スイート・ハイプ!
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二回戦も無事に勝ち上がって、私たちはホテルに戻ることになった。
跡部が取ってくれたホテルは選手たちと同じホテルだったようで、私たちも青学の選手と一緒にバスに乗り込む。跡部には一応連絡したけれど、好きにしろ、と寛大なのかそっけないのか、よくわからない返事が返ってきた。なんとなく、気を遣ってくれているような気はする。希望観測かもしれないけど。
バスの中では乾の隣に座ったものの、ほとんど会話はなかった。乾がすぐに眠り始めてしまったからだ。疲れているのだろう。ホテルまでは十分もかからないけれど、このまま寝かせておいてあげようと私も声はかけないことにした。
いつもは私が居眠りして乾が起こしてくれるけれど、今日は逆。肩に重みを感じるのが、少しくすぐったい。
「お疲れ」
起こさないように小さく呟く。乾が起きたら、もう一度言わなくちゃ。思って、私も目を閉じた。
***
私たちがバスを降りると、ちょうど駐車場に滑り込んでくるバスが見えた。同じ会場から返ってきたバスかもしれないな、なんて思いながら、にホテルのエントランスへと向かう。回転ドアをくぐって中へ踏み込むと、ひんやりとした空気にやっと呼吸ができたような気分。
「みょうじは何階?」
不意に、隣を歩いていた乾が立ち止まってそう聞いた。
「えっと、25階」
「スイートルームか。さすが跡部だ」
彼は予想通り、という顔だ。実際、23階以上はエレベーターが違うから立ち止まったのだろうし。
「みんな、なんかあっても全部『跡部だから』の一言で済ますよね」
「彼は昔からああだからね」
「可愛げない子供だったんだろうなあ」
「はは、そうだと思うよ」
乾にしては珍しく大きく笑う様子に、私もおかしくなってしまって一緒に笑った。確かに、小さな跡部は想像してみるとちょっと面白い。大きな態度でも、小さな子がすれば可愛らしいばかりだろう。
「それじゃあ、また後で。少ししたら、みんなで部屋に遊びにいくよ」
「え、それ決定事項なのか」
「なんだかんだ言いつつ、どうせドアを開けるんだろう?」
「そーだけど……」
「ほら、早く行って荷物を片付けておかなくていいのかい?」
「なんか悔しい、いつかそのメガネ叩き割ってやるからな」
八つ当たりみたいな悪態をつくことしかできない私を見て、彼は低く笑う。見透かされたみたいで恥ずかしい気持ちをごまかすように、踵を返して荒い足取りでエレベーターへと向かった。すぐにドアは開いて、私はガラス張りのそれに乗り込む。25階のボタンを押すと、ゆっくり閉まっていく扉。
「ストップ!」
扉が閉まる直前に、それを止める手があった。ぐ、と無理やりに開かれた向こうにあったのは、焦ったような表情を浮かべた知らない顔。彼がエレベーターに滑り込んだと同時、もう一度ドアが閉まる。
遠くで、乾がこちらを振り返っていたような気がした。
「あ、気づかなくてごめんなさい」
『開』のボタン、押してあげれば良かったな。気を悪くしてなければいいけれど。
ちらりと隣の彼の表情を窺う。すると彼はじっとこちらを見下ろしていて、パチリと目があってしまった。
「あの、俺のこと覚えてません?」
「え」
唐突な質問に、私は彼を改めて見やる。すっとした整った顔立ち、キラキラ光るたくさんのピアス、明るい色のジャージ。それに、関西弁。知り合いではない、と思うけど。
「覚えてない、です。ごめんなさい」
「さっき、会ったやないですか」
さっきっていつのことだろうか。今まで私は青学の応援をしていて、その前は飛行機に乗っていて。いや、待て。そう言えば。
「あ、思い出した。午前中にエレベーターの近くで……」
鼻歌聞かれちゃった人だ。思い出したものの、あまり思い出したくない出来事だった。むしろ、忘れていたかった。
「あの、ええと、なんかごめんなさい」
「さっきからごめんばっかっすね」
ふっと彼は柔らかく笑う。まるで親しい人に向けるみたいな笑顔に、何故だか気まずくなって目を逸らした。最近は少しマシになってような気がしていたけれど、やっぱり私は人と関わるのが得意じゃないままなのかもしれない。
