スイート・ハイプ!
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21番コートまでやってくると、一番に大石くんが私のところまで走ってきて大きなため息をついた。
「コートに着いたのにみょうじさんがいなかったから、どこに行ったのかと思ったよ!」
「ごめん、迷子になってた」
言い訳も思いつかなかったので素直にそう言えば、大石くんは驚いたように目を見開いてからぐっと眉を寄せる。あ、ちょっと怒らせたかな。普段優しい人だけに、思わず身構えてしまう。
「それなら、連絡してくれればよかったのに」
「ちょうど宍戸くんが通りがかって、案内してくれたから」
「結果的に無事だったし、間に合ったからいいんだけどね。あんまり心配させないでくれよ」
「うん、ごめん」
「これが不二の言ってった『手のかかるところが』ってやつなのかな」
独り言みたいに呟かれたその言葉はちょっと濁されていて、文脈だけでは読みきれない。なんだっけ。なんかそんなような言葉、不二くんに言われた気がするけど。
「えっと、手をかけさせてごめんなさい?」
「そうだな。次からは早めに連絡してくれよ」
「はいはい、お説教はそのくらいでいいでしょ。もうすぐ試合始まりますよ」
桃城くんがそう言って間に入ってきてくれて、私と大石くんはコートに視線をやった。選手たちが整列して挨拶をしているところだから、間も無く第一試合が始まるだろう。
「あ、橘くん」
相手のチームの中に、一際目立つ金色の髪が見えた。
「きっとシングルス2だから、不二先輩とですよ」
ニヤリと笑った桃城くんは、とても楽しそうだ。いい試合になるだろうことは、私にも分かる。
コートの向こうには、神尾くんたちの姿も見えた。挨拶できるタイミングがあるといいけど、どうだろうか。
不意に、伊武くんと目が合ったようだった。いや、数メートルとフェンス二枚を隔てているというのに、そんなことがあるだろうか。
***
がしゃん、と大きな音が響くと同時、ぐいと乾に首根っこを引っ張られる。目の前のフェンスが私を追いかけるみたいにぐにゃりと変形した。もしも乾が助けてくれていなかったらと想像してみて、背筋を冷たい汗が伝っていく。
「乾、ありがとう」
「どういたしまして」
ぽとりと寂しげな音がして、フェンスにめり込んでいたテニスボールが地面へ落ちた。こちらに小走りでやってきた不二くんは、私たちを見回して怪我がないことを確認する。
「みんな、少し下がっていて。次はちゃんと返すつもりだけど、保証はできそうにないから」
「ああ、分かった。不二、無理はするなよ」
「どうかな。努力はしてみるよ」
乾の言葉に、ふふ、と小さく笑った不二くんは、すぐに身を翻してコートへ戻っていく。
「あれは、無理をする顔だな」
大石くんが苦笑を漏らして、乾がそうだな、と頷いた。無理をする顔って。だったら止めた方がいいんじゃないのかとも思うけれど、どうにも私は口出しできる立場じゃない気がして言葉を飲み込んだ。
がしゃん。
また音がして、フェンスが歪む。あらぬ方向に球が飛んでくるのは、不二くんが橘くんの球をうまく捉え切れていないということなのだろう。けれど、不二くんの顔には勝気な笑みが浮かんでいる。
それから、数度ラリーが続いた後。
「そろそろだね」
菊丸くんが独り言みたいに呟いた言葉。同時に、綺麗な音が響いてボールはまっすぐ橘くんのコートの端へと吸い込まれるみたいに飛んで行った。
「サーティオール」
審判のカウントが響いたと当時。高く澄んだ金属音が一際大きく鼓膜を打つ。
「不二!」
誰かが、いや、みんなが彼を呼んだ。彼は振り向くことなく、ゆっくりとしゃがんで取り落としたラケットを拾う。けれど、それはまた彼の手からすり抜けて地面へと落ちてしまった。もしかして、手が。
監督のタイムを要求する声。にわかに騒がしくなったコートの周り。不二くんはコートの中で応急処置を受けているようだった。それから監督と一言二言交わして首を振る。
「乾、不二くん大丈夫かな」
乾は少しだけ返事を迷って、ただ私の頭をぽんと撫でた。どういう意味かは、聞かなくたって分かる。
監督が審判のところまで歩いて行って何かを伝えると、審判が青学の棄権負けを告げた。ああ、やっぱり。下を向いている不二くんに橘くんが何かを言って、不二くんはそれに頷いて、握手して。そうして、彼らはコートを後にした。
「ごめん、負けちゃった」
