スイート・ハイプ!
Name Setting
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
青学は、二回戦進出を決めた。
不二くんの手首もすっかり良いようで、不安げない試合だった。よかった。この調子なら、本当に優勝しちゃうんじゃないかな、なんて楽観的な私まで顔を出す。
二回戦までの時間を、みんなは木陰になっているベンチの周りで過ごすようだ。私は少し離れた場所でなんとなくみんなの会話を聞き流す。アンティシペイションとか、フォースドエラーとか。飛び交う言葉はなんとなくしかわからない。こんな時、私は部外者なんだと思い知らされて少し寂しい気持ち。
と、不二くんがこちらにやってきて、私の隣に腰を下ろす。
「暑いね」
彼の言葉に私は、そうだね、と頷いた。世間話のような調子だけれど、コートに立つ立場からすれば切実な問題だろう。
「応援、来てくれてありがとう」
「うん」
「あのさ」
彼は私に視線を合わせて、それから少しの間、言葉を探しているようだった。
「大阪に来る直前に、先輩たちに言われたことがあってね」
「言われたこと?」
「次の部長を僕に任せたいんだけど、どうかって」
「そっか、すごいね」
今、レギュラーのうち二年生は3人だ。乾は率いるより裏方の方が得意だろうし、菊丸くんも自由にしていた方が似合う。不二くんだって先頭に立つタイプではないかも知れないけれど、優しくて、視野の広い人だ。不二くんなら、きっと良い部長になれるんじゃないかな。
私はそう思ったのに。
「正直、自信がないんだ」
「どうして?」
「ほら、僕は結構フラフラしてるから」
「そうは見えないけど。不二くん、ちゃんとしてるじゃん」
彼は否定するでも肯定するでもなく、小さく笑って答えを濁した。
少しだけ会話が途切れて、みんなの笑い声が私と不二くんの間にできてしまった隙間を埋めるみたいに響く。
「ねえ、みょうじさん。今からずるいことを言おうと思うんだけど、良いかな」
「内容を聞かせる前にそう言う方がずるくない?」
「そうだね、ごめん」
いつもと変わらず、彼の表情は穏やかだった。でも、きっと繕われた顔。なんとなく、分かってしまう。
ふわりと流れた風が、汗で湿った首筋を冷やしていった。
「みょうじさんがテニス部に入ってくれるなら、部長の話を引き受けようと思うんだ」
「え」
言われた言葉がよく理解できなくて、私は一瞬息を止めた。私と不二くんが部長になることと、なんの関係があるの。テニス部に入るって。なに、その急な展開。
「マネージャー、やってみる気はない?」
「私が?」
「そう。僕は、みょうじさんがテニス部にいてくれたら嬉しいな」
「うそ」
「なんで疑うの?」
「だって、私何もできないもん。私なんかいてもいなくても変わんないじゃん。それなのに」
「みょうじさんは自己評価が低いんだね」
「低い、って言うか、さ」
低い、のかな。わかんないけど、でも、少なくともテニス部に必要な人材でないことだけはわかる。
「関東大会で僕が手首を痛めた時に、一緒にいてくれたのを覚えてる? あの時に、君がいつも一緒にいてくれたら良いのにって思ったんだ」
そう言えば、一緒に病院まで行ったっけ。でも。
「私、テニスのこと、よくわかんないよ」
「すぐに覚えられるよ」
「こんな、中途半端な時期だし」
「引退まで一年くらいはある」
私だって、テニス部に入るのが嫌なわけじゃない。私もあの輪の中に入りたいと思ったことだって、いや、今だってそう感じてはいるけれど。必要とされるのは、とても嬉しいけれど。それだけの理由でテニス部に入ったとして、ちゃんと続けられるのかと聞かれれば、正直なところ自信がない。
「マネージャーなんて、ちゃんとできる気しない」
「僕も、部長なんてちゃんとできる気しないよ」
「それとこれは、すっごく違う話だと思うんだけど」
「どうして? 変わらないよ」
「どうしてって……ね、私がテニス部に入らないって言ったら、不二くんは本当に部長の話を断るの?」
「うん、そのつもり」
「私次第?」
「そう言うこと」
「確かにずるいなあ」
責任重大だ。私はテニス部のみんなから『不二部長』を奪いたくはない。でも。でもさ。
「私、やっぱり、」
「まだ答えなくて良いよ。ゆっくり考えて、ね?」
人差し指を私の唇に当てて、彼は私の返事を封じてしまった。今日の不二くんはとことんずるい。