高い音が響いて、エレベーターのドアが開く。
会釈だけして、エレベーターを降りたところで、パッと腕を掴まれる感覚。
「あの、名前教えてもらえませんか。あと、よければ連絡先、とか」
あれ。
もしかしてこれ、ナンパか。あんまり経験がないから、今まで全く気づかなかった。
しかし、この状況は結構まずいんじゃないか。この階は部屋数が少ないせいで廊下はとても静かだ。どうやって切り抜けようか。
逡巡しているうちに、彼の方が先に口を開いた。
「もしかして俺、めっちゃ警戒されてます?」
「はあ、まあ」
「ちゃうんすわ。そういうんじゃなくて、いや、そうじゃなくもないんすけど」
慌てた様子で手を離して、視線を彷徨わせる彼。初対面が落ち着いた印象だっただけに、なんだか変な感じ。ちょっと面白い。
「ふっ、ふふ、はい、じゃあ、そういうんじゃないってことで」
「あんまり笑わんといてください」
「ごめんなさい?」
「なんで疑問形なんすか」
大きなため息をついて髪をかき上げた彼は、なんというか、整った顔立ちだし、確かに私にちょっかいをかけるまでもないのかもしれない。
「じゃあ、何か連絡先知りたい理由、ありました?」
「それ、は」
言い淀む彼は、とても迷っているように見えた。なんだろう。私、もしかして何かやらかしてしまっただろうか。にわかに不安を覚えつつ、彼の言葉を待っていると。
すうと息を深く吸い込む音。
「多分……多分、ですけど、一目惚れっちゅーやつ、です」
斜め上の答えだった。
いやいや、待ってくれ。なんだって。一目惚れって、彼が私に。何を言ってるんだ。これがモテ期ってやつか。いや、モテた覚えなんて手塚くんがたった一人だけど。あれだって、随分前のことのようにも思えているけど。いやいや、そうじゃないだろう、私。目の前の彼のことを考えなきゃ。どうしよう。いや、て言うかさ。
「結局、ナンパなのでは?」
「……俺の中ではちゃうんすけど」
「そう言われても」
私は困るだけだ。別に彼に悪い印象はないし、むしろ良い方なんだけど、本当に真剣に思ってくれているとしたって、私の答えは一つしかない。
「あの、ごめんなさい」
「一番聞きたくなかった返事ですわ」
「ごめん」
「他のこと言えへんの?」
「いや、だって、無理」
途端に、彼は蹲み込んで頭を抱えてしまった。何、こわい。
「……即答とか」
「え、あ、ごめんなさい」
「もうごめんはええから」
「あー、はい」
「せめて3秒は考えてくれへん?」
「……、無理」
「まじで3秒やめや。コントやないねんで」
「だって」
「あんた、俺の言うたこと、本気にしてへんやろ」
じろりと睨まれてしまうけれど、彼の顔が赤く染まっているからちっとも迫力がない。それどころか、慌てた気持ちが落ち着いてくると、じわりじわりと恥ずかしさのようなものが込み上げてきて、私も何も言えなくなってしまう。
「まあ、しゃーないわ。あんまりそんな感じせえへんけど、俺ら初対面やし」
「いや、思い切り初対面って感じだけど」
「俺はせえへんから、ええやろ」
「そんな強引な話ある?」
「とにかく、手出し」
ぐい、と手を引かれて、何事かと驚くけれど。彼はポケットから蛍光ペンを取り出して、私の腕に数字を書き連ねていく。最後に名前らしき文字を付け加えて、私の手は解放された。
「連絡、待っとる」
「しないよ」
「それでも、待っとる」
「ごめん」
「ごめんはやめや」
容赦無く額をぺチリと叩かれて、私は言葉を飲み込む。
彼は私を見下ろして小さく笑みを落とすと、あっさりとエレベーターへと踵を返した。
「またな」
また、だって。そんなことがあるだろうか。
私はドアが閉まるまで彼を見送って、自分の部屋を探した。部屋に入ってドアを閉めて、ようやく息をつく。腕には、少しかすれた数字、そして『財前光』と書かれていた。ざいぜんひかる、かな。財前くんって言うのか。
きっと、もう会うこともないけれど。
なんとはなしに文字の端っこに触れてみると、まだ乾いていなかったそれは少し滲んで、指先に色を移した。
57 インターハイ編18