スイート・ハイプ!
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夏休みが始まってから、私は暇を持て余していた。
外はまさにうだるような暑さだし、部屋の中でやることと言ったらゲームくらいのもの。画面の中の赤い帽子を被った配管工のおじさんを無為にピョンピョンさせている。
頭の中では数日前に幸村くんが言った思わせぶりなセリフがぐるぐるしていた。単にからかわれていたんじゃないかとも思うが、彼の言う通り、偶然みんな来れないなんてことがあり得るだろうか。いや、あったっておかしくはない、気もする。けど。
わからない。
考えすぎてしまうのも、きっと暇がすぎるせいだ。あれ、去年の夏もこんなに時間を持て余していたっけ。夏休みが始まる前が忙しすぎたせいでそう感じるだけだろうか。
誰かに連絡してみようかと思って携帯に視線を送るけれど。でも、みんなは今頃インターハイのため大阪にいるはずだ。暇だから遊んでなんて、言ったところでどうしようもない。
って、あ。
情けない音がして、配管工は画面の外へと落ちていった。あーあ。もうやめよう。コントローラーを放り投げて、そして気が付く。何だか家の中が騒がしい。
急に、ノックもなく勢いよくドアが開いた。
「よう、みょうじ。久しぶりだな」
片手をポケットに突っ込んで偉そうに踏ん反り返った男は、私を見下ろして不敵に口の端を上げる。
「あ、とべ?」
まごうことなき跡部だった。似ている誰かなんかじゃない。こんな男が二人といてたまるか。跡部だ。どうしてここに。イギリスにいたんじゃないの。
レッドカーペットを歩く人が着るアルマーニみたいなスーツ、いや、実際アルマーニだとかあり得そうな話だけれど、とにかく彼の格好は生活感のあふれる私の部屋からひどく浮いていた。
「寂しかったってツラだな」
「びっくりしたってツラですが?」
「少しは可愛げのあること言えねえのか」
「ねえ、急に人の家に突撃してきといて歓迎してもらえると思うの」
「何で歓迎しねえんだ」
「急だし跡部だから」
「相変わらず、めんどくせえ女だな」
跡部はイラついた表情を隠そうともせずに眉を寄せる。そして私のそばまでやってくると、床に座っていた私を強引に引っ張り上げた。勢いで私は彼の肩に鼻をぶつけてしまう。
「痛!」
知らない香水のいい香りがすることに、余計に腹が立った。跡部はどこもかしこも完璧だ。そっちこそ、少しは可愛げのあるところ見せてよ。
「行くぞ」
「は? やだ」
反射のように返した言葉を、彼は聞かなかったことにしたようだった。
「俺様がインターハイに連れて行ってやる」
「なに、ちゃんと説明して」
フードの紐を引っ張られて、急に近くなった顔。彼の瞳は淡くて深い青色に輝いていた。なにが何だかわからないけれど、隠れてしまいたい気分だ。だって私、スッピンだし、部屋着だし、部屋片付いてないし。
「インターハイ、見に行きたいんじゃねえのか」
刺すような一言に、私はハッとして顔をあげた。
「行きたい、けど」
「なら、つべこべ言わずについてこい」
「行くって言ったって、用意とか」
「そんなもんいらねえよ。全部用意してやる」
「え、なに言ってんの」
「もう時間がねえ。今すぐ行くか、行かねえか、二つに一つだ」
考えたのは、一瞬だけ。行きたい。みんなの試合、見たい。私も、最後まで見届けたい。
「行く。連れてって」
私の答えに跡部は嬉しそうに目を細めた。満足したって顔。少し癪だけど仕方ない。
「可愛い顔もできんじゃねえか」
途端に距離がゼロになって、反射的に私はギュッと目を閉じた。けれど、彼の唇が触れたのは私の鼻の頭だ。恐る恐る目を開けると、跡部は余裕の笑みで私を見下ろしてた。
「バーカ」
「な、もう、跡部、まじできらい!」
「期待したんだろ」
「期待じゃない、警戒したの。セクハラで訴えてやる」
「行くぞ」
「話聞け。跡部嫌い、ばか、ぶす」
「最後の一つは聞き捨てならねえな」
ぺしりと軽く私の頭を叩いて、反論を許さないとでも言うように彼は私の手を引く。驚いた顔の母に、娘さんは責任を持ってお預かりします、なんて殊勝に頭を下げてから、玄関のドアを勢いよく開いた。うちのドアと言うドアをぶっ壊す気じゃないだろうな、こいつ。
それから高そうなキラキラ光る真っ黒な車、私に車種なんてわからないけれど、そのそばに立っていた黒いスーツの人が車のドアを開けてくれて、私は中へと押し込まれる。
高級ホテルみたいな香りと柔らかい手触りの皮張りのシート。部屋着のままの私は場違いな場所に来てしまったようで、端で縮まるしかできない。そんな私を見て、跡部はまた馬鹿にしたように喉の奥で笑った。後で殴ってやる、まじで。
「出せ」
跡部の声と同時に、エンジンがかかる。うちの車より随分とスムースに発進したそれが空港に着いたのは、1時間後だった。
51 インターハイ編12