赤の王国【過去編①】※完結
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「後のことは任せたぞ、若人」
その3日後、突然入院した水臣はそのさらに3日後息を引き取った。
「こんにちは!草薙さん」
「いらっしゃい、瑞穂ちゃん」
学校帰り、制服姿の瑞穂が「CLOSE」の札がぶら下がっているドアを開ける。水臣が亡くなってから、瑞穂は学校帰りに欠かさず草薙のもとを訪れていた。
今日もカランという音とともに登場した瑞穂を、いつも通り草薙はカウンターの中から出迎えた。
カバンを置き、カウンターチェアに腰を下ろした瑞穂は楽しげに今日あったことを話し始める。そんな彼女の話に相槌をうっていた草薙だが、ふと疑問を口にしていた。
「そんな毎日こなくてもいいんやで?」
彼女にも彼女の生活がある。放課後に高校の友達と遊ぶ予定を入れればいいのに。何故か彼女は毎日バーHOMRAに顔を見せてくれている。
余計な心配を掛けてしまっていないだろうか?
草薙が無意識のうちに口にしていた問いかけに瑞穂はピタッと口を閉ざした。
毎日押しかけて迷惑してないだろうか?
困ったように目線を泳がせた瑞穂は、声を落とすと、意を決してゆっくりと口を開いた。
「私がただ、草薙さんに会いたいだけだったんだけど、迷惑...だったかな?」
「いや…」
瑞穂の投げかけに、草薙は力なく首を横に振った。毎日、放課後に必ず現れる瑞穂の存在は正直、今の草薙にとっては有難かった。
「正直言うと、1人だと色々と考えすぎてしまう気がしてならんから助かるわ」
「良かった...」
草薙の返答に、瑞穂は強張っていた顔を綻ばせた。ホッとしたように表情が和らいだ瑞穂は寂しげに微笑んだ。
「それに草薙さんって1人にしたら何をしでかすかわからないしね」
「あはは…痛いとこ突くな」
瑞穂に見抜かれていたことを知った草薙は困ったように苦笑いを浮かべながら、彼女にへと珈琲を淹れ始める。
「私達がどうしても頼っちゃうからさ…」
このメンバーの中で最年長で、どんな厄介事も打開策を考えて的確に指示を出してくれる。相談事も嫌な顔を何一つせずに乗ってくれる。1人1人、なんだかんだ独断で単独行動しがちな彼らを纏めてくれる苦労性な彼は、違う言葉で言い換えると何を考えているかわからないことも良くある。それくらい、飄々としていて掴みどころがない人なのだ。
今回の1件も知らないうちに草薙さん自身で感情の整理をし終えるのだろう。その間、気丈に振る舞っているのを誰も知ることなく。
「辛いときくらいは頼ってくれたら嬉しいなぁって…」
こんなことに首を突っ込むなんて本来はするべきじゃないのかもしれない。そっと、見守ることが正しい行動なのかもしれない。それでも、いつも温かく優しく包みこんでくれる彼をこのまま放って置くなんてできなかった。
『俺の甥っ子は大人びていて周りからは頼りにされているが、中身は意外と年相応なんだよ、実は』
いつの日か…瑞穂に対して、水臣は困ったように心情を吐露したことがあった。
『頼りにされちまうと、人っていうのは頼りづらくなっちまう。もちろんそれは出雲も例外なくだ。加えてあいつに関しては、顔に出さないからよく見てないと俺さえも気づかない』
『叔父としてはそんな甥っ子が心配なんだ』
不良専門の弁護士
そう例えた水臣は、草薙の立ち位置を心配していた。物思いに拭けるように心情を吐露した水臣はゆっくりと顔を上げる。その視線に気づいた瑞穂は自然と背筋が伸びていた。
『でも、瑞穂ちゃんや周防くん・十束くんと居るときは無邪気に楽しそうで…安心した。いい友達に巡り会えていて』
『瑞穂ちゃん、出雲のことよろしく頼むよ』
表情を崩した水臣は柔らかく微笑んだ。
自分のことを棚に上げて甥っ子を最後の最後まで彼は心配していた。そんな彼が亡くなってしまった。薄っすらと彼が長くないことにもしかしたら気づいていたかもしれない。それでも慕っていた叔父との突然の別れ。そんな直ぐに立ち直れるものではないはず。私自身が計り知れない感情の波が押し寄せているはず。
淹れてもらった珈琲が入ったカップに視線を落としながら瑞穂は小さく呟いた。温かい珈琲カップに触れている自分の両手は、何故か冷え切っていた。
「…瑞穂ちゃん」
いつも以上に瑞穂は小さく縮こまり、俯いている状態。
彼女なりに勇気を絞ったのだろう。名を呼ぶと彼女の身体はビクッと強張った。その反応を見て、草薙は困ったように肩を竦めた。
彼女の言葉を聞いた最初、草薙は思わず作業の手を止めてしまうほど驚いてしまった。だが徐々に、自分を気遣ってくれる彼女の優しさに胸の奥がポカポカと温かくなった。叔父を失った虚無感でポッカリと空いた穴を埋めるように。
甘えてしまっていいのだろう?
