第三話
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◆
「……はあ」
溜め息が止まらなくて、心底、嫌になってくる。一体、何度目の溜め息になるのか。
癒しの里の景色でも眺めていれば、少し気分が晴れるかもしれないと思い、桔梗屋の屋根の上に登って、ものは試しとやってみたはいいものの……よい効果はなかった。ただただ眩しくて、派手な色合いの景観に目を痛めつけるだけ。
「…………」
桔梗屋の中では今頃、大広間の後片付けをしている最中だろう。壁は壊れて、畳は血で汚れてしまっていて、室内の状況は散々。
それらの惨状の大体は俺のせい――ではあるが戦いとなれば致し方ない。
「部屋の修理代は奴らへ請求しろ」
と、女将に伝えておいた。頷いていたから、俺に弁償代を求めるなんてことはないと思うが、それよりも……。
◆◆◆◆
頭の眼帯男の指示により、取り巻き共が集団で斬りかかってきた、その後。
斬撃を回避して振るった手刀で刀を折り、一太刀を躱しざまに繰り出した足刀で相手を倒す。
または足刀で刀を破壊し、手刀で相手を斬る。
それらを繰り返して、敵の数を次々と減らしていった。
戦闘は四半刻の、その半分すらもかからずに、頭の眼帯男を残すのみ。取り巻き達は――うつ伏せに、仰向けに、横向きに、それぞれ畳の上に倒れて気絶している。
主である女将の命により、峰打ちで倒すよう言われていたため、斬撃よりも打撃で主に攻撃をし、不殺生で済ませていた。
「くそっ……こんなはずでは……!」
「頭、後はお前だけだ」
「くそが! 我を、舐めるな!」
眼帯男は刀を構えると、大声を上げながら斬りかかってきた。威勢よく振っているつもりでいるのだろうが、見切るのが億劫に感じてしまうほどの速さだった。
動作がいちいち大きすぎる。
そのせいで、数回と刀を振るった程度で疲れ切っていた。
「このッ!」
振り向きざまに繰り出された男の攻撃を、俺は屈んで躱しつつ足払いをかけると、勢いよく跳び上がって、宙返りしながら蹴りを相手に食らわせた。
「があッ!」
更に追撃として、畳の上に倒れる前に素早く回し蹴りを繰り出して男を吹っ飛ばす。足刀による衝撃で鎧の胴体は割れ、体全体を壁に強く打ち付け、血を吐いた。
だが眼帯男は連続の打撃技を受けても気絶することもなく、畳に座り込むこともなく、ぐうう……と痛みに耐え、呻いている。
「…………」
頭と名乗るだけはあって、意外にも打たれ強いらしい。
「かはっ......! く、くそお……我を、舐めるな……!」
かくなる上は……と眼帯男は呟き、懐へ手を突っ込むと、黒色の鉄の塊を取り出し、構えた。
「お前、それは――」
「くらえ!」
ぱんっ。
と、大広間に発砲音が響き、俺は背中から畳にばったりと倒れた。
「きゃあああ!」
「シキ様ぁああああ!」
女の悲鳴が上がる。
女将がこちらへ駆け寄ろうとしたのだろう。
「馬鹿、行くな!」
と、言うヒョーゴの声が聞こえてくる。
「コイツめ! よくも、よくも我をコケにしてくれたな!」
眼帯男は仰向けになっている俺へ走り寄ると、足で何度も踏みつけてきた。
「おサムライ様、やめてくださいッ!」
「馬鹿か! やめろと言われて、やめる馬鹿がどこにいる!」
女将はなおも、やめてください、と悲鳴に近い制止の声を上げるが、それにより気分が良くなったのか。二、三度続けて蹴りを入れ、最後には蹴っ飛ばした。ゴロゴロと転がって、横向きになる。
「我に逆らうからこうなるのだ! ざまあみろ!」
耳障りな眼帯男の声が部屋中に大きく響いた。
「……拳銃など、そんなもの、どこで手に入れた?」
「はは、ハハハハハ! さて――、次はお前だ、女将!」
「――ッ!」
ヒョーゴの問いを無視して、ドシドシと足音を鳴らして進んでいく眼帯男の足音が聞こえる。
その途中、コイツはもういらぬな、という奴の声がして、何かを重い物を落とす音が耳に入る。俺はゆっくりと瞼を開けた。
「――――」
そこにあったのは、眼帯男が腰に差していた刀だった。コイツ、もしかして……刀を捨てたのか?
「この偉大なる我を、侮辱した罰を受けよ!」
男は引き金に手をかける。
「死ねえええ!」
と叫んで、
ぱんっ。
と撃った。
――だが、
「――え?」
放たれた弾は狙いの女将からは大きく逸れて、大広間の天井に当たっていた。
「お前、最低な奴だな」
眼帯男は見下ろす俺を気づき――興奮で赤くなっていた顔色が、幽霊にでも出会ったかのように真っ青となっており、銃口を上にむけたまま金魚のように口をぱくぱくとさせるという異様な光景だ。
俺が身を起こして背後から近づいていることや、俺の足払いによって背中から床に倒れて衝撃を受けたことすら、感じなかったのだろうか。それほどまでに我を忘れていたのか。
だとしたら、とんでもなく愚かだ。
「き、貴様、な、何故だ!? 何故、生きている!?」
「そんなの、貫かれてないからに決まってるだろ」
「えっ?」
素っ頓狂な声を上げる眼帯男。
いちいち説明しなくてはいけないのか、と毒づきつつ、俺は口を開く。
「撃たれた弾丸は歯で受け止めたからな」
「は、はあ!? なにいって……!」
「ほら」
その証拠だと、受けた銃弾を人差し指と親指で挟んで、眼帯男に示して見せる。
「おかげで歯が少し欠けてしまった。お前のせいだ」
「弾を受け止めた、だと? う、嘘だ! あ、ありえない……!」
壊れた機械のように「ありえない」と何度も呟いている眼帯男に向かって、俺は「最悪だ」と吐き捨てる。
「かくなる上は、とか言って何をするかと思えば……刀を捨てて、銃を使うとは。お前、本当に――サムライか?」
まだ刀身は折れていないのに。
未だ斬ることも、共に戦うこともできるというのに。
