スイート・ハイプ!
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夕食はバイキングだと言うので、そのまま乾たちと一緒に会場へと向かう。
氷帝のみんなは一度戻って芥川くんを迎えに行くと、エレベーターを途中で降りて行った。芥川くんはホテルに戻ってきてからずっと寝ているらしい。向日くん曰く、『ジローはめちゃくちゃ燃費悪いから仕方ない』だそうだ。
会場のカウンターで部屋番号を告げると『お好きな席へどうぞ』と言われ、私たちは窓際の景色の良い席を選んだ。ライトアップされた庭がキラキラ光っているのがよく見える。みんながめいめい夕飯を選びにテーブルを離れていく中、私は景色に視線を取られて立ち止まっていた。
すると、ガラスに写る人影がひとつ、立ち止まった。私はガラス越しにその人を見る。ぼやけた像ははっきりとは見えなかったけれど、大きな人。
「もしかして、みょうじさんやろか」
低い声に呼ばれて振り返る。ガラス越しでなく見上げた彼は、初めて見る顔だった。スキンヘッドに大きな体躯。その風貌に身構えるけれどそれも一瞬のことで、あまり怖いとは思えなかった。彼の視線が穏やかだからか、口調が落ち着いていたからかもしれない。
「あの、はい。一応みょうじですけど」
「わしは四天宝寺高校2年の石田銀や。財前はんの部活仲間といえばわかるやろか」
「え、財前くんの?」
また聞くとは思わなかった名前に驚いて瞬きをする。
それにしたって、石田さん、いや、石田くんは同い年なのか。私に比べて彼はひどく大人っぽく感じられる。大学生どころか、社会人と言われたって納得できてしまいそうだ。
「ついさっき話を聞いたばっかりでな、つい声をかけてしもうた。驚かせてすまんな」
「ううん、大丈夫。えっと、財前くんは……」
「ああ、財前はんなら、あっちで捕まっとる」
ふっと優しく目を細めて、石田くんが視線をずらした。その先には、財前くんと桃城くん、それに海堂くんもいる。遠目に見ても楽しそうな様子に、親しいのだろうかと思い当たる。と言うことは。
「もしかして、部活ってテニス部?」
「ああ、わしらもインターハイに参加しとる。みょうじはんは財前はんから聞いとらんかったんやな」
「あ、えっと、財前くんとは、その、あんまりたくさん話したわけじゃないので」
「そうか」
石田くんは少し考えて、それから眉を下げて困ったような表情を作った。
「実は、わしのせいで少しややこしいことになってしまったんや。誰かに何か言われても、財前はんのことを悪う思わんでやってくれんか」
「ややこしいこと?」
「せや。余計なことを言うてしもうた」
「よくわかんないけど、ええと、わかりました?」
とにかく、何かあっても財前くんのせいではないと思っておけばいいのだろうか。深く聞かれたくなさそうな様子だったので、とにかく頷いておけば、石田くんは小さく笑う。
「すまんな。恩に着る」
綺麗にお辞儀をした彼に、私は慌てて手を振った。
「え、いやいや、まだ何も起きてないのに」
「そう言ってくれただけで十分や」
顔をあげた石田くんはやっぱり穏やかな笑顔のままで、私も謙遜の言葉を飲み込んで笑って見せる。何となく、そのほうがいいような気がした。
石田くんと話していると、落ち着く感じ。それに何かを、誰かを思い出せそう。もしかして、あの俳優さんかな。あのSF映画に出てた、そうそう、ローレンス・フィッシュバーン。いや、確かに雰囲気が似ている気がするけど、そうじゃなくて。
「銀、まだこんなとこにおったんかいな」
不意に石田くんの後ろから、二人の男の子が現れた。きっと石田さんの友達なのだろう。挨拶をするべきかどうか迷って会釈だけをすると、二人は不思議そうに私と石田さんを見比べた。それからパチパチと何度か瞬きをする。
「あっ、もしかして財前が言ってたみょうじさんってあんたか!」
