第四話
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◆
目覚めると、俺はマスターの馴染みの診療所で布団に横たわっていた。血みどろの黒コートは脱がされ、いかにも清潔で真っ白な服に着替えさせられていた。
俺が意識を取り戻したことを伝手で聞いたのだろう。あくる日の昼過ぎ、マスターが個室にやってきた。
「お前を連れてくるよう、キュウゾウ様へ頼んだのはワタシだヨ」
寝床近くの椅子を引き寄せて座ると、マスターは開口一番そういった。
「そうか」
特に驚きはしなかった。虹雅渓で俺のことを気にかける奴なんて、思いつくのはマスターくらいしかいないから。
「マスター」
「何アルカ」
「お前、よくキュウゾウを動かせたな」
キュウゾウはアヤマロの用心棒のはずだ。
それが何故、雇い主でもなければ、上層のアキンドでもない、虹雅渓の第六階層でオンボロ宿を営むアキンドなんかの頼みを聞いたのだろうか。
「何だ、そんなことかヨ」
と、マスターは肩をすくめる。
「ワタシが、キュウゾウ様に会って人斬りをお願いした、ただそれだけダヨ」
マスターは語った。
俺が朝倉と白仮面達の始末をつけてから虹雅渓を旅立とうとした日、朝から宿にいなかったのは、キュウゾウを尋ねに行っていたからだという。
奴が一人でいるところで会うために、マスターは己独自で作り上げた虹雅渓の情報網を使って、キュウゾウの行動パターンを調べていたのだという。
「まあ、でも、さすがおサムライ様といったところアルカ」
「…………」
「ワタシが探りを入れていたことなんて、とっくにお見通しだったネ」
遣いの一人から、キュウゾウがよく上層の高台に上って、一人空を眺めているという情報を聞き出したマスターは自らその場所へ赴いた。
“おサムライ様、ニイハオ”
“…………”
“お話、いいアルカ?”
突然現れ、声をかけてきたマスターにキュウゾウは驚きもせず、無表情でいたという。
「ワタシ、全部お話したアル。虹雅渓の秩序を乱そうと画策し、活動する集団が虹雅渓に潜伏していることを。このままだとアヤマロ様が危険だってネ」
朝倉率いる白仮面の特徴と調べ上げた潜伏先を残らず伝えると、どうか奴らを斬ってくれないかと頼み、頭を下げた。
しかし何の返答もなかった。
マスターが顔を上げれば、キュウゾウは背を向け、黙ったまま空を仰ぎ眺めていた。
「話を聞く聞かない以前に、ワタシの存在を認知しているかどうかを疑ってしまう反応だったアル」
「そうか」
「おサムライ様って変わり者ばかりアルナ」
マスターはそう言い、煙管を取り出して吸おうとしたが、今いる場所が診療所内だったことに気付き、やむなしと懐にしまった。
「それで、どうしたんだ」
話がここで終われば、キュウゾウが俺の前に現れたことの説明がつかない。俺は続きを促した。
マスターは腕を組み、だからナ、と切り出した。
「お前を売ったアル」
「……はい?」
この馬鹿マスター、今なんて言った?
訝し気に見遣ると、マスターは腰に手をあて、「だから」と人差し指を立てた。
「お前のことを煮たり焼いたり好きにしていいから、動いてくれって頼んだアル」
キュウゾウの反応があったことはすぐにわかった。アヤマロに危機が迫っていると話していた時と打って変わって、キュウゾウはマスターの方に向き直ると、
“どこにいる”
と、間も置かず聞いてきたらしい。
その一言を承諾ととらえたマスターは俺が行きそうな場所をいくつか挙げた。俺が強く抵抗した際には死なない程度にボコボコにして、最後にコレを飲ませてやってくれと睡眠薬まで持たせたという。
マスターを殴りたい衝動を抑えつつ、他に何か話をしたのかと聞くと衝撃的なことを口にした。
「これもお礼になるかと思って、ワタシ、宿の場所を教えてあげたアル。お前もずっと泊っているってネ」
「え」
「白仮面の一人がお前の知り合いで、お前を仲間にしようとして、脅しているって話もしたアル」
と、言った。
後者はいいが、前者は駄目だ。
とうとう、キュウゾウに俺の滞在先を知られてしまった。
「マスター、お前はなんてことを……!」
本当の本当に、なんてことをしてくれたんだ。