「う、うるさい!」
眼帯男は叫び、恨みがましい目つきで睨みつける。その眼差しは俺ではなく、別の何かを睨んでいるように見えた。
「時代は変わったんだよ!」
「…………」
「あの大戦の時もそうだっただろうが――刀なんかより、銃の方が……断然、強いんだよ!」
「…………」
そのような下らない理由で刀を捨てたのか。
ならば何故、初めから銃を手に大広間へ乗り込んで来なかったのか。その方が店を制圧するなんてこと、今よりは容易になりそうだったろうに。
眼帯男の、少なくとも、まだあったサムライとしての矜持がそうさせたのだろうか。どのような理由であれ、刀の俺にとってはどうでもいいことだが……。
俺は一つ溜息を吐くと、眼帯男を睨み上げ、ゆっくりと近づいていく。
「ひッ……!」
男は小さく悲鳴を上げて後退するも、後ろにはキュウゾウとヒョーゴがいることに気付いて、大広間の端に向かって移動――壁際に到着すると、俺に向かって銃口を構える。
「くそっ……く、来るな! 来るんじゃない!」
「来るなと言われて、来ない奴なんているのか?」
眼帯男はハッとして片眼を見開く。銃で撃たれて死んだかのように、倒れている振りをしていた俺を足蹴にした時、似た台詞を言っていたからだろう。それと同じ状況が今になって、最悪の形で自分に返ってきたのだから。
「自分がしたことへの――けじめはつけていけ」
もうこんな茶番劇、終わらせる。
俺は一歩、そしてまた一歩と進んでいく。
「来るな!」
と、男は大声を上げ、銃を構え直すと
ぱんっ、ぱんっ。
と、二回連続で撃ってきた。
俺は左右の手刀で銃弾を斬って落とすと、跳ぶように踏み込んだ。
「ひいいっ!」
再度、眼帯男が銃を向けたと同時に手刀を振るい、銃身を斬る。
そして、隙だらけとなった相手の首元を目掛けて貫手を繰り出して――、
「――――」
突き殺す、その直前で寸止め。
死んだ、と思ったのだろう。眼帯男は背中から壁にもたれかかると、そのままずり落ちて……失神した。
「これでいいか、女将」
俺は振り向いて終わりを告げると、撃たれるかもしれない恐怖で震えていた女将は、
「……シキ様がご無事で……本当によかったです」
と、目に大粒を浮かべている。
透明なそれはぽろぽろとこぼれて、畳に落ちていく。
「……私は甘かったです。本当にごめんなさい。でも……本当にありがとうございます」
それまで謝罪され、そこまで感謝される謂れは、俺にはない。
「俺は一本の刀として、お前の命令に従っただけだ」
「それでもいいんです……深く感謝を致します」
ありがとうございました、と女将は深く頭を下げた。
◆◆◆◆
本来であれば眼帯男達を倒した後、すぐさま女将にマスターからの品物を渡して、虹雅渓第六階層のオンボロ宿へとさっさと帰っていたはずだった。
だが早く帰ろうとする俺を、女将が引き留めた。
壊れた大広間の修理代は(そもそも手持ちがないから)支払えないし、部屋の後片付けを手伝う気はない。
そこまでする義理はないと思ったが、女将が引き留めたのはそういった理由ではなかった。
女将からもマスターへ渡したい物があるらしい。
「せめて、それができるまでは……待っていてくれませんか?」
「…………」
渡すなら何も俺を介さなくても、女将で直接渡せばいい。それが難しいのならば、早亀屋など宅配業者に頼めばいい、と言ったが女将は、そんなことはできません、と首を振る。
「シキ様は先ほどの戦いで傷ついてしまい、お疲れでしょう。少しでも休んでいっていただきたいのです」
女将は「それに……」と胸に手を添えて続ける。
「以前、宿のマスター様の援助により経営難で陥り潰れかけていた桔梗屋は救われました。そしてこの度は――暴漢たちによって壊されようとしていたところを、あの方の遣いとして来られたシキ様に助けていただいたのです。店はマスター様に二度も救われたのです。桔梗屋を助けるために、命をかけてくれた貴方様を手ぶらで帰すなんてこと――絶対にできません」
「…………」
コートはそこまで汚れていないし、疲れも大して感じてはいなかった。それに、斬り合いに命をかけるなんて、剣士にとっては当たり前のこと。そこまで大仰にとられるのはおかしな話だ。
だが断ろうにも女将の目は真剣であり、コイツの頼みを無碍にしたことがマスターに漏れてしまい、文句を言われ、最悪の場合、報酬金がもらえなくなる可能性も大いにある。
それではとてつもなく困るので、面倒だがマスターへ渡す物ができるまでの間、桔梗屋へ留まることにする。
「休む場所くらいは俺が選んでもいいだろ」
「構いません。桔梗屋の近くでしたらどこでも」
「……店の周辺にいるようにする。用意ができたら呼んでくれ」
かしこまりました、と女将は頷くと、隣にいた女中と共に他の店の者達へ呼びかけ、大広間の清掃に取り掛かり始めていった。
マスターへ渡す物ができるまで、外で待つとするか。出入口に向かって歩いていると、畳の上に転がっている一本の刀が目に映る――眼帯男によって無造作に打ち捨てられた刀があった。
「…………」
お前は、持ち主を選び間違えてしまったな。
刃が折れるその時まで、最後の最期まで、主と共に戦いたかっただろうに。少しの間それを眺めていると、不意に視線を感じた。振り向けばキュウゾウがこちらを見ている。
「…………」
「…………」
赤い目はじっと見つめてくるだけで何も言わなかった。なぜだろう。後ろめたいことなど、俺には何一つないはずなのに。
俺は逃げるかのように、その緋色の目から視線を逸らすと足早に部屋を後にした。
背中に突き刺すような奴の視線を感じながら。
◆◆◆◆
“時代は変わったんだよ!”
“あの大戦の時もそうだったろうが――刀なんかより、銃の方が断然、強いんだよ!”
