スイート・ハイプ!
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それから今日は乾と不二くん、タカさんもやってきて、みんなでお弁当を食べた。
私はずっと上の空で、ポケットの中の紙のことばかり考えていたように思う。
ぼんやりしているうちにあっという間に下校の時間になって、一人でまっすぐ家に帰って、ぼんやりテレビを眺めて。それでも、片手には携帯、ポケットにはあの紙切れを入れたまま。
私は、一体どうすれば良いんだ。
今更、私が手塚くんに何を言えば良いのか。何を言えば良いか、だって? そもそも、私はメールをする気なのか。メールなんてしてもいいのなのか。ああ、もう。
リモコンのボタンを押して、テレビから響く知らない誰かの笑い声をシャットアウトした。一人の家がいつもより薄暗く思えて、私は父の置いて行ったタバコと灰皿を掴んでベランダへ出る。
夏の夜は、ぬるくて重い。欄干に灰皿を置いてタバコに火を付けた。藍色の風景にオレンジ色の光がぼんやりと浮かぶ。最近、父はタバコをラークに変えたらしい。ほんの少しチョコレートみたいな香りが鼻を通っていった。ほろ苦い味。指先に感じる熱。別に好きじゃない。ただ、タバコを吸っている間だけ、何かをしている感じがするだけ。
薄い光を放つ携帯のロック画面を見下ろす。
誰かに相談してみようか。例えば、乾とか。いや、乾ならなんでも良いからメールしろと言うに決まっている。乾は気を使ってはくれるけど、本心では菊丸くんと同じだろう。じゃあ、不二くんは。彼は、自分で考えろって言うような気がする。他に事情を知っている人もいないし。どうしよう。
不意に、携帯がメッセージの着信を知らせた。送り主は柳くん。関東大会が終わって、幸村くんと河村寿司に行く日程を決めたのだけれど、せっかくだからと立海のみんなも誘ったから、その返事だろう。開いてみると、用事があって行けそうにない、とのことだった。みんな忙しそうだから、このままだと幸村くんと二人で行くことになりそうだ。
柳くん、か。
彼の理知的な顔を思い浮かべて、私は今電話をかけて良いかとメッセージを送ってみる。すると、すぐに携帯が着信を知らせた。
「柳くん?」
「ああ、どうした?」
「あー、あのさ、ちょっと聞いてみたいことがあって。時間、大丈夫?」
「構わない、聞こう」
あまり電話なんてしない相手だから、なんとなくくすぐったい気持ち。私はタバコの煙を吐き出して、言葉を探す。
「柳くんって、好きな子とかいる?」
「今現在の話なら、いないと言っておこう」
「じゃあ、まあ、いると想像してもらって、それでね、その子が柳くんの気持ちを蔑ろにしたとします」
「待て。蔑ろとは具体的にどう言う行動を指しているんだ?」
「え、なんでも良いよ」
「仮定が曖昧だと、正確な解にたどり着かない可能性も高くなるが」
「えー」
「今、面倒だと思っただろう」
「考え読むのやめて、こわい」
言うと、柳くんは電話の向こうで低く笑った。
「ふむ。ではとりあえず、俺の好意は報われなかった、とだけ定義しておこう。それで?」
「そんで、えっと、そうだな。関東大会、立海は優勝したでしょ。あ、おめでとう」
「ああ、メッセージでももらったが、直接祝ってもらえるのは良いものだな。ありがとう」
「どういたしまして。話戻すけど、柳くんはその、好きな子からおめでとうって言われるの、どう思う?」
「それは、つまり」
彼はそこで言葉を飲んで、しばらく押し黙った。私はタバコを一口。それから、それがずいぶん短くなってしまったことに気付いて灰皿に押し付ける。
「まず前提として、こう言った問題には最適解がないことと、回答に個人差が大きいことを理解してくれ」
「鵜呑みにするなってことでいい?」