起こってほしくないと願っていたことが実際に起こってしまった。
もはや殴る気力も失せ、頭を抱えていると、マスターの鼻を鳴らした音が耳に入った。
「宿の場所を知られたって、別に良いじゃないアルカ」
「全然よくない。大体、マスターはいいのか?」
キュウゾウに知られるということは、奴を通じてアヤマロに何かしら伝わるということだぞと詰問口調で言ったが、マスターは気に病むことなく平然としていた。
「それなら大丈夫アルヨ。あのおサムライ様は余計なことは言わないネ。お前だってそう思わないアルカ」
「……まあ、確かに」
誰彼構わずベラベラと話すキュウゾウなんて想像もできない。むしろ全くの別人だわ。
「それに」
マスターは口をヘの字にして俺に人差し指を向ける。
「あの人はお前と違って文無しじゃないし、仕事はちゃんとしているアル。お前に構っていられる程、暇人じゃないネ」
「うぐ……」
痛いところを突かれた。
確かに自意識過剰が過ぎたのかもしれない。
そうかもしれないが。
ふと、指でそっと唇に触れてみる。
脳裏に浮かぶのは抱きしめられた時に向けられたキュウゾウの笑みと、何度もされた口づけであった。まだあの時の熱が、あの感触が残っている。
頭を大きく振って追い出そうとしても奴の顔は消えてくれない。
「何やっているアルカ、お前。頭、大丈夫アルカ?」
「うるさい。ほっといてくれ……」
布団に顔を埋め、大きな溜息を吐き出す。
思い出さなきゃよかった。
穴があったら入りたい。
なんなら俺が掘ってもいいから。
途中、俺の様子を診にきた(マスターの知り合いで口調がよく似ている)医者に床をぶち抜いて穴を掘ることを試しに申し出たら「金を払えるならやっていいアルヨ」と言われた。
金があるならやってもいいのかと逆に驚いてしまった。穴を掘ることは諦め、その代わりに寝床へと潜り込み、横になる。
「さて、ワタシそろそろ行くアル」
マスターの声が布団越しに聞こえた。
「そういえば、機械のサムライと刀鍛冶の爺さんはもう元気になったアルヨ」
「……そうか」
二人とも無事に退院したのか。
良かったと呟くと「あ、それと」とマスターは続ける。
「お前、ヘイハチ様に会ったら、謝った方がいいアルヨ」
「え」
何故だ、と布団から顔を出すと「当たり前アルヨ」と息を吐かれた。
「お前が奴らを斬ったことを教えたら、めちゃめちゃ怒っていたアルヨ。巻き込むまいと一人で抱え込んで、一人で行動に出るなんて、って言って」
「ヘイハチが?」
「いつもの笑顔が消えて両目をカッと開いて、とても怖かったアルヨ」
「そうか……」
「普段、穏やかな人が怒ると怖いってよく聞くアルが……アレはマジもんアルナ。おお怖い、怖い」
マスターはブルブルと体を震わせ、個室を後にした。
◆◆◆◆
入院生活三日目。
そして実際、マスターの言う通りになった。
「面会人が来たアルヨ」
と、医者に言われ、個室に姿を現したのはヘイハチだった。
「ヘイハチ……」
「…………」
いつもだったら「こんにちは」とか「お久しぶりです」とか挨拶から始まりそうなものを、この日のヘイハチは違った。
遠くからでも分かる。ひしひしと怒気が伝わってくる。ヘイハチがこちらに向かって歩いてくるときから、近くの椅子に腰かけるまでの間、俺は目を逸らすことなく、じっとしていた。
「…………」
「…………」
お互い、無言で見つめ合うこと数秒。
口火を切ったのはヘイハチだった。
「シキ殿」
「…………」
「私の言いたいこと、分かりますか?」
俺が黙ったまま頷くと、ヘイハチは勢いよく立ち上がり、手を振り上げる。
「……ッ」
が、ヘイハチは俺の頬を叩く寸前で手を止めた。
反論もせず、抵抗もせず。
受け入れようとする俺を不可解に見つめている。
「どうした」
やらないのか、と俺が言うと、ヘイハチは「どうして……?」と歯噛みする。
「どうして、何も言わないのですか?」
「……ヘイハチの対応は至極当然だと思ったから」
逆の立場だったら……と考えてみた。
友が危ない目に遭っていたら。
何か事件に巻き込まれていたとしたら。
なんとか力になってやりたいと、助けたいと思うだろう。だが俺は、白仮面を斬った後はこれ以上、私事に巻き込むまいとして何も言わずに目の前から消えようとした。
