スイート・ハイプ!
Name Setting
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ぐい、と後ろから私の腕を強引に引いたのは越前くんだった。
「あんたがいないと次のコートどこかも分かんないんだけど」
「あ……、ごめん」
「あいつとなんかあったの?」
振り向けないままに聞く彼の声は、少し遠く感じられる。
私は弾む息を整えて、心臓が落ち着くのを待った。なんか変だ。私、変だ。そうだ、ちょっと冷静になろう。別に、なんでもないはずだ。だって、そうだろう。直接運命だなんだと言われたわけじゃない。以前ナンパのようなことをされただけ。あれだって、そう大したものじゃない。他には何も起きてないし変わってない。うん、よし。
「なんでもないよ、多分」
「多分って何」
「別に、えっと、本当になんでもない」
「ふーん」
素っ気ない返事は、以前会った時と同じ越前くんにも思えたし、少し機嫌を損ねてしまったようにも感じられた。表情を伺いたくなって振り向くと、そこには変わらない越前くんの顔があったのだけれど。
「詮索するつもりもないけど、あいつのこと好きなの?」
「そ、その質問を世の中の人は詮索っていうんじゃないかな」
「へえ、知らなかった」
笑うでも焦るでもなく、堂々と言ってのけるのは越前くんだからできることだろう。
「別に、好きとかそんなんじゃないよ」
「なら、誰にでもそんな顔しない方がいいと思うけど」
「そんな顔って、どんな顔」
「勘違いさせるような顔」
「してない、し」
「ふうん。あんたがそう言うならそうなんじゃない?」
突き放すように響いたその言葉はしかし、今の私にはありがたくさえ思える。この件には、触れて欲しくない。だって、あんな一言に振り回される自分が信じられない。
なんでもない。なんでもない。
呪文みたいに心の中で繰り返してから、私は越前くんと視線を合わせた。
まっすぐ私を見返す彼の視線が、私の愚かさを見透かしているような気がする。それでも、彼に久しぶりに会えたと言う事実がじわりと私の脳に染み込んでいく。そうだ。今はこの嬉しさを噛み締めよう。
「日本にお帰りなさい、越前くん」
「その言葉、遅過ぎでしょ」
「だって」
待ち合わせ場所にいないと思ったら越前くん試合してるし。四天宝寺の人たち、と言うか小春ちゃんと話しててタイミングなかったし。
そんな言い訳を頭に並べていると、何がおかしかったのか越前くんは小さく笑った。いつもより、少し優しい笑顔。
「別に良いけど。ただいま」
肩に置かれていた手からは、いつの間にか力が抜け落ちて、するりと下へと。そのまま私の手に触れる。
夏の空気に焼かれた、熱い手だった。
***
少しだけ歩いて、青学のみんなが集まるコートの前へとたどり着く。
すると、はじめにこちらに気づいたのは大石くんだった。
「みょうじさん、心配して」
彼は言葉を飲んで、目を見開く。うん、予想通りの反応。
越前くんは小さく肩を竦めてから、少しだけ帽子に触れた。
「ちっす」
「え、越前!?」
大石くんの大きな声に、青学のみんなが一斉に振り返る。
「お、おま、越前! 帰ってきてたんなら連絡しろよ!」
真っ先に駆け寄ってきた桃城くんを皮切りに、越前、おチビ、とみんなも越前くんを囲んでもみくちゃにしていった。
「ちょっと先輩たち、わっ!」
慌てた越前くんの声にも、みんなはしゃいで笑うばかりだ。楽しそうな再会の様子に、私も笑ってしまう。
乾は落ちてしまった越前くんの帽子を拾い上げて、砂を払ってあげていた。それから、私の横に立ってこちらを見下ろしてくる。
「姿が見えないと思ったら、越前と悪巧みを計画していたのか。これは俺にも読めなかったな」
「悪巧みじゃなくて、サプライズだよ」
「ふふ、まあそう言うことにしておこうか」
「またその笑い方」
「気に入らないかい?」
「別に、乾らしいし」
「そうだな」
何に満足したのか、乾は笑っていつもみたいに私の頭を撫でた。あんまりにいつも通りだから、私は少し前の私らしくない私をちゃんと追いやれるような気がする。
「ところで、次の相手、どこなの?」
「次は、氷帝だよ」
私の問いかけに、乾はにわかに表情を厳しくした。
「氷帝かあ」
よく知った顔がいくつか浮かんで、私は途端に落ち着かなくなる。そっか、氷帝なのか。
乾はおもむろにノートを広げて、目を滑らせ始めた。きっと、落ち着かないのは乾も一緒なのだろう。
「ああ。跡部がいないとは言え、難しい相手には違いないな」
「始まる前からずいぶん弱気じゃねーの、青学」
唐突に割り込んできた声。自信に飾られたこんな話し方、振り返らなくたって誰かわかってしまう。
それでも振り返ってみると、案の定こちらを見下ろす跡部の姿があった。その後ろには氷帝の選手たちが当たり前のように立っている。たとえ在学していなくとも、彼らにとってはやっぱり跡部が、跡部だけがリーダーなのだろう。
「難しいとは言ったが、勝てないと言ったつもりはないさ」
乾はなんでもない顔でノートを閉じて跡部を見返した。彼のそれが装われた平静であることは私にも理解できた。あるいは、跡部にも透けて見えていたことだろう。けれど、跡部は満足そうに唇を笑みの形に歪める。
「そう来なくちゃな」
けれど、それを笑い飛ばす声があった。
「あんたは出れないんじゃないの?」
不敵に言い放ったのは越前くんだ。気がつくと、氷帝の人たちと対峙するように、私たちの後ろに青学のみんなが並んでいた。
跡部は越前くんの言葉に気を悪くした様子もなく、やれやれと言った面持ちで肩を竦める。
「お前もだろうが」
「そうだけどね。なんならあんたが俺の相手してくれる?」
「いや、やめておこう。今日の主役をもらっちまうのは流石の俺も気がひけるからな」
真ん中に仁王立ちしてよう言うわ、と跡部の隣の忍足くんがため息をついた。彼もなかなかに苦労していそうだ。
「ま、お手柔らかに頼むで」
「ふふ、そっちこそね」
不二くんがそう応じれば、会話が途切れてすうと空気が張り詰める。
その空間を動かしたのはやっぱり跡部で、彼はこれで話は終わりとばかりに私たちに背を向けて歩き出した。氷帝のみんなもそれに続くけれど。
「なまえちゃん、俺のことも応援してねー!」
芥川くんだけが一人立ち止まって、大きく手を振っている。一人だけ、場違いに楽しそうだ。あ、樺地くんに担ぎ上げられた。それでも手を振り続ける彼に、私も手を振り返す。そう言えば、芥川くんとはまだちゃんと話せていないけれど、後で話せるだろうか。その頃には、もう勝敗が決まっているのだろうけれど。
芥川くんの姿が視界から消えないうちに、菊丸くんにポンと背中を叩かれる。
「じゃあ、俺たちも行こ!」
「そうだね、行かなきゃ」
「なまえちゃんもずいぶん気合が入ってるね」
そう言って目を細めたタカさんに、私も笑って見せた。
「そりゃ、入るでしょ。これ勝ったら次は準決勝だもんね」
準決勝を勝ったら決勝、それに勝ったら優勝。
きっと、みんなが優勝する姿を見れる。今は、そう信じてる。
そう信じていたかった。
65 インターハイ編26