スイート・ハイプ!
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校門を誰にも見咎められることなくくぐり抜けて、私は第二多目的室へと幸村くんを案内した。
グラウンドからは運動部の掛け声が聞こえてきていたけれど、校舎の中はしんと静まり返っていて、なんだか変な感じだ。
「一旦、窓開けよっか」
「うん」
私に頷きつつも、彼は部屋をキョロキョロを辺りを見回していた。しばらくすると一通り眺めて満足したのか、窓を開けて身を乗り出す。
「あっちがテニスコートかい?」
「そう。よくわかったね」
「フェンスの端が見えるから」
「え、見える?」
「見えるよ、ほら」
手招きされて、私も同じように身を乗り出してみた。するとエメラルドグリーンのフェンスの端っこだけが、校舎の影から覗いている。
「よく気づいたね」
「テニスコート、あとで見に行きたいなと思っていたからね」
ふふ、と幸村くんは機嫌がよさそうに笑った。それから、私が持ち上げようとしていた椅子を後ろからヒョイと奪っていく。
「あ、お客さんなんだから、そんなことしなくていいのに」
「押し掛けたのは俺だろう?」
「気にしないでよ」
「そっちこそ」
彼は二脚の椅子を窓に向かって並べて、その一つに腰掛ける。私はお昼休みにいつもしているみたいに、携帯から適当なプレイリストを選んで音楽をかけた。緩やかに流れ出した音に、彼も優しく目を細める。
「いつも、お昼休みにこうしてるの」
「いいね、リラックスできる」
「でしょ。でも、みんな音楽の趣味違うから、いつも何かけようか迷うんだ。結局、私の好きなのかけちゃうけど」
「いいと思うよ。みんなだって、君の好きなものを知りたいと思ってるかも」
「だといいけど」
幸村くんは私の言葉には答えずに、ゆっくりと目を閉じた。窓から吹き込む風は夏らしい熱を孕んでいるけれど、さらさら空気が流れていく感覚が気持ち良くて、窓を閉じるタイミングを見失ってしまう。会話のない数秒が、あるいは数分だったかもしれないけれど、気まずくもなくて、私は窓の外を眺めていた。こう言う何でもない穏やかな時間が、いいなあって思う。
ふと、幸村くんが席を立ってコルクボードを覗き込んだ。
「これ、数学部の?」
「そう」
「俺もやってみていい?」
「いいよ」
彼はピンを引き抜いてボードから一枚紙を取ると、椅子に戻ってきてそれを真剣な顔つきで眺め始める。近くにあったペンを渡すと、ありがとう、とそれを受け取って、顎に手を当てた。少し難易度の高い問題を選んだのだろうか。覗き込んでみると、見慣れた文字が並んでいた。
「あ、それ乾の作ったやつ」
「そうなんだ?」
「うん」
「それなら、解かないわけにはいかないな」
「テニス以外でも張り合うの?」
「こう見えても、負けず嫌いなんだ」
楽しげに笑ってから、彼は思い立ったように紙の端にいくつか数字を書き込んだ。そしてまた少し考えて、また書き込んで、それから数秒と経たないうちに答えの欄に大きく9と書く。
「できた」
嬉しそうにそう言って、彼はコルクボードに紙を留めに行った。
「その問題、誰もわからなくてずっとコルクボードの住人だったから、乾が喜ぶかも」
「本当に? 俺としては、少しくらい悔しがってもらいたいけどな」
「幸村くん、本当に負けず嫌いだ」
「信じてなかった? 乾が悔しがったかどうか、後で教えてほしいな」
「了解」
それから、私も席を立つ。
「そろそろ、テニスコートに行ってみる? 練習してるかはわかんないけど」
「ああ。案内してくれるかい?」
「もちろん」
二人で窓を閉めて、教室を出て、コートへと向かった。今日、テニス部は休みのようで、テニスコートはがらんとしている。私たちはフェンスのそばに立って、何をするでもなく白いラインを眺めた。
「みょうじさんはここにもよく来る?」
「たまにだけど、練習見に来るよ」
「そっか。君はここで勉強して、友達と遊んで、お昼ご飯食べて、そうやって過ごしているんだね」
ゆっくりと確かめるような言い方。
「学校なんてどこもそう変わらないけど、でも、そう考えると新鮮だよ」
「そうかな」
「うん。ここで俺の知らない時間が流れているんだから」
「幸村くん、詩人だね?」
「どうかな。少し、悪い感情だよ」
「悪いの?」
「そう、嫉妬みたいなものなんだ」
彼は笑ったまま、微塵も悪い感情なんてない顔でそんなことを言う。本当にそんなこと思ってるのかな。そう言う嫉妬なら、私にだって覚えがあるものだけれど。例えば、乾が私の知らない友達の話をする時とか、テニス部のみんなが中学時代の話をする時とか。その思い出に私がいないことに、寂しさを感じてしまう。
「でもさ、幸村くんにもあるでしょ。私の知らない時間」
「そうだね。少しは嫉妬してくれるのかい?」
「うん、少し寂しいよ」
素直に頷くと、彼の指がするりと私の髪をすいていった。見上げた彼の表情はやっぱり優しい笑顔で、今の感情を私から隠そうとしているみたい。
「君は、俺のことをちっとも分かってないんだね」
「どう言う意味?」
不意に、彼の視線が鋭さを帯びたような気がした。ぞわりと全身を逆撫でされるような感覚。なんで。幸村くんは、こわい人なんかじゃない、のに。
「ねえ、今日、本当にみんなに用事があったって信じてる?」
「え?」
「そんなに都合のいいこと、そうそうあると思うかい?」
「ねえ、幸村くん、それって」
どう言う意味なの。
そう聞くのは、何だか馬鹿らしい気がした。確かめて、私の想像通りの答えが返ってきたとして、私はどんな顔をすればいいのかわからない。いや、そう思うのは自惚だろうか。だって、幸村くんみたいな人が、私のことなんか気にするだろうか。
幸村くんは、それ以上この話を続ける気はないようだった。ただ、そろそろ帰ろうか、なんて何もなかったみたいに踵を返す。私は彼の背中を数秒視線だけで追いかけて、少し迷って、それでも彼の背中を追った。
空っぽのコートに、セミの声がジージーとうるさいくらいに響いていた。
50 インターハイ編11