それが一番の最善策だと考えたが故に。
「俺は、ヘイハチがこれ以上脅され、狙われるのは許せなかった」
「だからって……自ら犠牲になれば、私が喜ぶとでも?」
「いや」
俺は首を振る。
自己犠牲する気は更々ない。
むしろ、自分のためになると思ったからやった。
それがヘイハチやキクチヨ、マサムネのためにもなると思って。
「俺はただ選んだだけだ。その選択と行動によって、俺がヘイハチから嫌われたり、憎まれたりしたとしても、お前には生きてほしかったから」
「…………」
「どう思うのかはヘイハチの自由だ。俺がどうこうできるものじゃない」
「…………」
個室はしばらくの間、沈黙が続いた。
先に口を開いたのはヘイハチで、椅子に座り直すと深い溜め息を吐いた。
「ほんっと……かないませんねえ」
「ヘイハチ?」
「そんなこと言われてしまったら……貴方のこと、嫌いになんてなれませんよ」
ずるいです、と言ってヘイハチは両手を伸ばすと、俺の頬を掴んで引っ張る。
「にゃにをしゅるんだ」
「何って、お仕置きです。今回はこれくらいで……許してあげます」
「しょうか」
「はい。でも、次はありませんから」
「そうか」
「はい」
ヘイハチの表情はいつもの笑顔に戻っていた。
ただ「許す」という言葉を発した時に少しだけ顔に陰りがあった。
恐らくそれはヘイハチの心の傷、今でも苛んで止まない苦く辛い過去に繋がるものと思い、あえて聞き返しはしなかった。
いつの日か、ヘイハチが己の過去を打ち明けてもいいと、身を委ねようと想える人物が現れることを祈る。それは今もなお、生き続けていなければできないことだから。
「そろそろお暇します」
立ち上がり、部屋の戸口に手をかけたヘイハチの背に俺は声をかける。
「何です?」
「薪割り、また手伝ってくれないか」
今度は米を報酬にするようマスターにいっておくから、と付け加える。振り返ったヘイハチは入室前とはすっかり変わり、穏やかな笑顔だった。
「はい。是非ともお願います」
◆◆◆◆
入院生活四日目。
今度はキクチヨとマサムネがやってきた。見舞いだと言って、果物の詰め合わせをいただく。
「それ食って、早く元気になりなよ」
「感謝する……ん?」
大きめの籠にしては中身がやけに少ないと見ていると、椅子に座ったマサムネが「コイツのせいでね」と後方に立つキクチヨを指差す。
医者からの面会許可を待っている間に、腐るからと言ってキクチヨが食べてしまったらしい。残っているのは黄色く反った果物だけ。皮を剥いて食べるもののようだ。
「すまないねぇ、姉ちゃん」
マサムネは頭を下げ、「お前も謝れ」とキクチヨを肩越しに睨む。当の本人は腕を組んでそっぽを向いている。
「待たせる医者が悪い。俺様は悪くない」
そう言って、首の排気管をプシューと噴射した。
キクチヨに注意をしようとするマサムネに、俺は首を振る。
「別にいい。二人がお見舞いに来てくれただけでも嬉しい」
「姉ちゃんは心が広いねぇ」
「そうか?」
「ほら聞いたか、とっつぁん。シキもいいって言ってるじゃねぇか」
「おめぇは少し反省しろ、馬鹿」
「うるせぇ」
悪態を吐きあうキクチヨとマサムネ、いつもの光景に頬が緩む。元気になった二人の顔を見られて、本当によかった。
聞くところによると、今回の事件の事情について、二人はマスターから状況説明を受けたという。それを聞くと、頭を下げるべきはむしろ俺なのでは。
「二人を巻き込んでしまって、すまなかった」
頭を下げると、マサムネは「いいんだ」と手を振る。
「悪いのは奴らであって、お前さんじゃないだろ」
「マサムネ……」
「そうだぜ、シキ。それによ、アイツ等、鉄砲なんて卑怯な物使いやがってよぉ。あんなのサムライじゃねぇぜ」
「キクチヨ……」
「そうだろ! サムライといやぁ、刀で戦うモンだろうが!」
キクチヨは奴らとの戦闘を思い出したのか、壁に立てかけていた大太刀をとって振り回し始めた。
マサムネがギリギリで避ける。
「おいキクの字、危ないだろうが!」
「マサムネ、こっち」
俺はマサムネを呼んで、反対側に来るように伝えると、再びやってくる大太刀を片手で受け止めた。
「なっ!」
「ほお」
