第六話
夢小説設定
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◆
マスターが虹雅渓に来てから間もない観光客を狙って強盗を働く悪い奴らがいるという話を知り合いのアキンドから聞き、退治してあげるからお金をくれといった。そして肝心の退治を俺にいかせた。
なんでだ。安請け合いするな。お前がいけよ、と思ったが……戦闘に飢えていた俺は承諾した。調査の結果、奴らには拠点が上層にあるとわかり、そこへ向かった。
そして問題発生。
「やってしまった……」
愛用していた櫛が壊れてしまったのだった。
強盗の奴らは倒せたのだが、いかんせん、聞いていたよりも数倍も数が多く、時間がかかってしまった。
いや、これはいいわけにすぎない。俺は楽しんでしまったのだ。
峰打ちで倒せと命令を受けていたとはいえ、やはり、久方ぶりの戦闘だったので気分が高揚して。調子に乗ってしまい、不意を突かれて。
攻撃は躱せたものの、その拍子に懐の櫛がぽんと飛び出して――。
バキン。
男たちの足に踏みつぶされてしまったのだ。櫛がないと気づいたのは翌日の早朝。髪を梳かそうとして部屋に備え付けの鏡台の前に座り、櫛を取り出そうと懐へ手を入れたところで。
「……あれ?」
ごそごそ、ごそごそ。
何度も懐の中を探っても出てこない。立ち上がって、コートを脱ぎ、両手で持って、ばさばさと振っても出てこない。
まさかと思い、昨日戦闘した場所へ行ってみると。
……無残な状態となってしまった櫛が落ちていた。
素人目にも修復は不可と判断できるぐらいに全体的に折れている。
形あるものはいずれ朽ちる。愛用の櫛もまた然り。
こうなれば仕方ない。
「新しい櫛でも買いに行くか」
新しい櫛を買うにあたって、問題が一つ。というか問題がそれしかない。買うためのお金がない。それに尽きる。
マスターの遣いによる報酬でいくらかがもらえるとはいえ、微々たるものだし、毎日やっているわけじゃないから収入が安定しない。
俺もやってみるべきなんだろうか。知り合いのサムライみたいに日雇いをしたり、アキンドの用心棒をしたり。
「ああ面倒だ……」
一人呟きながら布団の上で自分の腕を枕にして仰向けになっていると、
「みゃあ~」
部屋に猫がやってきた。
「なんだ、お前か」
「みゃあ」
とことこ歩いていると思ったら、ぴょんと跳ねて、布団の上にやってきた。そしてそのままなぜか俺の腹の上に移動する。
「おい、重い。どけ」
「みゃふ~」
猫は俺の一言に構うことなく、人の腹の上で毛繕いを始めた。この猫は以前、見知らぬ誰かの飼い猫だったが捨てられてしまい、拾ってくださいと書かれた箱の中にいた。
ある日、憂さ晴らしがしたいという身勝手な理由で男達から虐められていた現場をマスターが発見した。俺が男達を吹っ飛ばし、助けたのがきっかけで出会った。
はじめは飼う気がなかったので、ちゃんと最後まで育ててくれそうな人をマスターは探していたがよき飼い主は現れず、虹雅渓第六階層のオンボロ宿に永住が決まった猫。三毛猫のオスだ。名前はまだない。
何度どけと言っても一向に聞いてくれないので好きにさせる。お前がそうなら俺も好きにさせてもらうと猫の頭と背中と腹を撫でた。
ゴロゴロと喉を鳴らす猫を撫でながら、櫛のことを考える。買うためのお金も大事だが、その前にまずは買う櫛を見つけないと、だな。
◆◆
「……高い」
わかってはいたが本当に高い。文無し同然の身にはつらい。
どうせ買うのなら一生ものを、と虹雅渓第二階層にある店をいくつか回ってみた。店内に並べられた櫛はどれも高かった。数字の後に〇が五つ以上ついている値段のものしかない。お客様お目が高いですね、と手をすりすりとさせて笑顔で近づいてくるアキンドに、
「櫛は欲しい」
「ええ、ええ。是非と買っていってくださいな」
「だが金がない」
「……はあ?」
お金ないとかふざけているのか。
いや、ふざけていない。事実だ。
じゃあお金を準備してから出直してください。
……というやりとりで何回追い出されたことか。
金のない奴に用はないという、突き刺すような軽蔑の視線に何度見送られたことか。
「……はあ」
貧乏人と文無しにはなんともつらい時代だぜ、アキンドの時代ってやつは。今日も出直そう。
そうして第二階層から第三階層に降りて、帰路についていると、
「あ、あの、返してください!」
「誰が返すか、ばーか」
「おら、もっと出せよ」
婆さんから金を巻き上げようとしているゴロツキ二人を発見した。
通行人もいるというのに皆が皆、見て見ぬふり。
巻き込まれまい、と顔を背けながら足早に横を通り過ぎていく。
こんな光景、虹雅渓では日常茶飯事とは言わないまでも何回か散策中に見かけたな。
婆さんは辺りに視線をさまよわせる。揺れる瞳は涙目で「誰か、どなたか」と助けを求めていた。しかし誰も目を合わせようとはしなかった。
ゴロツキ二人が「なんだ、文句あるのか」と周りを脅しているのもあるし、たとえ止めようと動いたとしても後からの奴らの報復が怖いのだろう。いつもなら無視して、他の通行人達と同様に何事もなかった、見なかったように通り過ぎるのだが。
“情けは人のためならず、だよ、シキ”
“善き行いをしたことは巡り巡って自分に善きものとして還ってくるんだよ”
そういって朗らかに笑う兄上の顔が、俺の頭の中の記録が出てきた。
善きものが自分に還ってくるというならば……動いてみるのもありか。
俺は三人のもとに近づいて、婆さんへ声をかけた。
「おい」
「え」
「大丈夫か」
「あ、えっと、その……」
「おいおい」
「何だ、お前」
後方から聞こえるゴロツキ二人は無視。
婆さんに「大丈夫か」ともう一度、声をかける。
「助けてほしいか」
そう聞くと、コクコクと頷いたので、
「わかった」
婆さんの手を引いて、道の端まで移動させる。
「ここにいろ」
「わ、わかりました」
「おい、待てよ」
背後から俺の肩にゴロツキの手が触れそうになる気配。
ぞわわっと悪寒がした。
だから。
「触るな」
肩を動かして振り払い、裏拳をぶち当てた。
「ぐあっ!」
悲痛な声を上げて、痛む部分を両手で抑えて怯んでいる隙に。
後ろ回し蹴りを炸裂!
