春のおはなし(全16話)
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「私、こんなとこで何してんだろ」
ざあざあと波の音が響き、潮風の独特な香りが鼻腔をすり抜けていく。海の青さはどこか寂しげだった。
「強歩大会に参加しているな」
「いや、そうなんだけどね!」
身も蓋もなく、明確な答えを突きつけてきたのは柳くんだ。冷たく感じるほど端正な顔立ちに綺麗な笑みを浮かべて、足を止めた私を見下ろしている。
私たちに訝しげな配りつつすり抜けていくのは全員立海生だ。当たり前だ。立海の強歩大会なんだから。
問題は、そこにこうして私がいることだ。意味がわからない。なんでだ。
「私、なんでここにいるんだろう」
「その疑問は先ほどと同じ答えで解決できるが、繰り返したほうがいいか?」
「いらないけど!」
「なら、諦めろ。まだゴールは遠いぞ」
「まじか」
「まじだ」
何時間歩くんだ、これ。どうしてこうなっちゃったんだっけ。私はクラクラする頭で今朝のことを思い出していた。
***
日曜日の朝。ラインのメッセージは新着が二件。
一つは観月くんからだった。内容を要約すると、合宿でたくさん手伝ってやったんだからケーキを奢れ、という感じだ。お礼をするのはやぶさかではなかったのでいいよ、と返信しておく。
それから、もう一つは柳くん。急用で大事な話があるから、できるだけ早く動きやすい格好で立海まできてくれとある。柳くんが私に急用ってなんだろう。電話ではダメなのだろうか。不思議に思って電話をかけてみても、彼はとにかく来てくれの一点張りだ。私は11時ごろになるよ、とだけ伝えて家を出た。
正直に言えば、好奇心があった。立海ってどんなところだろうって。確か、海の近くだったはずだけれど。そのほかに知っていることと言えば、せいぜい大きな学校だということくらいだ。中に入れないにしたって、雰囲気くらい味わえるだろうか。急用と言われたにも関わらず、そんな軽い気持ちで私は立海大付属高校へと向かったのだ。
普段はフットワークの軽くない私がそんな行動に出たのは、気がかりだったことが解決した開放感も手伝っていただろう。今になって思えば、なんて軽率だったのかと思う。
駅に着くと、すでにホームには柳くんが立っていた。観光地の近い立地だし休日だから人は多いけれど、ジャージ姿の彼はすぐ目につく。ただ、私の知る辛子色のジャージではなくて、どういうことだろうかと首を傾げた。『Rikkai』のロゴは変わらず入っているから、学校指定ジャージなのかもしれない。
「おはよう。急に呼び出してすまなかったな」
「どうせ暇してたから、別にいいけど」
「とにかく移動しよう」
表情はいつも通り静かだけど、急かされるところ見るに本当に急用のようだ。今更ながらに私も少し焦ったような気分になって、私より少し早いスピードで歩く彼に小走りで追いつきながら、口を開いた。
「柳くん、私、何すればいいの?」
「少し歩いてくれればいい」
「歩く? どっか行くの?」
海のすぐそばの道をたどって行くと、大きなコンクリートの建物が見えてきた。きっと、あれが学校なのだろう。
「行って戻ってくることになるな」
「どういうこと?」
「こういうことだ」
彼が足を止め、校門の横に掲げられた立て看板を示す。真っ白な紙に、墨で堂々と書かれた文字は『強歩大会』。
「え、何これ」
「青学にはないか? 強行遠足とも言うらしいが」
「知らない」
「20キロほどを歩く行事だ」
「歩く……なんのために?」
「強いていえば歩くために歩く、と言ったところか」
つまり、柳くんは私にただ20キロ歩けと言うのか。これのどこが急用だ。
「帰ります、お疲れ様でした」
「待て」
踵を返そうとした私より、彼が手を掴む方が早かった。
「自由参加行事なのだが、参加人数があまりに少なくて困っている」
「そりゃそうだよ、誰が好き好んで20キロも歩くの」
「生徒会の準備が報われて欲しいと思わないか」
「知らない、思わない。一人でも参加者がいればいいじゃん」
「安心しろ、関係者なら外部からの参加も可能だ。さあ、受付はこっちだ」
「やだやだ、受け付けなくていいから!」
「安心しろ、チェックポイントでジュースがもらえる」
「誰がジュース喜ぶんだよ! コストに対してリターンが少なすぎるんだよ!」
「安心しろ、楽しいぞ」
「安心要素が思いつかないからって雑だよ!」
ズルズルと彼に引きずられて校門の奥へ。昇降口の前に設営された受付スペースの前にぽいと放り出されてしまう。
机の奥に座っていた生徒に、どうぞ、と紙を渡されるも、私はそこに名前を書く気は無い。引きつった笑みでそれを返そうとする。けれど、横から紙を奪った柳くんはサラサラといやに達筆な文字で私の名前と、招待者の欄に柳くんの名前、それから関係の欄に『親戚』と書き込むと、それを生徒に返した。流れるように嘘を書きやがったぞ、この男。
「はい、みょうじなまえさんですね。このシールを見えやすところに貼っておいてください。チェックポイントで給水もできますので」
「ありがとう」
私の代わりにシールを受け取った彼。台紙からはがしたそれを、ぽん、と私の肩に貼り付ける。
「これでエントリーできたな」
「さいあく」
「始まる前に昼食にしよう。軽めにな」
「ねえ、柳くん、私帰る」
「わざわざ神奈川まで来て、何もせず帰るのか? 1時間以上はかかっただろう?」
「1時間半かかったよ。一人で観光しながら帰るから」
「強歩大会のコースからは江ノ島も見えるぞ、よかったな」
「話聞いてよ、良く無いってば!」
「あきらめが悪いな。俺が退路など開けておくと思うか?」
上機嫌で彼が私を引きずって行った先は部室棟のようで、テニス部、と書かれた扉を迷いなく開けた。
その奥には、イメージしていた『部室』より広い空間が広がっている。綺麗にロッカーが並ぶ様子は、どちらかと言うとジムの控え室のようだ。手前の少し開けたスペースには会議机と椅子が並べられており、すでに見知った顔が揃っていた。
「やあ、みょうじさん。わざわざ遠いところを来てくれてありがとう」
少し申し訳なさそうに眉を下げて微笑んだ幸村くん。
「あ、ううん。とんでもないです」
反射のようにそう答えてしまった私。ふふ、と楽しそうに笑った柳くん。
「あ、みょうじさん! 強歩大会参加するんすか!」
嬉しそうにこちらを見る切原くん。
「え、いや」
「俺、当然一位取るんで、見ていってくださいよ!」
そう言われてしまえば、もう頷く以外に何ができるだろうか。
なるほど、確かにもう退路は無くなってしまった。
ぺチリと柳くんの腕を叩いても、彼は笑みを深くして私に椅子を勧めるばかりだった。
「俺の母は料理自慢でな。味は保証しよう」
差し出されたランチボックスに、私は恐る恐る手を伸ばす。受け取ったら、ますます帰りにくくなる。いや、もうそんなことできないだろうけど。もう埋められてしまった外堀に、さらに土を盛られている気分だ。さすが柳くんとでも言うべきなのか。
「お礼は言わないからね」
「好きにしてくれ」
ランチボックスを受け取った私をその目に認めて、柳くんはまるで鷹揚な人間のようにゆっくり頷いた。
27 たのしいきょうほたいかい01