キクチヨの驚愕した声とマサムネの感心した声が同時に上がる。
「いい加減にしておけ、キクチヨ」
「シキ、おめぇ」
「お前の刀、圧し折るぞ」
俺は刀を掴む手に力を込めようとすると、ハッとしてすぐに引っ込めた。
「わ、悪い。ちょっと熱くなっていたぜ」
「そうか。ならいい」
キクチヨの咆哮を聞きつけて、医者が個室にやってきた。面倒事はやめてくれという顔を隠そうともしていない。
ここで何があったのかを場の空気とキクチヨが大刀を手にしているところから察したらしく、医者は「気を付けろ」とキクチヨに向けてひとこと言っただけで、部屋を去って行った。マサムネは椅子のある位置に戻り、腰かけると息を吐いた。
「キクの字、よかったな。危うく弁償金を払わせられるところだったぜ」
「うるせぇ!」
キクチヨの怒声を他所に、マサムネは「そういえば」と俺を見遣る。
「マスター殿から言われたんだがね」
「ん?」
「あっしとキクの字の治療代についてはタダでいいって言われたんだが……アレは本当なのかね?」
訝し気なマサムネに、俺は「大丈夫だ」と頷く。
「俺もマスターから聞いている。二人に費用は請求しないって」
「そうかい。普通はとられるもんだが……どういった理屈なのかね」
「さあな」
とぼけたフリには気づかれなかったようで、内心ホッとする。
タダより高いものはなし。
当然だが二人の治療は無料じゃない。
二人の費用は俺が請け負うことになったからだ。
そうなった理由はマスターからの提案である。
マスターがやって来た日、キュウゾウを向かわせた話とヘイハチが俺のことを怒っている話をして、部屋を出て行ったその後。
「一つ、言い忘れていたアル」
と、マスターはすぐに戻ってきた。
「お前の治療費だけどナ、アレはワタシ、払うアルヨ」
「え? そんなことしていいのか、マスター」
「本当なら駄目アルヨ」
「だよな」
「特例中の特例ダヨ」
ただし、とマスターは人差し指を立てる。
「代わりにお前は、機械のサムライと爺さんの治療費を払うヨロシ」
「分かった」
俺が頷くと、マスターはキョトンとした。
即答されたことが意外だったようだ。
断られると思っていたのだろうか。
「い、いいのかヨ。お前よりあの二人の方が治療費は断然、高いアルヨ。本当に分かっているアルカ」
「ああ。承知の上だ」
「マジかヨ」
「それよりも、その支払いってヤツに期限はあるのか」
「…………」
マスターは腕を組んで、少し思案した後、仕方ないネと顔を上げる。
「期限は設けないよう、ワタシから医者に交渉してやるヨ」
「そうか。感謝する」
俺が頭を下げると、マスターは「また来るアル」と病室を出て行った。こうして、俺は二人の治療費を払うためにマスターの宿にまたしばらくの間、滞在することになった。
全額納めるまでは虹雅渓を出ることは許されない。途中で逃げ出すようなら地の果てまで追いかけ、医者に臓器を売り飛ばすと警告された。
アキンドのくせに、やっていることがヤクザと変わらないのが可笑しかった。
「…………」
窓の外を見る。
鍛錬をやるにはうってつけの天気。
青い空。
早く退院して体を思い切り動かしたかった。
◆◆◆◆
入院生活五日目。
暇だった。
正直、俺としてはもう退院してもいいのだが、マスターからは「七日間はいるヨロシ」と言われ、大人しく病院にいる。
だからといって、布団の上でじっとしているのは退屈極まりない。よって診察以外の自由時間は体を鈍らせないよう、個室で一人、腕立て伏せや屈伸運動などをしていると、換気のために開けていた窓から何かが飛んできた。
バシッ。
片手で掴んで受け止め見ると、それは矢だった。
文が結びつけてある。開くとそこには一言 “早く治せ” と書いてあった。
窓に寄って外を見遣ると、向こうの層へと渡る橋の付近に赤色の背中が見えた。
「…………」
どう見てもキュウゾウだった。振り向くことなく去って行く。
奴なりの、お見舞いのつもりなのだろうか。
だとしても矢文とはいかがなものか。
「当たったら、どうする気だったんだよ」
まあ、別にいいけど。
一つ嘆息しつつ、赤い背中が向こうに消えるまで見ていた。キュウゾウを見送ってから文を矢に結び直して、台に置くと、深呼吸をし、気を取り直してから再び鍛錬を開始した。
