第三話


 待てども、待てども。待ち人の女将には会えず。俺は、いつになったら品物を渡して、お遣いの任を終えることができるのだろうか。 「暇だ」「退屈だ」と文句を言ったところで解決しないし、さっきみたいな恥さらしはもう勘弁だ。
 だから眠ってしまわないように時折、手の甲に爪を立てたり、指先を揉んだりして眠気を防止する。そうやって女将が来るのを待っていると、こちらもアヤマロの用事が終わるまで待っているのだろう、正座をしているヒョーゴに「おい」と、声をかけられた。

「随分と暇そうだな、お前」
「誰かさんが、早く商談を終えろって、アヤマロに伝えてくれれば解決すると思うが」
「そんなに暇なら、少し話をしないか? 丁度お前に聞いてみたいことがあるしな」
「……ちっ」

 人のさり気無いお願いを完全に無視して、ヒョーゴはそう言った。今更この俺に対して何を聞くことがあるのか。不思議に思いつつ「何だよ」と聞くと眼鏡越しにヒョーゴの目が俺を見定めるように見てきた。

「前に御殿に来た時、俺たちの前で言ったよな。自分は刀なのだと」
「ああ」
「刀なら所有者となるサムライがいるはずだろう。お前にはいなかったのか?」 
「…………」
「俺に知り合いに、刀を使わない剣術、無刀流を知っている者がいてな――」

 そのサムライが言うには「戦場で一度、刀を持たない男と剣を交えた」のだそうだ。途中、爆風に巻き込まれてしまったため、死闘の決着はつかず仕舞い。だが身体を機械化せず、生身の体で、刀も持つことなく、人よりも巨大な雷電や紅蜘蛛に、次々と斬り込んでいくその様は遠目に見ても大層恐ろしかったと語った。
 その男の側にはサムライがいた。 男の、無刀の剣士は言った。サムライを「刀である儂の持ち主だ」と。

「――それで、どうなんだ?」
「昔、一人だけいた」
「ほお。そいつは今どこにいる?……まさか――」
「あの大戦で死んだ」

 その返答にヒョーゴは目を開き、キュウゾウは無表情でこちらを見る。二人の反応は「刀である俺の持ち主が戦死していた」という事実よりも、答えた俺自身が何の感情もなく、一切迷うことなく、淡々と答えたことにあるようだ。実際に――俺の心も揺れてはいない。

「……そうか」

 悪かったな、と続けたヒョーゴに、別に、と俺は首を振る。

「戦場で人が死ぬのは当たり前だろ」

 お前達サムライなら、当然知っていることだろう、と難なく言うとヒョーゴは「そうだな……」と、力なく言った。 なんとなく俺は、ヒョーゴからキュウゾウへと視線を移動させる。

「…………」
「…………」

 赤い瞳と目が合う。以前、虹雅峡で出会った――薪割りが上手くて、米が大好きなサムライはいつも笑顔でいるのとは裏腹に、戦場で起きた裏切りにより心に痛みを受けて、今もなお苦しんでいる。 
 剣が強くて、常に無表情なキュウゾウは、戦後の中では安定した職――アキンドの用心棒について食べていける仕事をしているのに、戦という生きる場所を失ってしまい、サムライとしての生を感じることができずに日々を虚ろに過ごしている。

(そして刀である俺は……)

“僕の刀になってくれませんか?”

