った。暴漢から女を助けた日から数日が経ったある日。いつものように日雇いの仕事から木賃宿へ帰ってきたヘイハチを出迎えたのは同じ部屋で過ごしている人足達のからかいの声だった。
彼ら曰く、ヘイハチに用があるという美人が木賃宿の主人に連れられて部屋を訪れた。当人はいなかったので、これを渡してください、と部屋に置いて、帰っていったという。それは花柄の風呂敷に包まれており、解いてみると、
「こ、これは……!」
ヘイハチはびっくり。中身はおにぎりだった。虹雅渓ではめったに食べられない握り飯があまりにも大量に入っていたことに、後方から覗き込んでいた男達も大層驚き、羨ましがった。
日雇いの仕事で疲れ、腹も減っていたので、せっかくだからと握り飯を同室の皆にも分けた。ヘイハチとしては一人でも食い切れる数ではあったが、男達からの嫉妬と羨望の眼差しもあったから。握り飯を分けるとさっそく男達はそれにかぶりついた。渡されたヘイハチより先に男達が食べたこと。これがヘイハチにとっては幸運となり、男達にとっては不運となった。
「握り飯に毒が入っていたのです」
「毒!?」
のけぞり驚くマスターにヘイハチは慌てて、すみません、と手を振る。
「毒、といっても死に至る程のものじゃありません。ですがあの時は本当に大変でした」
握り飯に入っていたのはしびれ薬だった。先に食べた男達が苦悶の声を上げて、次々と倒れていき、異変を感じた宿の店主や隣の部屋の客も見に来るなどして現場は騒然となった。幸い死には至らなかったが、男達は数日の間、まともに動くことができなかった。
事件があった日の翌日。ヘイハチの仕事場に例の女が現れた。昼休憩だったので、二人で話をしようと場所を移動した。あの握り飯は一体どういうつもりで届けにきたのですか、と憤り、詰め寄るヘイハチに対して、女は「食べなかったのですか」と意にも介さず、顔に手を添え、悲しげに答えた。
「貴方様を看病する機会を作れると思ったのに。とても残念です」
ヘイハチは呆気にとられた。まさかとは思うが、そんなことのために握り飯に薬を仕込んだとでもいうのか。
そう聞くと「ええ」とにっこりされ、顔を寄せてきた。
潤んだ瞳に上目遣い。確かに男達の言った通り、美人だとは思う。
だが。
「ヘイハチ様、好きです。私のものになってくださいませ」
その中身は最低最悪だった。
暴漢から助けてもらったことがきっかけで好きになった。
一目惚れです。私と交際してくださいと迫られたという。
「いうまでもなく断りました」
「……まあ、当然アルナ」
「そして、そこからが長かったのですが……」
女はヘイハチとの交際を諦めなかった。当人が嫌がっているのを理解しているのか、していないのか。はたまた理解していながらも迫っているのか。本人じゃないので詳細不明だが、握り飯を届けに来たことからもヘイハチの泊っている宿を知っているので、ほぼ毎日、そこに忍び込んだり、手作り弁当(しびれ薬もしくはねむり薬入り)を送り付けてきたり、日雇いの仕事場にやってきては柱の陰からヘイハチの様子を眺めたりするようになったらしい。
利用する宿を変えるなど対策を打ったが、どこから仕入れてきたのか、女は変えた宿の場所をすぐに把握してのけた。仕事場にやってきた執着女を相手にしたのは初めの三回だけであり、それ以降は無視をした。
同じ現場で働いていた男達からは何を恥ずかしがっているのか、と揶揄されたが、執着女の事情を知っている者からは哀れな目で見られた。身体的苦痛よりも精神的苦痛の方が勝った。
「そんな中です。シキ殿がきてくれて、握り飯をくれた時は泣きそうになりました……」
「そ、そうか……」
いや大袈裟だろう、とは突っ込めなかった。
しばらく会わない間にそんなことがあったとは。
それにしてもとんでもない女もいたものだ。だが、ヘイハチは「もう大丈夫になりました」といっていた。その女との間で何かしらの決着がついたということか。大丈夫とはどういうことかと聞けば、「えっと、ですね……」と後頭部を掻く。
「あの人はまた別の男性を好きになったみたいで。私にはもう興味がないようです」
だから、ぱったりと来なくなりました、とヘイハチは言った。ある日からいつもの如く来ていた女が宿に姿を現さなくなった。同室の客達も同様に不思議がった。まあでも、来ないなら来ないでいい。すっごくいい。ヘイハチは日雇いの仕事に出かけていった。仕事場にきて作業をしていても、昼休憩になっても女は姿を現さなかった。柱の陰からいつも覗いていたくせに。あんなに交際を迫ってきたくせに。一体どうしたのか。その答えは来なくなった日より数日が経ってから知ることができた。
「あの人、別の方の後を付け回していたんです」
付け回されていたのはサムライだった。女はヘイハチの近くまで寄ってきたのに、横を通り過ぎただけで何事もなかったという。自分の存在すら認知されていない感じだったと。よかったアルナ〜、とマスターが腕を組み、うんうんと頷くも、ヘイハチは首をひねった。
「う〜ん。そうでしょうか」
「どうした?」
