スイート・ハイプ!
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地元開催のインターハイでホテルを取る必要があったのかといえば、必要はなかった。ただの顧問と部長の悪ノリだ。『何やホテルに泊まると全国大会って感じするやろ』ということらしい。ホテルに泊まるのも当然タダではないのに、アホらしい話だ。
そんな経緯で、俺にもホテルの部屋が与えられた。
部屋には先輩たちが集まっていて、即興コント大会なるものが催されている。家に帰りたくないと駄々を捏ねた金太郎も、どうやらこのホテルに宿泊することを許されたようだった。先輩たちのお決まりのボケに、手を叩いて笑っている。
輪の中に参加する気にもならなくて、俺はベッドに転がって携帯の真っ黒な画面を眺めていた。
携帯が、着信を知らせることはない。
当たり前だ。彼女は連絡しないと言っていた。それでも、どうしたって少しの可能性に愚かな期待をしてしまう。なんて、非生産的で滑稽なのだろうか。
「財前はん。さっきから、随分難しい顔をしてはるな」
顔をあげると、師範がベッドの端に腰掛けて俺を見下ろしていた。俺はベッドに寝転んだまま、師範とその奥で楽しそうに騒ぐ部活仲間を見比べる。
いつもそうだ。テニス部にいると、誰かが必ず俺を気にかけてくれる。それが少し鬱陶しくて、少し嬉しくて、とても安心する。
「師範」
「何や?」
特に、この先輩は人の話を聞くのがうまかった。彼の静かな目を見ていると、俺も自然と口を開いてしまう。今日も、そうだった。俺は多分、誰かにくだらない話だと笑ってほしかったのだ。そうしてくれればこの持て余す感情を捨ててしまえるのではないかと、そんな期待をしていた。
「俺、生まれて初めて一目惚れってやつしたかもしれへん」
それが、まさかあんな大事に発展しようとは思いもしなかったのだ。
***
なまえちゃんの部屋に遊びに行くから、桃たちもおいでよ。
タカさんにそう誘ってもらったのが5分前。
マムシのヤローはこの話知ってんのかな。あいつも誘ってやろうかな。なんの因果か、こんなことを思ってしまった俺が海堂の部屋を尋ねたのが3分前。海堂に要件を伝えて、なんだかんだと少し言い合って、いいから行くぞ、とドアを閉めたのが数秒前。
「あっ! おったぞ青学のやつ!」
「ユウくん! 今よ、捕獲して!」
「まかせろ小春!」
「うわあ!?」
そして、飛びかかってきた四天宝寺のお笑いコンビの手を危機一髪ですり抜けたのがたった今だ。
「な、なにするんすか、あんたら!」
言いながら体勢を立て直そうとすると、ばっと目の前に翻る小さな影。
「逃さへんでー!」
「なっ!」
海堂が隣で小さく声をあげたのが聞こえた。同時に、ずん、とのしかかってくる重み。
「捕まえたー!」
俺と海堂の上に乗っかって、にししと笑うのは金太郎だった。
「うふふ! グッジョブやで、金ちゃん!」
ついでとばかりに俺の腹の上に腰掛けた金色さんは、くねりとシナを作って俺と海堂を見下ろす。貞操の危機を感じて勢いよく視線をそらすと海堂と目があってしまうから、視線でバーカ、と罵ってやった。通じたかどうかはわからないけれど。
「桃尻くん、バンダナくん。みょうじさんって名前、知っとる?」
金色さんの口から飛び出た意外な名前に、俺も海堂も思わず動きを止める。なんで、この人たちがみょうじ先輩のことを。
「知ってますけど、そっちこそなんでみょうじ先輩のこと知ってるんすか?」
「みょうじっちゅーねーちゃんが財前のうんめーのひとなん、」
「うわあああああ金ちゃん!」
よく知った声が、今まで聞いたことないくらいに大きく響いた。息を切らした財前が走ってきて、俺たちの上に乗っていた金太郎と金色さんをぽいぽいと放り投げて退ける。久しぶりの再会だが、記憶の中の財前はこんなにアグレッシブな男だっただろうか。もっとクールでプライドが高くて、こんな風に必死の形相を他人に晒すのを嫌がるたちだったはずだ。
「財前、お前、そんなでかい声出せたんだな」
「……それはどうでもええやろ。それより、今お前らなんか聞いたか?」
「みょうじ先輩が運命の人ってのはなんだ」
すぐにそう返事をしてしまう海堂に、俺は内心で頭を抱えた。
財前は明らかに聞かれたくない顔をしているのに、どうしてお前ってやつは聞かなかったフリをしてやれねえんだよ。ああ、ほら。財前は両手で顔を覆って、もう感情のやり場を失っている。耳が少し赤い。
「……どんまい、財前」
「黙れ、桃城」
