第二話


 何も話さず黙ったまま大人しく座っているだけだというのに。自分が一体、何をしたというのだろうか。
 俺は今、通路に突如として現れた、ガラの悪そうな二人の男に絡まれていた。一人は桃色の長髪に、女物の着物を着崩し、腰に抜き身の青龍刀を下げた、何とも奇抜な感じの男である。
 もう一人は菅笠のような頭をしており、その機械化した頭に一つの目がつき、汚れたマントを身に着けている。気色の悪いてるてる坊主のような男であった。

「最近、戦闘がなくて暇なんだ。相手してくれよ」
「なあに、手加減してやるからさ。ククククク……」
「…………」

 何なんだ、このいかにも悪そうな二人組は。

――――

 その二人は通路の出入り口に見張りとして立っていたかむろ衆を乱暴に押し退けて、この場にやってきた。俺に絡んで来る前はキュウゾウ達のところに行ったため、アイツらの「仲間」なのだろう。だが仲はあまり良くないのか。その二人はキュウゾウ達から歓迎されている様子はなかった。
 聞こえてくるアイツらの会話から色白メガネの名前が判明した。どうやら「ヒョーゴ」というらしい。
 ヒョーゴの隣に座っているキュウゾウは、やってきた二人には全くと言っていいほどに興味がないようで、ヒョーゴが二人と会話をしている間もずっと両膝の上に軽く握った手を置き、眠そうな顔で静かに正座をしていた。

「………………」

 待つ以外、他にすることもない。本当に暇で仕方なかったから、何気なくキュウゾウの様子を観察していたら、俺の視線に気付いたのか。俯かせていた顔を上げて、紅色の目をこちらに向けた。

(――あっ……やってしまった……)

 目が合ったと同時に逸らせば良かったのだが、時はすでに遅く。射貫くようなその瞳から目を離せなかった。ここで目を逸らしようものなら、自分の負けを認めるような気がして、(そんなわけはないのだが)それが嫌で、俺は「視線で殺せないかな」と睨むように見つめ返していた。
 斬り合わないのだから、睨み合う必要はないのに。向こうから視線を外してくれればいいのに。俺の内なる切実な願いとは裏腹に、キュウゾウは紅い瞳を一時も逸らそうとはせず、俺を見据えていた。このようにしてアイツと向き合うのは、初めて出会ったあの日――刃を交え、斬り合った日以来だった。

――――

――俺のものになれ。

 そう言って、キュウゾウは俺に口づけをした。

(――え?)

 自分に何が起きているのか。相手から何をされているのか。分からなくなって、体が固まってしまっていた。斬り合いの最中だったのに、相手から唇を塞がれるなんて、今まで一度もなかったことだから。唇を軽く噛まれた後「ちゅっ」と音を立てて、それは離れていった。

「ぷはっ……」

 やっと解放された。そう思うことができたのは束の間だった。奴は性懲りもなくすぐにまた顔を近づけ、唇を合わせてきた。そして右手首を掴んでいた左手を解放すると俺の腰に回して引き寄せた。

「んんっ――ッ」

 先ほどよりも強めに噛みつくように唇を塞がれた。
 ――まさか、この行為で俺を窒息死させるつもりなのだろうか。剣士ならば、サムライというならば、刀で斬り殺すのが当然のことなのに。

(――ふざけるなッ!)

 俺は相手の股間を目掛けて右足を蹴り上げたが、左手首を掴んでいた右手に抑えられて失敗に終わった。舌打ちができない代わりに「離せ」と睨むも、キュウゾウの目元が笑っていた。何を企んでいるのか、と更に鋭く見据えていると、ぬるりと口の中に異物が入ってくる感触があった。それは奴の舌だった。

(――こいつ……ッ!)

 完全に俺のことを馬鹿にしている。剣士であるというのに、刀以外で殺されそうになるわ、反撃を塞がれてしまうわ。その悔しさと苛立ちで怒りが頂点に達した俺は口内に侵入してきたキュウゾウの舌を思い切り、噛んでやった。

「――ッ!」

 噛みちぎれなかったのは非常に残念だが、与えた痛みで奴は離れていった。その隙に俺は自由になった両手を素早く突き出して掌底を繰り出す。出せる限りの力を込めて放ったため、その衝撃でキュウゾウは吹っ飛び、背中から壁に激突していた。壁に寄りかかった体勢で見上げてきた奴は、痛みを堪える顔をしていた。相手の表情を見て、俺は清々した気持ちになった。キュウゾウの無表情をやっと崩すことができたのだから。

「ざまあ見ろ」

 キュウゾウに向かって悪態をつき、「べーっ」と舌を出してやった。

「シキ……」
「じゃあな、キュウゾウ。お前とは二度と会わないことを祈るわ」

 ビョンと高く跳躍し、壁から壁へと伝ってその場を素早く去っていった。我ながらなんと子どもっぽいことを去り際にしてしまったのだろうか、と移動中は後悔していた。
 それから何日か経ち、キュウゾウとは本当にもう二度と、会わないだろうとは思っていたのだ。それがまさか再会することになるなんて。虹雅峡を作ったアヤマロに雇われた用心棒のサムライだったなんて、誰が分かるだろうか。