執着女の付きまとい行為からめでたく解放されたというのに。何故喜ばず、眉をひそめるのか。ヘイハチの様子に俺とマスターは顔を見合わせ、首を傾げていると、「いえ、その」とヘイハチは語尾を繋いだ。
「根本的な解決にはなっていないような気がしまして……」
確かに自分は難を逃れられることができたが、それは執着女の興味が他の男性に移っただけであり、結局はその人も被害に遭っている。このまま野放しにしておけば、第二、第三の被害者がでるのではないか、とヘイハチは考えているらしい。
「とはいっても解決策があるわけではないのが痛いところですが……」
すみません、と頭を下げるヘイハチに「いやいや」と俺は首を振った。
「別にお前が謝ることじゃないだろ」
明らかに悪いのはしつこく付きまとってくる女だ。それに執着女の標的になってしまった人物を心配する必要もない。狙われた奴らは奴らなりに対抗するだろうし、ヘイハチは執着女のことで十二分苦しんだのだからもうこれ以上精神的負担を背負うことはないと思う。
「ヘイハチは好きな米のことを考えればいい」
うんうんと頷いていると「ぷぷっ」とマスターが吹き出していた。
「下手くそアルナ~、それで励ましているつもりアルカ?」
「うるさい」
マスターを睨みつけていると、名を呼ばれたので馬鹿面からヘイハチの方へ顔を向ける。
「どうした」
「ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げられた。完全とはいかないまでも話を聞いてもらってすっきりとしました、と感謝されたが、筋違いだと伝える。早く忘れたい嫌な記憶だろうに、思いださせてしまったのだからむしろいうなら苦言だろうと。
「みゃあ」
とりあえずひと段落ついたかな、という時に名無し猫がカウンター席に戻ってきた。猫は初めて見るヘイハチに対してたいした警戒心を抱かず、ヘイハチの伸ばした右手の指先の匂いを嗅ぐと、軽々と跳ねて膝の上に乗った。おやおや、とヘイハチは猫の頭を撫でる。
「人懐っこい猫さんですね」
「みゃあ」
「お名前はなんというのですか」
「ない」
え、という顔をされた。
俺はもう一度ないと答えると続けて、「考えてくれないか」と言った。
「ここで暮らすと決めるまで色々あってな。まだ名がないんだ」
名無しの猫(白色と茶色と黒色の斑模様。三毛猫。オス)がここオンボロ宿で過ごすことになるまでの経緯を簡単に説明した。
そうでしたか、大変でしたね、とヘイハチは再び猫を撫でる。
「シキ殿に、マスターという優しい人達に拾われてよかったですね」
「みゃあ」
優しい手つきに、まあ悪くない、もっとやれ、とでもいうように猫は鳴く。ふと見やれば、マスターは複雑な顔で猫とヘイハチの戯れを見ていた。命の恩人であるヘイハチに評価されたのはいいものの、当の猫には懐いてもらえないので、少しだけ悲しいのだろう。まあ、それに関してはマスターの猫に対する接し方の問題なのでおいといて。
「コイツの名前はどんなものがいいと思う」
「そうですねえ……」
コメ。コメタロウ。コメスケ。ヒカリ。オサキ。オフク。オタマ。オミケ……などなど、愛してやまない米にちなんだ名前から、縁起のよさそうな名前までいくつか候補を挙げてもらった。マスターはそれらを紙面に書き留めると「シェイシェイ」とヘイハチに頭を下げる。
夕方になり、オンボロ宿から木賃宿までヘイハチを送った。最初は俺による送り届けを遠慮していたヘイハチだったが、せっかく無理を言って宿まで来てもらったのに危険に遭っては大変だとマスターに押し切られていた。
「シキはずっと暇だし、たとえ暴漢共に襲われても返り討ちにするから無問題アル」
「は、はあ……ですが、いいのですが? シキ殿」
俺は頷き、オンボロ宿の出入り口でマスターの頭を思いっきり引っ叩いてから出発した。余計なことは言わないまでも最初から送り届けるつもりだったし、問題なしだ。
階層を上がっては歩き、また階層を上がっては歩いてく。道中で問題は一つも起こらず、無事に木賃宿へと到着した。
「おお、アンタ、戻ってきたのか」
同室者らしき男がヘイハチを出迎えた。隣に立つ俺を見て、男はハッとすると、何故だがにやにやして「アンタも隅に置けないなあ」と言った。
「いくらおサムライ様といえでも結局は男だしなあ。やるときはやるんだね」
「いえ、違います」
誤解ですよ、と手振りするヘイハチ。隠すなって、と揶揄する口調の男。
二人の様子を眺めて、ああ、なるほど、と得心する。俺とヘイハチを男女の仲と勘違いしているのか。解いてやらねばなるまい、と口を開こうとしたところでヘイハチの手で塞がれ、頭を振られた。今の状況だとこの男に何をいっても通じはしまい、ということらしい。
「なあ、アンタ。おサムライ様とはどこまでいったんだ?」
話にならないと踏んだのか、男が俺へと矛先を変えてきた。これ以上ここに留まることはヘイハチの手間を増やすだけだろう。
なあなあ、と声をかけてくる男を抑えているヘイハチに向かって、俺は「じゃあな」と手を振って、足早に木賃宿を後にした。