ゴロツキその一は地面に倒れる。
何が起こったのか。
ぽかんとするゴロツキその二と周辺の人々。
婆さんも「あらま!」と口元を両手で覆った。
事態をいち早く察したのはゴロツキその二で、鼻血を出して気絶しているゴロツキその一から俺へ向けた視線は怒りのものだった。
当然と言えば当然。仲間がやられたのだから。
「てめえ、よくも!」
殴りかかってきた。体をひねって回避、躱しざまに足を引っかけて、地面に転がし、起き上がる前に上から足で踏みつける。
まだ抵抗してくるので上に乗って体重をかけて動けなくした。「どけ!」「この野郎、ぶっ殺すぞ!」と何回も叫んでうるさいので、黙るまで頭を掴んで地面に叩きつける。
掴み上げては叩きつけ、掴み上げては叩きつけ、を繰り返す。
五回目を実行しようとした時に、
「参った! やめてくれ! 殺さないでくれ!」
と泣き出した。
涙と血の混じった鼻水を出した汚らしい顔がそこにあった。
「あひいい!」
ゴロツキその二は婆さんから巻き上げた金を地面に放り投げると、気絶したゴロツキその一を肩に担いで連れて逃げていった。見ていた物好きな通行人達は「恐ろしや」と走り去っていく。俺は拾った金を婆さんに渡して、その場を後にしようとしたら「待ってください」と引き留められた。
「助けていただき、ありがとうございました」
「どういたしまして、だ」
「本当にありがとうございます。ぜひともお礼をさせてください」
俺は「不要だ」と首を振る。
情けは人のためならず。
自分にいいことが還ってくればいいと思ってしたこと。
お前のためを思ってしたことじゃないから。
そういうと「それでもいいです」と婆さんは首を振り、頭を下げた。
「あの、本当に、何かお礼をさせてください」
「いや、だから不要だ」
「そんな!」
何かしないと私の気が収まりません、と婆さんは両手を合わせて迫る。
何かといわれても。
う〜んと腕を組んで考えた末、一ついいことを思い浮かんだので聞いてみる。
「一つ、いいか」
「はい。どうぞ」
「実は今、櫛を探している」
「櫛……ですか」
「ああ」
俺は懐から小物入れを取り出して、中身を見せる。
愛用していた櫛の成れの果てを。
詳しい事情は話さず。不運なことがあってずっと使っていた愛用の櫛が踏み潰されてしまった。だから新しい櫛を探している。
金はあまり持っていないが、自分の髪に馴染む一生ものとなる櫛を手に入れたいのだと話す。
「できれば上層以外で手ごろな値段で櫛を売っている店があれば教えてくれないか」
「わかりました。ついてきてください」
「あてがあるのか」
そういうと、婆さんが微笑んだ。
「はい。櫛のことならば、私、すごく力になれそうなのです」
婆さんは先に歩き出し、こっちです、と手招きをした。
場所を教えてくれれば一人で行くのだが。そう思いつつ、まあせっかく教えてくれるならいいか、とついていった。
◆◆
「どうぞ。お入りくださいな」
「失礼する」
婆さんの案内でたどり着いたのは下層(しかも第六階層)にある工房だった。家と兼用になっているらしい。
「ただいま、戻りました」
婆さんがそう声を上げると、奥からのっそりと気難しそうな顔をした爺さんが姿を現した。いかにも職人風の恰好(作務衣というのだと後で知った)をしていると思ったら、
「うちの主人です。櫛づくりの職人をしております」
と、紹介された。
本当に職人だった。婆さんは俺の櫛のことを主人に伝える。
「こちらは鋼音さんシキ。私、危ないところを助けていただきましたの」
「……そうか」
そういって自分の妻から俺に視線を向ける爺さん。
鋭い目つきだった。
「礼をいう」
爺さんが頭を下げた。
「ウチにある櫛、好きにみていけ」
「感謝する」
ありがたいと頭を下げる。
「気に入った櫛があったら、家内にいってくれ」
そういって、爺さんは奥へと消えていった。奥が作業場だそうだ。
「無愛想な人ですみません」
「いや、別に」
頭を下げる婆さんに俺は首を振る。
むしろ好感が持てる。
たとえ身内を助けた相手であっても媚びないのはいいことだ。
早速と店内に並べてある櫛を見て回る。
さっき回ってみていた第二階層の店で見た櫛と同じものが並んでいる。
疑問に思って聞いたら「その方達のお店で売ってもらっているのです」と婆さんが答えた。
「うちの主人、櫛づくりは大の得意なのですが、人様に売るとなるとどうも駄目でして」
だから接待を得意とするアキンドに櫛を売り渡して、客に買ってもらっていると。これぞ、適材適所というヤツか。売るのが得意なアキンドと作るのが得意な職人の爺さん。分業すればお互いの利益になる。
なるほど。
「……ですが」
婆さんが溜め息を吐いた。
「ここ最近は櫛が売れてもあまり嬉しそうじゃないのです」
そう言ってから、婆さんはハッとした顔になって「すみません」と手を組んで頭を下げる。
「恩人のシキさんに聞かせる話ではありませんでした。本当にすみません。戯言をお聞かせしてしまって……」
また頭を下げようとする婆さんを手で制して、話を聞かせてくれとお願いした。不思議だったから。櫛は売れているのに、売り手は金持ちの多い第二階層にいて、作り手が貧乏人の多い第六階層にいることが。
婆さんはこんなこと話していいのかと少し考えた末、意を決したのか、顔を上げて「実は……」と口を開いた。
「魂を込めて丁寧に作り上げた主人の櫛を本当に大事に使ってくれる方があまりいなかったのが現実に身に染みてわかったからなのです」
金に飽かせて買うだけ買って、あとは使わずに捨てる者。
他人への見栄のためだけに買う者。
柄が見飽きたからなどと櫛をゴミの如く扱う者。
そんな心ない者達が実在していて、それを許しているアキンドがいるという現実に耐えられなくて、爺さんは工房を移動させた。
売り手のアキンド達は下の階層は治安が悪いし、取りに行くのが面倒になると嫌そうな顔をされたが、売る櫛がなくなると困るから渋々了承。だから工房は第六階層にある。
ここなら金に余裕のあるアキンドはめったに来ない。もともと人と話すのは得意じゃない職人からしてみれば誰にも邪魔をされず、櫛を作ることに専念できる恰好の仕事場だった。櫛づくりに集中するあまり寝食が疎かになるので、そこは婆さんが世話をしているという。
「あんなに愛想の悪いあの人と一緒にいられるのは私くらいのものですから」
「そうか」
「はい。そして」
婆さんは微笑みを浮かべた。
「これも何かの縁です」
「縁?」
「昔から私、勘がよく当たりますの」
「勘?」
「はい。長く生きてきた私の勘からいって、シキさん、貴方はきっと良いお客様です。主人の櫛を大事に使ってくださいます」
「…………」
「出会って数刻も経っていませんが私にはわかるのです」
そう言って、婆さんは胸の前で手を組んだ。
「さあ、ゆっくりとご自身にふさわしき櫛を選んでくださいませ、さシキん!」
「…………」
期待を込めた目で見られても困る。
まだ櫛を見つけていないし、第一、見つけたとしても金がない。
そこは交渉か。苦手だが、やってみるか。
◆
「おおっ」
とうとう見つけた。
俺は並べられた沢山ある中で櫛の一つを両手で取って、矯めつ眇めつ、じっくりと観る。
木目色の半円型。椿の花の柄。
手触りもよい。これなら気持ちよく髪を梳けそうだ。
値段は……当然、俺の手持ちでは全然足りない。
第二階層の店で売られていた櫛よりは値段は安いが、俺にとっては高い。
この場ですぐには買えそうにないので、代金の用意ができるまで、売らずに取り置きしてもらえないか、相談してみよう。
婆さん、店の前で誰かに話かけていた。
別の客が来たのだろうか、と見ていると、
「あ、シキさん」
と、婆さんがぱっと明るい声で俺を手招きした。
「貴方のお知り合いですよ」
「はい?」
俺の知り合いだと?