「…………」

 今となって思い起こしてみても本当に変わったサムライだった。自分でも何故、持ち主として選んだのか、と思うくらいに。
 「人を斬るのはいつまで経っても慣れない」とか「戦っていうのは本当に嫌なもの」だとか、よく口にしていた。
 何故お前のような者が戦場にやってきたのか、なんて同じ部隊の仲間からも馬鹿にされて、陰口を言われていた奴だった。

(だがアイツは、もうここにはいない)

 戦場で散った奴のことを思い出すなんて、無駄な行為で、無意味なことだと、浮かんできたソイツの面影を、頭から振り払う。

「……俺からも少し話をしてやるよ」
「何だ」
「刀を選ぶのは、サムライじゃないって話」
「……何だそれは?」
「刀は、サムライが選ぶもの。そう、思っているだろ」
「まあ、そうだな。……というより、実際にそうだろ」

 手に馴染むから、よく斬れるから、名刀だから……と刀を選んだ理由は色々とあるだろうが。

 それがどうした、という顔でいるヒョーゴに対して、キュウゾウは話の続きを待っているのか、じっと俺の目を見て、何も言わずに黙っている。

「俺が生まれた鋼音家では刀がサムライを、持ち主を選ぶと代々伝えられてきた」
「刀が、サムライを選ぶ……だと?」

 何を言っているのだと、訝し気に聞いてくるヒョーゴに俺は「ああ」と頷いた。

 刀は斬る相手を選ばない。ただし持ち主は選ぶ。

 刀となること。無刀の剣士となること。斬る相手は選ばないこと。ただし持ち主は選ぶこと。父上から念仏のように何度も、幾度も聞かされた。聞き続けてきた。

「たとえ戦で折れても、砕けても――刀は己が選んだ持ち主のために斬るもの。相対する者を斬って、斬って、斬り続けることで――そうすることで持ち主を守ることができたならば、刀にとってそれ以上に勝るものがない幸福となる――と、俺は父上に教えられてきた」

 そう言うと、ヒョーゴは、どこぞの信者みたいだな……と若干引き気味になりながらも「そこまでいうなら」と口にする。

 「お前は、戦が終わってから今の今まで……持ち主に相応しいサムライを探していたっていうのか?」

 その問いかけに俺は「いいや」と首を振る。

「俺は父上ほど、持ち主探しに強くこだわっていないし、サムライを信奉はしてない。だが俺は刀だからな。相手を斬るために、戦うために在る。だからこそ虹雅峡に来るまでは立ち寄った街なんかで、強そうだな、と思う剣士が、サムライが目に付くたびに斬り合いをしていた」
「……なんか自由奔放な奴だな、お前」
「剣士と剣士が向き合えば、戦わない理由なんてあるもんか。お前らサムライだって、そうだろうが」

 だが生前の父上が言ったように、俺は本当に会うことができるのだろうか?
 お前の刀になりたい、と、最後の最期まで生き様を見届けたい、と心から言える者と。俺が無刀流九代目当主として、刀としてあり続けていれば、人を斬り続けていれば、きっと。

「まあ俺でも、コイツの刀になりたいと、ピンとくる奴がいたとしたら――このサムライに仕えようとか、考えるかもしれないな」
「やめておけ、シキ」
「何だ。唐突に」
「もう探すのは――諦めた方がいいな」

 ヒョーゴは「悪いことは言わん」と首を振って続ける。

「探すことなど徒労だ。無駄に終わるだけだ。今や時代はアキンドのもの――刀を存分に振るう場所はおろか、ましてや戦場など……どこにもありはしない。剣の道に純粋に生きる者など、サムライとして生きる奴などもういない」

 自嘲気味に口元を歪めるヒョーゴ。その笑みは、時代が変わったことで生きる場所を失い、亡霊のように消えゆく一方であるサムライの未来を案じて、憂いているのか。

(……お前も、そうなのか?)

