春のおはなし(全16話)
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放課後、電車に乗って、家の最寄駅で降りないまま数駅。待ち合わせの駅で降りる。そんなに遠くはないけれど、だからこそと言うべきなのか、あまり降りることもなくて、馴染みのない駅。行き交う人さえ雰囲気が違って見えて、ちょっとだけ足を早める。知らない場所で一人でいる心もとなさが、私をそうさせた。
「みょうじ!」
遠くで手を振る小さい人影が、大きな声で私を呼んでいる。あ、と気がついて彼に駆け寄ると、向日くんの隣には芥川くんと鳳くん、それに日吉くんまでがそこにいた。全員が同じ上品なブレザー姿で、私はその赤いネクタイが少し羨ましい。青学の制服だって、悪くはないと思っているけれど。
「おっせーよ」
言って、遠慮なくぺちりと私の頭を叩く向日くん。
「ごめんって」
「まあいっか。多分、この駅、青学からのが遠かったはずだし」
「え、私叩かれ損じゃない?」
「俺を待たせた分だからいいんだよ!」
「何それ。てか、向日くんだけじゃなかったんだね?」
三人に視線をやると、芥川くんは眠そうに目をこすっていた。鳳くんはちょっと所在なさげで、日吉くんは明らかに不機嫌。あれ、これ向日くんが無理やり連れてきたやつか。
「侑士連れてこようと思ったんだけどよ、ヴァイオリンが何とかとか言ってたから、代わりにこいつら連れてきた」
「ごめんなさい。お役に立てそうもないし、お邪魔かと思ったんですけど」
鳳くんが眉を下げて小さく笑う。
「え、あ、ううん。こっちこそ忙しい時期にごめん」
「いいえ、とんでもないです!」
お互い頭を下げ合う私たちを見て、日吉くんはため息をついた。面倒だ、と綺麗なお顔にはっきり書いてあるのが見える。
「いいから早く行きましょう。さっさと終わらせますよ」
「そうだな、ほら、行こうぜ。起きろよ、ジロー」
向日くんに体を揺すられてパチリと瞼をあげた芥川くんが、不意に私を見上げてにこりと笑う。
「あー、なまえちゃんだ!」
「え、今気づいたの?」
「へへ、また会えたね!」
「うん、そうだね」
「よーし、遊びに行こう!」
趣旨をわかっているのかいないのか、上機嫌な彼に引っ張られ、私は午後のぬるい空気に満たされた街へと踏み出した。
***
向日くんが私を連れてきた先は駅ビルの中にあるセレクトショップだ。メンズとウィメンズが併設されているからきっと彼らも入りやすいのだろう。シンプルなデザインが多いけれど、お店中に春らしいパステルカラーが踊っていた。今年の流行色は鮮やかで綺麗な色が多くて、あれもこれもいいなって目移りしてしまいそう。
「で、観月ってどんなん好きなんだろうな」
「わかんないよね」
顔をしかめた向日くんに、私も苦笑いを返すしかできない。多分、派手なのはダメ、カジュアルすぎるのもダメ、肌見せ多いと引かれるかな。ダメなものはなんとなく予想がついても、いいものに思い至らない。そもそも、観月くんの私服ってなんだか想像できないのだ。
「少しトラッドな雰囲気のものはどうですか?」
言って、鳳くんが示したのはチェックのワンピースだった。Aラインでスカートは膝丈、淡いグレーに明るい水色のライン。うん、可愛い。
「ありな気がする」
「じゃあ、試着してみましょう」
「え、試着までするの?」
「え、しないんですか?」
驚いたように目を見開かれて、私の方が驚く。鳳くんはお洋服買うとき必ず試着する派なのか。向日くんの、とりあえず試着してみれば、の声に背中を押されて、私はワインレッドの分厚いカーテンの向こうへ向かった。
とりあえず、ワンピースに袖を通してみるけれど。これは、うん。
恐る恐るカーテンを開けると、芥川くんの可愛い、の声。そして、残りの三人は微妙な表情。
「いいよ、自分でもわかるよ。似合ってない」