第六階層にいる知り合いなんて、キクチヨ(機械のサムライ)とマサムネ(刀鍛冶)くらいしかいないのだが。
あまりにも熱心に俺を手招きするので、店前に出てみると、
「…………」
「…………」
思いっきり、俺の知り合いがそこに佇んでいた。初めて会った時から、今の今まで、忘れたくても忘れられない赤いコートの金髪男が。
「きゅ、キュウゾウ……」
「シキ」
「お、お前、どうしてここにいる?」
「…………」
じっと見つめてくる赤い双眸。
黙っていないで答えろと睨みつけていると、
「砥石を買っていたのですよね、おサムライ様」
何故だか婆さんが代わりに答えていた。
俺は婆さんの方を向く。
砥石。そう聞いて、奴の手元を見る。
確かに石を入れた袋が下がっていた。
「はい。私の店の近くにそれを取り扱っているお店があるのです。このおサムライ様も時々、利用されておりますよ」
と、いって手のひらで恭しくキュウゾウを示す。
「え」
今のは本当かと顔を向けると、奴は小さく頷いた。たまに虹雅渓を散策していたとはいえ、知らなった。第六階層にある刀関連を扱う工房なんて、マサムネのところしかないと思っていたのに。
いや、それよりも。
「婆さん、コイツを知っているのか」
キュウゾウを指さして、聞くと「はい」と頷かれた。
「前におサムライ様に斬られそうになったところ助けてもらいました」
「ほお」
キュウゾウを見やる。奴は「偶然だった」と一言を発したが、
「それでも助けてくれたことに変わりはありません」
と婆さんは首を振って、ふわっと微笑んだ。
婆さんがいうには、第二階層で道を歩いていたらサムライとぶつかってしまった。その時は手荷物が多くあって、それが当たってしまった。
申し訳ありません、と頭を深く下げて謝ったが、その日はとてつもなく機嫌が悪かったのか、そのサムライは「無礼討ちにしてやる」と刀を抜いて斬りかかってきた。
そこに偶然通りかかったキュウゾウがサムライを倒して、婆さんは助けてもらった形となったという。
「キュウゾウ様はとてもいいおサムライ様なのです」
「…………」
にっこり笑う婆さんと無表情で無口なキュウゾウ。
並ぶ二人を交互に見て「そうか」としか言えない俺。
キュウゾウを『とてもいい人です』と笑顔で言える婆さんはある意味すごいと思った。
大抵の者達は「サムライ怖い」とか「刀、恐ろしい」とか言って、サムライに近づくのを避ける傾向にあるというのに。中でも無表情なキュウゾウは「俺に近づくな」という雰囲気を醸し出しているというのに。
婆さんはそれに気づいていないのだろうか。
恐怖や殺気などに対して鈍感なのかもしれない。
まあ、いいか。
キュウゾウについての話はこれで置いといて。
欲しい櫛が見つかった。
そのことで相談があるといって婆さんを引き連れていこうとすると何故だかキュウゾウもついてこようとしていた。
「ついて来るな」
「何故だ」
「お前には関係ないだろ」
ここは武器屋じゃない。櫛を扱う工房だ。
サムライには用がない場所だろうが。
早く最上層へ帰れと手を振る俺を婆さんは「まあまあ」と宥めて、
「いいじゃありませんか。キュウゾウ様にも見てもらいましょうよ」
という始末。何故だ。どうして奴を誘うのかと疑問を口にすれば、婆さんは「私の勘ですが」と手を組み、にこにこした顔で迫ってきた。
「お二人はとても仲がよろしいのではないですか」
「はい?」
「もしかして将来、結婚する約束などをされているのではないですか」
「違う」
即刻、否定。そんなわけあるかい。
「……悪くない」
そんなキュウゾウの呟きが後方から聞こえてきたが、無視する。
俺の耳、故障したのかもしれない。どうか聞き間違いであってくれ。
額に手を当て、息を吐き、キュウゾウを指さす。
「婆さん、俺とコイツはそんな仲じゃないから」
俺とキュウゾウは(斬り合いしただけの)ただの知り合いだから。
私の勘だか何だか知らないが変なことを言わないでほしい。
「そうですか……」
と、婆さんは肩を落として、残念そうな表情になった。
何故、気落ちする。自分の勘が外れて悲しいのか。
とりあえず気を取り直して。俺はこの櫛が気に入った。買いたいんだがいくらだと婆さんに尋ねる。婆さんは「いいえ」と首を振った。お金なんていりません、助けてもらったのだから、差し上げます、という。
手持ちのない俺には大変ありがたい申し出だった。
だがしかし。
「無償は断る」
「どうしてですか」
驚く婆さんに俺は告げる。
自分はあくまでも助けたお礼として、櫛を売っている店を紹介しろ、と言った。店というか工房を紹介してもらったので、櫛の代金は別である。
タダより高いものはない。対価を得るにはそれ相応の代償が必要だ。
それは多すぎても、少なすぎても駄目だ。
「櫛の代金はきちんと払わせてもらう。そこで一つお願いがある」
「いいですよ」
「え、いいのか?」
まだ内容も何も言っていないのだが。ポカンとする俺に婆さんは「いいですよ」とこれまたにっこりと微笑む。
恵比須顔のヘイハチといい勝負かもしれない。ただし、米サムライの場合は笑顔の裏に陰りが隠れているが。
「シキさんには助けてもらった恩がありますから。値下げでもなんでも承りますのです」
「…………」
値下げ。それはちょっと。いや、かなりありがたい。
こうして俺は、椿の木で作られたという木目色の半円型。椿柄。手触りもよい櫛の取り置きと値下げを許された。結果として必要な額は「三〇〇〇〇」から「二五〇〇〇」となった。そして、買えるまでの間に代わりにこれを使ってくれと代用の桜柄の櫛まで(こっちは無償で)貸してくれた。
代用品とは名ばかりで結構立派な代物に見えるのだが。もう買うのはこれでいいんじゃないかと思ったが、あの櫛を買おうといった手前だし、駄目か。それに。
一生ものとするのならば、あの櫛が一番いい。
手触りは当然として、貸してくれた櫛には悪いが、桜の花より椿の花の方が好みだ。椿は花を落とす様子がまるで首が落ちるみたいで縁起が悪いなんていわれているみたいだが、関係ない。他の花と違ってうららかな時に咲くのではなく、寒さの厳しい冬に咲く花。あの血みたいな赤い色も嫌いじゃない。
「待っていますのですよ~」
手を振る婆さんに軽く手を振り返して、工房を後にする。
宿までの道を歩く俺の後ろをキュウゾウが後からついてくる。
何故まだいるのか。
「ついてくるな」
「俺もこっちだ」
「…………」
どうやらこの先に昇降機があって、それを使って上層に上がるみたいだ。
自意識過剰。恥ずかしい。
奴のことを気にしているのが俺だけみたいで腹が立つ。
「うるさい。馬鹿キュウゾウ」
そう罵ってぷいと顔を背けると、
「あるのか」
いきなり質問された。どういった意図によるものか、図りかねていると、再び「あるのか」と聞かれた。
「あるのか、って何が」
「金を得る充てだ」
「……な、ないこともないかな」
「…………」
何だ、その答えは、と言ってくる赤い双眸。
うるさいな。お前には関係ないだろう、と立ち止まって、振り返る。
これは俺の問題であって、他人のキュウゾウには関係ないから。それより何より俺のことはいいからキュウゾウは早くあんなダルマアキンドの用心棒なんかやめて、サムライらしく生きる術とか探せ。
そうしたら刀である俺は――いや、違う。今はそんなこと関係なくて。
「早く帰って買った砥石で刃を研いだらどうだ」
「いわれるまでもない」
「だったら」
「買ってやろうか」
「え」
「あの櫛を」
「…………」
買ってやろうか? キュウゾウが俺に?
