合宿編(全22話)
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ベッドに入る直前になって喉が渇いたことに気づき、部屋をそっと抜け出した。お風呂でゆっくりしすぎたせいか、部屋の電気はほとんど消えており、廊下は静まり返っている。
キッチンの近くまでたどり着くと、扉からわずかに漏れる光が見えた。誰かいるのだろうかとノックをすれば、中からガタン、バタン、と騒々しい音が鳴り響く。不思議に思ってそっと覗いてみると、二人の少年がカップラーメンの器を持って端の方で縮こまっているのが目に入った。彼らは確か。
「伊武くんと神尾くん、だよね?」
二人は気まずそうに顔を見合わせて、それから諦めたように体の力を抜く。
「はい」
答えたのは神尾くんの方だった。
「あの、ちょっと腹減っちゃって。橘さんたちには秘密にしといてもらえると嬉しいんすけど」
「……だからやめようって言ったのに。あーあ、嫌になるよな。絶対、俺まで同罪だと思われるよ」
「先に腹減ったって言い出したのお前だろ、深司」
「カップラーメン食べようって言ったのはそっちだろ」
「そうだけど、俺のラーメン食っといてよくそういうこと言えるな、お前」
「はいはい、どうせ俺が全部悪いんだよな」
口喧嘩を始めてしまった二人に、私は口を挟むことができない。仕方なしに、二人を横目にコップを借りてミネラルウォーターを注いだ。これはいつ終わるんだろうか。待ってればいいのか、それとも諦めて部屋に戻ってもいいものだろうか。いや、一応止めた方がいいのか。
「ええと、とりあえず座って食べたら、どう、かな」
「あ、そうっすね」
神尾くんは私の言葉に頷いてなんでもないように椅子を引く。さっきみたいな口喧嘩には慣れっこなのかもしれない。伊武くんは一度だけテーブル、というか本来は調理台なのだけど、そこと私を見比べて、それからしぶしぶと言った様子で椅子を引いた。あまり好かれてはいなさそうな態度だ。
私は二人の正面に座って、見るともなく二人の食事を眺める。
調理台の上にはまだ未開封のカップラーメンがいくつか置かれていた。その一つに目を惹かれて、手に取ってみる。
「カップヌードルのトムヤムクン味? どんな味?」
「トムヤムクン味なんじゃない?」
何言ってんの、と小さな声で付け足した伊武くん。
「そういうことじゃないだろ」
神尾くんはため息をついて一言。彼は苦労していそうだ。伊武くんは神尾くんの言葉を気にかけた様子もなく。
「俺、それ食べたこないし」
「そっか。どんな味か気にならない?」
「ただのカップヌードルだと思うけど、食べてみる?」
「え、いいの?」
伊武くんの提案にびっくりして二人をみると、神尾くんも小さく笑って頷いてくれた。
「いいっすよ、お湯沸かし直しますね」
「わあ、やった。ありがとう」
大してお腹は減っていなかったけど、匂いを嗅いでいると何か食べたくなってしまうものだ。それに、どんな味か気になる。カロリーが気にならないと言えば嘘になるが、昨日今日とたくさん働いたからきっと大丈夫だ。そう信じよう。
神尾くんが立ち上がってお湯を沸かし始めてくれたので、私はラーメンのパッケージを開け、伊武くんも棚から小さな器を二つ取り出す。私の前に置かれたこれは、つまり。
「伊武くんと神尾くんも味見するってことか」
「まさか、一人で食べる気だったわけ?」
「え、ううん、あげる。っていうか元々神尾くんのものだし」
「だよね」
当然、というように頷いた伊武くんに、神尾くんは困ったように眉を下げていた。いや、いいんだ。これが彼のデフォルトだと思えば、別に話しにくいというほどでもない。こんなことを言うのも失礼だとは思うが、上手くない立ち回りや言葉の選び方は仲間意識を感じてしまう。
それから、神尾くんにお湯を入れてもらって3分。立ち込めるラーメンの匂いは、よく知っているものより少しエスニックな感じがする。
「美味しそう」
呟いて、蓋を開け、小皿に二人の分を取り分けて渡す。
「ありがとうございます」
「どーも」
二人はそれぞれのカップラーメンを食べていた箸を止め、先に小皿の方に箸をつけた。
「どう?」
「思ったより辛いけど、うまいっす」
大きく頷いた神尾くんとは対照的に、伊武くんは無表情でモグモグとラーメンを咀嚼している。
「まあまあかな」
まあまあ、という評は、伊武くん的にはどのくらいのランクなんだろう。素直じゃなさそうだからなあと思いながら、そっか、と適当な相槌を打った。それから、私もラーメンに箸をつける。やっぱりカップヌードルらしさが勝つのだけれど、トムヤムクンらしい味と香りがする。
「なるほど。うん、美味しい」