「…………」
勝つために手段を選ばず戦うことが合理的で、正しい判断とはいえ、サムライのくせに己の魂ともいうべき刀を捨てるなんて……。
表情には出さなかったが、俺は少なからず衝撃を受けていた。
刀は人を斬るものだ。斬れなければ存在する意味が無い。
折れたり、曲がったりすれば捨てられたり、別のものに代えられたりするのは至極、当然だ。刀は使わなければ錆びていく一方。
だからこそ戦場で斃れることは刀として幸せなことなのだと父上はいっていたが……。
あの眼帯男はサムライと名乗りながらも――砕かれてもいない、折れてもいない、いつでも主のために相手を斬る刀を捨てた。
銃の方が強いから、と言って刀を塵芥のように捨てた。
父上、申し訳ございません。
物心がつく前から一本の刀となるために、無刀の剣士となるために、鋼音家に代々継いできた無刀流を俺に叩きこんでくれたのに。鋭き刀であるために感傷を抱くな、と教えられてきたのに。
刀を蔑ろにするサムライを目前にして、心が乱れてしまったらしい。
全く、なんて未熟。
空の戦で生身の体から機械の体へと姿を変えたサムライなんて、刀から銃に武器を変えたサムライなんて……嫌になるほど幾度も何度も見てきただろうが。
「馬鹿か、俺は……」
刀は人を斬り殺す道具だ。
人を斬ってこそ、人を殺し続けてこそ刀だ。
それ故に本来ならば……持ち主はアキンドでも農民でもなり得ない。
人を斬ることの恐ろしさを知っている、その罪を受け止めることができる、戦場を生きる場所としている剣士が、サムライが望ましい。しかしそんなサムライなんて、今の時代にいるだろうか……。
そんな奴いるわけ――、
「シキ」
近づいてくる気配があったから分かっていた。
振り返らなくても、その声の主が誰だかなんて分かる。
戦場の匂いが、血の匂いがする。
なんで……ここに来るんだ。
絹のような金色の髪、血のような赤の外套、二本の刀を背負う孤高のサムライ。
「キュウゾウ」
「…………」
「お前……帰ってなかったのか」
そう聞くと後方から「まだだ」と言う返事があった。
雇い主のアヤマロの桔梗屋での用事は終わっていないのか。
「相棒のヒョーゴが探しているかもしれないぞ」
「厠へ行く、と伝えている」
「嘘をついたのか。知らないぞ。嘘がバレて減給されても」
「問題ない」
仲間へ虚言を付いたことに対する悪気を一切、感じさせない、潔い返答だった。
「…………」
それにしても……何しに来たんだ、こいつは。
暇なのか、と思っていると人の許可も取ることなく、勝手に俺の隣へ腰掛けてきた。
見遣れば、片膝を立てて座る姿勢でおり、取り澄ました顔が目に入った。その姿が、えらく様見えてくるのが腹が立つ。相手がキュウゾウなので、俺は反射的に奴を睨んでいた。
「お前、何しに来た」
「お主に会いにきた」
「…………」
会いに来た、なんて。さらりと人に向かって言えるのは、俺が知る限りお前くらいだわ。
恥ずかしくないのか。
「……俺は今、何故だか無性に気分が悪くてな。独りになりたいから、ここに来たんだ」
「そうか」
「いや『そうか』じゃない。帰れ」
「断る」
「お金やるから」
「あるのか?」
「あるわけないだろ。察しろ、馬鹿」
他人にあげられる程、お金に余裕があるならこんなところにお遣いなんぞ来るものか。だが、何度「戻れ」と伝えても――キュウゾウは取り合う気もなく、立ち去ろうとする気配すらない。
文句を言うのも段々馬鹿らしくなってきて、徐々に疲れてきたので俺は奴を放っておくことにした。
「……ここにいてもいいから、黙ってろ」
「分かった」
キュウゾウが頷くのを見て、俺はきらびやかで退屈な里の眺めに視線を戻した。常に無表情で口数が少ない奴が一人で騒いでいる姿なんて全然想像できないものだが一応念のためだ。
「………………」
「………………」
しばらくの間、無言の時間が続いていたが――その間キュウゾウは何も話さなかった。
どうして独りになりたいのか、と理由を聞こうともしなかった。
慰めの言葉も、励ましの言葉も、何一つもない。
静かにずっと傍に座っている。
ただそれだけなのに。
不思議だ。
何もしていないのに――気が付けば、先程自分の中にあった気分の悪さは消えて無くなっていた。
「…………」
非常に認めたくはないが認めざるを得なかった。
キュウゾウがきたおかげで、それをきっかけとして俺の抱いていたモヤモヤが解消されたのだろう。
ここに来てからというもの、普段は考えもしないことを大真面目に考えてしまったせいで――気分が悪くなってしまったみたいだ。 本来ならここで「ありがとう」と伝えた方が人との付き合い方としては善いことなのだろう。だがキュウゾウ相手に素直に感謝するのは何だか癪だったので俺の中に留めておくことにした。
いつか気が向いたら、伝えてやってやらなくもない。
「なあ、キュウゾウ」
「何だ」
「お前は、サムライ、だよな」
「…………」
「そうだよな」
こうして――キュウゾウと二人になれる時は次にいつ訪れるか分からない。もしかすると二度と来ないのかもしれない。ヒョーゴの真似をするのではないが丁度いい機会だ。
俺も聞いてみることにしよう。
今の時代は地にも空にも戦場がないために――血を見ることもなく平穏で、緊迫感もなく安定だ。
刀を抜くことも刃を交えることも少なくなってしまった。サムライがサムライとして、生きていくには生きづらい世の中かもしれない。
それでも。
「お前は、刀を捨てる、なんて、そんなことしないよな……?」
血と戦場の匂いがするキュウゾウには剣士として、サムライとして、在り続けていてほしい。
世界平和を謳っているアキンドの時代に合わせることなんてない。
サムライとしての己を貫いてほしい。
そう思わずにはいられない。
「…………」
迷っていたのか、それとも考えていたのか。
返答に間はあったものの、キュウゾウは一文字に結んでいた口を開く。
「愚問だ」
「キュウゾウ、それって……」
「俺は刀は捨てぬ」
淀みの無い目が真っ直ぐに見つめてくる。
何故だろう。
キュウゾウのことだから、下らない、とか何とか言って答えないか、問いかけを無視してこの場を早々に立ち去るかと思っていたが。
それなのに馬鹿正直に答えるなんて――、
「そうか……」
と、言って、ほっとしている自分がここにいた。
「そうだよな。お前はサムライだもんな」
「シキ……」
「今の時代……戦場もなくて、血も流れなくて、平和で退屈だけどさ。それでも、どんなに時代が変わろうとも……剣の道、歩み続けてくれないか」
「ああ」
言われずとも、とキュウゾウは頷いてくれた。
コイツのことなんか、気に食わなかったはずなのに。
何故だろうか。俺は今すごく嬉しい。刀である俺の心が浮き立っているなんて、いつ以来だろう。
だが自分の喜んでいるところをキュウゾウには見られてくなくて、顔を隠そうとするとグイッと引き寄せられた。
「え?」
気が付けば、背中に両腕を回されて、キュウゾウに抱きしめられていた。奴の左肩口に顔を押し付けている形で抱き寄せられている。
「いきなり、何を――」
と言って離れようとしたが許さないとばかりに、更に強く抱きしめられた。
「――ッ」
体が密着しているせいで、キュウゾウから香ってくる血の匂いが濃くなった。酒で酔ったみたいに頭がぼうっとしてくる。
このままだと、自分が自分ではなくなってしまう、そんな気がする。この状況は、この状態は、よくない。俺は何とかして両腕を間に滑り込ませ、キュウゾウの胸板を押し出そうとしたが抵抗しても無駄だ――とでも言うように、左の耳元に息を吹きかけられた。
「……ッ」
ビクンッと体が震える。触れてくる感触がくすぐったく、身を捩らせていると「離さぬ」と囁かれて、耳たぶを噛んできた。
そしてそのまま首元に唇を這わせてくる。
な、なんで?
どうして先程の真面目な雰囲気から一転して、こんなおかしい状態になっているんだ?
