合宿編(全22話)
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カメラ係というのは、案外暇だった。暇な分、ドリンク、タオル、と飛んでくる注文に応えなくてはならないが、だいたい突っ立っているだけの仕事である。
反対にコートの中の選手たちは大変そうだ。単に大変といってしまうのは失礼かもしれない。みんな、あんなに楽しそうだから。日差しの中で駆け回る彼らは、とても生きている感じがする。意識の外で当たり前に繰り返す自分の呼吸を思い出させるくらいに。
二台置いたカメラのうち影にある方のそばに立っていると、こちらにやってくるからし色のジャージの二人組。彼らの目当てはきっと私でもカメラでもなく、木陰だろう。
「みょうじ、お疲れ」
そう言って手を挙げた丸井くん。
「お疲れ様」
私がそう返すと、丸井くんの隣の仁王くんは私にヒラリと手を振る。そのままなにも言わず木の根元に座り込んでしまった。疲れているのだろうか。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃ」
ほっとけ、とでも言わんばかりのそっけない返事だ。本人が大丈夫というなら別にいいんだけど。
「悪りぃな。仁王、暑いの弱いから参ってんだよ」
「いいよ、気にしてない」
「そっか?」
苦笑いの丸井くんは、私の横に並んで三脚に立てたカメラを覗き込んだ。
「ここ、ちょっと遠くねえか」
「光が入りすぎると白飛びしやすいから、念の為一台は日陰に置こうって、緒方さんが」
「ふうん。お、決まった」
桑原くんのスマッシュが綺麗に決まったのをカメラ越しに見て、彼は顔を輝かせる。桑原くんと丸井くんは二人で歩いているところを何度か見かけたから、立海の中でも仲良がいいイメージがあった。
「すごいね」
「まあな」
「丸井くん嬉しそうじゃん」
「ジャッカルは俺のダブルスパートナーだからな。って、お前、俺の名前」
私の言葉に、ばっとこちらを顧みた丸井くん。そりゃあ、昨日名前覚えてなくて怒られたし、二日続けてみんなの健康チェック表も入力しているのだから覚えないはずがない。
「丸井ブン太、でしょ」
「やればできんじゃん」
嬉しそうに笑って、ぺしり、と私の後頭部を軽く叩く彼。おい、覚えてたのになんで叩かれなきゃいけないんだ。お返しに腕をぺチリと叩いたら、痛て、と小さく声が上がった。
「ばーか」
「お前、結構口悪いのな」
「このくらい普通だもん」
「脈絡なく馬鹿って言う奴が普通はねえだろぃ」
ぺチリと私がしたように腕を叩かれたので、今度はどうしてやろうかと思って彼を見上げて。彼の楽しそうな顔が、いつの間にかさっきより近いこと気づいて。
心臓が、ぎしりときしむ。
そうだ。丸井くんは、ちょっと似てるんだ。昔好きだったあの人に。
別になんてことはない。昔のことのはずなのに。丸井くんと彼は別の人なのに。それなのに、私は手の行き場をなくしてしまうから、仕方なく後ろに手を組んだ。
と同時。
「イチャイチャしてるとこ悪いんじゃが、マネージャー、ドリンク取ってきてくれんか」
後ろから声がかかって、私は仁王くんを振り返る。彼は少し遠くのベンチを指差していた。顔色が悪いし汗が多いようだから、熱中症だろうか。イチャイチャしてねえ、と不機嫌そうに呟いた丸井くんを無視して、仁王くんと視線を合わせるようにしゃがむ。
「気持ち悪い? キッチンに経口補水液もあるけど、普通のドリンクとどっちがいい?」
「じゃあ、経口補水液」
「わかった」
「すまん」
急いだ方がいいだろうと立ち上がると、丸井くんが私を手で制した。
「俺が行ってくるから、お前は仁王見てろよ」