右手首を庇うように左手を添えて、けれどいつもと同じように笑うから、なんだか痛々しい。
いつの間にか携帯を手にしていた桃城くんが通話を切って、先輩、と不二くんの肩を叩いた。
「病院に連絡入れときましたから、早く行きましょう」
「ありがとう。みんな、あとは頼んだよ」
任せろ、と口々に上がる声に不二くんは安心したように息をついて、それから一度だけコートを振り返る。
「あ、のさ、私、も」
考えるよりも先に喉から出た音。みんなの視線が突き刺さるのを感じて、私は言葉の続きを探す。私も、なんだろう。私も、何かしたいって思うけど、私にできることなんかあるだろうか。
「私も、病院一緒に行っていい?」
私がようやく探し当てた言葉に、不二くんは一瞬驚いたような表情を浮かべたけれど、すぐに笑顔になった。
「それじゃあ、付き添いはみょうじさんにお願いしようかな」
***
「不二くん、捻挫だって。骨は大丈夫だって言ってた」
電話越しにそう報告すると、そうか、と乾が答える。その声はいつも通り淡々としていたけれど、電話を取った時の『もしもし』より随分穏やかだった。腫れ上がっていたからみんな骨折を心配していたのだろう。捻挫で済んで本当によかった。
「こっちは勝ち抜けたよ。不二にも伝えてくれ」
「うん、分かった。おめでとう」
「ありがとう。俺たちももう帰らなくちゃいけない時間だから、二人も病院から直接帰ってくれて構わない」
「ん、またね」
「ああ。帰り道、気をつけて」
通話を切って、渡り廊下を見渡す。待合室から一番近い通話可能エリアのせいもあっていくらか人がいるけれど、それでも待合室よりは静かだ。不二くん、落ち込んでるかな。きっと明日の準決勝、決勝には出られないのだろうから、落ち込んでないなんてことはないだろう。
ほんの少し迷って、けれどもいつまでもここにいるわけにもいかなくて、私は待合室へと戻った。
「乾、何て?」
不二くんは私の顔を見るなり、そう聞いた。気になって仕方ないらしい。
「勝ったって」
「そうか、よかった」
「うん、よかったね。おめでとう」
「ありがとう」
ふわりと緩やかに笑った彼は、思ったより元気そう。それとも、繕っているのだろうか。
「みんなも帰るから、私たちも直接帰っていいよって言ってたよ」
「もうそんな時間だったんだね。付き合わせてごめん」
「いいよ。役に立てて良かった」
「ふふ、僕の名前、いやでも覚えちゃったよね?」
「うん、周助の漢字まで覚えた」
そう、彼の代わりに書類に何度か書き込んでいるうちに、すっかり覚えてしまった。利き手が使えなくなるのはなんとも不便そうだけれど、不二くんに言わせれば、怪我も初めてではないから大丈夫、だそうだ。確かに、不二くんは不器用な方には見えないし、私が思うよりはなんとかなるのかもしれない。
彼は私に少し笑って、椅子に背を預けた。少し沈んだ体。
「不二くん、疲れた?」
「うん、ちょっとだけ」
「そっか」
「……暇だから、何か話そう」
暇だから、と彼はいうけれど、きっと何か気を紛らわしたいのだろう。こういう時は考えすぎてしまうものだ。とは言え、いざ話そうとすると案外話題が浮かばない。
「なんの話する?」
「じゃあ、昨日の昼休みにかかってた曲のタイトルを教えてよ。聞いたことある曲だったんだ」
「どの曲?」
「少し古い感じのする、男性ボーカルの洋楽で、そうだな、ゆったりした感じの曲」
「あ、もしかしてベンさんのスタンドバイミーかな」
「ベンさん?」
「ベン・E・キングって人が歌ってんの」
「ベンさんって、そんな、近所の人みたいに」
口元を押さえて笑いを堪えている不二くん。別に笑わせようとしたわけじゃなかったんだけど。
「ベンさんはベンさんじゃん」
「そうだね、うん。僕もベンさんだと思うよ」
「いや、不二くん今絶対私のことばかにしてるでしょ」
「どうして? これからは僕もベンさんって呼ぶから」
「もう不二くんなんて知らない」
「拗ねることないのに」
彼は声を押さえたまま、クスクス楽しそうに笑った。あ、そうだ。やっぱり、不二くんの笑顔はこっちがいい。さっきの繕った笑顔より、試合中の強気な笑顔より、私はいつもの不二くんの笑顔が好きだ。
「スタンドバイミー、か」
忘れないようにだろうか、彼の声がタイトルをなぞる。
私の頭の中では、ベンさんの温かい声がスタンドバイミーと繰り返していた。
不二くんがそばにいて欲しい人は誰だろうか。私がそばにいて欲しい人は、誰だろうか。
46 インターハイ編07