いや。だがしかし。どうして?
刀 相手にいい事したって、得られるものはたいしてないというのに。できるとすれば斬り合いだし。
「何が目的だ」
俺はキュウゾウを見据えた。
この道、通行人がいないので助かる。立ち止まって、黙ったまま向かい合っていても、好奇な目で眺める者も咎める者もいない。
俺はキュウゾウの答えを待った。
横一文字に結ばれていた奴の口を開いた。
「惚れている」
「え」
曇りなき赤色の眼がまっすぐに見つめてくる。
「惚れた女に喜ばれたい」
「…………」
「それだけだ」
「…………」
無表情で、平然とした口調でよくそんな恥ずかしいことが言えるな、コイツ。自分の顔に熱が溜まってくるのがわかる。異常過熱。こんな感情まで機械体で表現しなくてもいいというのに、あの馬鹿マスターは。
落ち着けと深呼吸して気持ちを切り替えてから丁重に断った。
感謝するが、キュウゾウにこれ以上、借りをつくるのは俺の自尊心が許さなかった。自分のことだから自分の手でなんとかしないと、だ。
「……そうか」
わかったと頷き、俺の横を通り抜けて、歩いていくキュウゾウ。
このまま先を行かせていいのだろうか。
最上層へ戻ってしまえばまたしばらくの間、会えなくなるだろうに。
「キュウゾウ」
俺は奴を呼び止めた。立ち止まってくれた赤い背中のもとまで歩み寄る。そして、振り向きざまに、その隙をついて、ぎゅっと抱きついてやった。
「……!」
息をのんでいる気配を感じた。
少し経ってから離れて、じっと見つめて、ふっと笑いかける。
「ありがとう」
俺個人の問題なのに心配してくれて。
予想通りというか、案の定というか。無口で無表情な奴のことだから、大きく表情を崩すことも、ひどく狼狽することもなかった。
だが、あの眠そうな目が見開かれて、ぱちぱちと瞬きを繰り返しているのは見物だった。珍しい反応もあるものだ。いつもお前からされてばかりだったから。たまには自分から仕掛けてやらないと。
「どうだ」
腰に手を当てて、顔を覗き込む。
今まで散々と、人にしてきたこの恥ずかしさが少し身に染みないか。
「…………」
返事がない。反応がない。
「おい、大丈夫か」
キュウゾウの顔の前で軽く手を振っていると、ガシッと手首を掴まれた。
声を出す間もなく、振り払う間も与えられず、ぐいっと引っ張られ、顔が目前に迫る。
「お、おい馬鹿、近いって……!」
「足りぬ」
「はい?」
「もっと触れろ」
紅い瞳に熱がこもっている。あ、これは大変なヤツだ。
待て、落ち着け、と言い聞かせても聞く耳持たず。効果は逆に増長する。反対に「お主のせいだ」と耳元で囁かれた。キュウゾウに少しは恥をかかせようとしたことに対して見事に罰が当たったのか。
見返すつもりが、逆に見返されそうになった。なりかけた。強引な行為を迫ろうとしてきた奴の手から抜け出し、命からがらといった体でなんとか逃げ出した。片手が手提げ袋でふさがっていたが今回は運がよかった。
ぜえぜえ、と息を吐きながら宿へ戻った。出迎えたのは、ニヤニヤと怪しく口元を歪めるマスターと今もまだ名前のない猫だ。
「何があったアルカ、お前」
「別に」
「キュウゾウ様絡みカ」
「うるさい」
どうせ俺の内部に仕掛けた録音装置で聞いていたくせに。
知っているくせに白々しい。
話かけるな、と睨みつけても「なあなあ」と声をかけてくるマスターを無視して、猫を抱き上げると、急いで部屋に入る。戸に鉄製の鍵はないので、勝手に侵入されないように心張棒を立てかけておくことも忘れずに。
布団に横になる。猫もゴロンと丸くなる。
腹を撫でろといわんばかりに見せつけてくるので、撫でてやる。
「みゃあ」
あまりに気持ちよさそうで微笑ましくて、自然と口元が緩む。
「…………」
猫から手を離して、仰向けになる。
自分から触れにいってしまったな、と思う。あんなにいけ好かない、腹の立つ野郎だと当人の面へ向かって言ったし、思っていたくせに。
抱き付いて行ったことに後悔はない。剣ばかりの男がまったくもって他人である俺のことを心配してくれたのだ。すごく嬉しいと感じたから、何かお返しできるものがあればと思って、ついでに仕返しできればと思ってのこと。お返しと仕返し。どちらも満たせる行為といえばアレしか思いつかなかったのだ。
「俺はアイツとどうなりたいんだろう……」
枕に顔を埋めていると、背中に重みがくる。
猫が上に乗ったみたいだ。ずっしりとくる。
「重い」
「みゃあ」
マスターの買ってくる高級な餌の食べ過ぎで太ったんじゃないか。
そう言ってやったら「うなあ~」と低く鳴いて爪を立てられた。
ああ、悪かった。やめてくれ。この黒コート、気に入っているから、バリバリ爪とぎしないでくれ。
マスターが虹雅渓に来てから間もない観光客を狙って強盗を働く悪い奴らがいるという話を知り合いのアキンドから聞き、退治してあげるからお金をくれといった。そして肝心の退治を俺にいかせた。
なんでだ。安請け合いするな。お前がいけよ、と思ったが……戦闘に飢えていた俺は承諾した。調査の結果、奴らには拠点が上層にあるとわかり、そこへ向かった。
そして問題発生。
「やってしまった……」
愛用していた櫛が壊れてしまったのだった。
強盗の奴らは倒せたのだが、いかんせん、聞いていたよりも数倍も数が多く、時間がかかってしまった。
いや、これはいいわけにすぎない。俺は楽しんでしまったのだ。
