スイート・ハイプ!
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「へへ、俺、カッコ良かったでしょ!」
クールダウンから帰ってきた菊丸くんは、椅子に座るなり私たちを振り返ってそう言う。
どうやら、納得のいくゲームだったらしい。それもそうか。ストレート勝ちだったのだから。
これでダブルスは連勝、残りシングルスのどこかで一勝すれば青学は三回戦を勝ち抜けられるはずだ。シングルス3の開始の声も、もうすぐ聞こえてくるだろう。
「相手のミスに乗っかったようなもんだろ。次はこうは行かないぞ」
苦笑したダブルスパートナーの先輩に、菊丸くんははーいと笑顔のまま返事をした。反省の色はきれいさっぱり見当たらないが、それでも憎めないのは彼の人徳に違いない。
「でも、確かに今日の英二はカッコ良かったよ」
大石くんは優しく笑って、菊丸くんの肩にかけられていたタオルで彼の顔をぐいと拭いてあげる。菊丸くんはわっと声を上げるものの、嬉しそうに笑っていた。
「そうだね、特に2ゲーム目の最初のポイントでスマッシュを決めたときは驚いたな。いつの間にあんなに力強いボールが打てるようになったんだい?」
「俺、天才だから!」
タカさんの褒め言葉に、菊丸くんはご満悦といった表情でブイサインを決める。それから、パッと私の方へ視線を向けた。そのままじっと見つめる。
「……うん?」
「なまえちゃんは俺のこと褒めてくんないの?」
「あ、そう言うことか。うん、カッコ良かったよ」
素直な感想を告げると、え、驚いたような表情を向けられた。何だって言うんだ。そう言う感想が欲しかったんじゃないんだろうか。タカさんみたいにスマッシュが、とか、そんな高度な感想、私には無理だし、他になんて言ったらよかったんだ。
「えっと、私、言葉選び間違えた?」
「ち、違うけど! びっくりしただけ!」
「ならいいんだけど。あ、お世辞じゃないからね」
「えっ、う、うん、ありがと!」
菊丸くんが動揺しているのが私にもよくわかるから、なんとなく私も落ち着かない。別に変な意味でもないし、大石くんと変わらない台詞だったって言うのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
大石くんは私たちの間に流れる空気を知ってか知らずか、はは、と快活に笑った。
「来年は桃と海堂もカッコ良いって言ってもらえるように頑張らないとな」
「そうっすね!」
「てめーはまずレギュラーになってから言え」
ぷいと顔をそらして言った海堂くんに、てめーもだろうが、と桃城くんが食いかかる。こりゃ大変、と大石くんは大変のかけらもない声音で言ってのけた。緩くなってしまった雰囲気に、私も思わず笑ってしまう。
それでも、試合開始のコールが響けばみんなの表情もすぐに変わる。
きっと、勝利まであと少し。だからこそ。
***
三回戦を無事に勝ち抜けて、ほっとしたのも束の間。私は入り口へと走っていた。
理由は、一通のメッセージだ。『先輩たちには秘密で、入り口まで迎えにきて』って、それだけ。生意気な彼らしいと言えば彼らしいけれど。
トイレ、とだけ言ってみんなの元を離れたから、あまり遅くなると大石くんあたりが心配してしまうだろうか。すぐに彼と合流できればいいのだけれど。切れる息を抑えながら入り口の門までやってくるが、彼らしい姿はない。仕方なく電話をしてみても、出る気配もなかった。数コールで留守番電話に切り替わっただけ。
ああもう、どこ行っちゃったんだろ。
「越前くん!」
無闇に呼んでみても、虚しく響いた声は車のエンジン音がかき消されてしまう。
もしかして、待ちきれずに先にみんなのところへ行ったのだろうか。それとも、道に迷ったとか。視線を巡らせながら来た道を急いで戻っていく。
あ、この垣根突っ切ったら近道かな。低い庭木とケヤキ、その間を埋めるように芝が敷かれているそこは花壇というわけでもないし、飛び越えてしまおう。よいしょ、と低い庭木を飛び越えたところで、足元に嫌な感触。ぐにゃ、というか、ごり、というか。
「う、わ!」
前へと崩れかけたバランスを慌てて立て直そうとして、今度は後ろへ。
「おっと」
ぐい、と手を引かれて、私は地面に、いや、誰かの足に膝をつく。庭木に背中から突っ込むのだけは避けられたようだけれど。