 ヒョーゴの隣に座るキュウゾウに視線を移した。顔を少し俯かせている。何を思っているのか。奴の表情からは読み取ることはできない。 だが、それでも――、

「関係ないだろ」と、俺は首を振った。

「サムライの時代が終わっても、アキンドの時代に変わっても、サムライはサムライだろ」
「……サムライでもないくせに。己を刀だ、無刀の剣士だと自称するお前が何を言う」

 お前なんかに何が分かる、といわんばかりの顔をヒョーゴはしていた。確かに俺は刀で、無刀の剣士だ。 
 鋼音家は剣士として最強であるために、刀一本で戦うことを、斬ることを最も重要視した。剣士として強く在ること、斬ることに対するこだわりすぎるあまり、弓を捨て、槍を捨て、最終的には刀を捨てて、己を刀にすることで、無刀の流派をつくってきた。
 確かにそれはサムライとはいえないだろう。だが、サムライではないとしても、あの長い戦が終わってからも、無刀の剣士として生きてきた俺には、これだけは言える。

「アキンドの時代だからって――時代に、奴らに合わせることなんてない」
「……人は時代に合わせなければ生きていけないだろ」
「まあ、そう言う奴もいるだろうな」
「ほれ、みろ。やはり――」 

「だが」と俺はヒョーゴの言葉を遮る。

「時代だから合わせるべき……なんて、俺はごめんだ。だってそうだろ。今の時代――サムライであることを貫こうが、アキンドに合わせて生きようが、どっちを選んでも苦しいことに変わりはない。ならこうは思わないか? どうせ苦しむのだったら、己が生きたい道を選んで、そっちで苦悩すればいい。在るがままに自分を生きればいいだろ」

 おれが刀であるように。

「何を、馬鹿なことを……」

と、ヒョーゴは口にするが、その続きを言えないでいた。
 少なくとも、サムライとして生きたい――という思いを完全には捨て切れていないと観る。
 だからこそ、たとえどんなに愚かだとしか思えないことでもまずはやってみればいい。それでうまくいかないのなら、またやり直せばいいのだから。

「…………」

 ふと、視線を感じた。見遣ればキュウゾウが俺を見ていた。紅い瞳と目が合う。お前だってそうだ、と俺は頷いてみせる。

 剣の道に果てはない。道を終わらせてしまうのはいつだって、自分自身だ。

 戦乱の世だろうが、泰平の世だろうが、そんなものは関係ない。生き方を変える必要はない。俺は剣を極めたいだけだ。それこそが刀として、無刀の剣士としての鋼音シキの生き方。
 どんなに辛くても苦しくても、命尽きる時まで剣士としての道を生きていくし、ありのままの、己の生き方を貫こうとする姿を見届けたい、と心から想える人物を求めている。

「だからこそ、俺は――」

その時、耳を劈く女の悲鳴が大きく響いた。

◆ 

 ドタドタドタ……!

 慌ただしく走っているのか、大きな足音が響き、俺らのいた部屋の前で止まるや否や戸が勢いよく開かれた。

「はあ……はあ……はあ……」

 酷く息切れをしながら部屋へ倒れ込むように入ってきたのは女で、見たことがあると思ったら、俺をこの部屋まで案内してくれた女中だった。

「どうした、何があった?」

 女のただならぬ様子にヒョーゴがいち早く駆け寄って、状況を問う。女中は気付くと、ガシッとヒョーゴの腕を掴んで――、

「た、助けてください!」

と叫んだ。助けろといわれても一体、何が起こっているのか、何から助ければいいのか。
 ヒョーゴがどうしたと何度聞いても、女中はお願いします、助けてください、と同じ言葉を繰り返すばかり。
 これでは話の要領を得ることはできない。困り果てた奴は、キュウゾウへ顔を向ける。

「…………」

 どうする、という視線を向けられても、キュウゾウは何も言わず無表情のままだ。ヒョーゴもそこまで期待していなかったようで、何も言わぬか、と苦笑いで息を吐く。
 内容は不明瞭だったが、店で何かあったことは間違いない。とにかく「助けてほしい」というので、ヒョーゴは女中に案内をさせることにした。雇い主のアヤマロの身に何かしらの危険が迫っているでは、と考えたのかもしれない。 
 アヤマロの生死なんてどうでもいい俺は待つだけの退屈な時間はまだ続くのかな……と思っていると、ヒョーゴが「おい」と声をかけてきた。