目覚めると、俺はマスターの馴染みの診療所で布団に横たわっていた。血みどろの黒コートは脱がされ、いかにも清潔で真っ白な服に着替えさせられていた。
俺が意識を取り戻したことを伝手で聞いたのだろう。あくる日の昼過ぎ、マスターが個室にやってきた。
「お前を連れてくるよう、キュウゾウ様へ頼んだのはワタシだヨ」
寝床近くの椅子を引き寄せて座ると、マスターは開口一番そういった。
「そうか」
特に驚きはしなかった。虹雅渓で俺のことを気にかける奴なんて、思いつくのはマスターくらいしかいないから。
「マスター」
「何アルカ」
「お前、よくキュウゾウを動かせたな」
キュウゾウはアヤマロの用心棒のはずだ。
それが何故、雇い主でもなければ、上層のアキンドでもない、虹雅渓の第六階層でオンボロ宿を営むアキンドなんかの頼みを聞いたのだろうか。
「何だ、そんなことかヨ」
と、マスターは肩をすくめる。
「ワタシが、キュウゾウ様に会って人斬りをお願いした、ただそれだけダヨ」
マスターは語った。
俺が朝倉と白仮面達の始末をつけてから虹雅渓を旅立とうとした日、朝から宿にいなかったのは、キュウゾウを尋ねに行っていたからだという。
奴が一人でいるところで会うために、マスターは己独自で作り上げた虹雅渓の情報網を使って、キュウゾウの行動パターンを調べていたのだという。
「まあ、でも、さすがおサムライ様といったところアルカ」
「…………」
「ワタシが探りを入れていたことなんて、とっくにお見通しだったネ」
遣いの一人から、キュウゾウがよく上層の高台に上って、一人空を眺めているという情報を聞き出したマスターは自らその場所へ赴いた。
“おサムライ様、ニイハオ”
“…………”
“お話、いいアルカ?”
突然現れ、声をかけてきたマスターにキュウゾウは驚きもせず、無表情でいたという。
「ワタシ、全部お話したアル。虹雅渓の秩序を乱そうと画策し、活動する集団が虹雅渓に潜伏していることを。このままだとアヤマロ様が危険だってネ」
朝倉率いる白仮面の特徴と調べ上げた潜伏先を残らず伝えると、どうか奴らを斬ってくれないかと頼み、頭を下げた。
しかし何の返答もなかった。
マスターが顔を上げれば、キュウゾウは背を向け、黙ったまま空を仰ぎ眺めていた。
「話を聞く聞かない以前に、ワタシの存在を認知しているかどうかを疑ってしまう反応だったアル」
「そうか」
「おサムライ様って変わり者ばかりアルナ」
マスターはそう言い、煙管を取り出して吸おうとしたが、今いる場所が診療所内だったことに気付き、やむなしと懐にしまった。
「それで、どうしたんだ」
話がここで終われば、キュウゾウが俺の前に現れたことの説明がつかない。俺は続きを促した。
マスターは腕を組み、だからナ、と切り出した。
「お前を売ったアル」
「……はい?」
この馬鹿マスター、今なんて言った?
訝し気に見遣ると、マスターは腰に手をあて、「だから」と人差し指を立てた。
「お前のことを煮たり焼いたり好きにしていいから、動いてくれって頼んだアル」
キュウゾウの反応があったことはすぐにわかった。アヤマロに危機が迫っていると話していた時と打って変わって、キュウゾウはマスターの方に向き直ると、
“どこにいる”
と、間も置かず聞いてきたらしい。
その一言を承諾ととらえたマスターは俺が行きそうな場所をいくつか挙げた。俺が強く抵抗した際には死なない程度にボコボコにして、最後にコレを飲ませてやってくれと睡眠薬まで持たせたという。
マスターを殴りたい衝動を抑えつつ、他に何か話をしたのかと聞くと衝撃的なことを口にした。
「これもお礼になるかと思って、ワタシ、宿の場所を教えてあげたアル。お前もずっと泊っているってネ」
「え」
「白仮面の一人がお前の知り合いで、お前を仲間にしようとして、脅しているって話もしたアル」
と、言った。
後者はいいが、前者は駄目だ。
とうとう、キュウゾウに俺の滞在先を知られてしまった。
「マスター、お前はなんてことを……!」
本当の本当に、なんてことをしてくれたんだ。
起こってほしくないと願っていたことが実際に起こってしまった。