峰打ちで倒せと命令を受けていたとはいえ、やはり、久方ぶりの戦闘だったので気分が高揚して。調子に乗ってしまい、不意を突かれて。
攻撃は躱せたものの、その拍子に懐の櫛がぽんと飛び出して――。
バキン。
男たちの足に踏みつぶされてしまったのだ。櫛がないと気づいたのは翌日の早朝。髪を梳かそうとして部屋に備え付けの鏡台の前に座り、櫛を取り出そうと懐へ手を入れたところで。
「……あれ?」
ごそごそ、ごそごそ。
何度も懐の中を探っても出てこない。立ち上がって、コートを脱ぎ、両手で持って、ばさばさと振っても出てこない。
まさかと思い、昨日戦闘した場所へ行ってみると。
……無残な状態となってしまった櫛が落ちていた。
素人目にも修復は不可と判断できるぐらいに全体的に折れている。
形あるものはいずれ朽ちる。愛用の櫛もまた然り。
こうなれば仕方ない。
「新しい櫛でも買いに行くか」
新しい櫛を買うにあたって、問題が一つ。というか問題がそれしかない。買うためのお金がない。それに尽きる。
マスターの遣いによる報酬でいくらかがもらえるとはいえ、微々たるものだし、毎日やっているわけじゃないから収入が安定しない。
俺もやってみるべきなんだろうか。知り合いのサムライみたいに日雇いをしたり、アキンドの用心棒をしたり。
「ああ面倒だ……」
一人呟きながら布団の上で自分の腕を枕にして仰向けになっていると、
「みゃあ~」
部屋に猫がやってきた。
「なんだ、お前か」
「みゃあ」
とことこ歩いていると思ったら、ぴょんと跳ねて、布団の上にやってきた。そしてそのままなぜか俺の腹の上に移動する。
「おい、重い。どけ」
「みゃふ~」
猫は俺の一言に構うことなく、人の腹の上で毛繕いを始めた。この猫は以前、見知らぬ誰かの飼い猫だったが捨てられてしまい、拾ってくださいと書かれた箱の中にいた。
ある日、憂さ晴らしがしたいという身勝手な理由で男達から虐められていた現場をマスターが発見した。俺が男達を吹っ飛ばし、助けたのがきっかけで出会った。
はじめは飼う気がなかったので、ちゃんと最後まで育ててくれそうな人をマスターは探していたがよき飼い主は現れず、虹雅渓第六階層のオンボロ宿に永住が決まった猫。三毛猫のオスだ。名前はまだない。
何度どけと言っても一向に聞いてくれないので好きにさせる。お前がそうなら俺も好きにさせてもらうと猫の頭と背中と腹を撫でた。
ゴロゴロと喉を鳴らす猫を撫でながら、櫛のことを考える。買うためのお金も大事だが、その前にまずは買う櫛を見つけないと、だな。
◆◆
「……高い」
わかってはいたが本当に高い。文無し同然の身にはつらい。
どうせ買うのなら一生ものを、と虹雅渓第二階層にある店をいくつか回ってみた。店内に並べられた櫛はどれも高かった。数字の後に〇が五つ以上ついている値段のものしかない。お客様お目が高いですね、と手をすりすりとさせて笑顔で近づいてくるアキンドに、
「櫛は欲しい」
「ええ、ええ。是非と買っていってくださいな」
「だが金がない」
「……はあ?」
お金ないとかふざけているのか。
いや、ふざけていない。事実だ。
じゃあお金を準備してから出直してください。
……というやりとりで何回追い出されたことか。
金のない奴に用はないという、突き刺すような軽蔑の視線に何度見送られたことか。
「……はあ」
貧乏人と文無しにはなんともつらい時代だぜ、アキンドの時代ってやつは。今日も出直そう。
そうして第二階層から第三階層に降りて、帰路についていると、
「あ、あの、返してください!」
「誰が返すか、ばーか」
「おら、もっと出せよ」
婆さんから金を巻き上げようとしているゴロツキ二人を発見した。
通行人もいるというのに皆が皆、見て見ぬふり。
巻き込まれまい、と顔を背けながら足早に横を通り過ぎていく。
こんな光景、虹雅渓では日常茶飯事とは言わないまでも何回か散策中に見かけたな。
婆さんは辺りに視線をさまよわせる。揺れる瞳は涙目で「誰か、どなたか」と助けを求めていた。しかし誰も目を合わせようとはしなかった。
ゴロツキ二人が「なんだ、文句あるのか」と周りを脅しているのもあるし、たとえ止めようと動いたとしても後からの奴らの報復が怖いのだろう。いつもなら無視して、他の通行人達と同様に何事もなかった、見なかったように通り過ぎるのだが。
“情けは人のためならず、だよ、シキ”
“善き行いをしたことは巡り巡って自分に善きものとして還ってくるんだよ”
そういって朗らかに笑う兄上の顔が、俺の頭の中の記録が出てきた。
善きものが自分に還ってくるというならば……動いてみるのもありか。
俺は三人のもとに近づいて、婆さんへ声をかけた。
「おい」
「え」
「大丈夫か」
「あ、えっと、その……」
「おいおい」
「何だ、お前」
後方から聞こえるゴロツキ二人は無視。
婆さんに「大丈夫か」ともう一度、声をかける。
「助けてほしいか」
そう聞くと、コクコクと頷いたので、
「わかった」
婆さんの手を引いて、道の端まで移動させる。
「ここにいろ」
「わ、わかりました」
「おい、待てよ」
背後から俺の肩にゴロツキの手が触れそうになる気配。
ぞわわっと悪寒がした。
だから。
「触るな」
肩を動かして振り払い、裏拳をぶち当てた。
「ぐあっ!」
悲痛な声を上げて、痛む部分を両手で抑えて怯んでいる隙に。
後ろ回し蹴りを炸裂!
