合宿編(全22話)
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コートにほど近い小さな部屋の中。
私には部屋にしか見えないのだが、実は大きなウォークインクローゼットらしい。窓がないところだけが、それらしいかもしれない。
とにかく、ここは今は救急箱やらテーピング用の包帯やら、スツールとサイドテーブルのようなものまで置かれていて、ちょっとした救護室になっている。私は緒方さんに言われて冷却スプレーと湿布の残りを確認しにやってきたのだが、踏み入れた途端にセンサーで点いたライトとひっそりとした空気が秘密基地みたいで、少しドキドキする。
棚の中の湿布の箱を数えて紙に書き込んだ。あとはスプレーだ。未開封のものは上の方に置いてあるようで、手が届きそうにない。見回してみると、すぐそばに小さい3段だけの脚立が立てかけてあった。これを使えということか。
私が脚立を広げていると。
「あ、みょうじさん」
戸を引いて入ってきたのは大石くん。その後ろの明るいブロンドの大柄な彼は、確か橘くんだ。
「もしかして怪我?」
「うん、橘が」
「悪いな、少し邪魔するぞ」
見やれば橘くんの肘は真っ赤に染まっていて、血が手首まで伝っている。めちゃくちゃ痛そうだ。私は慌てて脚立を置いて、救急箱を引っ張り出した。
「ありがとう」
そう言って手を出してきた大石くんにそのまま救急箱を渡して、垂れた部分の血を拭くのに必要かとティッシュを探す。
「二人とも、すまないな」
スツールに腰掛けた橘くんが申し訳なさそうに眉を下げた。少し怖そうな印象があったけれど、偏見だっただろうか。
「困ったときはお互い様さ」
そう答えた大石くんは、第一印象の時から変わらず爽やかで優しげ。テキパキと橘くんの肘に処置を施していく様子は、とっても手慣れて見える。
「私は何もしてないよ。大石くんはすごいね」
「ああ、大石は医者を目指してるらしいからな。さすがだ」
そう言って橘くんが誇らしげに笑みを浮かべる。仲良しだったのか、君たち。知らなかったな。意外な組み合わせだけれど微笑ましい二人だと思う。
「まだ専門的なことを習っているわけじゃないんだけど。昔から英二、あ、菊丸のことだけど、あいつは怪我が多かったしね」
「大石くん、大変なんだ」
「はは、そうでもないよ。あ、でも、心配は尽きないな」
手を止めないまま笑った大石くんは、少し寂しげだった。どうしてだろうと疑問に思って、それからすぐに思い出す。そうだ。大石くんは外部受験したんだっけ。きっと一緒に部活をしていた頃が懐かしいのだろう。
「青学には無茶をする奴が多いからな」
「それは不動峰だって同じだろ。橘も心配なんじゃないか」
「いや、心配はしていないさ。あいつらはやわじゃない」
「それもそうか」
そうして、彼らは笑い合う。信頼がかいま見えるようで、私には眩しかった。いいなあ。青春ってこういう感じを言うんだろうか。この場に私がいるのが水をさしているようで申し訳ない。
大石くんはガーゼを綺麗に貼り終え、もういいよ、と言って立ち上がる。
「ありがとう、助かった。流石に右腕は一人じゃ難しいからな」
「お安い御用だよ。じゃあ戻ろうか」
「ああ、ちょっと先に戻っていてくれ」
「何か用事かい?」
「ああ、彼女の時間を取らせてしまったから、俺は少し手伝ってから戻るよ」
不意に視線を向けられ、私は、え、と間抜けな声を上げてしまった。
「いいよ、そんな。あとは冷却スプレー数えて終わりだし」
「ゆっくりしていると昼食に間に合わんぞ」
橘くんの言葉に、ポケットの中の携帯を確認してみると、確かにあと十分もない。
「そう言うことなら俺も手伝うよ。俺は誰かが間違えて他の棚に返却していないか確認してみるから、二人はそっちを数えていてくれ」
「ああ、頼んだ」
大石くんの言葉に、橘くんが私の代わりに答えて、もう完全に手伝ってもらう流れになってしまった。ここで突っぱねるのも今更というやつだろう。
「ごめん、二人とも。練習で疲れてるのに」
とにかく早く終わらせようと、脚立に登って棚の上の方のスプレーに手を伸ばす。
「さっき言っただろ。困ったときはお互い様ってさ」
「そう言うことだ」
順に優しい言葉をかけてくれる大石くんと橘くんに、君たちは仏なのか、と思った。口に出したら大石くんの独特な髪型や橘くんの額のホクロを揶揄しているように聞こえるかと思って言わなかったけれど。いや、純粋にありがたかったんです、本当です。
ちゃんとお礼を言おうと振り返ると同時。ぐらり、と視界が揺れる。
「みょうじ!」
焦ったような声は、誰のものだっただろうか。一瞬の浮遊感と、がしゃん、と脚立の立てる硬質な音。
そして。
衝撃はなかった。大石くんと橘くんが受け止めてくれた、というか、受け止めようとしてくれたというか。結局三人で倒れこんでしまったらしい。私が二人を下敷きにしていた。二人がいてくれなかったら床に叩きつけられていただろうと思うと、背筋がひやりとする。
「危なかったな。二人とも、怪我はないか」
首だけを回して私と大石くんを順に確認した橘くんは、大石くんの大丈夫、という言葉に安心したように笑った。私も怪我はないけれど。けれど。
「ご、ごめん!」
慌てて退こうと体を引くと、うまく腕に力が入らずにまた倒れこんで大石くんの肩に頭突きしてしまった。うぐ、と声が上がったから、だいぶ痛かっただろう。
「ごめん……」
顔を上げるのも恥ずかしくてそのままの体勢で呟くと、橘くんが耐えきれなくなったように笑い出す。
「っはは、すまん。バカにしているつもりはないんだが、妹のことを思い出してな」
言いながらも笑い止まない橘くん。ポンポンと私の背を叩いてくれる腕は、確かにお兄ちゃんて感じがする。
私と大石くんは顔を見合わせて、それから大石くんもつられたように笑い出すから、私もつられてしまう。
「ああ、もう、何やってんだろ、私たち」
「はは、まあみんな無事だったんだし、いいじゃないか」
「そうだな」
ひとしきり笑ったあと、先に立ち上がった大石くんが私に手を貸してくれて、ようやくみんな立ち上がれた。
「ありがとう、二人とも」
そうして、言いたかった言葉をやっと伝える。
橘くんが何も言わずに私の肩を軽く叩いて、大石くんもそれに習うように反対の肩を叩いた。なんだよ、青春に私も入れてくれるのか。ちょっと嬉しいからやめてほしい。いや、別にやめてほしいわけじゃないんだけど。
素直になれない私はごまかすようにただ脚立を立て直すけれど、私を制して脚立に上がったのは橘くんだった。いわく、また落ちると困るから、だそうだ。
13 合宿編12