「ああ、その認識で構わない。さて、肝心の答えだが、もしも俺がまだ彼女のことを好きだったなら、嬉しいと感じるだろう」
「嬉しい……そんなもんかな」
「ああ。それから、期待する」
「期待、か」
「ただ、そこをお前が考慮する必要はない」
柳くんの言葉に私は思わず、え、と声を漏らした。彼は、気づいている。この話が私の話であることも、私がどっちの立場なのかも。
「期待など、相手の勝手だ。勘違いする方が馬鹿なのだと笑ってやれ」
彼の言葉は淡々と響いた。私はとにかく彼の言葉を噛み砕こうと頭を捻る。
「勝手、かな。思わせぶりは悪じゃない?」
「みょうじは少し優しすぎるな。そう言う優しさはキリがなくなって自分の首を締めるぞ」
「……そんなこと言ったってさ」
私の答えに、柳くんは苦笑したようだった。
「それなら、そうだな。こう考えてみるといい。お前は勝手におめでとうと言いたいから言う、その代わり相手は期待したいからする。しない可能性もあるが、どちらにせよそれでフェアだ」
「フェアなの、それ」
「そう思っておけ。たまには我を通すのもいいだろう?」
我を通す。わがままを言うってこと? 菊丸くんみたいに? 私が手塚くんに言いたいこと、あったかな。ある、ような気がする。そうだ。私にも、言いたいこと、多分ある。
「うん、そうか。ちょっとやってみる」
「ああ、健闘を祈る」
柳くんはそこで少し声のトーンを落として、しかし、と言葉を繋げた。
「タバコは感心しないな。金輪際、やめておいた方が賢明だ」
「うわ、なんでタバコわかったの?」
「呼吸や話のテンポで想像はつく」
「こわい、柳くんこわい」
私が心底怯えていると言うのに、彼は楽しげに笑って、それじゃあおやすみ、などと呑気に挨拶して電話を切る。柳くんって何者だろう。なんで電話越しの私の行動がわかるのか。まさかと思って見回した風景の中に彼がいるなんてことは、もちろんなかったのだけれど。
私は部屋に戻って、菊丸くんからもらった紙を広げる。
アドレスを打ち込んで、『みょうじです』とタイトルに入力して、それから本文にまず挨拶を書いて。
いざ書き出してみると、案外、私は手塚くんに言いたいことが多かった。合宿で優しくしてもらったお礼、帰り際に言っていたハーレの大会というのはどうなったのか、調子がいいと菊丸くんから聞いているけれど、元気にしているのか。それから、私はテニス部のみんなと仲良くなったこと、関東大会を見に行ったこと。嫌に長くなってしまったメールを読み返して、できるだけ簡潔な文章に直して、最後に『青学のみんなと一緒に応援しています』と付け加えて。
それから、数秒迷って。手塚くんがこのメールをどう思うのか、想像してみて。うまく想像できなくて。私はそのまま送信ボタンを押した。
「……送っちゃった」
クーラーの風が首筋を冷やして行くというのに、私の頭はなんだか熱っぽいように思える。ぼんやりして、うまく頭が回らない。
ああ、どうか手塚くんが嫌な気持ちにだけはなりませんように。期待されるというのも困ったことだけれど、無視もされたくないし、できれば喜んでもらいたい。いや、他愛ない話を暇つぶしにしてくれるだけでも良い。一言、元気でやっていると、返事をくれれば嬉しい。私は、あまりにも自分勝手だろうか。いや、今日はわがままを通すと決めたのだ。だから、多分これでいい。
その夜、私は手塚くんからの返事が気になって、ベッドの中で何度も携帯を確認してしまった。返事が返ってきたのは朝になってからのことだったから、笑えた話だけれど。メールの最初の方にあった『ありがとう』の五文字に、自分でも驚くほど安心してしまったのだから、尚更。
この『ありがとう』が、願わくば社交辞令でありませんように。彼が、私のわがままを許してくれた証でありますように。
48 インターハイ編09