ゴロツキその一は地面に倒れる。
何が起こったのか。
ぽかんとするゴロツキその二と周辺の人々。
婆さんも「あらま!」と口元を両手で覆った。
事態をいち早く察したのはゴロツキその二で、鼻血を出して気絶しているゴロツキその一から俺へ向けた視線は怒りのものだった。
当然と言えば当然。仲間がやられたのだから。
「てめえ、よくも!」
殴りかかってきた。体をひねって回避、躱しざまに足を引っかけて、地面に転がし、起き上がる前に上から足で踏みつける。
まだ抵抗してくるので上に乗って体重をかけて動けなくした。「どけ!」「この野郎、ぶっ殺すぞ!」と何回も叫んでうるさいので、黙るまで頭を掴んで地面に叩きつける。
掴み上げては叩きつけ、掴み上げては叩きつけ、を繰り返す。
五回目を実行しようとした時に、
「参った! やめてくれ! 殺さないでくれ!」
と泣き出した。
涙と血の混じった鼻水を出した汚らしい顔がそこにあった。
「あひいい!」
ゴロツキその二は婆さんから巻き上げた金を地面に放り投げると、気絶したゴロツキその一を肩に担いで連れて逃げていった。見ていた物好きな通行人達は「恐ろしや」と走り去っていく。俺は拾った金を婆さんに渡して、その場を後にしようとしたら「待ってください」と引き留められた。
「助けていただき、ありがとうございました」
「どういたしまして、だ」
「本当にありがとうございます。ぜひともお礼をさせてください」
俺は「不要だ」と首を振る。
情けは人のためならず。
自分にいいことが還ってくればいいと思ってしたこと。
お前のためを思ってしたことじゃないから。
そういうと「それでもいいです」と婆さんは首を振り、頭を下げた。
「あの、本当に、何かお礼をさせてください」
「いや、だから不要だ」
「そんな!」
何かしないと私の気が収まりません、と婆さんは両手を合わせて迫る。
何かといわれても。
う〜んと腕を組んで考えた末、一ついいことを思い浮かんだので聞いてみる。
「一つ、いいか」
「はい。どうぞ」
「実は今、櫛を探している」
「櫛……ですか」
「ああ」
俺は懐から小物入れを取り出して、中身を見せる。
愛用していた櫛の成れの果てを。
詳しい事情は話さず。不運なことがあってずっと使っていた愛用の櫛が踏み潰されてしまった。だから新しい櫛を探している。
金はあまり持っていないが、自分の髪に馴染む一生ものとなる櫛を手に入れたいのだと話す。
「できれば上層以外で手ごろな値段で櫛を売っている店があれば教えてくれないか」
「わかりました。ついてきてください」
「あてがあるのか」
そういうと、婆さんが微笑んだ。
「はい。櫛のことならば、私、すごく力になれそうなのです」
婆さんは先に歩き出し、こっちです、と手招きをした。
場所を教えてくれれば一人で行くのだが。そう思いつつ、まあせっかく教えてくれるならいいか、とついていった。
◆◆
「どうぞ。お入りくださいな」
「失礼する」
婆さんの案内でたどり着いたのは下層(しかも第六階層)にある工房だった。家と兼用になっているらしい。
「ただいま、戻りました」
婆さんがそう声を上げると、奥からのっそりと気難しそうな顔をした爺さんが姿を現した。いかにも職人風の恰好(作務衣というのだと後で知った)をしていると思ったら、
「うちの主人です。櫛づくりの職人をしております」
と、紹介された。
本当に職人だった。婆さんは俺の櫛のことを主人に伝える。
「こちらは鋼音さんシキ。私、危ないところを助けていただきましたの」
「……そうか」
そういって自分の妻から俺に視線を向ける爺さん。
鋭い目つきだった。
「礼をいう」
爺さんが頭を下げた。
「ウチにある櫛、好きにみていけ」
「感謝する」
ありがたいと頭を下げる。
「気に入った櫛があったら、家内にいってくれ」
そういって、爺さんは奥へと消えていった。奥が作業場だそうだ。
「無愛想な人ですみません」
「いや、別に」
頭を下げる婆さんに俺は首を振る。
むしろ好感が持てる。
たとえ身内を助けた相手であっても媚びないのはいいことだ。
早速と店内に並べてある櫛を見て回る。
さっき回ってみていた第二階層の店で見た櫛と同じものが並んでいる。
疑問に思って聞いたら「その方達のお店で売ってもらっているのです」と婆さんが答えた。
「うちの主人、櫛づくりは大の得意なのですが、人様に売るとなるとどうも駄目でして」
だから接待を得意とするアキンドに櫛を売り渡して、客に買ってもらっていると。これぞ、適材適所というヤツか。売るのが得意なアキンドと作るのが得意な職人の爺さん。分業すればお互いの利益になる。
なるほど。
「……ですが」
婆さんが溜め息を吐いた。
「ここ最近は櫛が売れてもあまり嬉しそうじゃないのです」
そう言ってから、婆さんはハッとした顔になって「すみません」と手を組んで頭を下げる。
「恩人のシキさんに聞かせる話ではありませんでした。本当にすみません。戯言をお聞かせしてしまって……」
また頭を下げようとする婆さんを手で制して、話を聞かせてくれとお願いした。不思議だったから。櫛は売れているのに、売り手は金持ちの多い第二階層にいて、作り手が貧乏人の多い第六階層にいることが。
婆さんはこんなこと話していいのかと少し考えた末、意を決したのか、顔を上げて「実は……」と口を開いた。
「魂を込めて丁寧に作り上げた主人の櫛を本当に大事に使ってくれる方があまりいなかったのが現実に身に染みてわかったからなのです」
金に飽かせて買うだけ買って、あとは使わずに捨てる者。
他人への見栄のためだけに買う者。
柄が見飽きたからなどと櫛をゴミの如く扱う者。
そんな心ない者達が実在していて、それを許しているアキンドがいるという現実に耐えられなくて、爺さんは工房を移動させた。
売り手のアキンド達は下の階層は治安が悪いし、取りに行くのが面倒になると嫌そうな顔をされたが、売る櫛がなくなると困るから渋々了承。だから工房は第六階層にある。
ここなら金に余裕のあるアキンドはめったに来ない。もともと人と話すのは得意じゃない職人からしてみれば誰にも邪魔をされず、櫛を作ることに専念できる恰好の仕事場だった。櫛づくりに集中するあまり寝食が疎かになるので、そこは婆さんが世話をしているという。
「あんなに愛想の悪いあの人と一緒にいられるのは私くらいのものですから」
「そうか」
「はい。そして」
婆さんは微笑みを浮かべた。
「これも何かの縁です」
「縁?」
「昔から私、勘がよく当たりますの」
「勘?」
「はい。長く生きてきた私の勘からいって、シキさん、貴方はきっと良いお客様です。主人の櫛を大事に使ってくださいます」
「…………」
「出会って数刻も経っていませんが私にはわかるのです」
そう言って、婆さんは胸の前で手を組んだ。
「さあ、ゆっくりとご自身にふさわしき櫛を選んでくださいませ、さシキん!」
「…………」
期待を込めた目で見られても困る。
まだ櫛を見つけていないし、第一、見つけたとしても金がない。
そこは交渉か。苦手だが、やってみるか。
◆
「おおっ」
とうとう見つけた。
俺は並べられた沢山ある中で櫛の一つを両手で取って、矯めつ眇めつ、じっくりと観る。
木目色の半円型。椿の花の柄。
手触りもよい。これなら気持ちよく髪を梳けそうだ。
値段は……当然、俺の手持ちでは全然足りない。
第二階層の店で売られていた櫛よりは値段は安いが、俺にとっては高い。
この場ですぐには買えそうにないので、代金の用意ができるまで、売らずに取り置きしてもらえないか、相談してみよう。
婆さん、店の前で誰かに話かけていた。
別の客が来たのだろうか、と見ていると、
「あ、シキさん」
と、婆さんがぱっと明るい声で俺を手招きした。
「貴方のお知り合いですよ」
「はい?」
俺の知り合いだと?