「お前も行くぞ」
「断る。俺には関係ないだろ。二人で行って来いよ」
「どうせここにいても暇だろう。いいから、来い。刀というならばサムライの役に立て」
「ヒョーゴは俺の所有者じゃないだろ」

 たとえ暇であっても、部屋に残る気満々だったのに。女将に頼まれた品物を渡すだけという――ただのお遣いに来ただけの者で、仲間でもない俺が共に行くなんて、理由も謂れもないはずだが。 なぜ俺が……と溜息を吐いていると――、

「…………」

ヒョーゴと同様、キュウゾウもこちらを見ていた。

”共にこい”

 赤い眼差しで強く言ってくる。断ろうものなら、この場で斬るって魂胆なのか?

「シキ」

 キュウゾウが一歩、歩み寄ってくる。

「…………」

 俺が動くなら前方か、左右のどちらかになるが……コイツ相手に体を引かせるのは嫌だ。元より後ろは壁だから後退は不可能なのだが。

「ああ、もう分かった。行くよ。行けばいいんだろう。……ったく」
「早くしろよ」

 先に行ってるからな、とヒョーゴはキュウゾウを伴って、女中の後について部屋を出て行った。奴らが去った後で、俺は溜息を吐く。何か面倒事が、ここ桔梗屋で起きている気がする。
 本当は行きたくないが、奴らに向かって、行くと言ってしまった手前、もう引き返せない。

 武士に二言はない。刀にも二言はない。

 仕方がない、とゆっくりと立ち上がる。……別にキュウゾウ達に従って行くのではない。待ち続けることがもう限界だったからだ。マスターから女将へ宛てる品物は壊してしまうと給金がもらえないから、ここに置いていく。

「……よし、行くか」

 俺は、一つ深呼吸をしてから部屋を後にした。

――――

 女中の案内で着いた場所は桔梗屋の大広間だった。その部屋の中からただ事ではない雰囲気を感じたのだろう。ヒョーゴは通路で待つように女中へ言って、障子戸を開けて部屋に入っていった。その後をキュウゾウが続いていく。

「…………」

 渋々ながら、俺も入室する。

「御前!」
「おおっ! ヒョーゴ、キュウゾウ、来てくれたのか!」

 ヒョーゴは「ご無事ですか」とアヤマロのもとへ駆け寄っているのに、キュウゾウは無表情で一言も発することなくゆっくりと歩いて向かっている。そんな奴の態度に慣れているのだろう、アヤマロは特に言及しない。 
 部屋の中にはアヤマロの他に細い女と太った男、小さい男の三人、そして向こうに刀を携えている男の集団がいた。畳には飯と酒瓶が散乱していて、座布団に、三味線などもある様子からアヤマロ達の他にも人が多くいたのだろう。
 辺りから血の匂いはしない。他のヤツらは怪我もなく、店の外へ逃げることができたみたいだ。

「何だ、お前らは!」

 男たちは大広間に突如として現れたヒョーゴとキュウゾウを睨み付け、腰の刀を手にかけ、一歩進んだが、それ以上の進行はして来なかった、というより出来はしない。何故なら――、

「くそ……!」
「何だよ、コイツ……!」
「…………」

 遮るように立っているキュウゾウの幽鬼のような佇まいと、奴の殺気に呑まれてしまって、それ以上一歩でも動くものなら斬られるかもしれない、という恐怖で容易に近づけないでいるからだ。
 俺は素直に感心する。剣気で人を威圧し、動けなくするとは流石だ。やはり剣客は違う。

「こいつらは一体……?」

 ヒョーゴの疑問に、アヤマロの近くに座り込んでる細い女が答える。
「……以前、私共のお店にきていた、おサムライ様達です。はじめは他のお客様と同様に楽しんでおられたのに『戦がないのはお前らのせいだ』『こんなもののために刀を振るったのではない』など、唐突に意味が分かりかねる理由で、私達やお客様相手に暴れ出してしまって……それ以来、二度とお店に入らないよう出禁にしたのです」

