合宿編(全22話)
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12時を少し過ぎた頃にやっと全ての入力を終えて、私は緒方さんに連絡を入れた。合宿所はとっても広いから、どこにいるかわからない時はこうしてメッセージを送ることになっている。
緒方さんからは、『お疲れ様です。もうすぐ昼食の時間なので、休憩に入ってください。午後の予定についてはまた後ほど』と丁寧な返事が返ってきた。お言葉に甘えて休憩に入ろうと、もう冷めきったコーヒーの残りをぐっと飲み干す。
廊下に出ると、ちょうど練習が終わった時間なのか続々と廊下を戻ってくるみんなの姿があった。乾の姿を探してキョロキョロしていると、こちらに勢いよく走ってくる赤いジャージ姿の男の子。
「みょうじさん!」
坊主頭に少し童顔の彼が、息を切らして私の肩をガッと勢いよく掴むものだから少し怖い。
「今からお昼ご飯ですよね!?」
「う、うん。そうだけど」
「一緒に行きましょう! みんなもみょうじさんと話してみたいって言ってたんです!」
みんな、とは誰のことだ。そもそも君は誰だっけ。自己紹介で元気よく名乗ってくれた覚えはある。
あ、そうだ。
「葵くん、だっけ?」
「はい、葵剣太郎です」
えへへ、と少し照れ臭そうに笑う彼。可愛い様子とは裏腹に、手は強引に私をダイニングルームへと引っ張っていく。嬉しそうな彼の顔に手を振り払うのも躊躇われて、私はされるがままついていくしかできない。
ダイニングルームに入ると、いくつか並んだテーブル、綺麗にセットされたお皿とグラス、それにキラキラ光る銀色のカトラリーが私たちを迎えた。重たそうな生地のテーブルクロスも相まって、まるで高級レストランだ。
席はまばらに埋まっていて、みんな好き勝手に座っているだろうことがわかる。
葵くんはずんずん歩いていって真ん中あたりのテーブルで止まった。
「みんな見て見て! みょうじさん捕まえたよ!」
誇らしげに言う彼。私は捕獲されたのか。知らなかった。
「剣太郎、マジで連れてきたのか」
驚いた顔で言ったのは、ええと、確か黒羽くんだったか。
「みょうじさん、困った顔してるじゃないですか。剣太郎が強引に連れてきたんでしょう? ごめんなさいなのね」
眉尻を下げて困ったように言った彼は、ああ、なんだっけ、名前。多分、私、初めの方に自己紹介してくれた人だけを覚えてるんだよなあと思いながら、大丈夫だよ、と言っておく。
「ほら、いっちゃん、聞いた? みょうじさんも大丈夫だって! じゃあ、座ってください。僕、椅子引きますね。こう言うの、憧れてたんです!」
「えっ、わっ、ありがとう!?」
ガッと椅子を引いてガッと押してくれた葵くんは、私のありがとうに眩しい笑顔を浮かべた。膝カックンされたみたいに席につくことになったが、まあ良しとしようか。私の正面に座っていた佐々木くん、じゃない、なんかそんな感じ名前のはずの男の子は、あーあ、と言う顔で頭を抱えている。いや、まあ、気持ちはわかるけれど。
「ええと、みょうじさんは青学なんだよね。今年のテニス部はどう?」
気を利かせて話題を振ってくれたであろう佐々木くんじゃない彼。ああ、せっかくの気遣いを無駄にするしかできない私を許してほしい。
「ごめんね、私、あの、テニス部じゃないからちょっとよくわかんなくて」
「え、あ、そうなんだ。こっちこそ、ごめん」
それからちょっとの沈黙。変な空気。やっぱり、こうなるよね。誰かが『サエ……』と呟くのが聞こえて、彼の名前が佐伯くんだったと思い出したのだけが唯一の救いだ。
「あ、はいはい! 僕もみょうじさんに聞きたいことがあります!」
いい子よろしく、ピシリと良い姿勢で挙手した葵くん。周りのみんなは不安そうな表情だ。彼が何を言い出すのかハラハラしているのかもしれない。
「なに?」
「彼氏、いますか?」
「いないけど」
「じゃあ僕が立候補していいですか!?」
「え」
立候補されてもいいけど採用はしないぞ。と、思うには思うけれど、それをそのまま言って彼がどのくらい傷つくのかよくわからなくて、私は口を開けない。葵くんのこのノリは笑い飛ばしていいやつなんですか、どうなんですか。助けを求めて視線を彷徨わせると、確かいっちゃん、と呼ばれていた私の隣の男の子が小さくため息をついた。
「剣太郎、みょうじさんがびっくりしてますよ」
「ええ、でもいっちゃん」
「だめなものはだめ」
「えええ、だってみょうじさん可愛いし」
「みょうじさん、ごめんなさい」
もう一度謝ってくれたいっちゃんに私は首を振る。いっちゃんは優しくておおらかで、何だか安心できる雰囲気だ。
「まあ、こいつのコレはいつものことだから気にすんなよ!」
はは、と明るく笑う黒羽くん。すると、その隣の男の子は、あ、と小さく声をあげて急に表情を輝かせた。次の瞬間、彼の口からこぼれ落ちたのは。
「口説いてクドクド怒られる」
「つまんねえんだよ、ダビデ!」
「いた、痛いってバネさん!」
「うるせえ!」
「タンマ!」
黒羽くんのチョップに抵抗するダビデくん。なんのコントだこれ。思わず吹き出すと、ほら!と葵くんが椅子を蹴って立ち上がる。
「ね、みょうじさん可愛いでしょ! みんな見た!?」
「はは、そうだね。剣太郎の言う通りだ」
なぜか爽やかな笑顔で大きく頷いた佐伯くんに、でしょ!?と更にテンションを上げる葵くん。
「見たから落ち着けよ。もう、うちの部長は世話がかかるな」
葵くんの正面に座っていた髪の長い彼が苦笑しながら立ち上がって、葵くんの椅子を元に戻してあげていた。私は彼氏候補とか、可愛いとか、そんな言葉にどうしていいかわからなくて、またいっちゃんの方に視線を向ける。
「ごめんなさいなのね」
三度目のごめんに、私はやっぱり苦笑を返すしかできなかった。でもいっちゃんは優しげに笑ってくれるので癒される。いっちゃん、絶対いいひとだ。
葵くんたちは昼食の間中ずっと、いろいろな話を聞かせてくれた。
彼らは同じ中学の出身で、葵くんだけはまだ在学中であることや、高等部はない学校なので進学先はバラバラだったこと、だから他の学校のようにお揃いのジャージがなくて寂しいこと、たまに集まってテニスや潮干狩りをすること、そんな話。
別れ際、最後まで手を振ってくれた葵くんは何だか可愛く思えて、あんな元気で素直な弟が欲しいものだと思う。
彼らは少し騒がしいけれど、私はそう言う騒がしさが嫌いじゃない。そう、今は『嫌いじゃない』、だ。
昔は自信を持って好きと言えたのに、今の私ときたら。
07 合宿編06