合宿編(全22話)
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友達をたくさん作りましょう。
まるで、小学校の学級目標だ。それを乾に掲げられてしまった私は、小学生よりも社交性と協調性がないと言うことなのか。
乾から合宿なるものに誘われて数日。あっという間にその日は来てしまった。
行きたくはない。行ったって、乾以外は知らない人だ。3日間もどうしろと言うんだ。本心からそう思う。
思うのに、私の目の前にはまとめられた荷物がある。その向こうには、にこにこ晴れやかに笑う母の姿。母は勝手に私の荷物をまとめ、無理矢理私に朝の支度をさせてしまった。
「なまえが合宿に参加なんて青春らしいことしてくれるとは思わなかった。ママ、嬉しいなあ」
「何がママ嬉しいなあ、だ。メガネの悪魔に魂売っただけだろバーカバーカ!」
「こら、汚い言葉遣いはやめなさい。乾くんにもちゃんとお礼言うのよ?」
「絶対言わない」
誰が言うもんか。騙されたのだ、私は。さも私に選択権があるように見せかけて、強制的に連れて行くつもりだったのだ。あの分厚いメガネ、いつか叩き割ってやる。絶対にだ。
母とにらみ合って数分、チャイムの音が大きく鳴り響く。母は私の手を引き、軽やかな足取りで玄関へと向かった。
ドアを開けた途端、明け方の冷たい空気がふわりと玄関に入り込んでくる。清々しいような、冷たいような。
「おはようございます」
律儀に頭を下げた乾に、母はにっこりと綺麗に笑った。よそ行きの、とっておきの笑顔。
「おはよう、乾くん。迷惑かけると思うけど、なまえのことお願いね」
「お願いしなくていいんだけど。もうベッドに帰りたいんだけど」
「はい、もちろんです」
「ねえ乾何がもちろんなの。私の話聞いて、行かないって言ってるんだけど」
「それじゃあ、乾くん、なまえ、気をつけて行ってきてね」
「行ってきます」
「おい、乾うちの子じゃないだろ! 何ナチュラルに息子みたいな顔してんの!」
ジタバタ、諦めきれずに抵抗する私の目の前で、無情にもドアは閉まってしまった。世間ってやつは冷たいな。
「もちろん合宿に行くだろう、みょうじ?」
ニヤリ、と乾は口の端を上げる。
「うるさいばか、乾なんてきらい」
悪態にもははは、と楽しそうに笑い声をあげて、私の荷物を人質のように抱えて歩き出す乾。ここで踵を返したところで、我が家のドアは私を迎え入れてくれることはないだろう。どうせ、選択肢は残されていない。
「ああ、もう!」
私は小走りで先を行く乾に追いついて、そのまま勢いをつけてドン、と体当たりをしてやった。彼はよろけもしないで私を受け止めるから、悔しくて仕方ない。
「……一応、行く」
「うん、おいで」
乾の口元が嬉しそうに弧を描いて、同時にばさりとジャージが降ってきた。広げてみると、乾とお揃いのテニス部のジャージであることがわかる。
「あげるよ」
「今、寒くない」
「今はいいけど、合宿所についたら着ていた方がいい。他校生も多いから、それがあれば青学の生徒だってすぐにわかる」
「あ、なるほど。じゃあ借りようかな」
「返さなくていいよ。あげるって言っただろう」
「いいの?」
「もちろん」
彼は、大きな手でゆっくりと私の頭を撫でる。私のことを自分の子供か何かと勘違いしているのじゃなかろうか。
「乾のばか」
私の益体もない憎まれ口にも、彼はどうしてか笑みを深くした。
***
眠いせいか定まらない足取りで学校までやってきた。荷物は乾が持ってくれたままだったから少し申し訳ないけれど、今は素直にありがとうと言えそうにない。気持ちが落ち着いてからにしようと思う。
校門の前にはすでにバスが停まっていて、テニス部員らしき姿も見受けられる。そのうち何人かは乾と同じジャージ姿だ。
「やあ、乾。君にしては遅かったね」
真っ先にこちらに気づいたのは、柔らかな色の髪に中性的な顔立ちの男の子。乾の友達だろうか。
「おはよう、不二。少し手間取ってね」
手間取った、とは私のことなのだろう。なんとなく、釈然としない言われ方だ。
乾はそれから次々みんなと挨拶を交わしていく。仲が良さそうな雰囲気で、私はちょっと居心地が悪い。
と、私服姿の大人っぽい人が進み出てきた。彼のことなら私も知っている。中学で生徒会長だった人だ。名前は、なんだっけ。
「乾、久しぶりだな」
「手塚、久しぶり。間に合ってよかったよ」
そうそう、手塚くん、だっけ。
「越前も、今朝着いたんだろう? お疲れ」
「別に、このくらいなんでもないっすよ」
越前、と呼ばれた男の子も、私服姿だった。乾に応じた口調はそっけないが、親しげだ。
「彼女をみんなに紹介してくれないか」
手塚くんは私にちらりと視線をよこす。乾はそれに頷き、私の背を押して一歩前へとやった。
「彼女が合宿を手伝ってくれるみょうじなまえだ」
一気に視線が集まったから、慌てて姿勢を正す。それから乾にひじで突かれ、あ、何か言うべきなのかと気づいた。
「みょうじなまえです。ええと、乾くんの友達、です。よろしく」
「まあ、みょうじにしては上出来かな」
どう意味だ、乾。ちょっと苛立って足をふんずけてやろうするけれど、さっと足を引かれてそれは叶わなかった。こいつ、予想していやがったな。
それから、みんなが順番に自己紹介をしてくれたので、私はなんとか苗字だけでも覚えようと必死にたくさんの名前を頭の中でリピートした。
そして、バスに乗り込むことになった時。そうだ、と乾が声を上げる。
「手塚とタカさん、大石、それから越前も。以前のものはもうサイズが合わなくなったんじゃないかと思って、新しく作ってもらったんだ。やっぱりこれがないと始まらないだろう?」
乾が差し出した紙袋の中身をの覗き込んだ手塚くんは、ほんの少しだけ口元を緩める。
「ああ。ありがとう、乾」
彼は袋から取り出したみんなとお揃いのジャージを越前くんと、大石くん、河村くんに渡すと、自分もジャージを颯爽と羽織る。
その様子をぼんやり眺めていると、隣にいた、ええと、確か不二くん、だったか。彼がおもむろに私に向かって口を開いた。
「手塚と越前は今、海外にいてね。久しぶりに帰ってきたんだ。タカさんも家を手伝うためにテニス部をやめたし、大石も外部受験をして今は他校生なんだよ」
「あ、なるほど。それで、ジャージがなかったんだね」
「そういうこと。乾も粋な事するよね」
うん、と、とりあえずの相槌で不二くんの言葉をやり過ごす。お揃いのジャージへの思い入れは、彼らにしかわからないものだ。同じジャージを羽織っていても、私には少し羨ましくて、少し面倒に思えるだけ。
「さあ、油断せずに行こう」
手塚くんが口にしたのは、いつだったか全校集会でも聞いたようなセリフ。テニス部から一斉に返事が上がって、色のない早朝の空気を震わせる。
なんだか場違いなところに来てしまった立つ瀬のなさと、何か新しいことが起きるのだろうという期待と。ないまぜになった気持ちを宙に浮かせたまま、私はバスの階段を上った。
02 合宿編01