夏が翻る
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甘い香りがする。
耳を満たすのは、ボサノヴァの軽やかなリズムと、客たちの笑い声。不揃いな椅子とライトはアンティークだろう。真っ白な壁には落ち着いた色合いのテキスタイルがかけらていた。あれは北欧のデザイナーの手によるものらしい、と雑誌で読んだような気がする。
人気の駅近カフェは今日も大盛況。
放課後、約束通りカフェへやってきた私と丸井くんは、テラス席に座り、ケーキ越しに向かい合っている。いや、お皿越しの間違いか。丸井くんが次々とケーキを平らげていくので、すでにお皿がいくつか積み上がっていた。人のお弁当まで奪っておいて、よくそんな食欲が残っているものだ。
ちなみに友人がいないのは、部活中に後輩がけがをして彼女が病院まで付き添うことになったからだ。面倒見がよく優しい我が親友が、私は誇らかった。
「さて、丸井くん」
「ふぁんふぁお」
「飲み込んでからお話ししませんか」
「ん、で、何だよ」
「なにって、ただ丸井くんにケーキおごりたくてここに居るんじゃないんだよ。協力してくれるって言うから! 作戦とか情報とか、なんかないんですか!」
「あー、そういやそうだった」
忘れてたのかよ、とつっこむとまたややこしくなりそうだから、私は言葉を飲み込んで、うんうんと頷いてみせる。
「なんでもいいから、幸村くんのこと教えてよ」
「好みのタイプとか?」
「うん、まあ、そういうの」
今更好みのタイプを聞いたってどうにもならない気はするが、気になる話題ではある。どうなの、と話を促すと、彼は少し考えるように視線を中へ彷徨わせた。頼りないことこの上ない。
「あー、なんだっけ? 健康的な? とかそんなかんじ」
「範囲広すぎないか」
「俺に言うなよぃ」
まあいいか。美人でスタイル良くて教養があって、なんて言われた日には、私なんか逆立ちしたって幸村くんの好みのタイプになんてなれない。その点、健康状態だけなら自信がある。おこがましいが、一応私も好みのタイプに入れてもらおう。
「じゃあ、好きなものとか?」
「飯なら、たぶん魚介類? 幸村くん、焼き肉行っても魚介頼むし。他だったら絵とか花とか」
「あ、ルノワール好きなのは知ってる。屋上庭園によくいるのも」
「へえ、そうなのか」
「へえって何。私の方が詳しかったらケーキの意味ないじゃん!」
「んなこと言われたって、普段そんな話しねえし」
「そうなんだ。じゃあ、何の話するの?」
私が普段友達と話すことと言ったら、学校のこと、恋のこと、好きなもののこと。そのくらいのものだ。
けれど、丸井くんから返ってきた答えは。
「テニスの話」
ある意味、至極当然の答え。
「そっか」
幸村くんがテニスを好きなのは知ってるつもりだったけど、テニス部のみんなも、きっと同じくらいテニスが好きなんだろう。だって、好きなものに入らないほど、当然のように染み込んでるんだから。
「あ、あと猥談」
「今、いい話になりかけてたのに」
「まあ、幸村くんはあんまりしねえけど」
「やっぱりね!」
「あんまりな」
「聞ーこーえーなーいー」
「夢見んなよ」
「善処します」
がんばれ、と適当に言い放ち、オレンジショコラタルトを頬張った丸井くん。口いっぱいにつめこんでもぐもぐとしている様は小動物みたいだった。リスとか、ハムスターみたいな。ほっぺた、もっと伸びそうだ。ちょっとかわいい。
「いや、和んでる場合か」
「は?」
「いやいや、こっちのはなし」
「まあいいや、じゃあ情報はこのくらいにして、次は作戦な」
勝手にさくさく仕切る丸井くん。私はぬるくなったコーヒーを喉へ流し込みながら彼を見やるが、どうにも不安だ。
「今更だけどさ、丸井くんのこと当てにして大丈夫?」
「なんだよ、疑うなら帰るぞ」
「ごめんなさいまるいさま! 信じてる! 超信じてるから!」
「よろしい、じゃ作戦な!」
ご満悦の丸井さまは、カボチャのシフォンケーキが刺さったままのフォークを私に突きつけてこう言った。
「押して押して押しまくる作戦で行く!」
「お、押して押して押しまくる作戦、とおっしゃいますと」
「だーかーらー、とにかくモーションかけまくれ」
しれっと言い放ち、ケーキを口に運ぶ作業を再開した彼。
しかし、果たしてそれでいいのだろうか。
「あのさ、一応言っておくけど、私、一回振られてるよ」
「ああ、んなこと言ってたな」
「別に、今更彼女になりたいとかじゃなくてね、幸村くんが私の気持ちを認めてくれないから、どうにか伝えたいっていうか」
「だから、押しまくれって」
「迷惑にならないかな?」
「やり方によりけりだろ」
「そういうもんか。でも、幸村くん、押しの強い子嫌いそう」
「別に、いいじゃねーか」
「え?」
「さっき自分で言ったじゃん、彼女になりたいわけじゃないって。だったら嫌われようが気にすんな。どんな状況でもめげずに好きって言えんなら、幸村君だってさすがに認めんだろ」
「そ、そっか……!」
目から鱗の気分だった。そうだ、私は勘違いをしていた。本気と認めてもらえるかどうかと、好きか嫌いかは関係のない話なのだ。もちろん嫌われるのはできれば避けたいが、好かれる努力はもう意味のないことでもある。
だから、押せ、と。
そういうことか。
「丸井さま天才か!」
「あったり前だろぃ」
「かっこいい! 一生ついて行く! 私のマロンポムタルトひとくちあげる!」
タルトをフォークで切り分けて、彼のお皿の端に乗っければ、みょうじはいいやつだな、俺たち友達だぜ、と手を差し出してきた。瞳が輝いているのは、私への気持ちではなくケーキへの気持ちだろう。
分かってはいても嬉しかったから、素直に手を握る。
「ふへへ、ありがと!」
「かわいくねえ笑い方」
「う、うっさいなあ!」
ちなみに、病院から戻ってきた友人にあんたが一番うるさいよ、と言われて、店中の視線を集めていたことに気付いたのは、その直後のこと。
05 愚か者とケーキの集会