「う、うん、ありがとう!」
さっと駆け出してしまった丸井くんに叫ぶようにお礼を言って、仁王くんを見下ろす。見ていて、と言われたものの、なにをしたらいいものか。体、冷やした方がいいんだっけ、と少ない知識を掘り起こす。
「ちょっと待っててね」
コートのそばのスタッフさんに仁王くんの調子が悪いことを伝えると保冷剤を持ってきてくれるというので、私はとりあえずタオルを近くの水道で濡らして持っていく。
「はい。スタッフさんが保冷剤も持ってきてくれるって」
「そこまでせんでも」
「こういうのは、やらないよりやりすぎのがマシだと思うから」
そんなもんか。小さく呟いた仁王くんは、タオルを受け取って額に当てる。
「マネージャーは、ブンちゃんに気があるんか」
「え」
脈絡のない言葉に、私は目を見開いた。そんな風に見えただろうか。そう思うだけでなんだか心臓が重たくなる。
「そんなんじゃないよ」
「ほーか」
「うん、違う。丸井くんは、違う」
「言ってみただけじゃ、ムキになりなさんな」
「あ、うん、ごめん」
と、足音に気がついて振り返ると、戻ってきた丸井くんが目に入った。少し息を切らせているから急いでくれたのだろう。
「ほら、これだろ」
丸井くんからボトルを受け取った仁王くんは、ボトルに口をつけて、まずい、と一言。経口補水液を作っているところを見たけど、材料は砂糖と塩と水だけなので美味しいものじゃないのだろう。
「お前なあ! 俺がどんだけ走ったと思ってんだよ。さっき試合終わらせたばっかだぞ」
「ブンちゃん、俺、病人」
頭をはたこうとした手を止めた丸井くんは、仁王くんをにらんだまま盛大に息をつく。
「後で覚えてろよ」
肩を落としてそう言った丸井くんに思わず笑ってしまった。すると、仁王くんも少し口の端をあげて笑う。ちょっとは気分も落ち着いたのかもしれない。
よかった。もうすぐスタッフさんも来てくれるし、心配ないだろう。
不意に丸井くんと目があう。彼は少しだけ笑って、それから何か言いたげに口を開き、結局そのまま私から視線をそらす。
なんだろう。そう思っても聞いてみる気にはなれなくて、私は足元の影に視線を落とした。葉の影と混じったそれは、まるでユラユラ揺れているようだった。
***
『丸井くんは、違う』
その言葉は、どういう意味だろうか。
スタッフの人たちとあれこれ話している彼女の横顔には、どんな色も浮かんでいないように見える。あの言葉の中に何か意味があったような気がしたのは、気のせいだっただろうか。
「どうした?」
そう言ったのは仁王。こいつはきっと、俺の視線の先に誰がいるのか知っていて聞いている。あるいは俺の疑問の答えさえも知っているかもしれない。
まだ少しぼんやりした表情の仁王をちらりと視線で伺ってみる。特段何かが分かるわけもなくて、俺は疑問をそのまま口にするしかなかった。
「なあ、さっき何の話してたんだよ」
「気になるんか」
「自分の名前聞こえたら、そりゃ気になるだろぃ」
「大した話じゃなか」
「なら聞かせろって」
「俺はプライバシーは守る主義だっちゃ」
「んな話初めて聞いたんだけど」
「今決めた」
「都合のいい主義だな」
俺の不平を小馬鹿にしたような笑みで笑い飛ばし、仁王はまずいと評した経口補水液にまた口をつける。
「まあ、気にせんのが一番じゃろ」
仁王の言葉は、その通りなのだとは思う。わかってはいるのだ。
けれど。
どうしてか、彼女の小さな背中を、俺は目で追ってしまう。
「まず」
ゴクリとボトルの中身を飲み干した仁王が、またそう零した。怒る気にもなれなくて、俺は目を閉じる。
そして、彼女の姿がまぶたの裏まで追いかけてこないことに安心していた。
15 合宿編14