合宿編(全22話)
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瞼を透かす日が眩しい。ゆっくりと意識が浮上していくのを感じる。ぼやけた視界に映ったいつもと違う天井に、合宿所に来ていたことを思い出した。
目覚ましが鳴る前に目がさめるのは、ずいぶん久しぶりだ。少し開けていた窓からは緩やかな風が吹き込んできて、私の頬を撫でていく。気分がいい。暖かいしもう少しまどろんでいたい。
あれ。
暖かい。うん、なんだか背中が暖かい。お腹あたりに誰かの腕が回されている。つまり。
私は恐る恐る背中の方へと振り返った。
「うわあああああ!」
誰かいる。いなかったらいなかったで怖いけど、いたらいたで怖い。反射的に私を抱きしめている腕から抜け出そうともがくけれど、ぎゅっと腕に力がこもった。
「誰! 離して!」
「んー……」
「んーじゃねえ、離せばか!」
「まだねむいC」
「一人で寝てくれる!? まじで誰!」
私を拘束する腕はとてもじゃないが眠い人の力じゃない。どういうことなんだ。私がジタバタしていても御構い無しに、背後の人は背中にくっついてきた。怖い。別に何かされるというわけでもないんだけど、普通に怖い。
数分の戦いを経て、私はやっと彼の手を引っぺがしベッドから転がり落ちるように飛び出した。
「あれー、もう起きるの?」
私を捕まえていた腕の主は緩慢な動きでもそりと身を起こし、眠そうに目をこすっている。見たことのある顔だから、合宿参加者であることは確かだ。侵入した不審者じゃなくて良かった。
彼のことを思い出そうと、じっと顔を見つめる。ふわふわした柔らかそうなキャラメルブロンド、ちょっと幼い顔立ち。
「芥川、くん?」
「うん、おはよー」
「おはよーじゃないよ、私の部屋で何してんのまじでやめて私泣きそうなんだけど」
「え、ここどこ?」
「だから、私の部屋だって言ってんじゃん!」
「そうなんだー……ごめんねー……ぐー」
「ぐーって! 絶対起きてんだろ! ごまかしてんだろ!」
「えー……、寝てないC」
「会話して、お願いだから!」
だめだ、疲れる。朝からすごい勢いで何かを削られている気がする。
「ねー、まだ眠いから」
「うん、自分の部屋に戻って寝てね」
「一緒に二度寝しよー」
「部屋に帰れ変態」
「だってなまえちゃん、ちょうどいいから」
「ちょうどいい?」
「抱き枕に……ちょうど、いい、から……」
「ここで寝ないで! 人を枕にしないで!」
パシリ、と頭をはたくと、芥川くんはごめんね、と笑う。へにゃりと気の抜けた笑顔と声。何それ、ずるい。毒気を抜かれてこれ以上怒れないじゃない。
「俺、夜中にトイレ行った帰りに、部屋間違えちゃたのかな?」
「いや、知りませんけど」
芥川くんは考えるように小さく首を傾げ、それから突然パッと顔を輝かせた。
「あ、めちゃくちゃ晴れてる!」
「え、あ、うん」
「今日もいっぱいテニスできるね!」
うれC!と打って変わって快活に笑った彼は、どうやらもう目が覚めたらしい。
「よっし、なまえちゃん今から一緒にテニスしよー!」
「いやしないよ、私テニスしない。ていうか芥川くんマイペースすぎだよ、私もう怖いよ」
「えー、しないの?」
「そんな可愛い顔しても、私テニスできないし」
「じゃあ、今度!」
「……うん、そうだね」
この人、全然話聞かないぞ。きっと何を言っても無駄だ。今なら私、悟りを開けそう。楽しみだと笑う彼に、適当にウンウンと頷きながら背中を押してドアの方へと追いやる。
「じゃあね。もう部屋間違えないでね、絶対間違えないでね」
「うん、じゃーね! 俺、丸井くんとテニスしてくる!」