第六階層にいる知り合いなんて、キクチヨ(機械のサムライ)とマサムネ(刀鍛冶)くらいしかいないのだが。
あまりにも熱心に俺を手招きするので、店前に出てみると、
「…………」
「…………」
思いっきり、俺の知り合いがそこに佇んでいた。初めて会った時から、今の今まで、忘れたくても忘れられない赤いコートの金髪男が。
「きゅ、キュウゾウ……」
「シキ」
「お、お前、どうしてここにいる?」
「…………」
じっと見つめてくる赤い双眸。
黙っていないで答えろと睨みつけていると、
「砥石を買っていたのですよね、おサムライ様」
何故だか婆さんが代わりに答えていた。
俺は婆さんの方を向く。
砥石。そう聞いて、奴の手元を見る。
確かに石を入れた袋が下がっていた。
「はい。私の店の近くにそれを取り扱っているお店があるのです。このおサムライ様も時々、利用されておりますよ」
と、いって手のひらで恭しくキュウゾウを示す。
「え」
今のは本当かと顔を向けると、奴は小さく頷いた。たまに虹雅渓を散策していたとはいえ、知らなった。第六階層にある刀関連を扱う工房なんて、マサムネのところしかないと思っていたのに。
いや、それよりも。
「婆さん、コイツを知っているのか」
キュウゾウを指さして、聞くと「はい」と頷かれた。
「前におサムライ様に斬られそうになったところ助けてもらいました」
「ほお」
キュウゾウを見やる。奴は「偶然だった」と一言を発したが、
「それでも助けてくれたことに変わりはありません」
と婆さんは首を振って、ふわっと微笑んだ。
婆さんがいうには、第二階層で道を歩いていたらサムライとぶつかってしまった。その時は手荷物が多くあって、それが当たってしまった。
申し訳ありません、と頭を深く下げて謝ったが、その日はとてつもなく機嫌が悪かったのか、そのサムライは「無礼討ちにしてやる」と刀を抜いて斬りかかってきた。
そこに偶然通りかかったキュウゾウがサムライを倒して、婆さんは助けてもらった形となったという。
「キュウゾウ様はとてもいいおサムライ様なのです」
「…………」
にっこり笑う婆さんと無表情で無口なキュウゾウ。
並ぶ二人を交互に見て「そうか」としか言えない俺。
キュウゾウを『とてもいい人です』と笑顔で言える婆さんはある意味すごいと思った。
大抵の者達は「サムライ怖い」とか「刀、恐ろしい」とか言って、サムライに近づくのを避ける傾向にあるというのに。中でも無表情なキュウゾウは「俺に近づくな」という雰囲気を醸し出しているというのに。
婆さんはそれに気づいていないのだろうか。
恐怖や殺気などに対して鈍感なのかもしれない。
まあ、いいか。
キュウゾウについての話はこれで置いといて。
欲しい櫛が見つかった。
そのことで相談があるといって婆さんを引き連れていこうとすると何故だかキュウゾウもついてこようとしていた。
「ついて来るな」
「何故だ」
「お前には関係ないだろ」
ここは武器屋じゃない。櫛を扱う工房だ。
サムライには用がない場所だろうが。
早く最上層へ帰れと手を振る俺を婆さんは「まあまあ」と宥めて、
「いいじゃありませんか。キュウゾウ様にも見てもらいましょうよ」
という始末。何故だ。どうして奴を誘うのかと疑問を口にすれば、婆さんは「私の勘ですが」と手を組み、にこにこした顔で迫ってきた。
「お二人はとても仲がよろしいのではないですか」
「はい?」
「もしかして将来、結婚する約束などをされているのではないですか」
「違う」
即刻、否定。そんなわけあるかい。
「……悪くない」
そんなキュウゾウの呟きが後方から聞こえてきたが、無視する。
俺の耳、故障したのかもしれない。どうか聞き間違いであってくれ。
額に手を当て、息を吐き、キュウゾウを指さす。
「婆さん、俺とコイツはそんな仲じゃないから」
俺とキュウゾウは(斬り合いしただけの)ただの知り合いだから。
私の勘だか何だか知らないが変なことを言わないでほしい。
「そうですか……」
と、婆さんは肩を落として、残念そうな表情になった。
何故、気落ちする。自分の勘が外れて悲しいのか。
とりあえず気を取り直して。俺はこの櫛が気に入った。買いたいんだがいくらだと婆さんに尋ねる。婆さんは「いいえ」と首を振った。お金なんていりません、助けてもらったのだから、差し上げます、という。
手持ちのない俺には大変ありがたい申し出だった。
だがしかし。
「無償は断る」
「どうしてですか」
驚く婆さんに俺は告げる。
自分はあくまでも助けたお礼として、櫛を売っている店を紹介しろ、と言った。店というか工房を紹介してもらったので、櫛の代金は別である。
タダより高いものはない。対価を得るにはそれ相応の代償が必要だ。
それは多すぎても、少なすぎても駄目だ。
「櫛の代金はきちんと払わせてもらう。そこで一つお願いがある」
「いいですよ」
「え、いいのか?」
まだ内容も何も言っていないのだが。ポカンとする俺に婆さんは「いいですよ」とこれまたにっこりと微笑む。
恵比須顔のヘイハチといい勝負かもしれない。ただし、米サムライの場合は笑顔の裏に陰りが隠れているが。
「シキさんには助けてもらった恩がありますから。値下げでもなんでも承りますのです」
「…………」
値下げ。それはちょっと。いや、かなりありがたい。
こうして俺は、椿の木で作られたという木目色の半円型。椿柄。手触りもよい櫛の取り置きと値下げを許された。結果として必要な額は「三〇〇〇〇」から「二五〇〇〇」となった。そして、買えるまでの間に代わりにこれを使ってくれと代用の桜柄の櫛まで(こっちは無償で)貸してくれた。
代用品とは名ばかりで結構立派な代物に見えるのだが。もう買うのはこれでいいんじゃないかと思ったが、あの櫛を買おうといった手前だし、駄目か。それに。
一生ものとするのならば、あの櫛が一番いい。
手触りは当然として、貸してくれた櫛には悪いが、桜の花より椿の花の方が好みだ。椿は花を落とす様子がまるで首が落ちるみたいで縁起が悪いなんていわれているみたいだが、関係ない。他の花と違ってうららかな時に咲くのではなく、寒さの厳しい冬に咲く花。あの血みたいな赤い色も嫌いじゃない。
「待っていますのですよ~」
手を振る婆さんに軽く手を振り返して、工房を後にする。
宿までの道を歩く俺の後ろをキュウゾウが後からついてくる。
何故まだいるのか。
「ついてくるな」
「俺もこっちだ」
「…………」
どうやらこの先に昇降機があって、それを使って上層に上がるみたいだ。
自意識過剰。恥ずかしい。
奴のことを気にしているのが俺だけみたいで腹が立つ。
「うるさい。馬鹿キュウゾウ」
そう罵ってぷいと顔を背けると、
「あるのか」
いきなり質問された。どういった意図によるものか、図りかねていると、再び「あるのか」と聞かれた。
「あるのか、って何が」
「金を得る充てだ」
「……な、ないこともないかな」
「…………」
何だ、その答えは、と言ってくる赤い双眸。
うるさいな。お前には関係ないだろう、と立ち止まって、振り返る。
これは俺の問題であって、他人のキュウゾウには関係ないから。それより何より俺のことはいいからキュウゾウは早くあんなダルマアキンドの用心棒なんかやめて、サムライらしく生きる術とか探せ。
そうしたら刀である俺は――いや、違う。今はそんなこと関係なくて。
「早く帰って買った砥石で刃を研いだらどうだ」
「いわれるまでもない」
「だったら」
「買ってやろうか」
「え」
「あの櫛を」
「…………」
買ってやろうか? キュウゾウが俺に?