「ワンピース自体はいいと思うんですけど、中身が微妙ですね」
日吉くんの容赦のない言葉に、私はうっと胸を抑えた。その通りだ。的を得すぎてて悲しい。
「日吉くん、もうちょっとオブラートに包んでくれてもいいじゃん」
「自分でもわかるって言ったじゃないですか」
「そうだけど! そうなんだけど!」
「えっと、それじゃあ、シャツとフレアスカートとかどうですか? 俺、ちょっと見てくるんで待っててください!」
慌てたように言った鳳くんは、日吉くんを引っ張ってお店の奥に消えていく。それから、ものの数分でサーモンピンクのフレアスカートと丸襟の白いシャツを持って戻ってきた。聞くに、店員さんにオススメされたらしい。どうぞ、と渡されて、私はカーテンを閉め、シャツとスカートに着替える。
「……正直に言っていいよ」
「可愛いよ?」
言ったのは芥川くんで、その言葉から得られる事実は彼がなんでも可愛いっていうタイプの人間だということだけだ。あとの三人はやっぱり微妙な表情。彼らの気持ちはとってもよくわかるから、怒る気にもなれない。ただただ悲しい。
「まあ、あれだよな。似合ってねえな」
向日くんは首をかしげて、なんでだろうなあ、とまじまじと私を見つめる。服は可愛いのだ。可愛いのだけども。
「あれじゃね、お前がまずカッチリした感じの服が似合わねえんだよ」
「う、おっしゃる通りで」
「トップス、もうちょいカジュアルなのにしたら行けんじゃね?」
「じゃあ、探してみましょう」
そうして向日くんと鳳くんが店の奥へと戻っていき、留守番組になった日吉くんがちらりと私に視線をよこした。
「そのワンピース片付けてくるんで、貸してください」
「え、ありがとう」
「芥川さんがどこか行かないように見ててくださいよ」
「りょーかい」
やれやれと息を吐きながらも、ワンピースを受け取って元の棚に向かう日吉くん。その背中を芥川くんと一緒に見送る。日吉くんも、なんだかんだで協力してくれるらしい。
「みんな優しいね」
「でしょ?」
私の言葉に、芥川くんは自慢げだ。彼は不意に私を見下ろして、でもさ、と言葉を続けた。
「服なんてなんでもいいのに、なんでそんなに悩むの?」
「うーん、だって観月くんだよ?」
「俺だったらどんな服でも気にしないけどなあ」
「そっか」
そりゃあ、最高に似合わないワンピースも可愛いって言ってくれる芥川くんだもん。きっと私がいつものパーカーで待ち合わせに現れたって気にしない違いない。多分、可愛いって言ってくれる。
「もう観月くんと行くのやめて、芥川くんとケーキ食べにいきたくなってきた」
呟くと、芥川くんはあはは、と楽しそうに笑う。
「そうしちゃう?」
「しちゃおっか?」
ふふ、と笑うと、芥川くんはおもむろに私のほっぺたをギュッとつねった。
「ダメだよ、ちゃんと否定しないと。俺みたいな奴は単純だからさ、すぐその気になっちゃうんだって」
その気って。
あ。そういう意味か。
「それともさ、いいの?」
何を言われたのか理解して、返事を迷わせて、私は下を向いてしまう。頬をつねっていた芥川くんの手はするりと優しく私の肌を撫でていった。
だめだ。私はまだこの手の話題が苦手だ。頭が真っ白になって、そんなのわかんない、と突っぱねたくなる。きっと芥川くんにしてみたら大した重みなんかない言葉で、笑って流せばいいんだってわかっているのに、なんだか上手くいかない。急に渇きを覚えた喉で、とにかく言葉らしいものを発そうとした時だった。
向日くんと鳳くんが2枚ほどのカットソーを持って現れて、私は思考を放棄した。芥川くんも、私から視線を離して、右のやつ可愛いね、なんて話している。頬から離れた手の感触に、よかったって、ちょっと安心してしまう。
カーテンの向こうで受け取ったカットソーに着替えながら、私は一人そっと息をついた。
33 魚になる日02