「新学期が始まるまでに、答えを聞かせてくれれば良いから」
にこりと微笑んだ彼は、私の返事を待たずに立ち上がる。みんなの輪の中へ戻っていった不二くんの背中を見送って、ため息をついた。
マネージャーか。
気軽にやってみてダメだったらやめます、なんて言えそうにないし。どうしよう。ああ、全く。春に友達が増えてから考えることが多い。人間関係ってそう言うもんだっけ。面倒くさい。
でも、どうしてかな。手放す気なんて、ちっとも起きないんだ。
***
立海はストレートで二回戦進出を決めた。
いつも通りで、当然の結果。とは言え、幸村くんは少し不満顔だ。俺たちの動きがまだ硬いのだという。勝ったというのに褒め言葉一つ出てこないのだから、厳しい部長だ。頼りになるには違いないけれど。
簡単なミーティング、という名のお説教を聴き終え、次のコートへ移動する途中。青学の一団と、少し離れたところに一人ポツンと座っているみょうじが見えた。あいつ、来てたのか。なんだよ。来るなら一言ラインでも送ってくれれば良いのに。
「丸井、どうした?」
柳がこちらに気付いて足を止め、俺の視線の先をたどる。
「お前が気にしているのは青学、ではなく、みょうじか」
「ま、両方ってことで」
「そうか。そう言うことにしてもいいが、挨拶している時間はなさそうだぞ」
言われて、先に行ってしまったチームメイトの背中に気付く。でも、このまま俺だけがあいつに気付いてんのも、なんとなく気に入らない。
「みょうじ!」
でかい声で呼べば、彼女はびくりと肩を揺らして勢いよくこちらを顧みた。手を振ると、大きく振り返される手。何、笑ってんだよ。俺まで笑っちゃうじゃん。
「よし、行くか」
柳にそう言えば、彼も少し笑って、ああ、と頷いた。歩き出すと、後ろの方から彼女の笑い声が聞こえてくる。誰と話してんのか気になるけど、気にしてるのを隣の男に悟られたくなくて、俺は自分のシューズに視線を落とす。
俺、あいつのこと意識してんのかな。意識してんだろうな。意識してんの、俺だけかな。
そんな浮ついた思考を冷やすように、合宿での彼女の言葉を思い出した。
『丸井くんは違う』
あの言葉はそういう感情を否定した言葉だったんじゃないだろうか。決め付ける根拠なんかないけど。正直、よくわかんないけど。俺はどうしてか、あの言葉をにずっと引っかかってる。
「そう言えば、少し前に精市と彼女が河村寿司に行っただろう。丸井も行かなかったのか」
唐突な柳の言葉に、俺は顔をあげた。
そうだ、そんなこともあった。幸村くんが彼女と二人になりたがったことが、気がかりでないと言えば嘘になる。思い出すと、少しだけ落ち着かない気持ちにもなる。でも、まだ自分の感情に名前をつけかねている俺は、邪魔しようだとか、勘ぐろうだとか、そんな気にもならない。あの幸村くんが相手なら尚更だ。
「柳こそ、行かなかったじゃねえか」
反撃のつもりで口にした言葉。けれど、彼はいつもの穏やかな表情を少しも揺らすことはなかった。
「俺は精市が彼女を気に入ったと言うのなら、応援するにやぶさかではない」
「ふうん」
なんとなくその返事が気に入らなくて、俺は膨らませたガムを噛み割る。て言うか、やぶさかってなんだよ。日常会話で使ってるやつ、初めて見た。
「柳は、幸村くんがあいつのこと好きだと思ってんの?」
「さあな。気になるなら本人に聞けばいい」
「……聞くつってもさ、ヘタ踏んだら一週間は睨まれそうじゃね?」
「……可能性は否定しないが」
二人でそんな想像をして、背筋を凍らせる。なんて言うか、不毛だ。
「おーい、お二人さん!」
俺と柳が遅れたことに気づいた毛利先輩が、遠くで手招きをしていた。
「今行きます」
そう答えた柳は、数年前まであの先輩と随分冷えた関係だったけれど、今ではそれなりに信頼関係を築けているらしい。俺の周りも、目まぐるしく変わり続けていた。
それでも、変わらないものもある。
少し向こうに見える、白いラインで区切られた、簡素な四角形の空間。俺たちの舞台は、ずっとあそこだ。
主役は、きっと今年も幸村くんだろう。
シナリオは狂わないし、緞帳は終演まで降りることもない。2年前のような番狂わせは、きっともう起きない。脇役たちの嫉妬など、なんの意味もないことなのだ。
これも、変わらないことの一つ。
55 インターハイ編16