もはや殴る気力も失せ、頭を抱えていると、マスターの鼻を鳴らした音が耳に入った。
「宿の場所を知られたって、別に良いじゃないアルカ」
「全然よくない。大体、マスターはいいのか?」
キュウゾウに知られるということは、奴を通じてアヤマロに何かしら伝わるということだぞと詰問口調で言ったが、マスターは気に病むことなく平然としていた。
「それなら大丈夫アルヨ。あのおサムライ様は余計なことは言わないネ。お前だってそう思わないアルカ」
「……まあ、確かに」
誰彼構わずベラベラと話すキュウゾウなんて想像もできない。むしろ全くの別人だわ。
「それに」
マスターは口をヘの字にして俺に人差し指を向ける。
「あの人はお前と違って文無しじゃないし、仕事はちゃんとしているアル。お前に構っていられる程、暇人じゃないネ」
「うぐ……」
痛いところを突かれた。
確かに自意識過剰が過ぎたのかもしれない。
そうかもしれないが。
ふと、指でそっと唇に触れてみる。
脳裏に浮かぶのは抱きしめられた時に向けられたキュウゾウの笑みと、何度もされた口づけであった。まだあの時の熱が、あの感触が残っている。
頭を大きく振って追い出そうとしても奴の顔は消えてくれない。
「何やっているアルカ、お前。頭、大丈夫アルカ?」
「うるさい。ほっといてくれ……」
布団に顔を埋め、大きな溜息を吐き出す。
思い出さなきゃよかった。
穴があったら入りたい。
なんなら俺が掘ってもいいから。
途中、俺の様子を診にきた(マスターの知り合いで口調がよく似ている)医者に床をぶち抜いて穴を掘ることを試しに申し出たら「金を払えるならやっていいアルヨ」と言われた。
金があるならやってもいいのかと逆に驚いてしまった。穴を掘ることは諦め、その代わりに寝床へと潜り込み、横になる。
「さて、ワタシそろそろ行くアル」
マスターの声が布団越しに聞こえた。
「そういえば、機械のサムライと刀鍛冶の爺さんはもう元気になったアルヨ」
「……そうか」
二人とも無事に退院したのか。
良かったと呟くと「あ、それと」とマスターは続ける。
「お前、ヘイハチ様に会ったら、謝った方がいいアルヨ」
「え」
何故だ、と布団から顔を出すと「当たり前アルヨ」と息を吐かれた。
「お前が奴らを斬ったことを教えたら、めちゃめちゃ怒っていたアルヨ。巻き込むまいと一人で抱え込んで、一人で行動に出るなんて、って言って」
「ヘイハチが?」
「いつもの笑顔が消えて両目をカッと開いて、とても怖かったアルヨ」
「そうか……」
「普段、穏やかな人が怒ると怖いってよく聞くアルが……アレはマジもんアルナ。おお怖い、怖い」
マスターはブルブルと体を震わせ、個室を後にした。
◆◆◆◆
入院生活三日目。
そして実際、マスターの言う通りになった。
「面会人が来たアルヨ」
と、医者に言われ、個室に姿を現したのはヘイハチだった。
「ヘイハチ……」
「…………」
いつもだったら「こんにちは」とか「お久しぶりです」とか挨拶から始まりそうなものを、この日のヘイハチは違った。
遠くからでも分かる。ひしひしと怒気が伝わってくる。ヘイハチがこちらに向かって歩いてくるときから、近くの椅子に腰かけるまでの間、俺は目を逸らすことなく、じっとしていた。
「…………」
「…………」
お互い、無言で見つめ合うこと数秒。
口火を切ったのはヘイハチだった。
「シキ殿」
「…………」
「私の言いたいこと、分かりますか?」
俺が黙ったまま頷くと、ヘイハチは勢いよく立ち上がり、手を振り上げる。
「……ッ」
が、ヘイハチは俺の頬を叩く寸前で手を止めた。
反論もせず、抵抗もせず。
受け入れようとする俺を不可解に見つめている。
「どうした」
やらないのか、と俺が言うと、ヘイハチは「どうして……?」と歯噛みする。
「どうして、何も言わないのですか?」
「……ヘイハチの対応は至極当然だと思ったから」
逆の立場だったら……と考えてみた。
友が危ない目に遭っていたら。
何か事件に巻き込まれていたとしたら。
なんとか力になってやりたいと、助けたいと思うだろう。だが俺は、白仮面を斬った後はこれ以上、私事に巻き込むまいとして何も言わずに目の前から消えようとした。
それが一番の最善策だと考えたが故に。