 自分達サムライを、侮辱したことへの報復をするためにやって来たのだと言っておりました、と女は言った。そんな話に、ヒョーゴは呆れ顔になって、これ以上ないくらいの深い溜息を吐いている。

「……そんなことでわざわざ復讐をしに来たのか。心底、下らぬ奴らだ」
「何だと!」
「やい、そこの眼鏡と金髪! お前ら二人だってサムライだろう!」
「そうだが、それがどうした」

 ヒョーゴは腰と手を当てると、男たちの一人が「何故分からないのか!」と握り拳をつくって、身を震わせている。

「こんな店を作るために我等サムライは戦をしていたのではないのだぞ!」
「それがアキンドの犬に成り下がりおって! サムライとしての誇りを忘れて、腑抜けてしまった貴様らに下らない、と言われる筋合いはない!」
「…………」
「…………」

 ヒョーゴとキュウゾウ。
 二人と対峙するサムライくずれの集団。
 斬り合いが始まりそうな緊迫した状況を俺は離れた場所で静観する。
 厳密にいえば――キュウゾウは見ているだけで、文句を言ったのはヒョーゴだけなのだが。怒りで騒ぎ出す男たちの様子に、俺は「ヒョーゴの馬鹿」と内心で嘆息する。男共を無駄にたきつけるようなことをしてどうする気だ。そういうのは思ったとしても心の内で呟かないと駄目だろうに。

(まさか、ヒョーゴの奴……わざとなのか?)

 あえて相手に聞こえるように言うことで、冷静さを喪失させる作戦なのだろうか。......いや、違うな。ヒョーゴのあの歪んだ目は完全にサムライくずれ達を用心棒をしている自分とは違うと馬鹿にしているものだ。それにしても……。
 アヤマロの近くにいる細い女――桔梗屋にいた女中達とは違って、着物の上に青みがかった紫色の立派な羽織を纏っていた。まさかとは思うが、あの女が……。

「桔梗屋の女将でございます……」

 俺の疑問に答えるように言ったのは、さきほど案内してくれた女中だった。障子戸の陰に隠れて、部屋の様子を恐々と見ている。
 アレが女将ならば、隣にいる太った男はアヤマロと宴を楽しみながら商談をしていたアキンドの一人なのだろう。アヤマロと似たような体型だ。あれではサムライくずれ達の襲撃の際にすぐに逃げられなかったことに頷ける。
 今の状況だと難しいが、運よく店から無事に逃げ帰ることができたならば、これを機に食事制限をした方がいい。やるかどうかは本人次第だが……。
 マスターの話によると「癒しの里」にはアヤマロが支配する虹雅峡とは別に、独自のルールが敷かれていると聞く。
 争いごとはご法度。帯刀は許すが、抜刀は禁止。癒しの里はあくまでも歓楽街であり、浮世を忘れて、疲れた体と心を癒すためにいく場所。そこで起こる男と女の「斬った、張った」に本物の武器はいらない。
……という、刀であり、剣士でもある俺にとってはとても理解しがたい決まりだ。仕事でなければ、立ち寄ることもない場所だろう。
 刀は人を斬るためにある道具だ。鈍らだろうが、名刀だろうが、持っていれば人を斬りたくなるのが刀。すなわち、この世にある刀という刀は全て「妖刀」といっても過言じゃない。
 いつでも人を斬れる道具をもっていて、何時でも殺す方法を心得ているからこそ――サムライをはじめとした剣士には、武士道や倫理や道徳といったものが求められているんだろう。

 (まあ、そんなものがあったとしても……己を律するなんて、容易ではないと思うけど)

