春のおはなし(全16話)
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ホームルームが終わって、あたりはにわかに騒がしくなる。
菊丸くんは私に目配せだけを残して教室を後にした。今日も部活があるのだろう。きっと、乾もそこにいる。
部活が終わる頃に会いに行ってみようかな。何時頃に終わるものなのだろう。菊丸くんに聞いておけばよかったかな。乾に会ったらなんて言えばいいのかな。乾は今何を考えているのかな。
私はまとまらない思考をぐるぐるかき混ぜて煮詰めてしまう。
気がつけば教室にはおしゃべりする女子のグループが一つと、私だけになっていた。彼女たちはクレープを食べに行くか、ジェラートを食べに行くか、そんなことを熱心に相談している。どうでもいい会話を聞くともなく聞き流しているうちに、急に彼女たちの中の一人が、きゃあ、と高い声をあげた。
何事かと私も顔を上げると、そこには不二くんが立っている。彼は遠慮なく教室へ踏み込んで、真っ直ぐ私の側までやってきた。
「みょうじさん」
涼やかな声が私を呼ぶと、教室の端が小さくさんざめく。確かに不二くんはジャージ姿でさえ様になっているし、彼が常にたたえている微笑みは女の子たちの心をくすぐるものなのだろう。
「不二くん、部活は?」
「ちょっとだけ、サボり」
「いけないんだ」
「ふふ、ちょっとだけだから」
彼が小さく首をかしげると、さらりと髪が柔らかく揺れた。私はその光景を綺麗だなとぼんやり眺める。
「不二くんも、乾と仲直りしろって言いにきたの?」
「英二がそう言ったの?」
「うん、今日中に仲直りしろって」
「みょうじさんは、仲直りしたい?」
「もちろん、乾と普通に話したいよ。でも、よくわかんないんだ。私たち、喧嘩したのかなって」
「何があったか、聞いていい?」
不二くんは、菊丸くんがするみたいに私の前の席に座った。私は肘をついて彼を見やる。話していいのかな。話すべきなんだろうか。
「本当は、何があったかなんとなくわかってはいるんだけどね」
彼のその言葉の意味は、つまり隠すことなんかないから話してみろ、ということなんだろう。
「あのね」
私は、一言ずつ、その時のことを思い出すように彼に話をした。乾に合宿に誘われた時のこと、合宿が楽しかったこと、手塚くんに言われた言葉、合宿の帰り道のこと。話し始めると言葉はとりとめなくボロボロこぼれ落ちていくようで、決して順序立てても、整理できてもいなかったはずだ。それでも、不二くんは時折小さな相槌を挟むだけで、静かに私の話を聞いてくれた。
そして私が全部を話し終えると、彼は私から視線を外して、窓の外の真っ青な空を見上げる。
「そうだな、客観的に見たら半分は手塚が悪いと思うよ。残りの半分は、タイミングと、乾と、君もちょっと」
「半分は手塚くん? 何で?」
「多分、彼は約束を破ったから」
「約束って何?」
私と視線を合わせないまま、彼は少し言葉を選んでいるようだった。不二くんは少しそういうところがあるように思う。どんな言葉が一番ふさわしいのか、きちんと選びたがるような、そんなところが。
「合宿始まる前に、乾に言われたことがあるんだ」
「うん」
「みょうじさんのこと、見守ってやってほしいって」
「うん」
「友達になれとは言われなかったよ。多分、乾は僕らとみょうじさんが自然に友達になることを望んでいたんだと思う。手塚も似たようなことを言われていたと思うよ」
「……そっか」
「だから、乾の言葉を無視して状況を変えてしまったのは、手塚だったんじゃないかな」
ゆるりと口元に笑みを浮かべて、彼は目を伏せる。会話はこれで終わりという合図のようだった。
けれど、私にはまだヒントが足らない。もしも全部不二くんの言った通りだったとして、そうだったとして。じゃあ、全部手塚くんのせいだから、何もなかったことにしましょう、というのも違う気がするから。
「乾に、ごめんって言えばいいと思う?」
「どうかな」
「ねえ、もう少し教えてってば」
「それはみょうじさんが考えなきゃいけないことだと思うけど、違うかな?」
答えにならないような不二くんの答えは、ある意味での正解に思えた。だから、私はそうだね、と素直に頷く。
「じゃあ、行こう」
彼はごく自然な動作で私の手を取った。途端に、教室の端からまた小さく悲鳴が上がる。不二くんの手にはきっと私を逃すまいという意図しかないのだろうけれど、他人から見ればまるでエスコートされているように見えるのかもしれない。月曜日になったら、噂好きの女の子たちの質問攻めにあうかもしれない。
「ねえ、不二くん」
「だめ」
「まだ何も言ってないよ」
「コートまで、一緒に行こう。一緒に来てくれないと、僕もサボった言い訳ができないんだ」
離して、も言わせてもらえないままぎゅっと手を握られて、私は口を閉じた。不二くんにこんな強引なところがあったなんて、知らなかった。
不貞腐れておとなしくなった私を見て、彼はクスクス笑い声を立てる。
「みょうじさん」
「なに?」
「君は可愛い人だね」
唐突な言葉に私は目を見開いた。何を言い出すんだ、この人は。
「何それ」
「少し手がかかるところが可愛いんだよね」
「まじで何、不二くんのばか」
「男なんてみんな馬鹿なものだよ。知らなかった?」
『男』という言葉がおおよそ似つかわしくない彼が綺麗に笑って言うから、私はその言葉に何の現実味も感じない。ただ不二くんが少し楽しそうだから、何だか乾も笑ってくれるような気がした。このまま全部うやむやになってしまえばいいのに、なんて。初めに気まずくなるようなことをしたのは私のくせに、そんな虫のいいことさえ考え始めている。
女もばかだよ。
思ったけれど、言わなかった。きっと、不二くんだってよく知っているだろうから。
25 絵の中の君02