スイート・ハイプ!
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二日目。
朝起きると、空はやっぱり真っ青に晴れ渡っていた。積み重なった雲がすぐ近くに感じられる。今日もきっと暑くなるだろう。
クローゼットを開けて、私は悩む。何を着ようか。改めて見るとどれこれも高価なものに思えて、気が引けてしまう。
たっぷり10分考えた挙句、ショート丈のTシャツにスキニージーンズを選ぶ。手を上へ上げるだけで不健康に肉のそげ落ちたお腹が見えてしまうのが気になると言えば気になるが、昨日のワンピースよりは格段に動きやすいのでよしとしよう。ポケットに財布と携帯をねじ込めば、用意は万端だ。
足が沈むほどに柔らかい絨毯を蹴って、私は部屋を出た。
***
応援席は指先が溶け落ちてしまうんじゃないかと思うほどの熱気だった。呼吸のたびに、空気の孕む夏が肺を焼いていく。
「兵庫の牧ノ藤か。名門だな」
隣で額の汗を拭いながら、大石くんが呟いた。タカさんは頷いて、相手校の選手団に目を凝らしているようだ。
「あ、門脇もいるね」
「ああ。彼も努力してるみたいだ」
「知り合い?」
聞いてみると、タカさんがそうだよ、と応じてくれる。
「アンダー17の合宿に招待された時にも、一緒だったしね」
「へえ、強いんだ」
「うん、まあ」
はは、と大石くんの乾いた笑いが響いた。反応を見るに、素直に肯定できるほどでもない、と言う感じだろうか。首を傾げてコートを見下ろしていて、ふと背後の気配に気づく。
「……ところで桃城くんと海堂くんは何してんの?」
二人は私のすぐ後ろで、コートと反対側をキョロキョロと見回していた。
「みょうじ先輩は気にしなくていいんで」
「いや、気になるよ」
桃城くんの答えが納得いかなくて、私は彼のジャージの裾を引くけれど。
「何してんのってば」
「なんでもないですって! ほら、邪魔しないで座っててくださいよ」
彼は私の手をひょいとひっぺがすと、すぐそこの席を指差す。渋々腰を下ろすと、急に影が落ちた。顔をあげると、海堂くんが日差しを遮るように立っている。もしかして、気を使ってくれているんだろうか。
「海堂くん、ありがとう」
「なんの話っすか」
「なんでもないよ。言いたかっただけ」
素直じゃない答えに小さく笑えば、ちらりと厳しい視線が落ちてきた。照れ隠しか、可愛いな。せっかくの好意だし、しばらくは彼の影で大人しくしていようか。
そうして、そろそろ試合が始まる頃合いだろうかとコートに視線を向けた時だった。
あっ、と桃城くんが声を上げて、私が振り返った瞬間。
「わ、!」
椅子と桃城くんをひらりと交わして、人影が青空に踊る。たん、と軽やかに足を鳴らして、彼は私のすぐそばに降り立った。
「よう、昨日ぶり」
「ひらこばだ」
「平古場な」
「ひらこばでしょ」
ちゃんと平古場って言ってるのに、どうして言い直されるのか。不満を込めて睨み上げるけれど、平古場は飄々と笑みを浮かべるばかりだ。
「まあどっちでもいーや。うり」
「うわあ!」
ピタ、と急に冷たいものを首筋に当てられて、私は飛び上がった。のけぞってそれの正体を見やると、スポーツドリンクのペットボトルであることがわかる。
「び、っくりした!」
「はは、楽しそうだなー」
「いや、びっくりしたって言ってんじゃん!」
反論しながらも笑ってしまう私は、この状況を楽しんでいるには違いないけれど。別にペットボトルが楽しかったわけじゃなくて、平古場が笑うから楽しくなってしまうだけなのに。
「てか、これくれるの?」
「じゃなきゃ、わざわざ持ってこないだろ」
「昨日のお詫びってこと?」
「さあなあ」
ふっと目を細めた平古場の表情はなんだか挑戦的だ。その意味がわかるほど私は彼のことを知らない。だから、都合のいいように解釈しておこう。きっと、昨日のお詫びだ。
「一応、ありがとうって言っておく」
「ぐぶりーさびたん」
「あ、どういたしましてって言った?」
「正解」
くしゃりと雑な手つきで彼は私の髪をかき混ぜた。頭を撫でると言うには少し遠い行為だけれど、悪い気はしない。
「みょうじ先輩、試合始まりますよ」
海堂くんは私にそう言いながらも、こちらに背中を向けたまま。私ではなく、平古場をみているようだった。平古場も海堂くんに視線を移して、楽しそうな表情。だけど言葉はなくて、なんとなく剣呑な雰囲気を感じる。
