夏が翻る
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記念告白、とでもいうべきイベントを乗り越えた私は、興奮と謎の緊張で眠れない夜を過ごした。彼の告げた『ごめん』という返事が嬉しかったのかもしれないし、悲しかったのかもしれない。正直、自分でもよくわからない。
何はともあれ、朝起きられなかったことと、遅刻であることだけは明確だ。
ポケットの中で震えた携帯を覗けば、友人からのメッセージ。
なまえー、今日休み? 風邪でも引いた?
だなんて、心配してくれてる所悪いけど、ただの寝坊です。
画面に表示されている時計に目をやれば、すでに2時間目が半分ほど終わっている。私は一体、どれだけ寝ていたんだろう。もうこうなったら仕方ない。どうせ遅刻なら、ゆっくり行こう。開き直ってしまえば、怖いものなどない。
後から行くよ、と友人に返信してから、私はコンビニに足を向けた。コンビニでポッキーとガリガリ君を購入し、人もまばらな通学路をたどる。真夏よりずっと柔らかくなった日差しを浴びながら、そろそろ食べ納めになるであろうアイスを味わえば、ちょっと不思議な気分だ。みんなが勉強したり働いている時間に私一人が、こうして楽しいことをしている。小さな背徳感と、特別感。
ふと視線をあげれば、向こうの角からやってくる人影が目に入った。すらりとした体型に、柔らかそうな藍色の髪。
遠目に見ても、幸村くんだと分かる。
ただそれだけで、暴れ出す心臓。思わず止まる足。
ど、どうしよう!
正直、今すぐに逃げてしまいたい。しかし、万が一にでも幸村くんが私に気付いていた場合、ここで避けるような真似をするべきではない。彼がこちらに気づいているのか、いないのか、それが問題だ。
遠目からじっと彼を観察してみるけれど、あいにく彼の様子はよく分からない。こうなったら、もう腹をくくるしかない。女は度胸だ。さりげなく近くまで歩いて行って、そこで気付いたふりをしてさわやかにおはよう作戦でいこう。それしかない。
下を向いたまま、じりじりと幸村くんとの距離を測りながら、そろそろかと思われる頃にばっと顔をあげた。
と、同時。
「みょうじさん?」
「ぎゃっ!」
思っていたより近くにあった幸村くんの顔に、可愛くない悲鳴を上げてしまった。
「ゆゆきむらくん、おは、おはよう」
「おはよう」
幸村くんは挨拶を返してくれたものの、私から目をそらし心無しか震えているようだ。どうしたのか聞きたいけれど、近すぎる距離に耐えられなくて、とにかく一歩後ずさろうとすれば。
「いたっ!」
ごつん、と鈍い音を立てて私の頭は電信柱にぶつかった。その拍子にべしゃりと切ない音がする。
「わ、私のガリガリ君!」
今日は厄日か、そうなのか。
痛む後頭部を抑えてうずくまる私の頭上から降ってきたのは、ぶはっ、って吹き出す音。
「ゆ、幸村くん! これは違うんだよ! 私いつもはもっと普通に、スマートに登校してるからね!」
「ふ、はは、ごめんね、笑うつもりはなかったんだけど、ははっ」
笑うつもりがないと言いながら、笑い止まない幸村くん。こんなに豪快に笑う彼を見るのは初めてのことだ。もっと違う状況だったら、幸村くんの意外な一面が見れたと喜ぶところだが。
「そ、そんなに笑うことないと思う……」
「みょうじさん、向こうから歩いてくる時手と足が一緒に出てたし、盛大に噛むし、極めつけにこれだから」
「私、そんなに挙動不審だったかな」
「いや、ちょっと面白いだけだよ、大丈夫」
朝の青い空を背景に、にこりと爽やか笑みを浮かべた幸村くんは完璧だ。完璧だけれど、いかんせん台詞には毒がある。
「そ、そう言えば幸村くんも寝坊? 珍しいね?」
なんでもいいから話題、と適当に取り繕えば、幸村くんは笑顔を崩さないまま少しだけ眉を下げた。
「みょうじさんは寝坊なのかい? 俺は少し病院に行っていて遅れたんだけど」
病院、か。
彼が去年から入院していたのは、あまり例のない病気だったと噂になっていた。 無事に退院したからといって、そう簡単に完治するわけじゃないのだろうか。
この話題には、おいそれと踏み込むわけには行くまい。 かと言ってここで黙ってしまうのも、きっと良くないことだ。 ど、どうしよう。 何か、何か。
焦る私は自分の手元のコンビニの袋を見てはっとした。これしかない。
「これ! これあげる!」
「え?」
「ポッキー!」
「ありがとう。でも、えっと、急にどうしたんだい?」
「どうもしないよ! ただ、あの、ほら、親愛の印!」
戸惑う幸村くんに、無理矢理ポッキーを押し付けて、自分で言った親愛の印、という馬鹿な台詞に恥ずかしくなってうつむく。きっと、今の私は真っ赤になってるに違いない。
「ごめん。それなら受け取れないよ」
すう、と温度の下がった幸村くんの声。
「やっぱり、俺は君の気持ちには答えられないから」
ずきり。心臓が、痛む。
ああ、同じ人に2度も振られるなんて。
私は、できるだけ気にしていないような笑顔を貼付ける。引きつった口元はきっと綺麗な笑顔とはほど遠いだろうけれど、今の私の精一杯だ。
「じゃあ、それはお騒がせしたお詫びということにしておいてよ」
「受け取れないよ」
困ったような笑みで私の手を取った幸村くんは、私に無理矢理ポッキーを握らせる。拒絶されているはずなのに伝わってくる体温は温かかったから、触れる手つきは壊れ物を扱うように優しかったから、 私の心拍数がまた早くなった。
「幸村くん、私、」
それなのに。
「もう、こういうことはやめたほうがいい。君もきっと、俺のことなんてすぐにどうでも良くなるよ」
私の言葉を遮ったのは、そんな悲しい言葉で。
それじゃあ、だなんて一方的に会話を切り上げた幸村くんの背中を視線で追いながら、私はポッキーの箱を握りしめた。
だって、どうでもよくなんてならない。なるはずないよ。絶対ならない。伊達に一年以上君のことを思ってたわけじゃない。 一方的かもしれないけれど。 叶わないなんてわかってるけど。
「私、ちゃんと幸村くんがすきだよ!」
衝動的に叫んで、彼が振り返った瞬間に、私はポッキーを思い切り放り投げた。赤い小さな箱は弧を描いて、幸村くんの手の中に収まる。
「捨ててもいいから、受け取ってよ!」
返事は聞かずに駆け出した。返事なんて、今はいらない。認めてくれるだけでいい、私の気持ちが本物だってこと。
だから、何度だっていうよ。
私は幸村くんが好き。
02 溶けて駆け出す