片方の男の子に指を刺されて、私はたちまち憮然とした気持ちになった。財前くんの知り合いに私はどう伝わっているのだろう。変な話じゃないといいけど。
「謙也、あんまり大きな声だしなや。彼女、困ってるやろ」
もう片方の男の子がそう嗜めて、私の方を向き直った。
「すまんな、うちの部員が迷惑かけて。悪気はないねん」
「い、いえ」
その言葉に嘘はないのだろうが、何となく居心地が悪くて私は苦笑するしかできない。知らない人に囲まれて、萎縮しているのかもしれない。
「俺は四天宝寺高校2年、白石蔵之介や。そっちは忍足謙也」
「あ、私は青学のみょうじです」
「よろしくな」
白石くんがにこりと笑って差し出してきた手を恐る恐る握る。すると、よろしゅう、と忍足くんにも手を取られてぶんぶんと勢いよく振られた。随分親しみやすいと言うか、気軽な態度だ。戸惑いとともに忍足くんの顔を見上げると、彼はからりと明るい笑顔を浮かべていた。財前くんから悪い話を聞いたと言う態度ではないけれど、それでも気になってしまうのが人情ってやつで。
「あの、忍足くん」
「ん? 何や?」
「財前くん、私のこと何て言ってた?」
「え」
ピタリと動きを止めて、急に目を泳がす彼の表情は、分かり易すぎるほどに分かりやすい。どうしよう、と顔に書いてあるみたい。
「いや、別に大したことやないねんで! な、銀、白石!」
「せやなあ」
白石くんも少し困ったような顔で笑った。追求したいような、したくないような。
「みょうじはん、全部わしのせいなんや」
急に頭を片手で押さえて肩を落としたのは、石田くんだった。白石くんはそれを慰めるように彼の背中をぽんぽんと叩く。
「いや、銀のせいやないやろ」
「せやかて、白石はん」
「あの状況なら、銀がどうしたかてみんなに知れ渡っとったはずや」
私を置いてきぼりに、二人は真剣な顔で会話を進めてしまう。私には説明してくれないのか。どう言うことなんだ。白石くんは私の肩に手を置いて、静かに言う。
「俺が何も起こらんように見とくから、心配せんでな」
「え、何。そう言われるとむしろ怖いんだけど。これから何か起きるの?」
「俺もちゃんと止めたるからな」
忍足くんも私の肩に手を置いて、小さく頷いた。石田くんはそんな私たちを見て、一言、すまん、と呟く。
「いやだから怖いって。何!?」
私、死の危険にもで瀕しているのだろうか。彼らは宇宙人の襲撃でも止めてくれるんだろうか。
「ほな、そろそろ失礼しよか」
私の疑問に答える気はないらしく、石田さんはそう言って小さく私に会釈をした。
「せやな。またな、みょうじさん」
「会場でまた会えたらええな!」
白石くんと忍足くんもそれに続いて、3人は連れ立って去っていってしまう。
いやいや、ちゃんと説明してってば。結局、私はどう言う状況にいるのか全くわからない。追いかけようにも食事会場は人でいっぱいだし、あまりゆっくりしていると食事時間が終わってしまうかも知れない。何はともあれ、私も夕飯を選びにいかなくちゃ。
あれ、そう言えば。
石田って苗字。スキンヘッド。優しい雰囲気。テニス部。あれ。もしかして、春の合宿で会った不動峰の石田くんって。いやいや、まさか。
不思議な偶然に思い当たって、けれど私は頭を振る。石田なんて、それなりに見る苗字だ。そんなの、ただの偶然に違いない。
***
それから食事をすませ、乾たちと分かれて部屋に戻ってきた。
お風呂に入ってもう休んでしまえばいいとわかっているのだけど、私はソファに転がって、天井のシャンデリアをぼんやり見つめている。
頭の中に過ぎることが多すぎた。石田くんの言っていたよくわからない話も気になるけれど、何よりも気がかりなのは、不二くんと向日くんの言っていた話だ。
マネージャーの件、なんて返事をしよう。バイトの話、どうしよう。どっちかを選ぶべきなんだろうけど、どっちをやっている私もうまく想像できない。
それとも両立できる? 私に?
