番外編
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まだ日が昇りきっていない早朝。薄暗い一本道を白い息を吐きながらランニングする少年がいた。黙々と淡々と走る彼の耳に聞こえるのは小鳥のさえずりと己の走る音と息遣いだった。
いつもと同じように住宅街を抜け、川沿いの道へ。そのままひたすら川を右手に捉えながら走っていく。そこまでは毎日変わることがない何気ない風景だった。だが彼の瞳は普段と違う違和感を捉えてしまう。普段そこには決していない亜麻色髪の少女。ようやく昇りだした太陽の日差しが風に靡く亜麻色の髪を綺麗に照らしていた。その少女は彼の足音を耳に捉えたのか、待ち構えていたかのようにクルッと振り返るのだった。
「ヤッホ!
こんなとこで会うなんて奇遇だね、黒尾」
歩道脇に生えている芝生に腰を下ろしていた少女は、目の前で驚きで固まっている黒尾に笑いかける。そんな彼女の姿に困惑しながらも黒尾はフゥッと息を吐き出した。
「ホントだな
こんな朝早くになにしてんだよ、香坂」
半ば呆れながら黒尾は彼女の隣に腰を下ろす。その黒尾の瞳に映ったのは彼女が抱えていたギターだった。その黒尾の視線に気づいたのか雫は悪戯ぽい笑みを浮かべてギターを軽く持ち上げてみせた。
「ちょっと練習をね」
「普段いねーよな?」
「今日からだよ!今日から!
これからしっかりやるつもり!」
「へぇ〜、お前がね」
黒尾の指摘にムキになって言い返す雫に、気分を良くした黒尾は頬杖をつき彼女を流し目で見ながらからかい混じりの言葉を投げた。そんな売り言葉に噛み付くように雫は買い言葉で返す。
「黒尾だって始めたのつい最近じゃない!」
「…!?」
「黒尾が続けられるなら私にだってできるはず!!」
その言葉に驚きで固まる黒尾など知らず雫は胸を張ってみせた。そんな雫に黒尾は恐る恐る尋ねる。
「…お前なんで知ってるんだ?」
「黒尾こそ知ってた?
私の家の目の前を知らずに走っていることを…」
その問いに対して雫は悪戯っぽい笑みを浮かべて問いに問いを重ねて返した。それに黒尾はポカンとした。
「え…マジ?」
「マジマジ」
思わず漏らした言葉に対して雫は愉しげに笑った。
ここ最近、自室の開いたカーテン越しに窓から見える景色を見下ろすといつも決まった時間に通過する黒尾の姿。彼の忘れ物をたまに送り届けるようになってしまったがために自宅を知っていた雫は彼がどのようなルートを走っているのか予測できてしまったのだ。そんな彼の頑張る姿を見ていたら居ても立ってもいられず雫はギターケースに手を伸ばしていたのだ。そして、折角始めるならあの日に彼を驚かしてやろうと科博したのだ。結果的に雫の計画は大成功。目の前の彼は思わぬ事実に頭を項垂れていた。
「まさか香坂の家の前を毎日通っているとは…」
「いやぁ、私も驚いたよ
ふと窓覗いたら黒尾の姿があったんだから」
項垂れる彼を横目に雫は小さく笑いながら、ギターを鳴らしてみせた。その音色にコッチを向いた黒尾に雫は軽く片目を瞑ってみせた。
「ねぇ、黒尾」
彼女がたった一回弦を弾いた。
それだけで黒尾の目に見える景色が様変わりした。朝日の優しい光を背に浴びた雫は、普段の軽口を叩く相手には見えなかった。己を覗き込むように見上げるカナリア色の瞳に情けないことに黒尾は見惚れていた。そんな彼の視線をくすぐったいと雫は小さく笑った。
「なによ?
そんなマジマジ見ないでよ」
「あ…わりぃ」
夢心地だった黒尾は雫の一声で現実に引き戻されて慌てて視線を外す。それでも、彼女の姿を見たいがために無意識に黒尾の視線はチラッと雫に向けられていた。
「…なんかリクエストない?」
普段ならこの沈黙が心地いいのに、チラリチラリと向けられる視線に耐えきれず雫は口火を切った。その投げかけに対して黒尾はゆっくりと雫の方に顔を向けた。
「リクエスト??」
「そう!
なんか一曲プレゼントしようかなって…」
「…?!」
「今日、黒尾誕生日だからさ」
不審がる黒尾に雫は照れくさそうに笑って返した。その言葉に呆気にとられていた黒尾はようやく見えてきた彼女の魂胆に、いつもの調子を取り戻していく。
「なになに?
わざわざ祝おうと早起きしてくれたの?」
「雫ちゃん、健気だねぇ〜」
「うっ…うっさい!!
これ以上からかうならこのまま帰る」
ニヤニヤと頬杖ついて見上げる黒尾に雫は顔を真っ赤に染めて声を荒げた。
折角の人のご厚意を!!
苛立ちを露わに立ち上がった雫はそのまま踵を返そうとする。しかし、さり気なく伸ばされた黒尾の手に足を止められてしまう。このまま振り切ればいいのに、引き止められた雫は彼の手を無碍に振り払えなかった。
「弾いてくんねーの?」
「…その言い方ズルい」
普段どおりに不敵に笑っておどけた調子で尋ねてくれればいいのに、期待を裏切られたようにしょんぼりと投げかけてくるものだから、雫は再び彼の隣に腰を下ろす羽目に。そんな彼女の髪をまるで子どもをあやすように優しく撫でた黒尾は、今流行りの曲をチョイスする。
「誕生日プレゼントっていうんだから
しっかりと貰っとかねーとな」
「あっ、そ…」
「ってのを口実に香坂のステージを独占したいのが本音」
さりげなく自然に紡がられた言葉に雫は小さく息を呑んだ。驚きと困惑で、どーせまた冗談だと言うのだろうと彼を見たら、いつになく真剣な眼差しで、状況を呑み込んだ雫の頬は赤く染まっていた。
「黒尾にならいつだって弾いてあげるよ」
直視して言うのはこそばゆく、雫はギターに目線を落とし軽く音を奏でながらボソッと呟いた。その不意打ちに黒尾が今度は逆に息を呑んだ。
「えっ、それってどういう…」
「そのままの意味だよ。
黒尾が望むならいつだってリクエストに答えてあげる」
驚く黒尾を尻目にギターから視線を上げた雫は照れくさそうにはにかんだ。そして、彼の言葉をまたずにイントロを静かに奏でだした。
「黒尾の誕生日を祝して僭越ながら私が一曲弾かせていただきます」
Happy birthday 黒尾
そっと紡いだ雫の手により綺麗な音色がギターから奏でだす。
一気に小さなライブ会場と化した川沿いでは、演奏する少女とその隣で嬉しそうに目を細めて耳を澄ます少年が僅かな穏やかな時を過ごすのだった。
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