「俺は、ヘイハチがこれ以上脅され、狙われるのは許せなかった」
「だからって……自ら犠牲になれば、私が喜ぶとでも?」
「いや」
俺は首を振る。
自己犠牲する気は更々ない。
むしろ、自分のためになると思ったからやった。
それがヘイハチやキクチヨ、マサムネのためにもなると思って。
「俺はただ選んだだけだ。その選択と行動によって、俺がヘイハチから嫌われたり、憎まれたりしたとしても、お前には生きてほしかったから」
「…………」
「どう思うのかはヘイハチの自由だ。俺がどうこうできるものじゃない」
「…………」
個室はしばらくの間、沈黙が続いた。
先に口を開いたのはヘイハチで、椅子に座り直すと深い溜め息を吐いた。
「ほんっと……かないませんねえ」
「ヘイハチ?」
「そんなこと言われてしまったら……貴方のこと、嫌いになんてなれませんよ」
ずるいです、と言ってヘイハチは両手を伸ばすと、俺の頬を掴んで引っ張る。
「にゃにをしゅるんだ」
「何って、お仕置きです。今回はこれくらいで……許してあげます」
「しょうか」
「はい。でも、次はありませんから」
「そうか」
「はい」
ヘイハチの表情はいつもの笑顔に戻っていた。
ただ「許す」という言葉を発した時に少しだけ顔に陰りがあった。
恐らくそれはヘイハチの心の傷、今でも苛んで止まない苦く辛い過去に繋がるものと思い、あえて聞き返しはしなかった。
いつの日か、ヘイハチが己の過去を打ち明けてもいいと、身を委ねようと想える人物が現れることを祈る。それは今もなお、生き続けていなければできないことだから。
「そろそろお暇します」
立ち上がり、部屋の戸口に手をかけたヘイハチの背に俺は声をかける。
「何です?」
「薪割り、また手伝ってくれないか」
今度は米を報酬にするようマスターにいっておくから、と付け加える。振り返ったヘイハチは入室前とはすっかり変わり、穏やかな笑顔だった。
「はい。是非ともお願います」
◆◆◆◆
入院生活四日目。
今度はキクチヨとマサムネがやってきた。見舞いだと言って、果物の詰め合わせをいただく。
「それ食って、早く元気になりなよ」
「感謝する……ん?」
大きめの籠にしては中身がやけに少ないと見ていると、椅子に座ったマサムネが「コイツのせいでね」と後方に立つキクチヨを指差す。
医者からの面会許可を待っている間に、腐るからと言ってキクチヨが食べてしまったらしい。残っているのは黄色く反った果物だけ。皮を剥いて食べるもののようだ。
「すまないねぇ、姉ちゃん」
マサムネは頭を下げ、「お前も謝れ」とキクチヨを肩越しに睨む。当の本人は腕を組んでそっぽを向いている。
「待たせる医者が悪い。俺様は悪くない」
そう言って、首の排気管をプシューと噴射した。
キクチヨに注意をしようとするマサムネに、俺は首を振る。
「別にいい。二人がお見舞いに来てくれただけでも嬉しい」
「姉ちゃんは心が広いねぇ」
「そうか?」
「ほら聞いたか、とっつぁん。シキもいいって言ってるじゃねぇか」
「おめぇは少し反省しろ、馬鹿」
「うるせぇ」
悪態を吐きあうキクチヨとマサムネ、いつもの光景に頬が緩む。元気になった二人の顔を見られて、本当によかった。
聞くところによると、今回の事件の事情について、二人はマスターから状況説明を受けたという。それを聞くと、頭を下げるべきはむしろ俺なのでは。
「二人を巻き込んでしまって、すまなかった」
頭を下げると、マサムネは「いいんだ」と手を振る。
「悪いのは奴らであって、お前さんじゃないだろ」
「マサムネ……」
「そうだぜ、シキ。それによ、アイツ等、鉄砲なんて卑怯な物使いやがってよぉ。あんなのサムライじゃねぇぜ」
「キクチヨ……」
「そうだろ! サムライといやぁ、刀で戦うモンだろうが!」
キクチヨは奴らとの戦闘を思い出したのか、壁に立てかけていた大太刀をとって振り回し始めた。
マサムネがギリギリで避ける。
「おいキクの字、危ないだろうが!」
「マサムネ、こっち」
俺はマサムネを呼んで、反対側に来るように伝えると、再びやってくる大太刀を片手で受け止めた。
「なっ!」
「ほお」
キクチヨの驚愕した声とマサムネの感心した声が同時に上がる。
