春のおはなし(全16話)
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結局、私たちが学校まで戻ってきたのは4時頃だった。多分、順位は後ろの方から数えた方が早かっただろう。途中、はしゃいでしまったせいで私の体力が続かなかったのが原因だ。
そして今、私はみんなと並んで昇降口の段差に座っていた。生徒会の人から参加賞です、と言って渡されたスポーツドリンクを一口流し込む。少しぬるかったけれど、それでも乾いた喉にはとても美味しく感じられた。
「やあ、お疲れ様」
部室棟の方から歩いてきた幸村くんが、私たちを見下ろしてそう言った。
後ろには真田くんたちもいるから、先にゴールした人たちは部室で待っていてくれたのかもしれない。
「ああ、そっちも」
桑原くんが軽く手をあげたのを見て、幸村くんはにこりと笑う。
「ずいぶんゆっくりしていたんだね。待ちくたびれちゃったよ」
それから私に向き直って、みょうじさん、と澄んだ声で名前を呼んだ。
「せっかくだから、水族館でも寄っていかない?」
「今からか?」
私より早く答えたのは仁王くんで、少し面倒そうな響きがにじんでいる。幸村くんはそんな彼に対しても、優しく目を細めた。
「あそこなら、今からでも十分最終入場間に合うだろう?」
「まあ、そうじゃな」
好きにしろ、とばかりに肩をすくめた仁王くん。同時に私に視線が集まる。私が行きたいと言えばみんなで行く流れになるだろうし、そうしなければ解散になるはずだ。
どうしよう。帰るって言ってあげたほうがいいのかな。仁王くんの顔色を伺おうとした瞬間。
「みょうじさん」
幸村くんが私を呼んだ。急かすような言葉は続かなかった。幸村くんだけじゃなくて、誰も言わない。
私が自分で決めていいってことなのかな。どうしたほうがいいのか。違うか、どうしたいのか、考えなきゃいけないのか。
少し迷って、私は口を開く。
「えっと、私は行ってみたい、かな」
「じゃあ、決まり。みんないいよね?」
幸村くんは嬉しそうに言って、パチンと手を合わせた。それを合図にして、みんなが立ち上がる。
予想外に首を振る人は一人もいなくて、私たちはぞろぞろと連れ立って水族館に向かうことになった。電車に乗って少し。電車の中には帰りの立海生も多くてジャージで連れ立って歩くのはそれほど不自然ではなかったけれど、電車を降りると途端に違和感を覚える。観光客に囲まれているせいか。それとも、改めて私が他校生の中に一人ぽつんといるのだとわかるからだろうか。あ、そうか。私は、彼らの中にいるより、どちらかというと観光客に紛れている方が自然なのだ。
「なんか、変な感じ」
私の小さな独り言を拾ったのはすぐ側を歩いていた切原くんで、彼は不思議そうに私を覗き込む。
「何がっすか?」
「うーん、何だろう。すごくアウェーなのにそう感じてなかった自分がかな?」
「みょうじさんにとってアウェーなんすか、立海は」
急に表情を曇らせて、切原くんは私を睨んだ。
「だって、ホームではないじゃん。私のホームは青学だもん」
「そりゃそうですけど。あんた今日、めちゃくちゃ楽しそうにしてたくせに」
「そっか。私、楽しそうにしてたのか」
「楽しくなかったとか?」
「ううん、楽しかったよ」
切原くんはじゃあ何で、と言いかけて、その先を言わずに舌打ちで言葉を掻き消してしまう。これはあれかなあ、拗ねてる、ってやつ。
「柳生くん、切原くんがいじめるよ」
冗談のつもりで隣にいた柳生くんを巻きこめば、彼は至極真面目な顔をして私たちを振り返った。
「おや、何をしたんですか、切原くん。レディは丁重に扱わねばなりませんよ」
「へ、違う違う、俺、何もしてないっす!」
「うそ、さっき舌打ちとかされたもん。切原くんの不良」
「舌打ちとは感心しませんね」
「だー、違いますってば! 別にみょうじさんに向かってしたわけじゃねえし!」
そういう問題ではありません、と舌打ちがいかに下品で忌むべき行動かということを滔々と語り始めた柳生くん。あれ、話振る人間違えちゃったかな。こんなにお説教が長くなるなんて、予想外だった。
目線だけで切原くんにごめんねと伝えてみるけれど、伝わった様子はなく、ぎろりと睨まれてしまう。
まあいいか。舌打ちなんて、しなくなればその方がいいし。切原くんを放置して少し前の仁王くんに並べば、後ろから裏切り者、と切原くんの声が聞こえてきた。私が何をどう裏切ったっていうんだ。知らないってば。
「赤也をあまりいじめてくれるなよ」
「今切原くんをいじめてるの、柳生くんだけど」
「確かにな」
あっさりと手のひらを返した仁王くんは、ふっと楽しそうに笑う。さっきは面倒そうにしていたのに、不思議なものだ。
「ねえ、一個聞いていい?」
「何じゃ?」
「あのさ、仁王くんは、帰りたかったんじゃないの?」
「何でそう思う?」
「何でって……雰囲気?」
「そうか」
短い返事の後、彼はニヤリと口元を歪めたばかりで何も言わなかった。彼は何が言いたかったんだろうか。それとも、何も言いたくないのか。私はただ首を傾げながら彼を見上げるしかできない。
「みょうじは単純じゃな」
「え、うそ」
「さあな」
「いや、どっちだよ!」
「どう思う?」
「何それ」
もしや、仁王くんは私とまともに会話をする気がないのではないだろうか。そう思って黙っていると、仁王くんがぽん、と私の頭を軽く撫でていく。
「ブッダ知っとるか」
「は? 知ってるけど」
「ブッダがな、言われとらんことをあれこれ想像して悩むやつはアホって言っとったぞ」
「何それ、ブッダは人のことアホとか言わないでしょ。お寺の人に怒られるぞ、仁王くん」
「ピヨ」
「何、ひよこ?」
「プリ」
「ごめん、全然わかんない」
やっぱり会話にならない私たちは、結局黙って並んで歩いた。仁王くんは何だか少し楽しそうだったから、もう何でもいいやと思ってしまう。
傾斜のきつくなってきた坂を登り切れば、水族館はもうすぐそこだった。
29 たのしいきょうほたいかい03