「あのさ、桃城くん。二人って、仲悪い?」
「そりゃ、よくはないと思いますけど」
「まじか」
私に応じた桃城くんはあっけらかんとした表情だ。よくあること、みたいな顔をして言うセリフじゃないと思うのだが。
「海堂だってこんなところで喧嘩始めたりしませんよ。心配しなくて大丈夫ですって」
「そう、なんだろうけどさ」
まさか殴り合いになるなんて思っていないけど、少しは心配になろうと言うものだ。
と、横の席に誰かが座る気配を感じて、私は視線をそちらへと向けた。
「みょうじさんだばあ?」
「え、あ、はい」
彼は大きな背を少し丸めて、こちらをみている。上背があることは想像にやすく、長すぎる手足を持て余しているようにさえ見えた。纏ったジャージから平古場と同じ学校であることもすぐに分かったけれど、私は独特の雰囲気にのまれて言葉の矛先に迷ってしまう。
「やーが凛のお気に入りか!」
大きな彼の後ろから顔を覗かせた男の子が、ひょいと私を覗き込んできた。彼も平古場と同じジャージだ。好奇心に目を輝かせている。
「知念さんに甲斐さん」
桃城くんは彼らの名前を呼んだのだろう。手前の大きな人は桃城くんの顔を見て、口の端をあげた。奥の人はよう、と軽く手をあげる。
「二人とも沖縄の選手ですよ」
桃城くんの説明に続いて、手前の人が知念、奥の人が甲斐だと簡単に自己紹介をしてくれる。海堂くんはそんな私たちを監視するみたいに厳しい視線で見守っていた。今日の海堂くんは、機嫌でも悪いのだろうか。まさか、みんなと仲が悪いなんてことはないだろうな。
それにしたって、聞き覚えのない名前が出てきた。
「えっと、りんって?」
「平古場凛さー」
知念くんが指さしたのは、間違いなくすぐそばにいた平古場である。平古場は名前を呼ばれたことにか、指を刺されたことにか、私たちに視線を向けた。私はその平古場の顔と彼の友達であろう二人を見返しながら、頭の中で『ひらこばりん』と言う名前を繰り返してみる。
「名前、凛って言うの?」
「知らなかったばあよ?」
甲斐くんは、楽しそうに喉で笑った。
「想像してたより五倍くらいかわいい名前なんだけど」
「かわいいはやめろよ」
不満顔の平古場に初めて勝てたような気がして、私は少し嬉しくなってしまう。なるほどなるほど。かわいいって言われるのは嫌なのか。
「いいじゃん、凛ちゃん」
「やめろって」
「かわいいね、凛ちゃん」
「うぜー」
「はいはい、ごめんね凛ちゃ、いた!」
びしりと頭に手刀を一発喰らって、三回目の凛ちゃんは言わせてもらえなかった。痛む頭を抑えて、私は彼を睨みあげる。すると、満足そうな笑顔が返ってきた。あれ。ちょっと前まで私が優位に立ってた気がしたのに、いつの間にか逆転してる。
それから、観客席の向こうで少し太った、やっぱり大きな男の子の、おーい、と呼ぶ声が聞こえてきた。
「早く行かないと、キャプテンに怒られるさー!」
「おー、今行く!」
元気よく返事をした甲斐くんは私たちにじゃーなー、と私には少し慣れない発音で挨拶を残して踵を返す。知念くんものそりと椅子を立って、それに続いた。
「凛ちゃんもばいばい」
「おう、またなー」
あれ。今度は怒らないんだ。私は平古場、いや、凛ちゃんに手を振って、彼らを見送る。その背中が遠くなったところで、桃城くんが大きくため息をついた。
「頭から虫除けスプレーでもかけときゃいいのか?」
「え、虫いた?」
「いましたよ。あんたのすぐそばに、でっかいのが」
まさか、凛ちゃんたちのことだろうか。
「大丈夫だよ」
苦笑を返すと、桃城くんは困ったように笑みを浮かべた。黙って話を聞いていた海堂くんにも、険しい視線をもらってしまったけれど。
昨日の忍足くんといい桃城くんといい、心配のしすぎじゃないだろうか。そんなに頼りなくはないのに。証拠に、一番付き合いの長い乾なんかにはそんな話をされたこともない。私だって自分の立場とか、どんな風に見られてるのかとか、少しは分かっているつもりだ。その場所が、不安定なことも理解している。
でも、でもね。私はここにいたいんだよ。ずっとここがいいんだ。
すでにいっぱい汗をかいたペットボトルの蓋をひねりながら、私は空を仰いだ。
62 インターハイ編23