数学部だって気に入っているのに、テニス部と兼部してバイトなんてそんなのいきなりハードル高すぎでしょ。そもそも、せっかく応援に来たって言うのに、自分のことばっかり考えてどうすんの。私、何のためにここにいるのか、ちゃんとわかってるの。
思考を遮るように、チャイムが響く。
誰だろう。鍵穴から覗いてみると、見覚えのあるスーツの首元が見えた。
「何しに来たの」
ドアを開けると、少し不機嫌そうな跡部が私を見下ろしている。私の第一声が気に入らなかったのだろうか。我ながら、可愛くない台詞だったとは思うけれど。
その後ろには、静かに控えるようにして樺地くんも立っていた。挨拶をするには少し遠い距離だからか、彼は私に小さく会釈だけをくれる。私も会釈を返して、それから跡部に視線を戻した。
「随分な挨拶じゃねえか」
「いや、だって、跡部が私に会いにくるとか」
「様子を見に来ただけだ。無理やり連れ出したようなもんだからな」
「ふうん。まあ、どうぞ」
ありがとう、の一言でも言えればいいのだけれど、今更そんな殊勝な態度もなかなか難しい。ため息を一つ落とすと、跡部は馬鹿、と私の頭を叩いた。
「夜に男をやすやすと部屋に入れる女がいるか」
「だって、様子見にきてくれたんでしょ」
「お前は少し警戒心を持てよ。何かあってからじゃ遅えぞ」
「はいはい、ごめんねママ」
「誰がママだ。こんな可愛くない娘を持った覚えはねえよ」
ふんと鼻で笑われたのがむかついたので、足を蹴っ飛ばしてやろうとするけど、すっと避けられてまた笑われる。悔しい。
「ワンパターンだな」
「いつか当ててやるから」
「はっ、できるもんならな。それより困ったことがねえなら俺はもう行くぞ」
額を軽く弾かれて、私はちょっとのけぞる。額がひりひりした。少しは手加減してよ。
「じゃあな」
「あ」
踵を返そうとした跡部の袖を、思わず掴む。少し驚いたような表情で振り返った彼に気まずくなって、私は慌てて手を離した。
「どうした?」
私は、聞いてみたかった。跡部は、どうして留学しようと思ったのって。
テニスと何かを天秤にかけて、テニスじゃない何かを取ったんだろうか。それで後悔はなかったんだろうか。テニスと何かを比べたことがある跡部なら、マネージャーとバイトの話、どうしたらいいのか正解を知っているだろうか。
でも。
「なんでもない」
「そうかよ」
聞けなかった。彼はいつでも尊大に感じるほどに自信に溢れて、迷ったことなどないように見えたから。跡部のような強い人から見たら、私の悩みなんて小さくて下らないものに見えるんじゃないかって、そう思えた。お前のことなど知らないと突き放されてしまうような気がした。
跡部は私を少しの間じっと見下ろしていた。私の飲み込んだ言葉を待っていてくれたのかもしれない。けれど、私が口を開かずにいると、彼は小さく息を落とした。
「お前は、……いや、俺は」
「うん?」
「やっぱり何でもねえ」
「言いかけてやめられると気になる」
「お互い様だろうが」
「あ、そっか。ごめん」
「お前も俺に謝ることがあるんだな」
「そういうこと跡部が言うから、二度と言いたくなくなるんじゃん」
「俺のせいかよ、悪かったな」
当て付けのような謝罪につい視線が険しくなるけれど、彼は私の髪の先を少しだけ指先で遊んで、静かに小さく笑っただけだった。そして、何も言わずエレベーターへを爪先を向ける。
「おやすみ」
挨拶は返ってこなかった。それどころか、振り返りさえしない。少しは愛想、なんて、そんな跡部気持ち悪いだけか。
跡部の後について歩き出そうとした樺地くんがふと足を止めて、私と視線を合わせた。
「……すみません」
「あ、ううん。気にしないで」
言葉は少なくとも気遣ってもらえていることがわかって、私は笑顔を浮かべる。樺地くんの表情は変わらないままだったけど、それでもなんとなく雰囲気が和らいだような気がした。
少し遠くなった跡部の背中を確認してから、私は樺地くんに小さく手招きをする。不思議そうにしながらも屈んでくれた彼に、小さな声で言った。
「これでもね、跡部にはちゃんと感謝してるんだよ。あんまりうまく言えないんだけど」
「……ウス」
「樺地くんも、会場で迎えにきてくれたり、こうやって顔見にきてくれたり、ありがとう」
「いえ、自分は何も……」
「私も素直に言ったんだから、樺地くんも素直に受け取ってよ」
「ウス」
頷いた樺地くんは律儀にお辞儀をしてから跡部の後ろへ並ぶ。やはり、そこが彼の定位位置らしい。見ている私も二人が並んでいるのを見ていると安心するから不思議だ。
跡部と樺地くんがエレベーターに乗り込んで、こちらを振り返る。手を振ると、樺地くんはもう一度お辞儀をして、跡部は少しだけ口の端を上げたようだった。対照的な二人だからバランスが取れるのかもしれない。ゆっくり閉まる扉を眺めながら、そんなことを考える。
ねえ、跡部。私の定位置はどこだと思う?
聞けなかった疑問は、銀色の扉の向こうに届くことなく跳ね返されたようだった。
61 インターハイ編22