春のおはなし(全16話)
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「うん、これ以上はないな。決まりだろ」
やっと向日くん、いや、我らが監督が満足げな表情を浮かべたのは、着替えること十数回。ふんわりした袖のリブニットソーにダブルボタンの深い赤のキュロットに着替えた時だった。単純に向日くんが赤を好きなだけじゃないかとも思うが、そろそろ私も疲れてきたので、これでいいような気がする。いや、確かに可愛いのだ。
「よくお似合いですよ」
途中から参戦してくれた店員さんも、にこりと笑ってそう言ってくれている事だし。鳳くんは深く頷いてくれてるし、日吉くんはもう飽きたって顔してるし、芥川くんは寝てるし。
「じゃあ、これにします」
そう言って、カーテンを閉めて制服に着替え、会計をすませる。洋服はオフホワイトのショッパーに詰めてもらった。ロゴがプリントされたシンプルなデザインが可愛い。
達成感に自然と軽くなる足取りで、彼らの元へ向かう。
店の前の柱の近くに立っていたみんなの前までたどり着くと、私はパチンと両手を合わせ、頭を下げてみんなを拝んだ。
「お待たせしました。そしてありがとうございました」
「いいって。気にすんなよ」
「そうですよ。結局、店員さんがコーディネートしてくれたようなものですし」
向日くんと鳳くんがそう言ってくれる中、日吉くんは不満顔。まあ、なんとなく彼がこういう事を好きじゃなさそうなのは分かる。そもそも、誰かとつるんで騒いだりする事自体好きじゃなさそうだ。それなのにここまで付き合ってくれた日吉くんにも感謝しなくちゃ。
「お礼にアイスでも奢るよ」
「まじで!?」
現金にもパチリと目を開いた芥川くんと、よし、31行こうぜ、とはしゃぎ始める向日くん。一年生たちはやれやれと先輩たちを眺めているからどっちが年上かわからない。
「鳳くんと日吉くんも行こう。あの二人、先行っちゃった」
「あ、はい」
「俺、もう帰っちゃダメですかね」
「日吉」
今日の何度目かのため息をついた日吉くを、鳳くんが嗜めるよう呼んだ。あれ、どうしよう。いや、多分これは日吉くんを帰してあげた方がいいやつだろう。
「日吉くん、なんか用事あるなら遠慮せず帰って大丈夫だよ」
「そうですか。じゃあ帰ります」
「待ってよ日吉」
鳳くんは困った顔で日吉くんを引き留めようとするけれど。日吉くんをこれ以上引き止めるわけにもいくまい。
「あのさ、鳳くん。無理には、」
「何やってんだよ、お前ら! 早くしろよ!」
「日吉、何してんの? 行こうよ」
「いや、俺は」
「俺はポッピングシャワーかな」
「俺はねー、アーモンドファッジとチョコ重ねる」
「ずりー、じゃあ俺もバナナアンドストロベリー重ねる!」
私の言葉を遮った向日くんと芥川くんは、日吉くんの手を両側から引っ張って有無を言わさず連れて行ってしまう。諦めの表情の日吉くんに、どんな組み合わせが一番かを熱弁し始める二人には、多分日吉くん離してあげる気など微塵もないのだろう。
「……用事あったんじゃないのかな、日吉くん」
「多分、面倒だっただけですよ」
「え、でもインターハイももう始まってるって聞いたよ?」
「俺たちはまだ一年だから試合には出られませんし、それに氷帝では予選にレギュラーを出さないのが伝統なので」
「あ、まだちょっと余裕があるってこと?」
「はい。それに、俺たちはいつもこんな感じですから、気にしないで下さい。日吉も先輩たちに振り回されるの、慣れてますよ」
私の隣で鳳くんがふわりと笑ってそう言った。
いつも、あんな感じなのか。日吉くんって案外不幸体質なのかな。怪しげな季節限定のフレーバーを試してみろと向日くんに押し切られそうになっている彼だけれど、それでも楽しそうに見えるからあれでいいのかもしれない。