頷くと、ふ、と伊武くんが笑った。あ、笑った顔、初めて見たかも。
「これで共犯だから」
「あ」
そうか。これは黙っている代わりの賄賂だったのか。誰かに言いつけようと思っていたわけなじゃいけれど、改めて言われるとしてやられた気分。
と、遠くから響いてくる足音を耳が捉える。
「やば、隠せ!」
神尾くんの言葉に、私は片手にラーメンを持ったまま慌てて電気を消す。このラーメンどうしよう、隠すって言ったって汁ものだしな、と逡巡しているうちに、ぐい、と引っ張られて、調理台の下に引きずり込まれた。間近に迫った神尾くんが唇に人差し指を当てて、静かに、と合図する。
タイミングよくドアが開く音がして、パッと明かりがついた。小さな話し声が聞こえくるから妙な緊張感があって、見つからないようにぎゅっと中央へ身を寄せてしまう。ラーメンくらい見つかったって大したことじゃないのに。薄暗い調理台の下で二人に視線をやれば、やっぱり緊張した面持ち。近くなった二人の体温と誰かの気配に心臓が忙しない。
そして、急に影が濃くなる。
「こんなところで何をしているんだ」
「ひぇ!」
かけられた声に取り落としたラーメンを、神尾くんがとっさにキャッチしてくれる。やばかった。神尾くんナイスプレイだ。
息をついて、ゆっくり振り向く。
しゃがんでこちらを覗き込んでいたのは柳くん。その後ろで乾が複雑そうな顔をしていた。
「……夜食、食べてた」
私が正直に白状すると、伊武くんと神尾くんも気まずそうに表情を曇らせる。ことここに至って言い訳なんか思いつかないんだから、仕方ないじゃないか。
「とにかく出ておいで」
乾にそう言われて、私たちは明るいところへはい出した。
「なんでバレたんだろ」
伊武くんが小さく呟くと、柳くんは当然という面持ちで、匂いだ、と答える。
「あとは明かりが消えたタイミング、部屋の温度を考慮すれば、まだキッチンに人が残っている確率は91%だった」
パーセントって。乾もたまに言うけど、その数パーセントの端数はなんなんだ。どう言う計算なのか聞いてみたい気もするが、長ったらしい答えが返ってきそうなので聞いてみたことはない。
「ええと……」
この事態をどう収拾しようかと迷っているのだろう。神尾くんが言葉を迷わせていると、乾がそれを手で制する。
「栄養バランスを考えれば感心しないけど、今日のところは見なかったことにするよ」
伊武くんと神尾くんは揃ってすみません、と頭を下げた。伊武くんが乾のことはちゃんと先輩扱いするのかと思うとちょっと悔しい。
ともかく、残りのラーメンを食べてしまおう。思って座り直すと、途端に四人から困ったものを見る目を向けられる。
「え、なに」
「この流れでまだ食べられるってすごいよね。神経太くて羨ましいや」
「伊武くん、君だってさっきまでラーメン食べてたじゃん! さっきまで私たち仲間だったじゃん!」
「え? 俺たち仲間だったの?」
「深司、やめてやれよ……」
「神尾くんの同情の視線も結構きついんだけど!」
二人と言い合っていれば、ふふ、と笑う声。乾と柳くんだった。なにが楽しいんだ。私、いじめられてるんだぞ。
「とにかく、今日はそろそろ休んだらどうだ。みょうじはそれを食べてからでいいから」
柳くんの先輩らしい言葉に、後輩たちも素直に頷いた。
「失礼します。お休みなさい」
礼儀正しく言った神尾くんに続いて、伊武くんもお辞儀をして、キッチンを出て行く。廊下を行く彼らの、なんだかんだ言い合う声がしばらく聞こえていた。お前のせい、どうせ俺のせい、なんて、まるで数分前と同じ会話。あれはあれで仲良しということなのだろう。
私も程なくしてラーメンを食べ終え、流しに置く。洗っておこうとスポンジへ手を伸ばすと。
「いいよ、俺たちが後で一緒に片付けておくから」
乾はひょいと私からスポンジを取り上げて元の台へ戻してしまった。乾は私を甘やかすのが上手だ。
「まじか、ありがとう」
頷いて、それから調理台に広がったありとあらゆる野菜が広がっていることに気づいて、嫌な予感を覚える。これは乾お得意の、謎のドリンクの仕込みに違いない。
「……美味しく作ってね」
無駄だろうなと思いつつそう言えば、乾と柳くんは意味深に笑った。お揃いの笑顔が、恐ろしいことこの上ない。
「心配するな」
だなんて、心配しかないんだけれど。私は愛想笑いも忘れて、おやすみ、とその場を後にした。柳くんは乾を止めてくれるだろうか。いや、あの人はきっと面白がってしまうタイプだな。
明日、死人が出ないことを祈りつつ、私はベッドに入って目を閉じた。
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