――――

「…………」
「…………」

 突然始まった、この心底下らない睨み合いをどうすれば終わらせられるのか。対策を考えようとしたタイミングでヒョーゴとガラの悪い二人の会話が俺の耳に入ってきた。

「ところでよお、アッチにいるあいつら誰なんだ?」
「今日、御前の商談相手が連れてきた付き人とその用心棒だ」
「ふーん……」
「言っておくが、余計なことはしでかすなよ。お前ら」
「おい、聞いたか? あの黒い奴が用心棒だってよ」
「なんか細くて、弱そうだな」
「武器を持っているようには見えねえな」

 何か俺のことを言ってるように聞こえてきたが、自意識が過剰なのかもしれない。気のせいだろう。それよりもアイツ等の会話をきっかけにして、キュウゾウから視線を逸らせることができたのだ。

(やっとだ……)

 良かった。何とか目を離せたと、ホッとしていると俺の肩をアオイが叩いてきた。煩わしいと思いつつも、どうしたと聞けば「お前、噂されているぞ」とアオイは耳打ちしてきた。

「気のせいだろ」

 そうと答えると「違う」とアオイは首を振った。

「俺はお前と違って耳が良いんだ。絶対に聞き間違いじゃない。黒いコートを着た蒼い眼の奴がどうとか言ってる。確実にお前のことについて話している。なんかお前、弱そうだって好き勝手に散々と言われてるぞ」

 例えば――と続けようとしたアオイを俺は手で制した。余計なことを言って、向こうに聞かれたらどうする。これ以上、面倒ごとを増やさないでほしかった。

「勝手に言わせておけばいい」
「そんな……いいのかよ? 馬鹿にされているんだぞ。腹が立たないのか?」
「別に。どうでもいい」

 相手のことを知りもしないで馬鹿する手合いの者達は他人を蹴落とすことで、己の優越感を満たしたいだけなのだ。そんな奴らは落ちぶれていくだけだ。人をとやかく言ってくる馬鹿共のことを考えて、それで自分が苦しむなんてのは、本当に下らない。存在しないものとして無視するに限る。

(――面倒だ)

 ため息を吐いているとアオイが再び、俺の肩をバシバシと強く叩いてきた。

「シキ、やばいぞ」
「今度は何だ」
「アイツら、なんか……こっちに向かって来てる」

 顔を向ければ確かに、アオイの言う通りガラの悪い二人が俺らに向かってきた。

「ボウガン、モノアイ、やめんか」

 ヒョーゴが制止の声を上げているが、桃色の髪の男は「気にすんな」とニヤニヤと笑って、真面目に取り合おうとはしなかった。そして座っている俺達の前で止まると「おい」と声をかけてきた。男の視線はアオイではなく、俺に注がれていた。

「アイツらに聞いたんだけどさ。アンタ、自分のことを『刀』だっていってるんだって?」
「それがどうした」
「刀も無しに斬れるってホントかよ?」
「斬れるぞ。俺は刀であり――無刀の剣士だからな」
「コイツ、本当に言いやがったぜ」

 何がおかしいのか、菅笠男が吹き出し笑い声を上げた。あたりに響くその声は不気味で人を不快にさせるには十分なものだった。

「俺に何の用だ」
「アンタのことが気になってさ」

 桃色の髪の男はその場で膝をつくと伸ばした左手で俺の顎を持ち上げて、自分の方に向かせた。

「へえ」

 男は嫌な笑みを浮かべた。

「アンタ――女か」
「それがどうした」

 何を今更と思った。だが何故か俺の返答に隣にいたアオイが「えっ」と目を見開き、驚いていた。向こうを見るとヒョーゴも青年と同じ反応をしていた。
 一方のキュウゾウは無表情でこちらの様子を眺めていた。だが心なしか、奴の機嫌が悪そうに見えた。俺の気のせいだろうか。

「『絶世の美人』とまではいかねえが、顔はまあ良い方かな。身体は――胸はあまりないように見えるが、腰がいい具合にくびれているから、及第点か。なあアンタ、ここよりも、もっと楽しいところがあるぜ。用心棒なんて、つまらないことをやめて、俺と一緒に遊ばねえか?」
「断る」
「なんだよ、つれないねえ」
「俺に触るな。不快だ。離れろ」
「そんなに嫌がることないだろ。照れているのかよ?」

 桃色の髪の男はニヤニヤと笑って俺の顎を撫でた。くねくねとしていて、何とも嫌らしい手つきだった。

「――やめろ!」

 斬る前の警告の意味も込めて、俺が再び「離せ」と言う前に強く声を発したのは、アオイだった。

「ああ?」
「シキが嫌がってるだろ。その汚い手を離せよ!」
「うるせえな。お前に用はないんだよ」

 俺は「よせ」と伝えたが、アオイは無視して桃色の髪の男の手を叩き落とそうと手を伸ばした。だが――。

「ぐあッ!」

 それはできなかった。近くにいた菅笠男が飛びかかろうとしたアオイの首を掴み上げたからだ。菅笠男の腕は伸縮自在な機械で出来ているようで、アオイの足を地につかない程度に浮かせ、プラプラと揺らしていた。