「んだよ、俺がこの場で一番お前に気を使ってやってんだろうが」
「今すぐ記憶を失ってくれたら、めっちゃ感謝するわ」
「無茶言うなって」
まあまあ、と財前の肩を叩いたのは意外にも一氏さんだった。
「なんにせよ、二人がみょうじのこと知ってるんは確実なんやし、教えてもらったらええやん」
「そんなストーカー紛いのことできませんわ」
「偶然知ってもうたーみたいな感じでいいんとちゃう?」
「さすがにキモいっすわ。ドン引きですわ」
「確かに、俺も自分がそれされたら引くけどな」
「いてこましていいすか?」
「やめや、目が本気やん!」
「もちろん本気ですけど」
「いややわ、二人とも! あたしのために喧嘩せんとって!」
「小春先輩は関係あらへんやろ」
やんややんやとはじまった漫才に、俺はやっと状況を理解する。
つまり、あれだろ。財前はみょうじ先輩に惚れちまったってことだろ。そして、恐らくは殆ど先輩のことを知らない。一方的な感情ってこと。
それにしたって、なんでみょうじ先輩なんだ。みょうじ先輩は俺らの応援に来てくれたって言うのに、横から掻っ攫われるのは、なんとなく気に入らない。財前はいいやつだけど、みょうじ先輩にもし彼氏ができるなら、うちのテニス部の誰かなんだろうと思っていただけに、尚更、って言うか、なんて言うか。とにかく気に入らねーもんは気に入らねーんだから、仕方ない。
俺は海堂の肩を掴んで小声で告げる。
「おい、今から作戦言うからしっかり聞けよ」
「何だよ、作戦って」
「お前だって、みょうじ先輩が財前に持ってかれんの嫌だろ?」
「はあ? 俺は別に……」
「いいから、財前に協力するフリしてみょうじ先輩の悪いとこを吹き込め」
「馬鹿野郎、先輩の悪口言えるわけねえだろ!」
海堂のでかい声が細い廊下いっぱいに響いて、財前たちの視線が俺たちに戻ってきてしまった。だからこいつは嫌なんだよ。俺は内心で毒づいて、肩を落とす。何か誤魔化す言葉を探そうと考えているうちに、金色さんがひょいと俺たちを覗き込んできた。
「ねえ、二人とも。別に連絡先を横流しして欲しいとか言うつもりちゃうんよ」
「はあ」
「せやから、みょうじさんがどんな子なんか、ちょーっと教えてくれへん?」
にっこり、人好きのする笑顔で彼はそう言う。俺たちの浅はかな作戦が既に読まれているような気がして、俺は居心地が悪かった。何せ、相手は愛嬌のある外見に反してIQ200の天才なのだから。
「あ、あの、みょうじ先輩は」
口を開いた海堂を、肘で突っつく。わかってんだろうな。余計なこと言うんじゃねえぞ。
「その、普通、です」
「普通?」
キョトンとした顔で、一氏さんが首を傾げた。そりゃ、そうなるだろう。普通って言葉に情報量がなさすぎる。まあ、海堂があの人のことを悪く言えるはずもないから、精一杯良いところ言わないようにした結果なのだろうけれど。
「ふーん。そのねーちゃん強いん?」
「いや、強くはねえな」
金太郎らしい質問に、俺は思わず笑って答えた。何年経っても、こいつの頭の中はテニスでいっぱいらしい。こう言うところはアメリカにいるもう一人のテニス馬鹿にそっくりだ。
「どっちかっつーと弱いんじゃねえか、あの人は」
ラケットを持っているところすら想像できなくて、首を傾げた。彼女は少し不器用なイメージがある。それに、ちょっと大雑把だ。でも、いつも俺を、俺たちを見つけると走ってこっちにやってくる。そんで、不安そうな真剣な顔で試合を見守ってくれるんだ。
「何や、つまらん」
唇を尖らせて急に興味を失った様子の金太郎とは対照的に、金色さんは目を輝かせてずいと前に進み出てくる。
「あらあら桃尻くん。いい笑顔じゃない?」
「は?」
「うふふ、やっぱりいい子みたいねえ、みょうじちゃん」
金色さんはくるりと振り返って、財前のリアクションを求めたようだった。けれど、財前はちらりと俺の表情を窺うようなそぶりを見せただけだ。それから真剣な表情に変わって、年上なんか、と小さな声で呟いた。
おいおい、待て待て。何だよ、その表情は。マジってやつなのか。俺、絶対余計なことしたよな。
「馬鹿野郎」
隣で海堂が低く唸るようにそう言った。そこまで怒ることねえだろ。そりゃ、俺だってやらかしちまったとは思ってるけどよ。
「……財前をみょうじ先輩に近づけねえようにしないとな」
「わかってる」
俺たちはこっそり頷き合う。面倒なことに、しばらくはこいつと共同戦線を張ることになりそうだ。
東京に戻るまで、たった数日。されど、数日だ。
60 インターハイ編21