スイート・ハイプ!
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今日の最高気温は、三十度を超えるらしい。濃い青の空には、真っ白な雲が積み重なるように立ち上っている。
夏らしい空を見て、今日はオレンジのリップに決めた。まつ毛の先にだけ水色のカラーマスカラを重ねて、熱帯魚みたいになった自分の顔に少し笑う。ちょっと派手すぎるだろうか。別に良いか。幸村くんなら、どんな私だって私らしいと言って笑ってくれる気がした。
今日は、幸村くんと河村寿司に行く日だ。立海のメンバーはそれぞれ用事があるらしく、結局、二人でいくことになってしまった。とは言え、タカさんに会いにいくようなものだから、実質三人だけれど。
行ってきます、と大きな声で告げて、家を出る。途端に襲いかかってくる熱気と日差しから逃げるように、私は駅へと走った。河村寿司は電車で一駅向こうだ。幸村くんは多分1時間半くらいかかるだろう。私が立海に行った時にはそのくらいだったから。
改札を出ると、すでに幸村くんの姿が見えて、私は慌てて駆け寄った。
「ごめん、暑い中待たせちゃった」
「さっき着いたばかりだよ」
ふわりと綺麗な笑みを作った彼は、蒸し暑い空気の中でも涼やかにさえ見える。汗一つかいていないし、彼は暑さを感じないんじゃないか、なんて馬鹿な考えさえ浮かんだ。
不意に彼が私の髪を一筋すくって、口付けるように顔へと近づける。少し甘い香り。いつだったか映画で見たような光景に一瞬思考が止まる。髪はさらりと流れて、幸村くんは何もなかったように微笑んでいるけれど。
「え、え、なに」
私は頬に熱が上がってくるのを感じて、両手で押さえてしまった。
「タバコ」
「え」
「タバコの匂いがしてないか確かめて、してたら説教でもしておいてくれって、柳に言われていてね」
そうか。この間の電話で、柳くんはずいぶんタバコのことを気にしていたみたいだったから、そう言われればなるほどと思わないでもない。それにしたって。
「いや、あのさ、一応予告してからにして」
「逃げられちゃうかなと思ったんだけど」
「逃げないよ。今日は吸ってないし」
「そうみたいだね」
よくできました、と言わんばかりの笑顔に悔しくなってそっぽを向くと、幸村くんはくすりと小さく笑い声を立てる。くそう。悔しい。
「さあ、行こうか」
まだ少し笑いを含んだ声で、彼はそう言った。
「幸村くん、場所わかるの?」
「多分、こっち」
歩き出した彼の後を、私も大人しくついていく。
「昨日確認したんだ。駅からすぐみたいだったよ」
「へえ」
道を辿りながら、私も昨日調べた地図アプリの画面を思い出そうとするけれど、うまくいかなかった。覚えてしまえる幸村くんがすごいのか、思い出せない私の出来が悪いのか。
数分と経たないうちに、河村寿司の看板が見えてきて、私と幸村くんは顔を見合わせて笑う。暖簾をくぐると、いらっしゃい、と聴きなれた声が迎えてくれた。
「タカさん、こんにちは」
「やあ、お邪魔するね」
私たちを視界に認めたタカさんは、にこりと笑みを浮かべて、座って、とカウンターの奥の席に私たちを案内する。
「今日は暑かっただろ」
そう言って彼が出してくれたのは冷たいお茶だ。ありがとうと言って喉に一気に流し込んだ。
「河村は、もうすっかり板前姿が様になってるね」
「形だけだよ。まだ親父にどやされてばっかりでさ」
幸村くんの言葉に照れたように笑うタカさん。私も、幸村くんと同じ感想だ。よく似合っていると思う。本当を言うと、私はもう少しタカさんにテニスをしていて欲しかったけれど。合宿の時みたいにみんなと一緒にコートで駆け回っている姿を見ていたかったけれど。でも、こうしてお店で楽しそうにしている姿を見ると、これが正解なんだろうなとも思える。
「タカさん、かっこいいね」
思わず呟けば、幸村くんも笑って頷く。
「うん、今日の河村はかっこいいよ」
「勘弁してくれよ、二人とも。それより、何にするんだい?」
タカさんは耳をほんのり赤く染めて咳払いをした。これ以上はからかっているみたいに聞こえるだろうかと、私は掲げられたお品書きに目をやる。さて、何を食べようか。どれもこれも美味しそう。
***
せっかく来てくれたのだから、とタカさんのお父さんが奢ってくれたので、私達は財布を取り出すことさえできなかった。威勢が良くて職人気質で、どこかタカさんに似ていて、なんだかかっこいいお父さんだった。
タカさんは店先まで見送りに来てくれるらしい。私たちのために戸を開けて、のれんを抑えて。普段からタカさんは優しいけど、こういう行動をされると、私は彼の友達からお客さんになってしまったようで、少し寂しくもあった。それでも、そうやって彼の『らしい』姿を見ていると、私も誇らしくさえあった。
「ごちそうさま。おいしかったよ」
幸村くんの言葉に、タカさんはにっこり笑う。
「ありがとう。また機会があったら寄ってくれよ」
「そうするよ。今度はうちの学校の奴らも連れて来るから」
「賑やかになりそうだな。待ってるよ。なまえちゃんもまた来てね」
「うん、めちゃくちゃおいしかったから、私も家族連れて来る」
「はは、ありがとう」
嬉しそうなタカさんの顔を見ていると、ああ、来てよかったな、と思えた。
「じゃあ、また学校でね」
「うん、ばいばい、タカさん」
「またね、河村」
「ああ、二人とも気をつけて帰ってね」
二人でタカさんに手を振って、駅の方へと歩き出す。
まだ、日は高い。せっかく遠くまで来てくれた幸村くんにどこかを案内できればいいのだけれど、生憎、ここ青春台近くには観光できる場所もない。
「幸村くん、これからどうする? もう帰る?」
「みょうじさんさえ良ければ、もう少し遊んで行きたいと思ってるんだけど」
「私はいいけど、この辺何もないんだよなあ」
「普段はなにしてるの?」
「私結構引きこもりだから、外で遊ぶって言っても……。駅前ならゲーセンとかカラオケくらいはあると思うけど」
わざわざ神奈川から来てまですることじゃないだろう。
「じゃあ、学校に行こう」
彼はとってもいい考えを思いついた、とでも言う明るい表情でそう言い放った。学校、ってつまり。
「えっと、青学に行くってこと?」
「そう。ダメかな?」
私を覗き込むように首を傾げた幸村くん。絵画みたいな青い空を背景に、綺麗な微笑み。この光景を前にして、首を横に振ることなんて、誰にできると言うのか。
「私服だけど」
「ダメ?」
「いいよ、行ってみよう」
やっている部活もあるだろうから、きっと校門は開いているだろう。
私が頷くや否や、彼は笑みを深くして、じゃあ早く行こう、なんて私の手を引っ張る。そんなに急がなくたって、学校は逃げたりしないのに。
49 インターハイ編10