長いこと甘えることをしてこなかった草薙は躊躇してしまい、上手く今のこの思いを言葉にできなかった。
胡桃色の髪に向かって手を伸ばそうとする。いつもは他意がなく自然とできるいつもの行動が、今日ばかりは別の意味を持っているような気がして、行動と裏腹に後ろめたさを覚えながら、腰を屈めた草薙は彼女の背後からそっと両手を回した。
「…っ」
「振り返らんといて…
今の俺、めちゃ情けない顔しとるから」
全く気づかなかった瑞穂は反射的に振り返ろうとする。だが、見られたくない草薙は防ぐように自分の顔を彼女の肩もとに埋めた。
「ちょっとだけや…
少しだけこのままでいてくれんか?」
縋るようにギュッと両手に力を込める。彼の弱々しくか細い声は、少しばかり震えていた。
瑞穂は桜色の瞳を細めると、大きな手にそっと自分の手を添えた。
「…もちろんです」
彼女の優しい声色が、じんわりと染みわたってくる温もりが、分厚く作った壁を崩していく。その壁からは封じ込めていた感情が流れ出していた。
『出雲、一杯付き合えよ』
草薙の脳裏には生前、叔父と二人っきりで飲み交わした日が呼び起こされた。
『お前の友達、彼らはお前の人生のただの客じゃなく、共に客を捌く同僚になってくれるといいな』
あの日彼は、珍しく饒舌だった。そして、人に頼りにされ過ぎて厄介ごとに首を突っ込む立場になっている自分を彼なりに心配していた。それが、草薙にとってくすぐったかった。
『はは、どうやろな。
瑞穂ちゃんはともかく、ほかの二人にそれを期待できるかは怪しいで』
『瑞穂ちゃんは、ほんとにいい子だな。出雲にはもったいないくらいに』
『急になんやねん』
苦笑いした草薙に、水臣は揶揄うかのようにニヤリと意地悪い笑みを浮かべた。その返しに不機嫌そうに口を尖らす甥の反応を酒のつまみに、楽しげに水臣はグラスを傾ける。
『だけど、周防くんや十束くんのように自由じゃないから心配だな』
カランとグラスに入った氷が鳴る。その音を出した水臣は、テーブルに置いたグラスに視線を落とした。
『なんにも大事じゃない方が人は自由でいられる。だが、俺はその自由を良しとは思わんよ』
『だけど、瑞穂ちゃんにはもう少し自由にいて欲しいかな』
水臣から呟かれた言葉に、草薙はグラスを傾けていた手を止める。
『その点に関しては同意見やな』
誰かに追われる日々を過ごしていた彼女は、甘えるという行為がとても苦手である。1人で問題を抱え込み1人で突走ってしまう。自分のことを勘定に入れない自己犠牲的な思考を持つ彼女は、傍から見ると肩身の狭い生活をしているように見えてしまう。
『出雲…』
ぼんやりとグラスを眺めていた草薙は、名を呼ばれて隣を見る。
『俺から見たら、二人揃いも揃って自己犠牲的だぞ。
だから、お互いに助け合っていくんだぞ。もちろん、周防くんと十束くんと一緒に』
困ったように肩を竦める水臣だが何故か、嬉しそうに目を細めていた。
「瑞穂ちゃん、ありがとな」
乾ききってしまったのではないかと思っていた。だが、実際は受け入れたくなくて他人事のように思い込むことで、叔父の死に向き合うのから逃げていただけだったようだ。
少女の首すぎにぽたりと一滴こぼれ落ちる。その涙はゆっくりとゆっくりと背中へと流れ落ちていく。
気づけば草薙は静かに泣いていた。
叔父である水臣のことを想って...