「用はないって、言ってるだろうが。聞こえなかったのかよ?」
「ぐうう…ッ」

 アオイは首を掴んでくる菅笠男の手を両手で掴み、逃れようと必死に足をバタバタとさせて藻掻いているが、首を絞めつける痛みにうまく逃げ出せずにいた。

「ヒヒヒ……無様だな」

 菅笠男は口角を歪めていた。恐らく青年の抵抗する様を見て楽しんでいるのだろう。殺すのが目的ならば、掴んだ時点で首の骨を折れば済む話だから。

(――下衆が)

 俺は顎を掴む男の手を叩き落とすと、地を蹴って菅笠男に斬り込んでいった。

「――なっ!?」

 俺が向かってくると全くの予想外だったのだろう。驚いた菅笠男は斬撃から逃れようとして咄嗟に掴んでいたアオイを俺に向かって放り投げた。

「――よっと」

 相手の行動は予想が出来ていたことだった。故に難なく受け止めることができたので、ゆっくりとアオイを床におろした。首の締め付けの解放によってせき込み、ゲホゲホと苦しそうにするその背中を摩ってやった。

「わ、悪い……」
「お前はここにいろ。動くなよ」

(非常に面倒だが――要は殺さなければいいのだろう)

 立ち上がって二人を見据えた。桃色の髪の男は、はたき落とされた手を摩りながらも「いいねえ」とニヤリと笑みを浮かべていた。
 桃色の髪の男は腰に差していた抜き身の青龍刀を抜いて切っ先を俺に向けた。奴の後方にいた菅笠男も「ヒヒヒ」と笑いながらマントの下から出した鉤爪を見せつけている。

「…………」
「その目……アンタ、人を斬ることを何とも思っていないだろ。今まで何人殺したんだ?」
「……お望み通り、相手をしてやるから――とっとと、かかって来い」
「まあまあ、そう急かさないでくれよ」

 久方ぶりの戦闘なんだ、と桃色の髪の男は舌なめずりをした。

「しかし、いつまでそう強気でいられるかねえ」

 菅笠男は早くやりたくてたまらない、というように鉤爪と化した手の指をワキワキと動かしている。
 かむろ衆はどうしたらいいのか、分からないといった顔で通路の出入り口に突っ立ったまま、動けずにいた。
 今にも殺し合いが繰り広げられそうな状況を流石に見かねたのか、扉の前にいたヒョーゴが面倒臭そうに立ち上がり「やめろ」とこちらに向かって歩いてきた。それに対してキュウゾウは何も言わず座ったまま、こちらの様子を観察していた。

「お前ら、いい加減にしろ。御前が近くにいるのだぞ」
「俺の雇い主は御前じゃない。だから俺らには関係ないね」
「全くだ」

 聞く耳を持たないことは分かっていたのか。ヒョーゴは「こいつら……」と頭をガシガシと掻いて元の位置へとアッサリと戻っていった。

(その程度で引いていいのか)

 何故こいつ等をもっと強く「やめろ」と引き止めようとしないのか。仲間じゃないのか。キュウゾウは……無理だ。アイツ相手にお願いすること自体が駄目だ。これはもうやるしかないか、と前に進み出ようとすると後ろから腕を掴まれた。

「シキ」
「どうした?」


 見遣ればアオイは「駄目だ」と首を大きく振っていた。

「何故だ」
「ヒイラギ様にご迷惑がかかってしまう……」

 せっかくの商談も駄目になってしまう、とアオイが語尾に小さな声で言うのが聞こえた。散々アヤマロへの文句を言っていたくせに。さっき理不尽な暴力を振るわれたくせに。何もなかったことにして、終わらせようというのか。コイツはそれでいいのだろうか。

――この子達は私の大切な家族なんです。

 その時、俺の脳裏に浮かんだのは前日ヒイラギが子どもたちの話をした際に見せた穏やかな笑顔だった。

「俺は大丈夫だから。この場で起きたことも、なかったことにするから。痛みは我慢するから。お願いだ、シキ」
「俺はヒイラギに雇われた用心棒――主を守るのが俺の仕事だ」
「そうかもしれないけど、これは――」
「ヒイラギが守ってほしいという対象には、お前も含まれている」
「え……?」
「アイツはお前を『大切な家族』といっていた。ともに幸せに暮らしたいとも」
「…………!」
「動くには、それで十分だ」

 口を開けて驚いたアオイに「任せろ」と安心させるように言った。そして刃を向ける桃色の髪の男に視線を戻して、まっすぐに見据えた。

「何だ。もしかして俺と遊んでくれる気になったのか?」
「刀を抜いた――ということはやり合うのは覚悟の上なんだよな」
「そりゃ、そうだろう。何を今更」

 派手な男は不敵に笑い、菅笠男は楽しみだと歯をむき出しにした。

「俺が勝ったらお前のこと、好きにさせてくれよ。たっぷりと可愛がってやるからさ」
「……じゃあお互い、了承済みってことで」

――もう遠慮はいらないか。
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