 現に今、実際に刀を持った男達が各々に刀をもって、店を襲っているのだから。 本当の意味で争いごとを起こしたくないなら、里を出入りする時は刀を持ち歩くこと自体を許してはいけないと思う。
 それに、いくら「抜刀禁止」「戦闘厳禁」だと言っても、今の状況――刀をもった数人の男たちが座敷にやってきているところを思えば、ルールに従っている場合ではない。馬鹿正直に守るものなら自分たちの命が危うくなってしまう。
 恐らくだが、これからキュウゾウとヒョーゴは刀を抜いて、サムライくずれ達と大広間で斬り合いを繰り広げるのだろう。あわよくば、俺は女将を待っている間の退屈凌ぎができるかもしれない。

(早く、斬り合い始まらないかな)

 キュウゾウとヒョーゴがサムライくずれ達と睨み合っている様子を部屋の壁に背をもたせながら眺めていると、「あの……」と小さな声がした。聞こえた方向へ首を向けてみると、女中が障子戸から顔を覗かせていた。ここに来てから少しは時間が経っていたから、それで何とか平常心を取り戻せたのだろう。

「どうした」
「あ、あの……シキ様に、お、お願いがございます……」
「……俺にか?」

(なんだか、すっごく嫌な予感がする)

 これから女中が言わんとしていることが……嫌でも予想ができる。「聞きたくない」という俺の意に反して、女は「あの……」と、おずおずと口を開く。

「私どもの店を――女将を、助けていただけないでしょうか?」

 予感的中。
 だが、今回に関しては、俺が刀として動く必要はない。

「断る」
「そ、そんなぁ……!」

 どうしてですか、と女中が障子戸から俺の前に走り寄ってきて、涙目で迫る。説明するのも億劫だと感じたが、これ以上詰められ、泣かれることの方がもっと嫌で面倒だったから、俺は答えてやることにする。

「俺は、マスターからの依頼で女将へ品物を渡しに来ただけの、ただの遣いだからだ。それに――」
「そ、それに、何です?」
「今の状況を見れば分かるだろう。サムライくずれ共はアヤマロの用心棒の、あのサムライ二人が相手をしてくれる。俺が出るまでもない」

 人数では奴らに分があるが、キュウゾウとヒョーゴなら問題ないだろう。集団のほとんどはキュウゾウの放つ剣気に押されており、大して動けそうにもない。ここで戦闘が始まっても時間もかからずに、すぐ終わりそうである。

「で、ですが……」
「やけに食い下がってくるな、お前。何か理由でもあるのか?」

 相手はくずれといえどもサムライ。だから同じサムライであるキュウゾウとヒョーゴに任せていれば、無事に終わると言っているのに。何故そこまで頑なに俺へ救出を頼もうとするのか。
 その理由を聞き出そうとすると「おい」と声が横から割って入ってきた。ヒョーゴとキュウゾウがこちらを見ている。恐らく呼んだのはヒョーゴだろう。 どうした、と俺は首を傾げる。

「戦わないのか? 俺は早く斬り合いが見たいぞ。だからとっとと刀を抜いて殺し合え」
「阿呆か。それに言っておくが斬り合いをするなら……やるのはお前だ」
「…………はい?」
「無刀流九代目当主鋼音シキ。刀であり、剣士でもある、お前の出番らしいぞ。良かったな」

(なんだそれは。どういうことだ?)

 空いた口が塞がらないでいる俺を他所に、ヒョーゴが「おい」と後方へ声をかけた。すると細い女ーー桔梗屋の女将がヒョーゴとキュウゾウの後ろから現れた。俺の前にやってきて、お願いがございます、と頭を下げる。

「鋼音シキ様、どうか、刀となって――私共を、桔梗屋を助けていただけないでしょうか」
「――だ、そうだ」

 そう言ってヒョーゴは肩をすくめる。どうやら奴も女将の発言に対して「コイツはおかしい」と思っているらしい。
 何度でも言わせてもらおう。どうしてそこまでして……一介の遣いに過ぎない俺にそこまで頼み込もうとするのだろうか。

