春のおはなし(全16話)
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強歩大会が始まって1時間ほど。
のろのろと歩みを進める私に合わせてゆっくり歩く柳くんは、それでいいのだろうか。
「柳くんは順位とか気にしないの?」
「一応、部活対抗の順位発表があるが、赤也と弦一郎が張り切っていたから、問題ないだろう」
聞きなれないファーストネームを頭の中で反芻して、切原くんと真田くんだっけ、と思い当たった。
「そういえば、テニス部はみんな参加してるんだ?」
「ああ、うちは伝統的に全員参加の決まりだ。仁王などはうまくやり過ごそうとしていたようだったがな」
「真田くんに捕まったとか?」
「いや、精市に」
「へえ、幸村くんかあ」
なんだか面白そうな絵面だなあと思わず笑ってしまう。
「ああ見えて、精市は恐ろしい男だぞ」
「優しそうに見えるけど」
「それもまた真実だが」
彼はそこで言葉を切って、不意に海の向こうを指差す。
「あれが江ノ島だ」
「あ」
私は堤防の方へ駆け寄って、身を乗り出した。静かな水平線に柔らかな色でにじむ緑色。小さな白い灯台がケーキに刺さっているキャンドルみたいだった。
「かわいいね」
「かわいいか?」
「うん、ケーキみたい」
「お前にはそう見えるのか」
「柳くんにはそう見えない?」
「見慣れていると、気にとめること自体少ないが」
「それはちょっと勿体無いね」
「確かに、そうかもしれないな」
私たちを追い越していく立海生たちは、景色に目を配ることもない。どちらかと言うと、景色より柳くんの方が彼らの目を引いているようだ。彼のような存在感のある人なら、確かに人の興味を引くには違いないだろうけれど。
と、丸井くんと桑原くんが歩いてくるのが目に入った。手を振ってくれる二人に振り返すと、小走りでこちらへとやってくる。走ってもいいものなんだろうか。まあ、競歩と強歩大会は関係ないだろうから、いいのかもしれない。
「俺らより少し前に出発しただろ。まだこんなとこにいたのかよ」
桑原くんがやれやれと苦笑して、私と柳くんを見比べた。
「急ぐつもりもないのでな」
悠々と答える柳くんに、まあそうだよな、と丸井くんも頷く。
「じゃあ、一緒にゆっくり行くか」
「ああ」
丸井くんの提案に頷いてから、柳くんは私に目配せをした。もう行くぞ、と言うことらしい。景色も堪能したことだし、と私も歩き始める。
一歩前を柳くんと丸井くんが歩くので、私は自然と桑原くんと並んで歩くことになった。
「災難だったな」
彼の同情の視線に、私は肩を竦める。
「まあね。でも、意外と楽しいよ」
「ならいいんだけどな。うちには、その、強引なやつが多いだろ。柳も悪気はねえと思うし、お前のことは気にってるみたいだから、大目に見てやってくれよ」
「気に入られてる、のかな、これは」
「気に入られてんだろ。お前にとっちゃ、いい迷惑かもしんねえけど」
桑原くんは当然、と言った語調だ。
私は柳くんの後ろ姿を眺めながら考える。柳くんは、何を考えてるんだろうって。
「ねえ、桑原くん」
「どうした?」
「今日、参加人数足りなかった?」
「どうだろうな。多いとは言えねえんだろうが、毎年こんなもんだし」
「ふうん」
「何が気になってんだ? 言ってみろよ」
「柳くんはなんでわざわざ東京から私を呼び寄せたのかなって」
「そりゃ、お前……」
不意に言葉を飲み込んだ桑原くん。不思議に思って彼の顔を見上げれば、困ったように眉を下げて、小さく笑っている。
「まあ、そりゃ伝わんないよなあ」
「何が?」
「柳は、単にお前に会いたかったんじゃねえか?」
「わざわざ行事のある日に?」
「それは……あの性格だからな」
「つまり?」
彼の言いたいことがよくわからなくて聞き返すも、彼はあー、と言葉を迷わせる。なんだなんだ。言いにくいことなのか。
「柳の名誉のために言っておくが、柳は冷静沈着で頼りになって、義理堅いところもあるし、とにかく悪い奴じゃない」
「うん」
「でも、まあ、少し人を振り回して楽しむとこがあるんだよ」
つまり。
つまりどういうことかっていうと。
「……柳くん、もしかして私が強歩大会を嫌がってジタバタするところ見て面白がってる?」
「だいたいそんな感じだ」
「よーし、一発殴ってくるわ」
「待て待て待て」
桑原くんの制止を振り切って、私は柳くんの膝に渾身の蹴りを放った。しかし、どうしたことだろう。柳くんはするりと横へ避けると、私を振り返ってふっと笑ったのだ。まるで後ろに目がついているみたい。
「まだまだ甘いな」
「少年漫画の敵役みたいなセリフだね」
「なら、みょうじが主人公か」
「ヒロインにはとびきり可愛い子をお願い」
「うちの部には女子はいないからな。丸井あたりで手を打ってくれ」
私の拳を物ともせずパシリと手の平で受け止めた柳くん。
「はあ!? なんで俺がヒロインなんだよ! みょうじ、主人公のポジション譲れよ」
私を捕まえようと伸びてきた丸井くんの手を避け、私は小走りに桑原くんに駆け寄る。
「ヒロインが凶暴なんだけど! 助けて!」
「ちょっとは頑張れよ、主人公」
はは、と爽やかに笑った彼は、無情にも私の背を押して前へと突き出す。
「観念しろ!」
「ぎゃ、なんで! 私が丸井くん助けるんじゃないの!?」
「どう考えても逆のがいいだろぃ!」
丸井くんとの距離を測りながらジリジリ後退していたら、とん、と背中が何かに当たる感覚。
あ。
両手を捕まえられて、振り向くとそこにいたのは笑顔の柳くんで。
「さて、俺の膝を蹴ろうとした報いを受けてもらおうか」
思わず、ひえ、と情けない悲鳴をあげてしまった。悪役ハマりすぎだろ、柳くん。
と、急にガクンと柳くんがバランスを崩す。
「走れ、みょうじ!」
言われて、反射のように私を駆け出した。
「仁王!」
そう呼んだのは多分柳くんで、振り返ると仁王くんを先頭にみんなが私を追うように走り出している。
「うわ、今度は何! 仁王くんは味方だよね!?」
「そうじゃな、その方が面白そうじゃ」
「じゃあ、俺らは二人を捕まえればいいってことか。そっち回れよぃ、ジャッカル!」
「なんで俺まで!」
「ならば、俺は反対側に回ろう」
なぜだか始まってしまった鬼ごっこは10分後、先生に走るなと怒られるまで続いた。
結局私は捕まって仁王くんは逃げ切ったから、きっと逃げる側の勝ちだろう。勝敗の付け方なんて決めていなかったからよくわからないけれど。
確かなことは、いっぱい走ったおかげでめちゃくちゃ疲れたことと、たまには歩くのも悪くないってこと。
それから、柳くんも仁王くんもみんな年相応に笑うってこと。
28 たのしいきょうほたいかい02