春のおはなし(全16話)
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「せっかくだから記念に写真撮ろうぜ」
みんなと合流してすぐ、そう言いだしたのは丸井くんだった。写真なら大水槽の前がいいでしょう、と柳生くんが言うので、来た道を少し戻って大きな水槽の前へ。
「水槽が大きく入るように、少し水槽から離れた方がいいですよ」
そこではなく、ライトのあるほうが、などと私たちに立つ場所を指示する柳生くんは、随分水族館に詳しそうだ。
「もしかして、ここよく来る?」
「ええ、たまに。ここは落ち着きますからね」
彼の答えになるほど、と頷いていると、丸井くんが携帯を構えて一歩前へと。
「俺の携帯でいいだろ。自撮り棒持ってくりゃよかったな」
彼はうーん、と唸りながらカメラの画角を決めているらしい。待っている切原くんは少し不満そうだ。
「もう適当でいいんじゃないっすか?」
「ばか、こういうとこで妥協すると後で後悔すんだよ。みょうじ、見切れてるから右寄れ」
「え、こう?」
一歩右へ寄ると、隣の柳くんが少しズレて場所を作ってくれる。
「もうちょい」
「もっと?」
ギリギリまで移動してみるけど、丸井くんはもっと、となおも言う。すると、柳くんは私の手を引っ張って柳くんの前に立たせた。
「俺はお前の後ろからでも顔が出るからな」
「あ、そっか。身長高いのいいね」
「そういえば、みょうじ」
「ん?」
振り向いた途端、頬に突き刺さる柳くんの人差し指。なに、どうして急に古典的ないたずらなんか。
「勝手にいなくなった罰だ」
同時に、丸井くんのいくぞーと言う声が響いて、パシャリとシャッター音がなる。すぐに携帯を覗き込んだ丸井くんが急に吹き出すから、みんなどんな写真が撮れたのかと彼の携帯を覗き込んだ。
「みょうじ、すげー顔してんだけど」
「うわああ、やめて見ないで」
確かに、写真の中の私は丸井くんの言う通り思いきり顔を歪めている。柳くんの指に頬を押されているから、さらに酷いことになっていた。一方の柳くんといえば綺麗に笑っているから、余計に憎らしい。
「柳くんのせいだよ!」
「何を言う。よく撮れているぞ」
「柳くんのばか、きらい」
「そうか、俺は好きだが」
「何その『好き』、悪意しか感じないんだけど!」
みんなが笑う中、柳生くんだけがもう一枚撮りましょうか、と気を使ってくれ、たまたま通りかかった水族館の職員さんにシャッターを押してもらった。
2枚目の写真の中では、私は柳生くんの隣で普通に笑っていた。金輪際、柳くんの隣には立つまい。そう思うのに、できの悪い変な顔の写真の方がなんだか思い出になるような気がしてしまうのは、どうしてだろうか。
***
水族館を出るとすでに空はオレンジを引き裂いたような色に染まっていて、私たちは駅へ向かった。みんながそれぞれの最寄りで降りていく中、残ったのは丸井くんと私だけ。
私は隣に座る彼のことを意識しすぎないように、ゆっくり呼吸する。会話はなかった。みんなといると絶えることのなかった会話が、二人になった途端に消えてしまうのはなんでなんだろう。私が少し緊張してしまうせいだろうか。
昔好きだったあの人と、一緒の電車に乗ったことはたった一度だけだった。文化祭の買い出しの時。彼が行くと言うから、私も手伝うよって手を挙げたのだ。あの時は、吐きそうなくらい緊張したっけ。一人で浮かれて、一人で緊張して。ああ、今思えば馬鹿馬鹿しい思い出だ。
「今日、楽しかったな」
ポツリと呟かれた言葉は小さな声で、ともすれば聞き逃してしまいそうなくらいだった。それでも、私を現実に戻すには十分で。
「うん」
ただそれだけを答える。それ以上の返事は思いつかなかったのだ。
正面に視線をやれば、眩しいくらいに差し込む西日が、向かいの席に座る人たちを真っ黒なシルエットに変えていた。
「強歩大会って毎年あるんだけど、つまんねえ行事なんだよ」
「歩くだけだもんね」
「でも、今年は楽しかった。お前、来年も来いよ」
「いいけど、来年も柳くんが呼んでくれるかな」
しばらく、返事はなかった。がたんごとん、ただ電車が揺れる音だけが響く。
「丸井くん?」
沈黙に耐えきれなくなって呼んでみると、彼は私に視線を合わせた。その顔は困ったように眉を寄せている。私は何か困らせるようなことを言っただろうか。特に思い当たる節がなくて、私も言葉を紡げなくなってしまった。
見上げた丸井くんの顔は、あの時の彼とは違う。きっと、似ていると感じるのは顔なんかではなく、気楽に交わしてくれる言葉だったり、ちょっとした気遣いだったり、そんなところなのだろう。
「悪い、ちょっと考え事」
不意に丸井くんが目をそらした。だから、私も窓の外の景色に視線を戻す。
彼は今、何を考えているのだろう。何か心配事でもあるのか。聞いてはいけないような気がして、私はただ別の言葉を選んだ。
「ねえ、丸井くん」
「なに?」
「柳くんと丸井くんが親戚ってことになってもいいなら、今度は丸井くんが呼んでよ」
何しろ、私は柳くんの親戚と言う嘘で参加したのだ。来年、丸井くんの親戚にされたら、柳くんと丸井くんが親戚になってしまう。いや、別になったって私はいいんだけど。
丸井くんはクスクス笑って、肘で私の腕をつつく。
「やだよ、柳と親戚なんて」
「柳くんに言いつけてやろ」
「あ、うそ、今のなし」
今度はクスクス、二人で笑った。
見慣れない綺麗な街並みが夕焼けの中をどんどん過ぎ去っていく光景は、いやにノスタルジックだった。
31 たのしいきょうほたいかい05