――――

 ここで唐突だが桔梗屋について簡単な紹介に入る。
 今ではすっかり、知る人ぞ知る隠れ人気店となった桔梗屋だが、昔は今のように繁盛はしていなかった。
 むしろ反対にいつ潰れてもおかしくはない最悪の経営状態にあるお店だった。店はなんとか復帰するために、懇意にしてくれた他の同業者たちへ支援を願った。
 だがしかし、願いは叶わなかった。金の切れ目は縁の切れ目というように、そもそも店など以前から存在していないかの如く扱い、誰も店を援助しようとはしてくれなかったのだ。
 そんな孤立無援の状態であったにも関わらず、現在のような最高の状態になるまで支援してくれたのが――宿のマスターだった。 回復する見込みもなくて、支えたところでその見返りがあるとは限らないのに宿のマスターは一銭も出し惜しむことなく、桔梗屋を援助し続けた。そのおかげで――今もこうして、桔梗屋は癒しの里にて、癒しを求めてやってくる客を相手にすることができる。
 故に宿のマスターは今でも桔梗屋にとって、女将にとって、命の恩人ともいうべき存在なのである。

 “どうしてマスターは店を復帰させるために援助金を出したのか?”

 その理由は決して解明しようとしてはいけない。そこにはとんでもなく、しょうもないオチが待っている。何故なら桔梗屋の女将が偶然にもマスターの好みど真ん中であったという、たったそれだけの理由で店の援助に乗り出して、資金を提供し続けていたのだから。そして――それは現在もいろんな形で継続されている。

――――

「――つまり、店に危機が迫った時、遣いでやってくる俺に助けを求めるよう、マスターから言われていたってことか?」

 そういうと女将は「はい」と頷いて、懐から文を取り出した。

「この文には、シキ様が本日、桔梗屋へマスター様の遣いとして来ることが書かれております」
「それは前から知ってはいるが……そこからどうしたら『俺に頼れ』に繋がる?」
「手紙の最後に、追記としてこう書かれておりました。万が一、サムライに襲われるなど暴力による事件が起きた場合――鋼音シキを頼れと」
「…………」
「刀となって、店を守ってくれると」
「…………」

 確かに俺は刀だが、ただ手紙に書かれていただけで、会って間もない俺を信じるというのか。
 いや、コイツの場合……信じているのはマスターの言葉だろう。だとしても信じすぎてはいやしないか。マスター信者か、コイツは。

「女将」
「はい」
「……今の状況みれば分かるだろ。俺が戦う必要はない。女将の後ろにはサムライが二人もいる。ソイツ等を頼れ」
「いいえ」

 それはできかねます、と女将は首を振る。何故だと理由を聞き出せば「お二方はあくまでも、アヤマロ様の用心棒だからです」と返してきた。

「ヒョーゴ様とキュウゾウ様のお仕事はアヤマロ様を守ることであり、桔梗屋を守ることではありません。なので、お二人にはアヤマロ様の護衛に専念していただくように、私からお願い致しております」
「――ということだ」

 変わった女将がいたものだな……とヒョーゴが呆れ顔で後頭部を掻いている。

「…………」

 何故、女将を相手に口で負けているのだと文句の一つでも言いたくなったが、仕方ないことかもしれないと思い直す。
 生前、父上も言っていた……男は女に口では勝てない、勝つものではないと。それにサムライをはじめ――剣士というものは口ではなく、剣で語る者だから尚更だ。

「シキ様、お願いします」

 女将が畳に両膝をつくと、更に三つ指をついて頭を下げる。

「どうか……私共の居場所を、桔梗屋をお守りくださいませ。店を守るためなら――私、命をかけます」
「……お前、本気か?」
「その覚悟はあります」
「…………」

(……命をかける、か。口から咄嗟に出した、出まかせではないのか)

