スイート・ハイプ!
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第二回戦は、聖ルドルフとだよ。
乾がそう教えてくれた。
見知った顔がやってくるのが見えて、これから試合で勝ち負けが決まってしまうというのに、私は嬉しくなってしまう。観月くん以外の人とは、合宿以来だ。
「よう、青学。調子良さそうだな」
赤澤くんがそう言って、私たちを見回した。青学のみんなは自信ありげな笑顔で彼らを迎える。不二くんだけはまっすぐ裕太くんの方へと向かった。裕太くんは少し照れ臭そうにしていたけれど、羨ましいほどに不二家は仲がいい。
「お、みょうじたちも来てたか。久しぶりじゃねえか。元気そうだな」
「うん、そっちもね」
「まあな」
赤澤くんは楽しそうに笑って、私の頭を大きな手で乱暴にかき混ぜた。ちょっとテンションが上がっているみたいに見える。
「ちょ、ぐしゃぐしゃになったんだけど!」
「そんくらい大丈夫だって」
ついでとばかりにぺしりと軽く頭を叩かれて、この馬鹿澤、と心の中で悪態をつくけれど、赤澤くんの笑顔に悪意がひとつも見えないから私は言葉を飲み込むしかできない。もういいや、と髪を直そうとすると、すっと伸びてきた白い手が私の代わりに丁寧に髪を整えてくれた。
「観月くん」
彼は髪を整え終わると私のジャージの襟をきれいに正して、これでいいでしょう、と満足げに頷く。
「そこまでしなくていいのに」
「だらしない格好は見苦しいですよ」
「はいはい、ありがとう」
「はいは一度で結構です」
すました笑顔の彼。でも、ちょっと違う何かがあるようにも思える。きっと、試合前だからだろう。
「観月くんもがんばってね」
「ええ、言われずとも」
「でも、みょうじはうちの応援をしてくれるんだろう?」
ひょいと私を後ろから覗き込んだ乾は、いつもの読めない表情だった。それでも、今のセリフは応援して欲しい、と言う意味に違いない。
「そりゃあね。私、青学だもん」
「だそうだが、観月」
「もちろん、構いませんよ。それでは、また後で」
言って、私たちの言葉を待たずにするりと身を翻した観月くんを、乾と一緒に見送る。乾はいつものノートにさらさらと何かを書き込んだようだった。チラリと覗き込んでみても、私には何がなんだかわからない。
「またデータ?」
「もう試合は始まってるってわけさ」
「ちょっとしか喋んなかったのに、なんかあるの?」
「牽制みたいなものはみょうじも感じたろう?」
牽制。あったかな。赤澤くんの調子良さそう、とかあの辺りの会話なのかな。私にははっきりとわかるような言葉なかったように思う。
「乾、ルドルフって強い?」
「ああ、強いよ」
「勝てる?」
「負けるつもりで試合に出る選手なんかいないさ」
私を宥めるように髪を撫でていった指は、いつもより少しぎこちなかった。乾も緊張しているのだろうか。
「……テニスコートは定休日です」
「え?」
乾はぽかんとした顔のまま、手を止めて私を見下ろす。ねえ、佐伯くん。ギャグを借りておいて申し訳ないけれど、このダジャレ、やっぱりダメなんじゃないかな。
「って佐伯くんが言ってたの。定休日と庭球をかけてるんだって」
「どうしたんだい、急に」
「いや、緊張解けるかなって」
「そうか。ありがとう」
ふふ、と小さく笑った乾は、そのままノートに何かを書き込んだようだった。まさか、さっきのダジャレを書き込んだわけじゃあるまいな。広まったらどうしよう。みんな滑っちゃう。
「ダジャレもいいけど、俺には『頑張って』はなしかな?」
「え、あ、欲しいならあげる。がんばって」
「ああ」
見上げた笑顔には緊張と、それから自信が見て取れる。私はそれに安心して、そしてなんだか観月くんの顔を思い出して不安になってしまう。私は、ちゃんと青学を応援してるはずなのに。不安になった自分が少し疎ましくて、それでも、それが本心なのだから仕方ないことも理解できた。