「きゅ、キュウゾウ……」
「何だ」
「……ッ」
奴の吐息が首筋に当たって変な感じがする。
我慢しないと。
「唐突にどうしたんだ? こんなことするなんて……」
どこに抱擁される理由があったのか。
「俺、お前に何かしたか……?」
そう聞けば首筋に唇を当てる行為を止めてくれた。顔を上げて俺の顔をじっと見つめるキュウゾウは「ふっ」と小さく笑っただけで、まともに答えてはくれなかった。
「おい」
睨みつけても素知らぬ振りをされ、答えはなかった。くっ付き過ぎているせいで体勢が少しきつい。
「苦しいから離れろ」
そう文句を言うと背中に回した腕の拘束を緩めてくれた。(本当は完全に離してほしかったがそれ以上というと更に大変なことになりそうだからやめておいた)
近過ぎた体を何とか離れさせることはできたものの、今度は右の頬に左手を添えられ、互いの顔が正面から向き合う体勢となる。
何だろう。このままだと――、
“俺のものになれ”
また「アレ」をされてしまうんじゃないか?
「シキ」
「――ッ」
思った通り、キュウゾウは顔を近づけてきた。
「――――」
咄嗟に避けようとするもそれは許されなかった。
いつの間にか俺の頬に添えられていた奴の左手が、俺の後頭部へと移動していたからだ。
「逃さぬ」
細められたキュウゾウの紅い瞳が妖しく光って見える。完全に獲物を狩る獣の目だ。
早く、早く……何とかしないと。
「キュウゾウ、落ち着け。少しでいいから落ち着けよ。なっ」
「俺は落ち着いている」
「なら、なんで……? お前、今自分が俺に何をしようとしているのか。分かっているのか」
キュウゾウは「ああ」と難なく頷く。
「お主に口づけようとしている」
「く、口づけって……」
「接吻」
「い、言い換えんでもいい! 馬鹿!」
「そうか」
少しの迷いも躊躇いもなく、簡単に言ってくれる。恥ずかしくはないのか。コイツには繊細な心というものはないのか。
……いや、あるわけないか。
だからこそ、こういうことを平気でやろうとする。
「なんでこんなことするんだ」
「したくなった」
「……あのな、こんなことしてもお前が得することなんて、何にもないだろ」
「何故だ」
「何故って、それは……」
生前の兄上からの受け売りだが(というよりも俺にある知識のほとんどは兄上の教育によるものだが)人には大きく分けて三つの欲があると教えられた。
一つは食欲。
空いた腹を満たしたい、美味しい物を食べたいという欲求。
一つは睡眠欲。
疲れた体を休めたい、眠りたいという欲求。
一つは性欲。
快楽を得たい、気持ちよくなりたいという欲求。
キュウゾウのコレはきっと性欲によるものだ。だからこそ――俺のものにしたいとか、口づけたいとか言ってきたのだろう。
性的な欲望を満たしたいならば――癒しの里にいる綺麗所の女に頼んで満たしてもらえばいいと。
確かに自分の身体は女のものだが、あくまでも俺は人でありながら、相手を斬る一本の刀として在る者なのだと伝えた。
斬り合いならば良いが、それ以外ではお前を満たすことはできないのだと言った。
最後まで話を遮ることなく、いつもの無表情で黙って聞いてくれたキュウゾウだったが、返ってきた答えは――、
「それだけか」
という何とも容赦のない、非人情で、無慈悲な一言だった。
せっかく言葉で伝えることを苦手としている俺が説明してやったというのに……問答無用の一刀両断だ。
「お前な、俺がせっかく――」
「シキ」
「何だよ」
「俺は、シキが欲しい」
「ひゃい!?」
いきなり、何を言い出すんだ。
こいつ正気か。
俺としたことが、思わず噛んでしまったじゃないか。
「お主以外いらぬ」
「おい、それって……」
「故に触れたい。口づけたい」
熱の籠もった緋色の目だった。
キュウゾウの眼差しから逃れようとして顔を俯かせたが、耳元に唇を寄せられて「シキ」と名を優しい声で囁いた。
「いきなりは、駄目なのだろう」
「キュウゾウ、俺は――」
刀だから、と言わせてもらえなかった。
「嫌なら、抵抗しろ」
キュウゾウは言うや否や左手で俺の顎を掴んで面と向き合わせる。射抜くように見つめてくる紅い瞳から、俺は目を離すことはできなかった。
まるで、血みたいで綺麗だ。
気付けば俺はゆっくりと、自由になった両腕をキュウゾウの背中へと回していた。細身に見えても体つきは意外とガッシリしていたことに、キュウゾウもしっかりと男なんだな、と意味もなく思った。
了承の合図として受け取ったのだろう。
キュウゾウは小さく笑みを浮かべると目を閉じて、顔を傾けて、距離を縮めてきた。
どうして、だろう。
なぜ俺はキュウゾウを拒んでいないのだろうか。いけ好かなくて気に食わない奴だと、あんなに嫌がっていたくせに。これが「ほだされる」ということなのだろうか。
「惚れた、腫れた」はよく分からなくて苦手だ。
「切った、張った」の方が分かりやすくて好きなのに。
「…………」
互いの吐息が感じられる寸前まで、唇が迫る。行き交う人の喧騒もあって、癒しの里は決して静かな空間ではないはずなのに。
この場の空間だけ「ドクン、ドクン」と俺の心の臓が、鼓動がとても大きく聞こえてうるさい。
キュウゾウの耳に聞こえてなきゃいいけど――、
「シキ様〜! どこにいらっしゃいますか~!」
唇が重なりかけたその時、突如として響いた女の声に、俺とキュウゾウは同時に目を見開いてピタリと止まった。その後に続く「どこに行ったッ」という明らかに同僚を探しているのであろうヒョーゴの怒声が耳に入った瞬間、
ドンッ!