「女将!」

 俺の隣にいた女中も急ぎ足で女将のもとへ行くと、横に並んで、「私からもお願いします!」と女将と同じ姿勢となり、頭を下げた。

「ここが無くなってしまったら、私も生きてはいけません! どうか、どうかお店をお助けください! シキ様!」
「…………」

 一言も発することなく、黙って見下ろしている俺に対して痺れを切らしたのか、キュウゾウ達を隠れ蓑にして怯えていたアキンド達が――、

“人がこんなに、必死にお願いしているというのに”
“まさか、聞けないというつもりなのか”

 と、非難がましく後方から飛ばしてきた。この事態、金で解決できるのであれば是非とも欲しいのだが……まあ、無理だろうな。
 サムライくずれの全員が「桔梗屋憎し」「アキンド殺す」という目になっている――というか、違う。助けてくれ、とお願いをしているのは桔梗屋の奴らだろう。
 アヤマロも含めアキンドの三人は何もしようともせずに――ただ震えているだけじゃないか。

「鋼音何某とやら返事せぬか。虹雅峡差配が直々に聞いておられるのだぞ」
「…………」
「おい、聞いておるのか」
「――うるさい」
「ひ、ひぃッ!」

 腹の底から低く出した声に三人は情けない悲鳴を上げ、再びキュウゾウ達を盾とするように隠れる。何もしないなら、関係ない奴らは奥に引っ込んでいろ。

“アキンド共を黙らせろ”

 ヒョーゴへ鋭く睨むようにして目で伝えると、苦笑しながらも一応は頷いてくれた。全く……と息を吐いて、俺は女将を見る。

「…………」

 正直なことを言えば、桔梗屋がどうなろうが、女将達がサムライくずれ共に斬られようが、俺の知るところではないし、至極どうでもいい。
 だが今回、俺が癒しの里にある桔梗屋にやってきたのは――仕事のためだ。宿のマスターからの依頼で、女将に品物を渡さなくてはいけない……が、今の状況ではそれを果たすことは難しい。
 肝心の相手である女将は――戦がなくなったのはお前らのせいだ、という与り知らず、理不尽な理由で、サムライくずれ達に命を狙われている。ここで女将が斬られて、死んでしまえば、任務は果たせなくなってしまう。
 つまり――仕事による報酬を受け取れず、俺は飯が食べられない……それは困る。 女将を待つ間、品物を持ってきたお礼としての――無料の飯を出してもらったので、それを一宿一飯の恩ならぬ、一飯の恩として返してもいいかもしれない。
 毎日が貧乏食である俺としては本当の本当に久方ぶりで、まともで、美味い飯だったから。それに……。

「分かった」
「し、シキ様?」

 一歩、二歩と女将達のもとへ歩み寄っていった。そしてゆっくりと顔を上げた女将の目をまっすぐに見据える。
 逸らすことなく、見つめてくる女の瞳には、死への恐怖はあったが、命をかける覚悟に対する偽りはなかった。

「特別だ」
「…………えっ?」

 俺の応えに驚いていたのは女将だけじゃなかった。ヒョーゴも目を見開いていた。キュウゾウは口を一文字に結び、ただじっとこっちを観ている。

「アイツらを相手にする間だけだ。お前の刀となってやる」
「し、シキ様……!」

 本当ですかと女将はすっくと立ち上がって、身を乗り出してきた。そのあまりの勢いに転びかけていたので、受け止めてやる。

「す、すみません! 私ったら……!」

 バッと離れて、ぺこぺこと謝ってくる女将に、俺は気にしてないと首を振る。

「居場所を守りたいという、お前のその覚悟、受け取ったから」
「シキ様……ッ、ありがとうございます……」
「ついでに、何か要望があるなら言ってくれ」
「要望、ですか……?」 

 戸惑う相手に構わず、俺は先を続ける。

「無いなら無いで構わない。なら俺は……」

 刀として斬るだけだ。
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