いや。だがしかし。どうして?
「何が目的だ」
俺はキュウゾウを見据えた。
この道、通行人がいないので助かる。立ち止まって、黙ったまま向かい合っていても、好奇な目で眺める者も咎める者もいない。
俺はキュウゾウの答えを待った。
横一文字に結ばれていた奴の口を開いた。
「惚れている」
「え」
曇りなき赤色の眼がまっすぐに見つめてくる。
「惚れた女に喜ばれたい」
「…………」
「それだけだ」
「…………」
無表情で、平然とした口調でよくそんな恥ずかしいことが言えるな、コイツ。自分の顔に熱が溜まってくるのがわかる。異常過熱。こんな感情まで機械体で表現しなくてもいいというのに、あの馬鹿マスターは。
落ち着けと深呼吸して気持ちを切り替えてから丁重に断った。
感謝するが、キュウゾウにこれ以上、借りをつくるのは俺の自尊心が許さなかった。自分のことだから自分の手でなんとかしないと、だ。
「……そうか」
わかったと頷き、俺の横を通り抜けて、歩いていくキュウゾウ。
このまま先を行かせていいのだろうか。
最上層へ戻ってしまえばまたしばらくの間、会えなくなるだろうに。
「キュウゾウ」
俺は奴を呼び止めた。立ち止まってくれた赤い背中のもとまで歩み寄る。そして、振り向きざまに、その隙をついて、ぎゅっと抱きついてやった。
「……!」
息をのんでいる気配を感じた。
少し経ってから離れて、じっと見つめて、ふっと笑いかける。
「ありがとう」
俺個人の問題なのに心配してくれて。
予想通りというか、案の定というか。無口で無表情な奴のことだから、大きく表情を崩すことも、ひどく狼狽することもなかった。
だが、あの眠そうな目が見開かれて、ぱちぱちと瞬きを繰り返しているのは見物だった。珍しい反応もあるものだ。いつもお前からされてばかりだったから。たまには自分から仕掛けてやらないと。
「どうだ」
腰に手を当てて、顔を覗き込む。
今まで散々と、人にしてきたこの恥ずかしさが少し身に染みないか。
「…………」
返事がない。反応がない。
「おい、大丈夫か」
キュウゾウの顔の前で軽く手を振っていると、ガシッと手首を掴まれた。
声を出す間もなく、振り払う間も与えられず、ぐいっと引っ張られ、顔が目前に迫る。
「お、おい馬鹿、近いって……!」
「足りぬ」
「はい?」
「もっと触れろ」
紅い瞳に熱がこもっている。あ、これは大変なヤツだ。
待て、落ち着け、と言い聞かせても聞く耳持たず。効果は逆に増長する。反対に「お主のせいだ」と耳元で囁かれた。キュウゾウに少しは恥をかかせようとしたことに対して見事に罰が当たったのか。
見返すつもりが、逆に見返されそうになった。なりかけた。強引な行為を迫ろうとしてきた奴の手から抜け出し、命からがらといった体でなんとか逃げ出した。片手が手提げ袋でふさがっていたが今回は運がよかった。
ぜえぜえ、と息を吐きながら宿へ戻った。出迎えたのは、ニヤニヤと怪しく口元を歪めるマスターと今もまだ名前のない猫だ。
「何があったアルカ、お前」
「別に」
「キュウゾウ様絡みカ」
「うるさい」
どうせ俺の内部に仕掛けた録音装置で聞いていたくせに。
知っているくせに白々しい。
話かけるな、と睨みつけても「なあなあ」と声をかけてくるマスターを無視して、猫を抱き上げると、急いで部屋に入る。戸に鉄製の鍵はないので、勝手に侵入されないように心張棒を立てかけておくことも忘れずに。
布団に横になる。猫もゴロンと丸くなる。
腹を撫でろといわんばかりに見せつけてくるので、撫でてやる。
「みゃあ」
あまりに気持ちよさそうで微笑ましくて、自然と口元が緩む。
「…………」
猫から手を離して、仰向けになる。
自分から触れにいってしまったな、と思う。あんなにいけ好かない、腹の立つ野郎だと当人の面へ向かって言ったし、思っていたくせに。
抱き付いて行ったことに後悔はない。剣ばかりの男がまったくもって他人である俺のことを心配してくれたのだ。すごく嬉しいと感じたから、何かお返しできるものがあればと思って、ついでに仕返しできればと思ってのこと。お返しと仕返し。どちらも満たせる行為といえばアレしか思いつかなかったのだ。
「俺はアイツとどうなりたいんだろう……」
枕に顔を埋めていると、背中に重みがくる。
猫が上に乗ったみたいだ。ずっしりとくる。
「重い」
「みゃあ」
マスターの買ってくる高級な餌の食べ過ぎで太ったんじゃないか。
そう言ってやったら「うなあ~」と低く鳴いて爪を立てられた。
ああ、悪かった。やめてくれ。この黒コート、気に入っているから、バリバリ爪とぎしないでくれ。