俺は掌底を繰り出して、キュウゾウを屋根の上から突き飛ばしていた。
「―――ッ」
やってしまった……と思ったが、それどころではないと首を振る。キュウゾウならサムライだし何とかするから大丈夫だろう、と自分を納得させて、呼ぶ声のする方へ跳ねるように素早く移動した。
店に戻ってきた俺の様子にただならぬものを感じたのか、女将から「大丈夫ですか?」と心配げな顔をされたが「気にするな」と返す。
何かしらあったことを女将は察しただろうが、何も聞くことなくただ頷き、ご案内致します、と先に歩き出す。
俺は安心してほっと息を吐いた。
あ、危ないところだった。
未だに自分の心臓がバクバクとうるさく脈を打っている。キュウゾウと二人でいるところを――あんなところを誰かに見られでもしたら……。
想像するだけで、あまりの恥ずかしさに、死にそうで、熱が吹っ飛ぶまで癒しの里中を駆け回ってしまいそうだった。
「……はあ」
溜め息が止まらなくて、心底、嫌になってくる。一体、何度目の溜め息になるのか。
癒しの里の景色でも眺めていれば、少し気分が晴れるかもしれないと思い、桔梗屋の屋根の上に登って、ものは試しとやってみたはいいものの……よい効果はなかった。ただただ眩しくて、派手な色合いの景観に目を痛めつけるだけ。
「…………」
桔梗屋の中では今頃、大広間の後片付けをしている最中だろう。壁は壊れて、畳は血で汚れてしまっていて、室内の状況は散々。
それらの惨状の大体は俺のせい――ではあるが戦いとなれば致し方ない。
「部屋の修理代は奴らへ請求しろ」
と、女将に伝えておいた。頷いていたから、俺に弁償代を求めるなんてことはないと思うが、それよりも……。
◆◆◆◆
頭の眼帯男の指示により、取り巻き共が集団で斬りかかってきた、その後。
斬撃を回避して振るった手刀で刀を折り、一太刀を躱しざまに繰り出した足刀で相手を倒す。
または足刀で刀を破壊し、手刀で相手を斬る。
それらを繰り返して、敵の数を次々と減らしていった。
戦闘は四半刻の、その半分すらもかからずに、頭の眼帯男を残すのみ。取り巻き達は――うつ伏せに、仰向けに、横向きに、それぞれ畳の上に倒れて気絶している。
主である女将の命により、峰打ちで倒すよう言われていたため、斬撃よりも打撃で主に攻撃をし、不殺生で済ませていた。
「くそっ……こんなはずでは……!」
「頭、後はお前だけだ」
「くそが! 我を、舐めるな!」
眼帯男は刀を構えると、大声を上げながら斬りかかってきた。威勢よく振っているつもりでいるのだろうが、見切るのが億劫に感じてしまうほどの速さだった。
動作がいちいち大きすぎる。
そのせいで、数回と刀を振るった程度で疲れ切っていた。
「このッ!」
振り向きざまに繰り出された男の攻撃を、俺は屈んで躱しつつ足払いをかけると、勢いよく跳び上がって、宙返りしながら蹴りを相手に食らわせた。
「があッ!」
更に追撃として、畳の上に倒れる前に素早く回し蹴りを繰り出して男を吹っ飛ばす。足刀による衝撃で鎧の胴体は割れ、体全体を壁に強く打ち付け、血を吐いた。
だが眼帯男は連続の打撃技を受けても気絶することもなく、畳に座り込むこともなく、ぐうう……と痛みに耐え、呻いている。
「…………」
頭と名乗るだけはあって、意外にも打たれ強いらしい。
「かはっ......! く、くそお……我を、舐めるな……!」
かくなる上は……と眼帯男は呟き、懐へ手を突っ込むと、黒色の鉄の塊を取り出し、構えた。
「お前、それは――」
「くらえ!」
ぱんっ。
と、大広間に発砲音が響き、俺は背中から畳にばったりと倒れた。
「きゃあああ!」
「シキ様ぁああああ!」
女の悲鳴が上がる。
女将がこちらへ駆け寄ろうとしたのだろう。
「馬鹿、行くな!」
と、言うヒョーゴの声が聞こえてくる。
「コイツめ! よくも、よくも我をコケにしてくれたな!」
眼帯男は仰向けになっている俺へ走り寄ると、足で何度も踏みつけてきた。
「おサムライ様、やめてくださいッ!」
「馬鹿か! やめろと言われて、やめる馬鹿がどこにいる!」
女将はなおも、やめてください、と悲鳴に近い制止の声を上げるが、それにより気分が良くなったのか。二、三度続けて蹴りを入れ、最後には蹴っ飛ばした。ゴロゴロと転がって、横向きになる。
「我に逆らうからこうなるのだ! ざまあみろ!」
耳障りな眼帯男の声が部屋中に大きく響いた。
「……拳銃など、そんなもの、どこで手に入れた?」
「はは、ハハハハハ! さて――、次はお前だ、女将!」
「――ッ!」
ヒョーゴの問いを無視して、ドシドシと足音を鳴らして進んでいく眼帯男の足音が聞こえる。
その途中、コイツはもういらぬな、という奴の声がして、何かを重い物を落とす音が耳に入る。俺はゆっくりと瞼を開けた。
「――――」
そこにあったのは、眼帯男が腰に差していた刀だった。コイツ、もしかして……刀を捨てたのか?
「この偉大なる我を、侮辱した罰を受けよ!」
男は引き金に手をかける。
「死ねえええ!」
と叫んで、
ぱんっ。
と撃った。
――だが、
「――え?」
放たれた弾は狙いの女将からは大きく逸れて、大広間の天井に当たっていた。
「お前、最低な奴だな」
眼帯男は見下ろす俺を気づき――興奮で赤くなっていた顔色が、幽霊にでも出会ったかのように真っ青となっており、銃口を上にむけたまま金魚のように口をぱくぱくとさせるという異様な光景だ。
俺が身を起こして背後から近づいていることや、俺の足払いによって背中から床に倒れて衝撃を受けたことすら、感じなかったのだろうか。それほどまでに我を忘れていたのか。
だとしたら、とんでもなく愚かだ。
「き、貴様、な、何故だ!? 何故、生きている!?」
「そんなの、貫かれてないからに決まってるだろ」
「えっ?」
素っ頓狂な声を上げる眼帯男。
いちいち説明しなくてはいけないのか、と毒づきつつ、俺は口を開く。
「撃たれた弾丸は歯で受け止めたからな」
「は、はあ!? なにいって……!」
「ほら」
その証拠だと、受けた銃弾を人差し指と親指で挟んで、眼帯男に示して見せる。
「おかげで歯が少し欠けてしまった。お前のせいだ」