元気のいいお返事に手を振り返して、私は息をついた。
早朝であることも気にせずバタバタと駆けていった背中を見送って、心の中で丸井くんに同情する。きっと今から叩き起こされる運命だろうから。
「みーちゃった!」
「うわ、!」
後ろから降ってきた声に、思わず声を上げて、慌てて口を閉じた。誰かを起こしてしまっては悪いだろう。
「なまえちゃんと芥川くんが密会かあ」
振り返った先には、にやにや笑う千石くんの姿があった。髪が少し濡れていてシャワーでも浴びてきたような様子だ。
「密会じゃないし、私侵入されて抱き枕にされただけだし」
「え、抱き枕って、まじ!?」
「まじだよ、朝からもう疲れたよ」
あ、親しくもない人に思わず愚痴ってしまった。気を悪くしていないかなと慌てて千石くんを見上げるけれど、彼の顔には同情の色が浮かんでいる。
「そっか。からかうようなこと言っちゃっダメだったね。ごめんね。大丈夫?」
「あ、大丈夫。こっちこそごめん、大したことじゃなかったのに、ちょっと、あの、昨日からバタバタしてたから、なんか」
言い訳じみた言葉がぼろぼろとこぼれ落ちていく。違うって。こんなんじゃ、余計困らせちゃうのに。こんな時なんて言えばいいのか口下手な私にはよくわからない。結局正しい言葉を見つけられなくて、私は口を閉じてしまった。
気まずい沈黙。
「なまえちゃん」
「う、うん、ごめん」
「芥川くんはいつも誰にでもあんな感じだから、きっと悪気はなかったと思うんだよね」
「うん」
「でもさ、君が嫌だったり疲れちゃったりしたら、少しくらい疲れたー、やだー、って言っていいと俺は思うよ」
ね、と安心させるように私と視線を合わせて笑みを浮かべた千石くんは、昨日より少し大人びて見える。
「うん、ありがとう」
「俺に聞いて欲しいこと、ある?」
「今は大丈夫」
「じゃあ必要になったら呼んでね。君のためなら飛んでくからさ」
そう言って綺麗にウィンクするものだから、思わず笑ってしまった。こうして冗談にしてくれるのが、不用意に踏み込まないように気遣ってくれているようで嬉しい。
と、思ったけれど。
「それにしても抱き枕かあ」
不意に千石くんの視線が私の全身をするりと降りていって、小さく、柔らかそ、という声が聞こえてくる。半ば反射でドアを締めた。
「ごめん、嘘です冗談です! ねえ開けて!? もう二度とやらしい目で見ません誓います!」
「自ら白状しやがった! 無理ですお引き取りください、一生呼ばないからお気遣いなく!」
「ごめんって、俺が悪かったよ! 健全な男子高校生だからちょっと魔がさしちゃったんだけなんだって!」
ドンドンとドアを叩く音が辺りに響くから、仕方なくちょっとだけドアを開けた。
「その無表情怖いよ、なまえちゃん」
「誰のせいだばか」
「俺のせいですごめんなさい」
「もういいです。今朝のことは全てなかったことにするので、千石清純はもう自分の用事に戻ってください」
「なんでフルネーム! 名前覚えててくれて嬉しいけど!」
「心の距離を取ろうと思って」
「やめて! 俺、可愛い子にそういうことされると死んじゃう生き物だから!」
大げさなほどにうなだれる千石くんは、なんだか近所の犬を思い出させる。ちょっとかわいそうで、ちょっと面白い。
「じゃあ呼んだらほんとに来てね。そしたら許す」
今の所、彼を呼ぶ予定なんてないけれど、許す理由としては十分だろう。
「ほんと!? 行く行く絶対飛んでく!」
ばっと顔を上げた瞬間の嬉しそうな顔。ほら、私が通りかかるたびに尻尾を振ってくれるあの子に似てる。
ドアノブから手を離すと、ドアは風に押されてゆっくり開いていった。
11 合宿編10