夏が翻る
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ぎっくり腰の憂き目にあった翌日は、学校に行けなかった。思ったより重症だったようである。桑原くんが通りかからなかったらどうなっていただろうと思うと笑えない。桑原くんにはいつか改めてお礼に行こう。
そして、肝心の幸村くんはといえば、相変わらずだ。ぎっくり腰が治った日から、初めての日と同じように朝練前に待ち伏せては『すき』と伝えているのだけれど、正直全く前進している気がしない。告白を始めてから一週間と少し、幸村くんは日に日に私の告白を躱すのが上手くなって行っている気がする。これでは、前進どころか後退だ。
「どうしたらいいんだ……」
昼休みの屋上には、鮮やかな花々が風に揺らめいていていた。幸村くんが手ずからお世話をしていると噂の、屋上庭園。コスモスと、もう一種類、丸みを帯びた形の花弁が幾重にも重なった小さな花がひしめき合うように咲いていた。なんという名前なのかは分からないけど、健気な雰囲気である。とても綺麗だけれど、彼の無性の愛を受けて育っているというのだから、今の私には嫉妬の対象だ。ああ、心が狭くなっている。
「お前達がうらやましいよ」
私も、もう少し可愛かったら良かったのに。しゃがみ込んで話しかけてみても、もちろん返事は返ってこない。これではまるで変な人ではないか。私は真っ白なベンチに寝転び、目を閉じた。
思い返すのは、今朝のこと。
***
私は『おはよう』と『すきです』をセットにするというフォーメーションを採用することにしている。
それというのも、私と幸村くんでは会話が続かないことは実証済みなので、うっかりすると挨拶だけで終わってしまうからだ。これなら、『すきです』もひとまとめに、まるで挨拶のように緊張せずに言える。いいことだらけの完璧なフォーメーションなのだ。
初日から変わらない緊張にソワソワしながら幸村くんを待つ。そろそろかと辺りを見回せば、校門の方から人影。予想通りだ。
「おはよう幸村くん、今日もす、」
「おはよう、それからごめんね」
遮られた。速攻で遮られた。しかも、おはようからごめんまで流れるような言い方だった。おはようとごめんねを一緒にするフォーメーションを幸村くんも採用したのか。中々手強い。
しかし、ここで折れるようでは女がすたると言うもの。せめて最後まで言わせてもらいたい。
「き、今日はいい天気だね」
「そうだね」
言いながら、幸村くんがポケットから取り出したのはマシュマロだった。幸村くんとマシュマロってなんてかわいい取り合わせだなあ。なんてでれでれしてる場合じゃない。
「あのね、すきでもごっ」
口に突っ込まれたのは、マシュマロに違いない。そのせいで、私の言葉は最後まで続かず。無理矢理突っ込んだ張本人は、あげる、と言って綺麗に微笑んだ。
「それじゃあ部活があるから」
私は、去って行く幸村くんの背中をなす術なく見つめるだけ。声をかけようにも、まだマシュマロが口の中に残っている。嗚呼、今だけはこの甘ったるさが恨めしい。
おかげで、今日も負けた。
***
昼休み、いつものように屋上へ向かう。
幾人かが談笑している中、ベンチで丸まる小さな女生徒。みょうじさんだ。人目も気にしない風に気持ち良さそうに寝入っている。あどけない様子は、彼女を幼く見せていた。ふわふわと風に弄ばれる前髪は、光に透けて綺麗で。触れてみれば、柔らかいそれはさらさらと指の間を逃げて行った。
こんなところで昼寝なんて、と呆れる反面、もしかして、俺に会うために朝早く登校しているから睡眠不足なんだろうか、と小さな罪悪感が胸を刺した。誰かが知ったら自意識過剰と笑うかもしれないけれど、間違ってはいないと思う。
彼女はいかに俺に『すきです』という言葉を聞かせるか、ということに躍起になっているようだった。それでも部活まで追いかけてきたり、四六時中付きまとうようなことも、しない。ただ、早朝の数分、攻防を繰り広げるだけ。俺も極力関わらない、というルールに従って、彼女とたくさん言葉を交わすこともしないけれど、正直、今朝は彼女がどう出るか、そんなことがちょっとした楽しみになっている。
今朝のマシュマロを突っ込まれたときの顔なんて、吹き出さなかった俺を讃えてほしいくらいだった。悪気があるわけではないのに、俺が笑う度に彼女がすねたような顔をするから、これでも自重はしているつもりだ。
そうだ、これからしばらくは、マシュマロを用意して登校しようか。口いっぱいにマシュマロを詰め込んだら、どんな顔をするだろう。想像してみて、少し笑って。
危ない。彼女を起こしてしまう。こんなに気持ち良さそうにしているのだから、邪魔はしたくなかった。
「おやすみ、みょうじさん」
ブレザーを脱いでそっと彼女にかける。今から土いじりをする俺は、どうせブレザーを着たままではいられないのだから。そう、誰にともなく、言い訳をして。
花壇に向かい合えば、綺麗に咲いたコスモスと、百日草。我ながら、うまく咲かせてやることができたと思う。
さあ、始めなくては。今日は早めに終わらせよう。彼女が目を覚ます前に俺はここをさらなければならい。
それが、彼女を一番傷つけずに済む方法のはずだから。
07 だからぼくらはめをとじた