スイート・ハイプ!
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跡部が私の姿を見た途端、『馬子にも衣装だな』なんて言うから、スネを蹴っ飛ばしてやろうとしたら簡単によけられてしまった。曰く、読めてんだよバーカ、だって。ムカつく。
会場に着くと樺地くんが迎えてくれて、青学の試合がもう始まっていることを教えてくれた。私とタカさんと大石くんは急いでコートへと向かう。跡部は多分、樺地くんと一緒に氷帝の人たちと合流するのだろう。
いくつか並ぶコートの横をすり抜けて、青と白のユニフォームを見つけた。声をかけようとして、けれどすでにラリーが始まっていることに気がつき私は言葉を飲み込む。
コートに立っているのは、乾だ。きっと、シングルス3だろう。
私たちは3人でそっと観客席の青学の一団へと近づいた。すると、振り返った桃城くんがこちらに気がついて、あっと大きな声をあげる。
「こら、桃。ラリー中は静かにしなきゃダメだろ」
大石くんが唇に人差し指を当てて小さな声で言うと、桃城くんも声を潜める。
「だって、まさか大阪まで来てくれるなんて思ってなかったんすよ」
「跡部が連れてきてくれたんだ」
そう答えたタカさんは、にこりと笑って桃城くんの手から応援旗を受け取る。ちょうど乾がポイントをとって、審判のコールが響いた。間髪入れずにタカさんの『青学ビクトリー』の掛け声が真っ青な空に大きく響いて、応援席がわっと一際大きく湧く。
それに気がついた乾がこちらを見上げた。あ、今、目あったかな。いや、分厚いメガネのレンズのせいで視線はわからないのだけれど彼がいつもみたいに笑ったから。あれは私に向けられたものだったんじゃないかなって思っただけなんだけど。ちょっと自意識過剰かな。
「みょうじ先輩」
低い声で呼ばれて振り向くと、海堂くんがいた。
「前の席、どうぞ」
「え、私ここでいいよ」
「先輩、背低いんすから、前に行ってください」
「わっ、ちょっと待って!」
ぐい、と海堂くんに背を押されて、私はレギュラーの選手たちが並んでいる最前列に押し出されてしまう。
一気に開けた視界。乾がぐっと体をそらして打ったサーブが、勢いよくコーナーを抉っていくのがはっきり見えた。すごい。観客席から上がった声援が、なんだか遠くに聞こえた。私も何か言えばいいのかもしれないけれど、言葉が出てこない。指先が震えている。目の前の光景に、心を穿たれてしまったみたい。
そうだ。一番前にいるんだから、邪魔にならないようにとにかく座らなくちゃ。ハッとして席について、それから後ろの海堂くんに振り返る。
「ありがとう」
「いえ」
短い返事と逸らされた視線は、ちょっと照れてる証拠だ。私も、ちょっと海堂くんのことが分かってきたかな。
コートに視線を戻すと、短いラリーを経て、また乾がポイントをとったようだった。
「ゲームカウント、シックストゥスリー!」
乾の勝利を告げる審判。
拍手と青学コールが響く中、乾は相手の選手と握手を交わして、ベンチへと戻っていく。私もみんなと一緒に拍手して、視線で乾を追いかけた。彼はほとんど倒れ込むようにベンチへと腰を落ち着ける。今日は特別暑いから、きっと大変だっただろう。お疲れ様とか、おめでとうとか、何か言いたいのに、数メートルの距離がもどかしい。
試合に夢中になっていて忘れていたけれど、そう言えばと掲示板を確認してみる。相手は熊本代表で、青学は2勝1敗か。熊本って強いのかな。大丈夫かな。大丈夫、だよね。
「おっ、なまえちゃん」
隣の席の先輩の向こうから、ひょいと顔を覗かせたのは菊丸くんだった。
「へへ、来ちゃった」
「もっちろん、大歓迎だよん! もうちょっとだけ早くきて欲しかったけど」
「あ、菊丸くんの試合終わっちゃった?」
「そ。まあ、負けちゃったからいいんだけどさ」
と、私たちの間に挟まれていた先輩が、ばっと立ち上がってため息をつく。
「お前ら、俺越しに話すなよ。ほら、席代わってやるから」
「あ、ごめんなさい」
「いいって」
先輩のお言葉に甘えて菊丸くんの隣に移動すると、お前ら仲良いな、となんだか呆れたような声が聞こえた。私と菊丸くんは顔を見合わせて、笑い合う。
コートの方は一旦整備に入り、乾はクールダウンへ向かったようだった。少し時間がありそうだ。
ふと、私はずっと菊丸くんに言わなくちゃと思っていた話を思い出す。
「そういえば、言うタイミング失ってたけどさ。私、手塚くんにメールしたよ」
「えっ、いつ!?」
驚いた顔でこちら見た彼の目は、これでもかと言うほど見開かれていた。
「アドレスもらった日」
「えー! なんでそう言うこと早く言わないかな、なまえちゃんは!」
「だから、なんかタイミングなかったんだって」
「別にいつでも報告してくれればいいじゃん。で、手塚喜んでた?」
「わかんないけど、返事はくれたよ」
「どんなどんな!?」
ガクガクと肩を揺らされて、少し気持ち悪かった。切実にやめてほしい。
「別に、普通の、テニス頑張ってるとか、風邪ひかないようにとか」
「メール続いてる!?」
「え、ううん」
言えば、パッと暗くなる菊丸くんの顔。わかりやすすぎるから、なんだか可愛い。思わず笑ってしまうと、何がおかしいんだよ、と睨まれてしまう。
「なんか話せばいいのに」
「なんかって言っても、話題ないし」
「テニスの話とか、えーと、部活のこととか、インハイのこととか、いっぱいあるじゃん」
「それ全部テニスだよ」
「そーだけど! 揚げ足とるなよ、もう!」
「はいはい、ごめんね」
確かに彼の言う通り、私と手塚くんの共通点なんてテニスだけ、と言うよりテニス部だけ、と言ったほうが正確かもしれない。私は、手塚くんのことをあまりよく知らないのだ。何が好きか、何が嫌いか、どんな時に笑うのか、どんな時に泣くのか。想像さえつかない。
手塚くんは、どうだろう。知っていたから、あの時私に『好き』なんて言葉をくれたんだろうか。もしもここに彼がいたら、私ももっと彼のことを知れただろうか。私たちは、どんな話をしただろうか。
ただ一球に感動するこんな気持ちを、共有できたんだろうか。
考えても答えの出ない疑問を夏のうだるような空気に溶かして、私は目を閉じる。
セミの鳴く声に混じって、次の試合が始まるコールが大きく響いた。
54 インターハイ編15