籠球×庭球
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一つ上の学年の、毛利寿三郎先輩は、私たち下級生とは相容れない人だった。才能にかまけてほとんど部活に参加せず、後輩の士気を下げているような人だった。しかし、実力は確かだった。
当時の私は部員たちが最高の状態で練習に挑めるように奔走していた。練習のマンネリ化の防止やモチベーション低下の対策、他の部活動との連携。部活のマネージャーというより企業のマネージャーのようなことをしていた。後輩も出来、同輩のレベルも上がりつつあり、先輩たちからの信頼を得て、とても充実した日々だった。そんな中で、私の努力を嘲るような毛利先輩は不愉快な存在だった。
二年生の冬、磐石の体制で全国三連覇を狙おうという矢先、精市が病に倒れた。部員たちの不安、精市の絶望、私たちの道行に暗雲が立ち込めた。だが、弦一郎や蓮二を始めとした同輩たち、私たちによく懐いていた後輩の赤也は「精市の帰りを無敗で待つ」と固く決意した。進学していく先輩たちからのエールも受け取った。しかし毛利先輩だけは、いつもの飄々とした態度で、
「へぇ。大変やね」
たったそれだけの、さして興味もないといった言葉だけを残していった。
精市の死に物狂いのリハビリの日々の中で、一度だけ毛利先輩に会った。高校に進学した先輩は、他校の上級生に完膚なきまでに負けて、さらに故障したとのことだった。いい気味だと思った。
彼は今までの、私を嘲るような態度を謝罪してきた。完敗をきして目が覚めたと、これからはテニスに真剣に打ち込んでみようと思うと言った。だが、私は毛利先輩を許すことが出来なかった。そんな余裕は一切なかった。
私は先輩を酷く責め抜いた。酷い言葉を幾つもぶつけた。ままならない状況の八つ当たりもあった。
「堪忍な、名前ちゃん。ほんまに堪忍な」
先輩は涙ながらにただそう繰り返していた。
U-17選抜の際に和解したとはいえ、やはり今でも毛利先輩のことは苦手だった。先輩のことはもう許している。精市のリハビリを影から支えてくれていたと知って、感謝すらしている。だが、あの時先輩へぶつけた数々の罵倒が、今でも私を蝕んでいる。先輩への罪悪感が、未だに私の中に燻っている。
当時の私は部員たちが最高の状態で練習に挑めるように奔走していた。練習のマンネリ化の防止やモチベーション低下の対策、他の部活動との連携。部活のマネージャーというより企業のマネージャーのようなことをしていた。後輩も出来、同輩のレベルも上がりつつあり、先輩たちからの信頼を得て、とても充実した日々だった。そんな中で、私の努力を嘲るような毛利先輩は不愉快な存在だった。
二年生の冬、磐石の体制で全国三連覇を狙おうという矢先、精市が病に倒れた。部員たちの不安、精市の絶望、私たちの道行に暗雲が立ち込めた。だが、弦一郎や蓮二を始めとした同輩たち、私たちによく懐いていた後輩の赤也は「精市の帰りを無敗で待つ」と固く決意した。進学していく先輩たちからのエールも受け取った。しかし毛利先輩だけは、いつもの飄々とした態度で、
「へぇ。大変やね」
たったそれだけの、さして興味もないといった言葉だけを残していった。
精市の死に物狂いのリハビリの日々の中で、一度だけ毛利先輩に会った。高校に進学した先輩は、他校の上級生に完膚なきまでに負けて、さらに故障したとのことだった。いい気味だと思った。
彼は今までの、私を嘲るような態度を謝罪してきた。完敗をきして目が覚めたと、これからはテニスに真剣に打ち込んでみようと思うと言った。だが、私は毛利先輩を許すことが出来なかった。そんな余裕は一切なかった。
私は先輩を酷く責め抜いた。酷い言葉を幾つもぶつけた。ままならない状況の八つ当たりもあった。
「堪忍な、名前ちゃん。ほんまに堪忍な」
先輩は涙ながらにただそう繰り返していた。
U-17選抜の際に和解したとはいえ、やはり今でも毛利先輩のことは苦手だった。先輩のことはもう許している。精市のリハビリを影から支えてくれていたと知って、感謝すらしている。だが、あの時先輩へぶつけた数々の罵倒が、今でも私を蝕んでいる。先輩への罪悪感が、未だに私の中に燻っている。