「弾を受け止めた、だと? う、嘘だ! あ、ありえない……!」
壊れた機械のように「ありえない」と何度も呟いている眼帯男に向かって、俺は「最悪だ」と吐き捨てる。
「かくなる上は、とか言って何をするかと思えば……刀を捨てて、銃を使うとは。お前、本当に――サムライか?」
まだ刀身は折れていないのに。
未だ斬ることも、共に戦うこともできるというのに。
「う、うるさい!」
眼帯男は叫び、恨みがましい目つきで睨みつける。その眼差しは俺ではなく、別の何かを睨んでいるように見えた。
「時代は変わったんだよ!」
「…………」
「あの大戦の時もそうだっただろうが――刀なんかより、銃の方が……断然、強いんだよ!」
「…………」
そのような下らない理由で刀を捨てたのか。
ならば何故、初めから銃を手に大広間へ乗り込んで来なかったのか。その方が店を制圧するなんてこと、今よりは容易になりそうだったろうに。
眼帯男の、少なくとも、まだあったサムライとしての矜持がそうさせたのだろうか。どのような理由であれ、刀の俺にとってはどうでもいいことだが……。
俺は一つ溜息を吐くと、眼帯男を睨み上げ、ゆっくりと近づいていく。
「ひッ……!」
男は小さく悲鳴を上げて後退するも、後ろにはキュウゾウとヒョーゴがいることに気付いて、大広間の端に向かって移動――壁際に到着すると、俺に向かって銃口を構える。
「くそっ……く、来るな! 来るんじゃない!」
「来るなと言われて、来ない奴なんているのか?」
眼帯男はハッとして片眼を見開く。銃で撃たれて死んだかのように、倒れている振りをしていた俺を足蹴にした時、似た台詞を言っていたからだろう。それと同じ状況が今になって、最悪の形で自分に返ってきたのだから。
「自分がしたことへの――けじめはつけていけ」
もうこんな茶番劇、終わらせる。
俺は一歩、そしてまた一歩と進んでいく。
「来るな!」
と、男は大声を上げ、銃を構え直すと
ぱんっ、ぱんっ。
と、二回連続で撃ってきた。
俺は左右の手刀で銃弾を斬って落とすと、跳ぶように踏み込んだ。
「ひいいっ!」
再度、眼帯男が銃を向けたと同時に手刀を振るい、銃身を斬る。
そして、隙だらけとなった相手の首元を目掛けて貫手を繰り出して――、
「――――」
突き殺す、その直前で寸止め。
死んだ、と思ったのだろう。眼帯男は背中から壁にもたれかかると、そのままずり落ちて……失神した。
「これでいいか、女将」
俺は振り向いて終わりを告げると、撃たれるかもしれない恐怖で震えていた女将は、
「……シキ様がご無事で……本当によかったです」
と、目に大粒を浮かべている。
透明なそれはぽろぽろとこぼれて、畳に落ちていく。
「……私は甘かったです。本当にごめんなさい。でも……本当にありがとうございます」
それまで謝罪され、そこまで感謝される謂れは、俺にはない。
「俺は一本の刀として、お前の命令に従っただけだ」
「それでもいいんです……深く感謝を致します」
ありがとうございました、と女将は深く頭を下げた。
◆◆◆◆
本来であれば眼帯男達を倒した後、すぐさま女将にマスターからの品物を渡して、虹雅渓第六階層のオンボロ宿へとさっさと帰っていたはずだった。
だが早く帰ろうとする俺を、女将が引き留めた。
壊れた大広間の修理代は(そもそも手持ちがないから)支払えないし、部屋の後片付けを手伝う気はない。
そこまでする義理はないと思ったが、女将が引き留めたのはそういった理由ではなかった。
女将からもマスターへ渡したい物があるらしい。
「せめて、それができるまでは……待っていてくれませんか?」
「…………」
渡すなら何も俺を介さなくても、女将で直接渡せばいい。それが難しいのならば、早亀屋など宅配業者に頼めばいい、と言ったが女将は、そんなことはできません、と首を振る。
「シキ様は先ほどの戦いで傷ついてしまい、お疲れでしょう。少しでも休んでいっていただきたいのです」
女将は「それに……」と胸に手を添えて続ける。
「以前、宿のマスター様の援助により経営難で陥り潰れかけていた桔梗屋は救われました。そしてこの度は――暴漢たちによって壊されようとしていたところを、あの方の遣いとして来られたシキ様に助けていただいたのです。店はマスター様に二度も救われたのです。桔梗屋を助けるために、命をかけてくれた貴方様を手ぶらで帰すなんてこと――絶対にできません」
「…………」
コートはそこまで汚れていないし、疲れも大して感じてはいなかった。それに、斬り合いに命をかけるなんて、剣士にとっては当たり前のこと。そこまで大仰にとられるのはおかしな話だ。
だが断ろうにも女将の目は真剣であり、コイツの頼みを無碍にしたことがマスターに漏れてしまい、文句を言われ、最悪の場合、報酬金がもらえなくなる可能性も大いにある。
それではとてつもなく困るので、面倒だがマスターへ渡す物ができるまでの間、桔梗屋へ留まることにする。
「休む場所くらいは俺が選んでもいいだろ」
「構いません。桔梗屋の近くでしたらどこでも」
「……店の周辺にいるようにする。用意ができたら呼んでくれ」
かしこまりました、と女将は頷くと、隣にいた女中と共に他の店の者達へ呼びかけ、大広間の清掃に取り掛かり始めていった。
マスターへ渡す物ができるまで、外で待つとするか。出入口に向かって歩いていると、畳の上に転がっている一本の刀が目に映る――眼帯男によって無造作に打ち捨てられた刀があった。
「…………」
お前は、持ち主を選び間違えてしまったな。
刃が折れるその時まで、最後の最期まで、主と共に戦いたかっただろうに。少しの間それを眺めていると、不意に視線を感じた。振り向けばキュウゾウがこちらを見ている。
「…………」
「…………」
赤い目はじっと見つめてくるだけで何も言わなかった。なぜだろう。後ろめたいことなど、俺には何一つないはずなのに。
俺は逃げるかのように、その緋色の目から視線を逸らすと足早に部屋を後にした。
背中に突き刺すような奴の視線を感じながら。
◆◆◆◆
“時代は変わったんだよ!”
“あの大戦の時もそうだったろうが――刀なんかより、銃の方が断然、強いんだよ!”
