合宿編(全22話)
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「んで、ずっとここにいたのかよ。ばっかじゃねーの」
向日くんは呆れた声でそう言うと、盛大なため息をついた。
私たちの前には鮮やかに飾り付けられた食事が置かれている。向日くんと宍戸くんが持ってきてくれたものだ。あの後、戻ってこない私たちを心配してくれていたらしい。
「面目ございません。巻き込んでごめんね」
「でも楽しかったC」
「むしろジローが巻き込んでんだろ、反省しろよ」
ケラケラ笑う芥川くんの頭を、宍戸くんがスパンと勢いよくはたいた。その勢いでスープが少し溢れたから、そっと箱ティッシュを芥川くんの隣に移動させるけれど、芥川くんが気づくことはない。代わりに宍戸くんがティッシュでテーブルを拭いていたから、宍戸くんも損な役回りだ。
「芥川くんを起こさなかったの私だから、いいんだよ」
確かにすぐ戻れなかったのは芥川くんが爆睡してしまったせいなのだが、それでも起こさずにいたのは私だなのだ。けれど、私の言葉を聞くと、宍戸くんと向日くんは大きなため息をついた。
「お前な、こいつがどんだけ寝るか知らねえだろ。付き合ってたらキリねえぞ」
「そうそう、次は遠慮せずに起こせよ」
「簡単には起きねえから、遠慮せずに思い切りいっていいからな」
「こう! な!」
口々にアドバイスをくれる二人。向日くんに至っては、ひっぱたくジェスチャー付きだ。いつもそんな風に起こされているのか。乾が私を起こすときはいつもしつこく呼びかけるという方法をとるけれど、随分優しい起こし方だったのだなと、心の中で乾に感謝した。そして、不意に自分の頭に乗ったままだった帽子を思い出す。
「あ、帽子、返すね。助かったよ、ありがとう」
帽子を外して宍戸くんへと渡した。それを受け取った彼は、複雑そうな表情を浮かべる。
「こんなの、いつだって良かったのによ」
その言葉に、彼がさっきの事件を全て知っているのだろうことがわかって、私も苦く笑ってしまった。
「いつもその帽子してるから、大事なものかと思って」
「おう、ありがとな」
宍戸くんの手が伸びてきて、私の頭をぐしゃりとかき混ぜていく。少し乱暴で、けれど優しい触れ方。思わず笑みを浮かべると、私をじっとりと睨む視線が一つ。
「え、何、向日くん」
「お前、宍戸とも仲良いのな」
「そうかな」
「仲良いだろ! なんで俺だけ仲間外れにすんだよ!」
「いや、してないけど」
「いーや、してるね」
不満そうに頬を膨らませる姿は男子高校生とは思えない。可愛いと面白いが半々で、言いがかりも怒った様子も、ちっとも怖くなかった。
「ごめんって」
適当に機嫌をとってみようと覗き込んでみるが、彼の表情は変わらないまま。
「じゃあ、俺とも今から友達な」
何それ。君は私と友達になりたいのか。て言うか、私と芥川くんや宍戸くんは友達に見えたのか。て言うか。
「なにその可愛い提案」
「可愛い言うな、ムカつく」
「いや、だって可愛い、んぐ!」
向日くんは私のお皿の上のフォークに魚を一切れ刺すと、無理やり私の口へ突っ込む。それを見た芥川くんが、変な顔、とめちゃくちゃ笑うから、私は芥川くんの背中をばしりと叩いた。ついでに宍戸くんも。
「いった!」
「いって! なんで俺まで!」
「宍戸くんも笑ってたくせに」
私がそう言うと芥川くんと向日くんが笑うから、結局私と宍戸くんも笑ってしまった。
確かに、ちょっと『友達』らしいなって、そう思った。
***
それから、私と芥川くんが食べ終わるまで二人も一緒にいてくれて、四人でお皿をキッチンに返して解散した。
部屋に戻ろうと廊下をたどっていると、使用人さんがワゴンと一緒に私の部屋の前にいるのが目に入る。何事かと近寄れば、彼女は私の姿を認めてにこりと上品な笑顔を浮かべた。
「今夜はバラ風呂をご用意させていただきました。どうぞお楽しみください」
「バラ風呂ですか?」
急な話に目を瞬かせていると、使用人の女性は少し困ったように眉を下げる。
「バラの香りはお嫌いでしたか?」
「いいえ! えっと、好きです」
慌てて否定すると、彼女はホッとした表情を浮かべて、胸の前で手を合わせた。
「よろしゅうございました。景吾様も喜ばれます」
「けいご様?」
「はい、私どもの主人がどうかなさいましたか?」
「い、いいえ」
私が戸惑っているうちに、彼女はそれでは失礼いたします、と綺麗にお辞儀をして去っていってしまう。
私は頭の中の整理がつかないまま、とにかく休みたいとドアを引いた。
途端にわずかな甘い香りが漂ってくる。つられるようにバスルームへ向かうと、柔らかな花の香りが広がった。強い主張のない、澄んだ甘さが心地いい。一気にテンションが上がって、私はすぐにお風呂の用意をしバスルームに戻る。赤い花びらの散るバスタブに浸かれば、ちょうどいい温度に全身からゆっくり力抜けていくみたいだった。
「いいにおい」
小さな独り言が、滲むように響く。
これは、跡部が用意してくれたものなのだろうか。
私のために? あいつが、わざわざ?
そう、なのだと思う。ワゴンは止まることなく去っていったから、きっと私のためだけに用意されたものなのだろう。じゃあ、なんで。跡部も何かしら思うところがあったのだとして、それならどうして言葉じゃなくこんなことをするのか。少し考えてみて、考えるまでもないことだと思い当たって、一人で笑ってしまった。
素直になれないのは。相手の顔を見て言いたいことが言えなくなってしまうのは。きっと、彼も同じなのだ。私も、彼も同じ。
「ばーか」
誰にも届かない悪態は、甘い匂いに溶けて消えてしまった。
今日は、よく眠れそうだ。
17 合宿編16