「大丈夫ね?」
私を膝の上に乗っけたまま、男はにこりと笑顔を浮かべた。彼が手を引いてくれたのだろうか。私は後ろへと身を翻して、慌てて立ち上がる。
やってしまった。人を踏ん付けた上、その上に座り込んでしまった。
「あの、ごめんなさい」
彼の顔も見れずに俯いたまま謝ると、いや、と優しい声が返ってくる。
「こんなところで寝てた俺のせいだけん」
「そんな、私がこんなところ突っ切ろうとしたせいなので」
「大して痛くもなかと。これ以上、気にせんでよかよ」
な、と念押しまでされてしまって、私は頷くしかなかった。いい人でよかったと思う反面、ジャージを着ているからには選手だろうし、危うく怪我をさせてしまうところだったと思うと背筋が寒い。
彼はと言えば、ふあ、と呑気にあくびを一つ落として、のそりと立ち上がった。思った以上に上背の彼の顔を見上げる。好き勝手に遊ぶ髪に、すっとした知的な目元。ジャージの色には見覚えがあった。財前くんたちと一緒の、明るい色。同じ学校なのだろうか。
「それより、急いどったんやなかとね?」
「え、あ、そうだった!」
そう、越前くんを探してたんだ。
「あの、中学生くらいの男の子通りませんでしたか? 背は低めで、ちょっときつめの顔立ちで、多分、白い帽子被ってると思うんですけど」
「ああ、越前ならそっちのコートで金ちゃんと遊んどっとよ」
「え」
指差された方を見やれば、コートに二つ人影がある。手前に見える一つは、確かに越前くんのように見えた。慌てて庭木を飛び越えて、フェンスに手を掛ける。カシャン、とフェンスの擦れる音と同時に、トン、と向こう側のコートにボールが落ちた。
「あ、みょうじさん」
振り返った越前くんは肩にラケットをおいて、しれっとした顔。悔しいような、安心したような。いや、やっぱり悔しい。
「入り口に越前くんいないから、めちゃくちゃ焦ったんだよ」
「何、心配してくれたの?」
「したに決まってんじゃん!」
「ふーん、それはどうも」
すうと目を細めて、彼は人の悪い笑みを作った。ああ、もう。振り回されるこっちの身にもなってよ。
「あと5分でカタつけるからさ、ちょっとだけ待っててよ」
「5分って」
「じゃあ3分」
言い切って、越前くんは私に背を向ける。すると、コートの向こうの男の子が、おーい、と越前くんに手を振る。彼も私服のようだから、大会に出場するわけではないのだろう。部外者二人が空きコートで野試合ということか。怒られないかな、とにわかに不安が降ってくる。
「コシマエー、はよ続きしよーや!」
「わかってる、よっ!」
「へへっ、いくでー!」
始まったラリーを止めることもできず、ただ楽しそうな二人の姿を見守るしかない。リズミカルに行ったり来たりを繰り返すだけに見えるボールはしかし、一打ごとに深く重くなっていくようだった。
「おー、元気やね、ルーキーたちは」
「あ、さっきの」
茂みで昼寝をしていた彼も、どうやらこの試合を見に来たみたいだ。そう言えば、越前くんのことを知っているようだったけど。
「越前くんと、お知り合いですか?」
「青学には色々世話になっとっとよ。そう言えば名乗ってなかったとね。俺は四天宝寺の千歳千里たい」
差し出された大きな手を握って、私も青学のみょうじなまえです、と名乗る。
千歳さんはなんだか大人びて見えて、先輩のような気がするけれど、実際のところどうだろうか。昨日の石田くんの件から考えるに、見かけはあてにはならない。ぼんやりそんなことを思いながら彼の顔を見上げていると、彼はん?と首を傾げた。しまった。じっと見つめすぎてしまっただろうか。
慌ててコートの方へ視線を移した瞬間だった。
「み・つ・け・た!」
「ひえ!」
耳元で聞こえた声に驚いて思わす身をすくませる。語尾にハートマークが飛んでいそうな語調は、私の知らないものだ。ばっと振り返ると、メガネをかけた坊主頭の男の子がキュッと口の端を上げて私を覗き込んでいた。
「みょうじちゃんやね。もう逃さへんで」
穏やかなはずの表情の見知らぬ彼のうしろにただならぬオーラのようなものを感じて、ひえ、と間抜けな悲鳴らしき声が漏れた。
どうしよう、逃げられないんだって。あれ。私、逃げてたんだっけ? 逃げ出したくなったのは、確かだけれど。
63 インターハイ編24