合宿編(全22話)
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バスが止まった先は、大きな洋館だった。完璧な左右対称に大きな石の柱が立ち並び、細かな装飾に彩られたバロック様式の建物は、五つ星ホテルか宮殿かという有様。
驚いているのは私だけのようで、みんなは和気藹々と冗談を交わしながら荷物を降ろし始めている。ぽかんと間抜けに口を開いていた私に気がついたのは、越前くんで。
「あんた、何してんの」
「あのさ、越前くん。ここどこ?」
「軽井沢の奥。高速、その辺りで降りたじゃん」
「や、そういう話じゃなくて、何これ」
目の前の建物を指差して顔をしかめていると、ばん、と、扉が勢いよく開いた。
「よく来たな、青学! 待ってたぜ!」
洋館から現れたその人は、ズカズカと大股で私の目の前までやってくると、私の指をパシリと払いのける。
「他人を指差すなと両親に習わなかったか? アーン?」
いや、あなたのことではなくその後ろの建物を指差していたんですけれど。思えども、ずいと輝くように整った顔を近づけて凄まれれば、言えるはずもない。さっと越前の後ろに隠れると、彼は小さく舌打ちしたきり私から興味を失ったようだった。すぐに越前くんへと視線を移す。
「おい、腕は鈍ってねえだろうな」
「それはこっちのセリフなんだけど」
「はっ、言いやがる。今すぐ試してみるか?」
一触即発の雰囲気を感じ取ってそっと離れようとすれば、それに気がついた越前くんが私を振り返った。私の腕を掴んだ彼は、そのままエントランスの方へ歩き出す。
「おい、越前」
「焦んなくても後で遊んであげるよ」
越前くんはニヤリと笑って、ためらうそぶりも無く洋館の中に踏み入れた。
「越前くん、荷物とかさっきの人とかいいの?」
「荷物くらい先輩たちが持ってきてくれるでしょ。跡部さんは別にいい。相手してると疲れるし」
悠々と豪奢なソファに腰を下ろした越前くん。本当に良かったのかな。私は少し迷って、けれどさっきの怖い人のところへ戻るのも嫌だったので、越前くんの隣に座ることにした。
「あんた、ビビりすぎ」
さらっと言われた言葉に、私はぐうの音も出ない。
「いや、だって、なんか変な迫力あったじゃん、さっきの人」
「別に」
「別にって……」
私と越前くんはだいぶ価値観が違いそうだ。ため息をついてソファに身を沈めると、隣から小さく笑う声。
「言っとくけど、跡部さんより俺の方が強いよ」
「強いって何が?」
「テニスが」
「そうなんだ?」
「勝ったことあるし」
生意気に笑う越前くんはさっきの人より随分と小柄で、失礼かもしれないが私は越前くんの勝つ姿が想像できない。
「ほんとに?」
「疑うなら練習見に来れば? 俺、強いから」
気を悪くした様子もなく彼は笑ったまま。自信に満ちた表情がなんだか可愛く思えるのは、彼が年下だからだろうか。
まだどんな仕事があるかわからないから約束はできないけれど、時間があったら越前くんのテニスを見に行こう。そう告げようと思った時。
「越前、何一人だけ座ってんだ!」
「げ」
大きな荷物を背負って飛び込んできた桃城くんに、越前くんは眉を顰めた。あっと今に距離を詰めて、てめえ、と言いながら越前くんにヘッドロックをかます桃城くん。桃先輩!と騒ぎながら桃城くんの腕をバシバシ叩く越前くん。なんだか仲良しで、楽しそうで。
「ふ、っふふ」
思わず笑ってしまう。と、急に二人が動きを止めて。
「あ、笑った」
二人が同時にそう言うものだから、私はまたついつい笑ってしまった。いつだったか、テレビで見た猫の兄弟を思い出す。呼ばれると同じタイミングで振り返るやつ。あれ可愛かったな、なんて。そんな話をすれば越前くんあたりは拗ねてしまいそうだから言わないけれど。
***
手塚くんから部屋割りを教えてもらって、乾に荷物を運び入れてもらった。自分で運ぶと言ったのだけれど、無理やり連れてきたんだから、このくらいやるよ、と言われて素直に頷いた。案外、乾も気にしていくれていたのか。そう思うだけで今回の暴挙を許そうと言う気になってしまうのだから、私もちょろいものだ。