「…………」
勝つために手段を選ばず戦うことが合理的で、正しい判断とはいえ、サムライのくせに己の魂ともいうべき刀を捨てるなんて……。
表情には出さなかったが、俺は少なからず衝撃を受けていた。
刀は人を斬るものだ。斬れなければ存在する意味が無い。
折れたり、曲がったりすれば捨てられたり、別のものに代えられたりするのは至極、当然だ。刀は使わなければ錆びていく一方。
だからこそ戦場で斃れることは刀として幸せなことなのだと父上はいっていたが……。
あの眼帯男はサムライと名乗りながらも――砕かれてもいない、折れてもいない、いつでも主のために相手を斬る刀を捨てた。
銃の方が強いから、と言って刀を塵芥のように捨てた。
父上、申し訳ございません。
物心がつく前から一本の刀となるために、無刀の剣士となるために、鋼音家に代々継いできた無刀流を俺に叩きこんでくれたのに。鋭き刀であるために感傷を抱くな、と教えられてきたのに。
刀を蔑ろにするサムライを目前にして、心が乱れてしまったらしい。
全く、なんて未熟。
空の戦で生身の体から機械の体へと姿を変えたサムライなんて、刀から銃に武器を変えたサムライなんて……嫌になるほど幾度も何度も見てきただろうが。
「馬鹿か、俺は……」
刀は人を斬り殺す道具だ。
人を斬ってこそ、人を殺し続けてこそ刀だ。
それ故に本来ならば……持ち主はアキンドでも農民でもなり得ない。
人を斬ることの恐ろしさを知っている、その罪を受け止めることができる、戦場を生きる場所としている剣士が、サムライが望ましい。しかしそんなサムライなんて、今の時代にいるだろうか……。
そんな奴いるわけ――、
「シキ」
近づいてくる気配があったから分かっていた。
振り返らなくても、その声の主が誰だかなんて分かる。
戦場の匂いが、血の匂いがする。
なんで……ここに来るんだ。
絹のような金色の髪、血のような赤の外套、二本の刀を背負う孤高のサムライ。
「キュウゾウ」
「…………」
「お前……帰ってなかったのか」
そう聞くと後方から「まだだ」と言う返事があった。
雇い主のアヤマロの桔梗屋での用事は終わっていないのか。
「相棒のヒョーゴが探しているかもしれないぞ」
「厠へ行く、と伝えている」
「嘘をついたのか。知らないぞ。嘘がバレて減給されても」
「問題ない」
仲間へ虚言を付いたことに対する悪気を一切、感じさせない、潔い返答だった。
「…………」
それにしても……何しに来たんだ、こいつは。
暇なのか、と思っていると人の許可も取ることなく、勝手に俺の隣へ腰掛けてきた。
見遣れば、片膝を立てて座る姿勢でおり、取り澄ました顔が目に入った。その姿が、えらく様見えてくるのが腹が立つ。相手がキュウゾウなので、俺は反射的に奴を睨んでいた。
「お前、何しに来た」
「お主に会いにきた」
「…………」
会いに来た、なんて。さらりと人に向かって言えるのは、俺が知る限りお前くらいだわ。
恥ずかしくないのか。
「……俺は今、何故だか無性に気分が悪くてな。独りになりたいから、ここに来たんだ」
「そうか」
「いや『そうか』じゃない。帰れ」
「断る」
「お金やるから」
「あるのか?」
「あるわけないだろ。察しろ、馬鹿」
他人にあげられる程、お金に余裕があるならこんなところにお遣いなんぞ来るものか。だが、何度「戻れ」と伝えても――キュウゾウは取り合う気もなく、立ち去ろうとする気配すらない。
文句を言うのも段々馬鹿らしくなってきて、徐々に疲れてきたので俺は奴を放っておくことにした。
「……ここにいてもいいから、黙ってろ」
「分かった」
キュウゾウが頷くのを見て、俺はきらびやかで退屈な里の眺めに視線を戻した。常に無表情で口数が少ない奴が一人で騒いでいる姿なんて全然想像できないものだが一応念のためだ。
「………………」
「………………」
しばらくの間、無言の時間が続いていたが――その間キュウゾウは何も話さなかった。
どうして独りになりたいのか、と理由を聞こうともしなかった。
慰めの言葉も、励ましの言葉も、何一つもない。
静かにずっと傍に座っている。
ただそれだけなのに。
不思議だ。
何もしていないのに――気が付けば、先程自分の中にあった気分の悪さは消えて無くなっていた。
「…………」
非常に認めたくはないが認めざるを得なかった。
キュウゾウがきたおかげで、それをきっかけとして俺の抱いていたモヤモヤが解消されたのだろう。
ここに来てからというもの、普段は考えもしないことを大真面目に考えてしまったせいで――気分が悪くなってしまったみたいだ。 本来ならここで「ありがとう」と伝えた方が人との付き合い方としては善いことなのだろう。だがキュウゾウ相手に素直に感謝するのは何だか癪だったので俺の中に留めておくことにした。
いつか気が向いたら、伝えてやってやらなくもない。
「なあ、キュウゾウ」
「何だ」
「お前は、サムライ、だよな」
「…………」
「そうだよな」
こうして――キュウゾウと二人になれる時は次にいつ訪れるか分からない。もしかすると二度と来ないのかもしれない。ヒョーゴの真似をするのではないが丁度いい機会だ。
俺も聞いてみることにしよう。
今の時代は地にも空にも戦場がないために――血を見ることもなく平穏で、緊迫感もなく安定だ。
刀を抜くことも刃を交えることも少なくなってしまった。サムライがサムライとして、生きていくには生きづらい世の中かもしれない。
それでも。
「お前は、刀を捨てる、なんて、そんなことしないよな……?」
血と戦場の匂いがするキュウゾウには剣士として、サムライとして、在り続けていてほしい。
世界平和を謳っているアキンドの時代に合わせることなんてない。
サムライとしての己を貫いてほしい。
そう思わずにはいられない。
「…………」
迷っていたのか、それとも考えていたのか。
返答に間はあったものの、キュウゾウは一文字に結んでいた口を開く。
「愚問だ」
「キュウゾウ、それって……」
「俺は刀は捨てぬ」
淀みの無い目が真っ直ぐに見つめてくる。
何故だろう。
キュウゾウのことだから、下らない、とか何とか言って答えないか、問いかけを無視してこの場を早々に立ち去るかと思っていたが。
それなのに馬鹿正直に答えるなんて――、
「そうか……」
と、言って、ほっとしている自分がここにいた。
「そうだよな。お前はサムライだもんな」
「シキ……」
「今の時代……戦場もなくて、血も流れなくて、平和で退屈だけどさ。それでも、どんなに時代が変わろうとも……剣の道、歩み続けてくれないか」
「ああ」
言われずとも、とキュウゾウは頷いてくれた。
コイツのことなんか、気に食わなかったはずなのに。
何故だろうか。俺は今すごく嬉しい。刀である俺の心が浮き立っているなんて、いつ以来だろう。
だが自分の喜んでいるところをキュウゾウには見られてくなくて、顔を隠そうとするとグイッと引き寄せられた。
「え?」
気が付けば、背中に両腕を回されて、キュウゾウに抱きしめられていた。奴の左肩口に顔を押し付けている形で抱き寄せられている。
「いきなり、何を――」
と言って離れようとしたが許さないとばかりに、更に強く抱きしめられた。
「――ッ」
体が密着しているせいで、キュウゾウから香ってくる血の匂いが濃くなった。酒で酔ったみたいに頭がぼうっとしてくる。
このままだと、自分が自分ではなくなってしまう、そんな気がする。この状況は、この状態は、よくない。俺は何とかして両腕を間に滑り込ませ、キュウゾウの胸板を押し出そうとしたが抵抗しても無駄だ――とでも言うように、左の耳元に息を吹きかけられた。
「……ッ」
ビクンッと体が震える。触れてくる感触がくすぐったく、身を捩らせていると「離さぬ」と囁かれて、耳たぶを噛んできた。
そしてそのまま首元に唇を這わせてくる。
な、なんで?
どうして先程の真面目な雰囲気から一転して、こんなおかしい状態になっているんだ?