「いい加減にしておけ、キクチヨ」
「シキ、おめぇ」
「お前の刀、圧し折るぞ」
俺は刀を掴む手に力を込めようとすると、ハッとしてすぐに引っ込めた。
「わ、悪い。ちょっと熱くなっていたぜ」
「そうか。ならいい」
キクチヨの咆哮を聞きつけて、医者が個室にやってきた。面倒事はやめてくれという顔を隠そうともしていない。
ここで何があったのかを場の空気とキクチヨが大刀を手にしているところから察したらしく、医者は「気を付けろ」とキクチヨに向けてひとこと言っただけで、部屋を去って行った。マサムネは椅子のある位置に戻り、腰かけると息を吐いた。
「キクの字、よかったな。危うく弁償金を払わせられるところだったぜ」
「うるせぇ!」
キクチヨの怒声を他所に、マサムネは「そういえば」と俺を見遣る。
「マスター殿から言われたんだがね」
「ん?」
「あっしとキクの字の治療代についてはタダでいいって言われたんだが……アレは本当なのかね?」
訝し気なマサムネに、俺は「大丈夫だ」と頷く。
「俺もマスターから聞いている。二人に費用は請求しないって」
「そうかい。普通はとられるもんだが……どういった理屈なのかね」
「さあな」
とぼけたフリには気づかれなかったようで、内心ホッとする。
タダより高いものはなし。
当然だが二人の治療は無料じゃない。
二人の費用は俺が請け負うことになったからだ。
そうなった理由はマスターからの提案である。
マスターがやって来た日、キュウゾウを向かわせた話とヘイハチが俺のことを怒っている話をして、部屋を出て行ったその後。
「一つ、言い忘れていたアル」
と、マスターはすぐに戻ってきた。
「お前の治療費だけどナ、アレはワタシ、払うアルヨ」
「え? そんなことしていいのか、マスター」
「本当なら駄目アルヨ」
「だよな」
「特例中の特例ダヨ」
ただし、とマスターは人差し指を立てる。
「代わりにお前は、機械のサムライと爺さんの治療費を払うヨロシ」
「分かった」
俺が頷くと、マスターはキョトンとした。
即答されたことが意外だったようだ。
断られると思っていたのだろうか。
「い、いいのかヨ。お前よりあの二人の方が治療費は断然、高いアルヨ。本当に分かっているアルカ」
「ああ。承知の上だ」
「マジかヨ」
「それよりも、その支払いってヤツに期限はあるのか」
「…………」
マスターは腕を組んで、少し思案した後、仕方ないネと顔を上げる。
「期限は設けないよう、ワタシから医者に交渉してやるヨ」
「そうか。感謝する」
俺が頭を下げると、マスターは「また来るアル」と病室を出て行った。こうして、俺は二人の治療費を払うためにマスターの宿にまたしばらくの間、滞在することになった。
全額納めるまでは虹雅渓を出ることは許されない。途中で逃げ出すようなら地の果てまで追いかけ、医者に臓器を売り飛ばすと警告された。
アキンドのくせに、やっていることがヤクザと変わらないのが可笑しかった。
「…………」
窓の外を見る。
鍛錬をやるにはうってつけの天気。
青い空。
早く退院して体を思い切り動かしたかった。
◆◆◆◆
入院生活五日目。
暇だった。
正直、俺としてはもう退院してもいいのだが、マスターからは「七日間はいるヨロシ」と言われ、大人しく病院にいる。
だからといって、布団の上でじっとしているのは退屈極まりない。よって診察以外の自由時間は体を鈍らせないよう、個室で一人、腕立て伏せや屈伸運動などをしていると、換気のために開けていた窓から何かが飛んできた。
バシッ。
片手で掴んで受け止め見ると、それは矢だった。
文が結びつけてある。開くとそこには一言 “早く治せ” と書いてあった。
窓に寄って外を見遣ると、向こうの層へと渡る橋の付近に赤色の背中が見えた。
「…………」
どう見てもキュウゾウだった。振り向くことなく去って行く。
奴なりの、お見舞いのつもりなのだろうか。
だとしても矢文とはいかがなものか。
「当たったら、どうする気だったんだよ」
まあ、別にいいけど。
一つ嘆息しつつ、赤い背中が向こうに消えるまで見ていた。キュウゾウを見送ってから文を矢に結び直して、台に置くと、深呼吸をし、気を取り直してから再び鍛錬を開始した。