「鳳くんはアイス、何が好き?」
「あ、俺、実はあんまり行ったことなくて。おすすめ教えてもらえると嬉しいです」
「おすすめかあ、難しいなあ。無難にクッキーアンドクリームとか、さっぱり系が良ければレモンシャーベットとかもあるし」
「色々あるんですね」
「うん、迷ったら試食してみてもいいかも」
試食もできるんですか、とやたらと真面目な顔で感心している鳳くんがなんだか可愛らしくて、私は少し笑ってしまう。
「俺、何か変なこと言いました?」
「ううん、ごめん、そうじゃなくてね。ちょっと可愛いなあって」
「可愛い、ですか?」
にわかに表情を曇らせる彼はやっぱり男の子で、可愛いという言葉が嬉しくないらしい。でも、そんなところも可愛く思えてしまうものだから、可愛いと言ってしまうのも仕方のない事だと諦めて欲しい。
「私たちも早く行こ」
鳳くんの背中を押して急かすと、わっ、と彼が驚いて、その声に気がついた芥川くんが、鳳も早く行こう、と彼の手を取った。すると、一人後ろを歩く私に、向日くんが手を差し出す。
「ほら、みょうじ」
別に手なんか繋ぐ必要なくて、何なら歩きにくいし、通行の邪魔になりかねないし。手を取らない理由なんかいくらでもあるんだけど。だけど、私はそれを見ないふりしてしまう。
「ん」
恐る恐る手を乗せれば、ぐいと強く引かれた。歩調を乱して走り始めた芥川くんに、私たちも慌てて歩調を早める。
「おい、ジロー!」
「俺が一番乗りするC!」
「手繋いでるのにですか!?」
向日くんの責める声も、日吉くんの冷ややかなツッコミも聞く耳持たず、だった。
***
それから押し合いへし合いしながらお店へ駆け込んだ。店員さんは苦笑していたけれど、他のお客さんもいなかったからか怒られることはなかった。
それからアイスを注文して、鳳くんは最後までどれにするか迷ってたくさん試食していたけれど、店員の女の子はちょっと嬉しそうだった。わかるよ、鳳くんかっこいいもんな。
そうして、外のテラス席でテーブルを囲んで、みんなでアイスを食べる。
「今日は外で食べるのにちょうどいいですね」
「そうだね、眠くなっちゃうねー……」
鳳くんの言葉に頷いた芥川くんは、今にも眠りに落ちてしまいそうだ。目が半分も空いてない。確かにちょうどいい暖かさに、緩やかな風、少し疲れてもいるから、芥川くんじゃなくても眠くなる。
「天気予報で、明日は暑くなるって言ってましたよ」
「へえ、何度?」
「28度らしいです」
「まじかよ。今日、23か4くらいじゃなかったっけ?」
日吉くんと向日くんの天気の話を聞きながら、私はコーンの最後の、アイスが入っていない部分を口へ詰め込んだ。いつの間にか肩にもたれかかってきていた芥川くんの頭をそのままに、片手で紙屑をゴミ箱へと投げる。きれいに弧を描いてゴミ箱へと吸い込まれて行ったそれを見て、鳳くんが上手ですね、と真剣に感心したような顔をしていた。もう言わないけど、やっぱり彼は可愛い。
取り留めない会話と、取り留めない空気。肩の上の寝息はとても安らかで、私の呼吸もそれに合わせて少しゆっくりになっていく。
空はすでに鮮やかな茜色だったけれど、もう少しこの空間に浸っていたかったから、私は帰らなくちゃ、の言葉を飲み込む。
「……あーあ、まだ帰りたくねえな」
私の頭の中を読んだような、向日くんのセリフ。
「だね」
頷いて、目を閉じた。
私たちはまだ子供で、夕飯に間に合うように家には戻らなくちゃいけなくて、そんなことはよく分かっているから。
だから、もう少しだけって、子供らしいちょっとのわがままを押し通すんだ。
34 魚になる日03