「きゅ、キュウゾウ……」
「何だ」
「……ッ」
奴の吐息が首筋に当たって変な感じがする。
我慢しないと。
「唐突にどうしたんだ? こんなことするなんて……」
どこに抱擁される理由があったのか。
「俺、お前に何かしたか……?」
そう聞けば首筋に唇を当てる行為を止めてくれた。顔を上げて俺の顔をじっと見つめるキュウゾウは「ふっ」と小さく笑っただけで、まともに答えてはくれなかった。
「おい」
睨みつけても素知らぬ振りをされ、答えはなかった。くっ付き過ぎているせいで体勢が少しきつい。
「苦しいから離れろ」
そう文句を言うと背中に回した腕の拘束を緩めてくれた。(本当は完全に離してほしかったがそれ以上というと更に大変なことになりそうだからやめておいた)
近過ぎた体を何とか離れさせることはできたものの、今度は右の頬に左手を添えられ、互いの顔が正面から向き合う体勢となる。
何だろう。このままだと――、
“俺のものになれ”
また「アレ」をされてしまうんじゃないか?
「シキ」
「――ッ」
思った通り、キュウゾウは顔を近づけてきた。
「――――」
咄嗟に避けようとするもそれは許されなかった。
いつの間にか俺の頬に添えられていた奴の左手が、俺の後頭部へと移動していたからだ。
「逃さぬ」
細められたキュウゾウの紅い瞳が妖しく光って見える。完全に獲物を狩る獣の目だ。
早く、早く……何とかしないと。
「キュウゾウ、落ち着け。少しでいいから落ち着けよ。なっ」
「俺は落ち着いている」
「なら、なんで……? お前、今自分が俺に何をしようとしているのか。分かっているのか」
キュウゾウは「ああ」と難なく頷く。
「お主に口づけようとしている」
「く、口づけって……」
「接吻」
「い、言い換えんでもいい! 馬鹿!」
「そうか」
少しの迷いも躊躇いもなく、簡単に言ってくれる。恥ずかしくはないのか。コイツには繊細な心というものはないのか。
……いや、あるわけないか。
だからこそ、こういうことを平気でやろうとする。
「なんでこんなことするんだ」
「したくなった」
「……あのな、こんなことしてもお前が得することなんて、何にもないだろ」
「何故だ」
「何故って、それは……」
生前の兄上からの受け売りだが(というよりも俺にある知識のほとんどは兄上の教育によるものだが)人には大きく分けて三つの欲があると教えられた。
一つは食欲。
空いた腹を満たしたい、美味しい物を食べたいという欲求。
一つは睡眠欲。
疲れた体を休めたい、眠りたいという欲求。
一つは性欲。
快楽を得たい、気持ちよくなりたいという欲求。
キュウゾウのコレはきっと性欲によるものだ。だからこそ――俺のものにしたいとか、口づけたいとか言ってきたのだろう。
性的な欲望を満たしたいならば――癒しの里にいる綺麗所の女に頼んで満たしてもらえばいいと。
確かに自分の身体は女のものだが、あくまでも俺は人でありながら、相手を斬る一本の刀として在る者なのだと伝えた。
斬り合いならば良いが、それ以外ではお前を満たすことはできないのだと言った。
最後まで話を遮ることなく、いつもの無表情で黙って聞いてくれたキュウゾウだったが、返ってきた答えは――、
「それだけか」
という何とも容赦のない、非人情で、無慈悲な一言だった。
せっかく言葉で伝えることを苦手としている俺が説明してやったというのに……問答無用の一刀両断だ。
「お前な、俺がせっかく――」
「シキ」
「何だよ」
「俺は、シキが欲しい」
「ひゃい!?」
いきなり、何を言い出すんだ。
こいつ正気か。
俺としたことが、思わず噛んでしまったじゃないか。
「お主以外いらぬ」
「おい、それって……」
「故に触れたい。口づけたい」
熱の籠もった緋色の目だった。
キュウゾウの眼差しから逃れようとして顔を俯かせたが、耳元に唇を寄せられて「シキ」と名を優しい声で囁いた。
「いきなりは、駄目なのだろう」
「キュウゾウ、俺は――」
刀だから、と言わせてもらえなかった。
「嫌なら、抵抗しろ」
キュウゾウは言うや否や左手で俺の顎を掴んで面と向き合わせる。射抜くように見つめてくる紅い瞳から、俺は目を離すことはできなかった。
まるで、血みたいで綺麗だ。
気付けば俺はゆっくりと、自由になった両腕をキュウゾウの背中へと回していた。細身に見えても体つきは意外とガッシリしていたことに、キュウゾウもしっかりと男なんだな、と意味もなく思った。
了承の合図として受け取ったのだろう。
キュウゾウは小さく笑みを浮かべると目を閉じて、顔を傾けて、距離を縮めてきた。
どうして、だろう。
なぜ俺はキュウゾウを拒んでいないのだろうか。いけ好かなくて気に食わない奴だと、あんなに嫌がっていたくせに。これが「ほだされる」ということなのだろうか。
「惚れた、腫れた」はよく分からなくて苦手だ。
「切った、張った」の方が分かりやすくて好きなのに。
「…………」
互いの吐息が感じられる寸前まで、唇が迫る。行き交う人の喧騒もあって、癒しの里は決して静かな空間ではないはずなのに。
この場の空間だけ「ドクン、ドクン」と俺の心の臓が、鼓動がとても大きく聞こえてうるさい。
キュウゾウの耳に聞こえてなきゃいいけど――、
「シキ様〜! どこにいらっしゃいますか~!」
唇が重なりかけたその時、突如として響いた女の声に、俺とキュウゾウは同時に目を見開いてピタリと止まった。その後に続く「どこに行ったッ」という明らかに同僚を探しているのであろうヒョーゴの怒声が耳に入った瞬間、
ドンッ!
俺は掌底を繰り出して、キュウゾウを屋根の上から突き飛ばしていた。
「―――ッ」
やってしまった……と思ったが、それどころではないと首を振る。キュウゾウならサムライだし何とかするから大丈夫だろう、と自分を納得させて、呼ぶ声のする方へ跳ねるように素早く移動した。
店に戻ってきた俺の様子にただならぬものを感じたのか、女将から「大丈夫ですか?」と心配げな顔をされたが「気にするな」と返す。
何かしらあったことを女将は察しただろうが、何も聞くことなくただ頷き、ご案内致します、と先に歩き出す。
俺は安心してほっと息を吐いた。
あ、危ないところだった。
未だに自分の心臓がバクバクとうるさく脈を打っている。キュウゾウと二人でいるところを――あんなところを誰かに見られでもしたら……。
想像するだけで、あまりの恥ずかしさに、死にそうで、熱が吹っ飛ぶまで癒しの里中を駆け回ってしまいそうだった。
