夏が翻る
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授業が終わると、途端に浮き足立つ生徒たち。 めいめい楽しそうに、あるいは憂鬱そうに部活や遊びに向かうその流れに逆らって、私は非常階段へと足を向けた。そこからテニスコートを眺めるのが、私の日課だ。
テニス部を応援する観客達には暗黙の了解のようなものがあって、ラリー中に騒いだり、押し合ったり、特定の部員だけ応援するようなことはしてはいけないことになっている。部員の集中を乱さず、安全に、部員全員を応援しろということらしい。
それを見た友人などは皮肉を込めて『よく教育されてんね』などと宣っていたが、私から見れば彼女たちはとっても良い人たちである。
しかし、レギュラーがギャラリーに手など振ろうものなら、ラリー中の静寂が嘘のように黄色い悲鳴が湧き上がる。それはそれは某アイドル事務所顔負けなほどに。
それが嫌とまでは言わないのだが、私はもう少し落ち着いてぼんやり眺めたいと思ってしまうので、非常階段から見学する方が性に合っていた。少し遠いが、座って課題をこなしながら、たまにテニスコートを見て癒されたりすることだってできる。
非常階段の扉を開くと、すでにテニス部の練習ははじまっていた。
幸村くんは、柳くんと丸井くんと3人で何やら話し合っているようだった。もちろん、会話まで聞こえてくることはないが、真剣な様子は見て取れる。たまに、表情を緩めて微笑んで。今日は上機嫌のようだ。今朝の出来事は、幸村くんにとって気にするほどのことでもなかったのだろう。少し複雑だけれど、幸村くんの表情が曇るよりはずっといい。
いつも通りの幸村くん、いつも通りのテニスコート。
こうしていると、昨日や今朝のことが夢のようだ。幸村くんを遠くから眺めてばっかりいたのに。二日連続で言葉を交わすなんて、そうそうあることじゃない。そうだ、私はついてる。の、かもしれない。そう思っておこう。
コートに入った幸村くんを視線で追いながら、私は時計を確認した。部活が終わるまで、まだ大分ある。早速今日、友人と丸井くんとカフェに行く約束をしているから、それまで私は時間をつぶさなければならなかった。今日は課題もないし、お昼寝でもしようか。睡魔に逆らう理由など、ひとつもないのだから。
軽やかなボールの行き交う音をBGMに、私は目を閉じた。
***
「上機嫌だな、精市」
そう声をかけてきたのは柳だった。口調は淡々としているけれど、そのうちに好奇心をたたえているのが分かる。
こう言う男なのだ、柳は。遠慮のない好奇心を、上品な物腰でくるんでごまかしてしまう。厄介な質だけれど、引き際も心得ている彼だから、鬱陶しく思ったことは一度もなかった。
「今朝、病院で定期検査の結果を受け取ってきたんだ。経過は順調だって」
「それは何よりだ。しかし、油断はするなよ」
「その言い方、ちょっと手塚を思い出すな」
「油断せずに行こう、か?」
「あ、わりと似てた」
素直な感想のつもりだったのに、そういうことは仁王の専売特許だ、と柳は苦笑する。仁王に言わせればイリュージョンだから、物まねは四天宝寺の某の専売特許ということになるが。
「そうだ、柳はみょうじさんって知ってる? 同じ学年の」
「みょうじなまえ、か? もちろん知っているが、彼女がどうかしたのか?」
「いや、今朝少し話したから」
少し話した、と表現するにはいささかインパクトの強い出来事だったが。あの後、頭は大丈夫だっただろうか。もっと気遣ってやればよかったか。けれど、あまり優しくして変な期待をもたれても困る。
「彼女、面白いんだけどなあ」
正直なところ、興味が沸いてしまった。
大人しくて平凡な少女だと思っていたけれど、他人をそう言った型に嵌めて見てしまっていたことに気付いた。彼女と言う個人を認識してしまうと、 素直すぎる感情表現、唐突な行動、そういう意外な一面が見えてきて。彼女は、俺に取って『面白い』に分類される人間だった。
けれど、そういった軽率な興味で彼女と関われば、きっと彼女を振り回してしまうから。
「何の話? みょうじなら同じクラスだぜ」
ひょこり、と覗き込むように視界に入ってきたのは丸井だった。
「ああ、そうか。ふたりともB組だったな」
柳が納得したように言いえば、なぜか丸井はおう、と誇らしげに答えた。
「へえ、そうなんだ」
俺も適当に相づちを打っておくが、どうやら丸井のお気に召さなかったらしい。なんだよ、それだけか、だなんて。それ以上、どう会話を広げろというのだ。
「ほら、いろいろあるだろぃ。聞きたいこととか」
「別に……そうだな、丸井はクラスでちゃんとやってるの? うるさくしてない?」
「俺のことかよ! しかもちゃんとやってるのって幸村くん、俺のなんなんだよ!」
「保護者のつもりだけど」
「はぁ!?」
赤也ならともかく、何で俺まで、と文句をたれ始めた丸井の背中を押して、コートに入るから付き合ってほしいと告げればますます顔色を悪くした。軽いラリーのつもりだったのに、その反応は心外だ。
「精市」
背後からかかった声に振り向くと、柳は依然涼しい表情で、遠慮のない言葉を紡ぐ。
「みょうじなまえが気に入ったのか?」
俺は迷わずに首を振った。
「関わりるつもりはないよ」
俺にとっても、彼女にとっても、それが一番に違いない。
「さて、始めようか」
踏み出せば、慣れた感覚。肌を刺す心地よい緊張感。
俺には、これさえあればいい。
04 いらないよってわらった