「……なんかさ、難しいね」
私は自分の心の面倒臭さに苦笑してしまうけれど。
「そういうものさ」
乾は何でもないみたいにそう口にした。乾は、私の言葉の主語を知ってそう言ったのだろうか。確かめようとは、思わなかった。
***
「お疲れさま。三回戦進出、おめでとう」
言うと、青学のみんなから一斉、おう、とかああ、とか返事が返ってくる。名前を知らない先輩まで応えてくれるから、青学っていいなと思う。
「やっぱり、不二先輩のカウンターはすごいっすよ」
「今日は風も味方してくれたしね」
興奮気味に早口で話す桃城くん。穏やかに笑う不二くんも、まだ試合の後の興奮冷めやらぬと言った様子だ。みんなは、菊丸くんのあのボールの処理が、乾のあのサーブが、と話は尽きないようだ。
数メートル向こうのルドルフだって、雰囲気は青学とそう変わらない。もちろん、負けたからには悔しいだろうけれど、いい試合だったから。けれど、観月くんだけは一人ポツンと少し離れた場所に立っている。
「行っておいで」
「わあ!」
急に後ろに現れた乾に驚いて声を上げるけれど、乾はほら、と私の背中を押す。どうやら、全部お見通しらしい。
「別に、友達を慰めに行くのを誰も止めたりはしないさ」
「私に観月くんが慰められる、と、思う?」
「思うよ」
「成功率教えてよ。乾よくいうじゃん、何パーセントって」
「100パーセントだ」
乾はノートも見ず、ほんの少しも考えずにそう言った。きっとデータなんか関係なくて、私に自信を持たせるためだけの言葉だ。でも、私はそれを信じてみようと思う。だって、本当は私なんかより乾の方がずっと観月くんの気持ちがわかるはずだ。その乾がいうなら、間違い無いだろう。
「ごめん、行ってくる」
少しだけ後ろめたい気持ちで、私は観月くんの元へと歩いていった。
そうしてみんなから離れたものの、声をかけ辛くて私は観月くんの数歩後ろで爪先をどこに向けるべきか迷ってしまう。でも、このまま戻るのも悪いような気がして、結局二歩前へ。観月くんは、私が隣に並んでも何も言わなかった。それどころか、振り向こうとさえしない。私はいくつか用意してきた慰めの言葉を喉の奥へと押しやって、ただ彼と一緒に空っぽのコートを見つめた。
寂しくて、静かな光景だった。
「今年こそ、と思っていました」
独り言のような、小さな声。
「去年はレギュラーを先輩方に譲りましたから、青学に、いいえ、不二くんに勝つなら、今年。そう思っていたんです。でも、結果はご覧の通りですよ」
「そっか」
「インターハイでは基本的にオーダーに戦略を持ち込めません。戦えなかったのは仕方ない。チームとして負けたのだって僕たちの力不足です。来年勝てばいい。目標があるのは良いことです」
「うん」
「そのくらい、わかっています。わかっているんです」
「うん」
「それでも、僕は」
「辛い?」
彼が私を視界に収めて、眉を寄せて笑う。らしくない、不器用な笑顔だった。
「言いにくいことを、簡単に言ってくれますね。あなたには気遣いというものがないんですか」
「ごめん」
懸命に取り繕われた、観月くんらしい言葉が痛々しい。だから、私は彼の口を掌で覆う。
「無理は、しなくていいよ」
すると、彼は私の手を退けて、そのまま引っ張って、私の体を彼の腕の中に収めた。私より少し高い体温を感じる。触れた肩は少し震えていた。泣いているのだろうか。それとも泣くのを堪えているのかもしれない。
「もう少しだけ、ここにいてくれませんか」
「うん」
掛けられる言葉なんか一つもなかった。でもきっと佐伯くんと同じように、観月くんだって言葉なんか欲しくないに違い。だから、私はいつも乾が私にしてくれるみたいによしよしと頭を撫でた。私にも乾みたいな大きな掌があったら、もっと彼を安心させられただろうか。考えても詮無いことを考えながら、私は何度も彼の頭を撫でた。
背中に回った手に込められた力が、少しずつ緩やかになるのを感じながら。
42 インターハイ編03