私にあてがわれた部屋は広い一人部屋だった。高い天井、アンティークのタンス、天蓋付きのベッド。浴室は大理石の壁に、猫足のバスタブ。アメニティグッズまで至れり尽くせり。ゴージャスすぎて落ち着かないが、こんな機会はそうそうないのだから楽しめばいいのだろう。
不意に、ノックが響く。どうぞ、と声をかけると扉の向こうから海堂くんが顔をのぞかせた。海堂くんは一つ年下だけれど鋭い雰囲気が私を萎縮させる。
「今からレセプションルームでミーティングだそうです。乾先輩はミーティング前にメニューを確認したいって先に行ったんで、俺が」
「あ、迎えにきてくれた感じ、ですか」
なんだか申し訳なくなって、思わず敬語になってしまった。海堂くんは年下なのに。しっかりしろ、私。
「場所、わかりますか」
「わかんない」
「用意できてんなら案内します」
「うん、ありがとう」
とりあえずメモとペンだけをポケットに突っ込んで部屋を出る。
廊下の窓からは私たちが乗ってきたバス以外にも、いくつかバスが止められているのが見えた。たくさん人が来ているらしい。
「この合宿、何人くらい来てるのかな?」
「さあ。今回は急だったんで関東の学校だけだそうですけど、うちと氷帝、不動峰、ルドルフ、山吹、立海、六角……そんなもんだと思います」
並べられた学校の名前らしき単語に、とにかくたくさんいるんだろうな、としか想像がつかない。知っているのは氷帝だけだ。都内でも有名なお金持ち学校だし、偏差値も高い。
「そういや氷帝って制服かわいいよね。いいな、ブレザー憧れる」
「はあ」
「海堂くんはブレザーいいなって思ったりしない?」
「いや、俺は別にどっちでも」
少し困ったような声音に、あ、しまった、と思った。海堂くんはこう言う話題、好きじゃないタイプか。ごめんと謝るのもなんだか気を遣わせてしまうかと思って、私は口を閉じるしかない。
あーあ、どうしていつもこうなんだろう。もうちょっとうまくおしゃべりできたらいいのに。
「みょうじ先輩」
不意に名前を呼ばれて隣の彼を見上げた時だった。
「あれ、海堂くん! かわいい子連れてるね」
後ろから声が割り込んできて、私も海堂くんも揃って振り返る。
背後には明るいオレンジ色の髪の、明るい笑顔の人。
「千石さん」
答えた海堂くんはちょっと眉を寄せていた。きっと得意なタイプではないんだろう。
「やあやあ、久しぶり! 元気そうでよかったよ」
「はあ」
「それで、隣の彼女紹介してくれないのかな?」
「乾先輩の友達の、みょうじなまえ先輩っす」
「へえ、乾くんの友達かあ。俺は千石清純、あ、『せいじゅん』って書いて『きよすみ』って読むんだよ。いやあ、こんなところで君みたいなかわいい子に会えるなんてラッキーだなあ」
そうまくし立てながら千石くんとやらは握手を求めてくるけれど、海堂くんが私をかばうように立つので握手に応じることができない。特別握手したかったわけじゃないんだけれど、ちゃんと挨拶くらいはしたかった。
「あの、みょうじです。よろしく」
仕方なく海堂くんの後ろから顔だけ覗かせてそれだけ言うと、千石くんはよろしくね、とにっこり笑ってくれた。
「みょうじ先輩、さっさと行きましょう」
「へ」
「先輩になんかあったら、乾先輩に会わせる顔がないんで」
なんかってなんだ。千石くんはそりゃあ端的に言ってチャラい雰囲気だが、取って食われたりはするまい。
「いやだな、海堂くん。そんなに俺のこと警戒しなくたって何もしないってば」
私と千石くんは困った笑顔を交わすけれど、海堂くんは千石くんに鋭い一瞥を投げかけただけだった。そのまま何も言わず、私の背を押して歩きはじめる。後ろからまた後でね、と声がしたけれど、振り返る隙すらない。
今度千石くんに会ったら謝っておこう。海堂くんは私のためにしてくれた行動なのだろうけど。あ、そうだ。私のためにしてくれたんだから。
「ありがとう、海堂くん」
返事はなかった。何か間違えてしまったかなと思って振り返ると彼と目があって、けれど一瞬で逸らされてしまう。
あれ、今のは。
「照れてる?」
「照れてねえ」
「ねえ、海堂くん、敬語忘れてる」
「……すんません」
「謝るほどのことじゃないけど」
海堂くんは、案外かわいいんだな。ポケットの中のメモの1ページ目にはそう書いておこうかな。
04 合宿編03